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小さな街が世界に示したこと――リレハンメルが残したレガシー

佐藤 次郎           【 レガシー コラム 環境】

開会式における民族的なパフォーマンス 開会式における民族的なパフォーマンス

  ここ30年ほどのオリンピックの中で、リレハンメルは最も印象に残った大会のひとつだったと言えるだろう。1994年の第17回冬季大会は、環境面でかつてなく強いアピールを打ち出し、オリンピック運動にとって環境問題がきわめて重要な要素であることをあらためて示す役割を果たしたのだ。

  北緯61度、夏冬を通じて最北の地で開かれたオリンピック。リレハンメルは当時の人口2万3千人というノルウェーの小都市である。それまでの大会は、主に欧米の有名スキーリゾートで開かれてきていた。スキー発祥の地といわれるほどウィンタースポーツが盛んな土地柄とはいえ、これほど小さな街がオリンピックの開催地に選ばれること自体、いささか異例だったかもしれない。
  が、リレハンメルは環境保護、自然との共生を大会の前面に強く押し出すことによって人々の記憶に長く残る大会を実現させた。国際オリンピック委員会(IOC)は1990年代に入って環境問題を重視するようになり、オリンピズムの中心としてきた「スポーツ」と「文化」に「環境」を加えて三本柱とするなど、積極的に取り組みを強化してきたが、リレハンメル大会はそのことを、オリンピックという最も注目度の高い舞台で具体的に示してみせたのだ。それまでも1976年の冬季大会を開く予定だった米デンバーが環境破壊に対する反対などで開催を断念するといったような出来事はあったが、「オリンピックと環境」というテーマを世界に向けて明快に発信したのは、まさしくこのリレハンメルがさきがけだった。当時のノルウェー首相が、国連の「環境と開発に関する世界委員会」の委員長も務めたブルントラント氏だったのも、この方向性を強力に推進する力となったに違いない。

 
簡易プレハブで造られたIBC(国際放送センター)、MPC(メインプレスセンター) 簡易プレハブで造られたIBC(国際放送センター)、MPC(メインプレスセンター)

  開催にあたっては、手つかずの自然をはじめとする周辺環境への影響をできる限り抑えることを主眼として種々の計画が進められ、施設建設についてもまずはその点への配慮がなされたようだ。そのために、しばしば予定地やデザインの変更も行われた。景観保護や省エネの狙いも含めて、岩山をくり抜くという斬新な手法でつくられたのはアイスホッケー会場。バイキング船をイメージした巨大木製屋根のスピードスケート会場にも自然との共生の意味が込められていたと思われる。総じて、どの施設建設ももともとの自然環境や景観に溶け込むような形で進められたと言えるだろう。なお、これらの競技施設の多くは、ホワイトエレファント化することなく、その後も使われているという。

  また、大会運営の面でも省エネやリサイクル、リユースの意識が徹底されていた。ジャガイモを原料とした「食べられる」皿はその象徴だ。選手村やメディアの宿泊施設も仮設。どの面にも、環境保護をアピールする明確な意図が込められていたのである。
  これらが当時の環境保護の施策として十分だったのかどうか、評価は簡単ではない。これだけの巨大イベントを開く以上、周辺環境への影響をゼロに抑えるのは不可能だろう。とはいえ、この大会がオリンピック史にきわめて価値ある足跡をくっきりと残したのは間違いないところだ。それはまさに、「オリンピックと環境保護は不可分だ」という高らかな宣言だった。その明快な宣言があってこそ、オリンピック運動にとって環境問題が最重要課題のひとつであることを世界が明確に認識するようになったのである。「スポーツと環境」を論じるについては、「リレハンメル前」と「リレハンメル後」という表現があってもいいのではないか。

森林に表示された聖火ランナーのピクトグラム 森林に表示された聖火ランナーのピクトグラム

  リレハンメルが投じた一石が、その後も十分に生かされているとは言いがたい。その対極にあるような大会も見受けられる。だが、「リレハンメル後」は、夏冬どちらの開催地にせよ、大会を開くにあたっては否応なく環境への配慮を打ち出さねばならない状況が間違いなく生まれた。たとえ取り組みが不十分であっても、かつてはオリンピック開催の大義名分のもとで無理な開発や自然破壊が行われていたのを考えれば、リレハンメルが示した精神をないがしろにはできないという無言の規範は、否応なく、着実に受け継がれていると言っていい。

  そしてリレハンメルがオリンピックに投げかけたのは環境問題だけではない。人口2万余の小さな街は、屈指の大都市でなくても、あるいは有名なリゾート地などでなくてもオリンピックが開けるのを世界のスポーツ界に示してみせたのである。

  夏冬のオリンピックを何度となく取材しているメディア関係者に「印象に残った大会は?」「一番よかった大会はどこ?」と尋ねると、「リレハンメル」の答えが返ってくることが多い。筆者もそう思う一人だ。なぜかといえば、それがオリンピックらしいオリンピック、すなわち、スポーツの祭典としてのオリンピックだったからに違いない。

  当時、現地で感じたのは「飾らない質素さ」だった。もちろんそれなりの経費は投じられていたし、華やかな演出もあったが、全体を通して流れていたのは「よけいなものはつくらない」「過剰な豪華さはいらない」「競技を第一とする」の考え方だったように思う。選手村の施設については一部に不満もあったようだが、それより簡素だったに違いないメディア村でも特段の不自由はなかった。そうした「普段着の」街は、訪問客にとってそれだけ親しみやすかったのではないか。

 
ノルディック複合団体で観客の声援を受けながらゴールに向かう荻原健司 ノルディック複合団体で観客の声援を受けながらゴールに向かう荻原健司(右)

  きらびやかな大仕掛けを排した分、本来の主役である「競技」がより際立った大会ともなっていた。冬季スポーツが生活の中にある土地柄だけあって、どの競技も熱心な観客で盛り上がった。クロスカントリースキーで、氷点下20度にもなる寒さをものともせずに応援していた地元のファンが、競技が終わるとそのまま自分のスキーで林の中を滑り降りていった姿には、いかにも冬季オリンピックにふさわしい文化を感じたものだ。そうした雰囲気が、「オリンピックらしいオリンピック」「オリンピックがあるべき本来の姿」などの印象を生んだのだろう。

  いま、冬季大会の有力候補地が次々と辞退し、あまり冬季スポーツに縁のない場所で開かれたり、今後の開催が決まったりしている状況を考えると、よけいにリレハンメルが懐かしくなる。オリンピックらしいオリンピックを求めたくなる。冬季だから小さな街でも開催できたということもあるにせよ、リレハンメルが示した方向性は、より規模の大きな夏季大会にも通じるはずだ。ビジネス最優先の巨大イベントにするのではなく、あくまでスポーツの祭典として、虚飾を排し、質素さを旨としていけば、超大国の大都市でなくても、大都市並みの施設がそろった有名観光地などでなくてもオリンピックは開ける。しかも、それを「あの大会はよかった」と後々まで語られる思い出にもできるのである。

  リレハンメルから23年。が、あの大会をよき思い出として繰り返し思い起こしている関係者は少なくないはずだ。つまりそれは、あの小さな街で開かれた大会からいまも学べること、あらためてくみ取れる教えもまた少なくないのを意味している。


佐藤 次郎

スポーツジャーナリスト
笹川スポーツ財団 評議員


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