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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

スポーツアカデミー2015 第6回

シドニー五輪に学ぶ ~開催前から現在まで続くスポーツ オリンピック・パラリンピックのレガシー~

2015年度の第6回スポーツアカデミーが10月29日に開催されました。
今回は日本スポーツ振興センターの本間 恵子 様にご講義いただきました。

【当日の概要報告】

※以下の報告は、別掲の当日資料と合わせてご覧ください。

日本スポーツ振興センター 本間 恵子 氏

日本スポーツ振興センター
本間 恵子 氏

主な講義内容

オリンピックを語るとき、近年はレガシーという言葉が欠かせなくなった。後世に遺すべき有形、無形の財産であるレガシーの成り立ちを学ぶことでその本質を理解し、さらに2020年東京大会で素晴らしいレガシーを生むヒントにすべく、2000年シドニー大会の具体的な成功事例を学ぶ。

1. オリンピックのレガシーとは

(1)インパクトからレガシーへ
オリンピック関係の英語文献では従来、impact(インパクト)という言葉がよく使われていた。impactは主に経済効果や環境への影響を指す、どちらかと言えば開催直後の短期的な効果や悪影響を示唆するときに使われる傾向がある。一方、legacy(レガシー)は長期的かつ良いものを指すときにも使われる。

レガシーが着目されるようになったのは、2002年に開催されたレガシーに関する国際シンポジウム「The Legacy of the Olympic Games 1984-2000」が契機。このシンポジウムでは1984年から2000年のオリンピックが議論の対象だった。その理由は、1984年のロサンゼルス大会から商業化が本格導入され、1990年代には環境問題や持続可能な発展への国際的関心が高まり、こうした社会の変化を経て、2000年以降、オリンピックが未来に何を遺すのかという観点からレガシーという考え方が着目されるようになったからである。レガシーには競技場やインフラの整備など有形のものと、教育や記憶、スポーツ参加など無形のものがある。一般的に有形のレガシーが注目されがちだが、無形かつプラスのレガシーを計画的に遺すことが重要である。レガシーを正確に分類するのは難しいが、オリンピズムの目的がスポーツを通じた人間形成であることからすると、オリンピック・パラリンピック開催によってスポーツレガシーを残すことが重要ではないかと考えている。

(2)オリンピズム(オリンピック主義)とは
オリンピズム(Olympism)とは近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵がつくった言葉である。「Olymp-ism」と書けば、オリンピック主義とも解釈できるが、そのような言葉をつくったクーベルタン男爵の思いとはどのようなものだったのだろうか。教育者であったクーベルタン男爵は1890年に英国のMuch Wenlockを訪問し、町民の健康増進を目的にオリンピック大会を開催していたブルックス博士に会い、それが近代オリンピック復興というアイディアにつながったと言われている。クーベルタン男爵は、スポーツをとおしてとくに青少年の心身の成長を促し、それが国際社会の理解を深め、ひいては国際平和につながると考えた。これは、当時の戦争が絶えない時代であったことが影響している。こうした背景を踏まえ、1894年にIOCが設立され、1896年に第1回近代オリンピック競技大会が開催された。

やがて大会開催だけでなくオリンピック教育の必要性が認識され、またスポーツを人々の日常生活に取り入れるために「Sport for All」という言葉が生まれた。「国民の多くがスポーツを希求したとき真のスポーツ大国となる」というクーベルタン男爵の言葉は、オリンピックのレガシーを考える上で原点となる。現在、IOCは、オリンピズム実現に向けた取り組みとして、「Sport for All」「スポーツを通じた平和の実現」「スポーツを通じた発展」「女性とスポーツ」「スポーツを通じた教育」「スポーツと環境」の6つの柱を掲げている。

(3)スポーツレガシー研究の現状と課題
2002年の国際シンポジウム後、オリンピック開催による経済・社会文化・環境分野における影響を捉えるためにOGI(Olympic Games Impact、導入当時はOlympic Games Global Impact)研究をIOCが導入したが、スポーツ参加率を含む多くの指標に基づくデータ収集が難しいという現実に直面し、何度か見直しが行われている。その他のオリンピックとスポーツ参加率に関する研究でも、調査方法やスポーツ参加率の定義などが国によって異なるという事情もあり、オリンピック開催によってスポーツ参加者が増えたことを示す証拠はいまのところない。現在は成功事例などを分析し、大会運営に生かすなどの質的研究にシフトしている。

2. シドニー大会のスポーツレガシー事例

以上の背景を踏まえて、2000年シドニー大会のスポーツレガシーを紹介する。

(1)オリンピックパークの変遷
2000年シドニー大会のオリンピックパークは、地域の人口増に伴い、招致の前から開発が行われていた。競技用プールとレクリエーション施設が共存するシドニーアクアティックセンターは大会の6年前からオープンし、大会後も市民に親しまれている。この施設は2008年北京大会の水泳会場のモデルにもなった。パーク自体は開催後に基本計画が動かない時期があり「white elephant」(無用の長物)と非難されたこともあったが、その後、研究機関やスポーツ団体のオフィス、商業施設などが整えられ、現在は複合都市として機能している。

(2)ピエール・ド・クーベルタン賞
スポーツマンシップを発揮した高校生に贈る賞で、長期的な無形レガシーの好事例といえる。スポーツだけなく、芸術や文学を含めてスポーツマンシップを評価し、選ばれた学生が国の代表として国際イベントに参加する。2012年に20周年を迎え、累計で1万2,700人の学生が受賞している。

(3)シドニーマラソン
開催前に試験的に行われたマラソン大会が形を変えながら現在でも続いている。かつては参加者数も少ないローカルイベントだったが、現在は3万5,000人が参加する国際イベントになっている。当初は五輪と同じだったマラソンコースを、観光に重点を置くコースに変えるなどして参加者を増やし、スポーツとツーリズムの一体化を実現させた。

(4)ユースオリンピックフェスティバル
シドニー大会で得た利益を原資として、若手選手向けに2001年から開催しているスポーツ大会。オリンピズムを学ぶ場を提供している。2009年にIOCがユースオリンピック大会を導入したことに伴い、2年に1度の開催サイクルが4年に1度となった。

3. 2020年東京大会のスポーツレガシーに向けて

シドニー大会は選手の活躍という競技面と収益という運営面で大きな成功を収めた。これは直接的アクターである開催都市や組織委員会、オリンピック委員会の努力に加え、間接的アクターである連邦政府の財政支援を含めた政策的サポートがあったことが要因である。エリート選手育成だけではなく、草の根の参加促進を促すことにおいても、両アクターの連携が不可欠で、これがスポーツレガシーの形成にもつながっていく。

ディスカッション:主なやりとり

Q.(フロア)クーベルタン賞はどのような流れで決まるのか。
A.

(講師)まずは学校の中で先生たちが人選し、その後、州ごとにあるステートオリンピックカウンシルが州選抜の学生を表彰する。クーベルタン国際ユースフォーラムというものがあり、通常はひとつの国からひとりの人間が参加するが、オーストラリアはこのような賞を設けて各州で代表者を選んでいることから、複数の学生が参加していると聞いている。

Q.(フロア)ユースオリンピックフェスティバルの開催はIOCの承認を得て始めたのか。
A.

(講師)スポーツイベントにオリンピックという名前をつけるには承認が必要であると考えられる。オーストラリアだけでなく、ヨーロッパでも同様の大会があった。そのような複数国での動きを受けて、IOCはユースオリンピック大会を開催するようになったのではないかと推測する。

以上

※講師注:本日お話しした内容は、現職に就く前に行っていた研究活動に基づく個人的な見解です