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書評・書籍紹介

アスリートを育てる<場>の社会学:民間クラブがスポーツを変えた

なぜ、日本のアスリートは
かくも個性ゆたかになれたのか。
スポーツ社会学が明らかにする
日本のスポーツ文化と、その変容。

「チョー気持ちいい」というインタビュー時の北島康介の言葉は(2004年アテネオリンピック・パラリンピック)はその年の流行語大賞にも選ばれた。「めっちゃ悔しい」「金がいいですぅ」という田島寧子の言葉も(2000年シドニー大会)も衝撃的だった。オリンピック代表に選ばれた選手たちはいつの頃から、このようなあけっぴろげとも言える率直な自己表現ができるようになったのか。

日本人のものの見方や考え方は、時代とともにどう変わってきたか、われわれはそれを、スポーツを通しても知ることができる。著者は、このことをスポーツ社会学という視点から明らかにしてくれた。この著作は、アスリートを育てる<場>の変化が、日本の競技者たちのあり方そのものに決定的変容をもたらしたことをその歴史過程をふり返り詳細に分析している。

そういえばわれわれは今、栄養と言わずカロリーと言うように、スポーツ選手と言わずにアスリートという言葉を多用するようになっている。これは果たしていつ頃からのことだったのか。われわれはスポーツ界のこのような変容について意識的ではなかったが、しかし、ウスウスは皆気がついていたようにも思う。たとえば水泳競技。オリンピックでの金メダルの獲得者は、ある頃からそのほとんどが、民間スポーツクラブ出身者が占めるようになっていた。それにつれ日大や東洋大とかの学校運動部の名前と同じように、われわれもまたセントラルとか山田とか東京スイミングとか固有のクラブ名称を意識するようになっていた。民間クラブが日本のスポーツ文化をも変えたとは、こういうことである。

明治期から戦後にいたるまで、わが国のスポーツ競技者は主に学校運動部が担ってきた。競技者としての資質や能力も、学校により発見され学校により開花させてきた。必然的に生徒や学生も、学校や指導者を選ぶことになる。しかし学校だから運動部の目的も「エデュケーション」「教育」に力点が置かれ、「スポーツを通しての人間形成」が<場>の理念となっていた。この長い時間の流れ、日本のスポーツ文化の文脈を大きく変えたのが民間スポーツクラブの誕生である、というのが著者の主題である。これに対して民間クラブの主テーマは「競技」であり、<場>の理念は、「パフォーマンス」「テクノロジー」とならざるを得ないだろう。

この本に触発されながら、今100メートルを9秒台で走ろうとする高校生のことを考えた。今までいったい誰が、日本人にもこんな偉業がなせると想像したことがあるだろうか。アスリートを育てる<場>が変わった、<場の情報>が変わったからこそ可能になった期待であろう。そしてさらに驚くべきことにわれわれはすでに、この高校生による歴史的記録達成そのものよりも、その瞬間、彼がどのような言葉を発するか、に興味と関心を向けている気がすることである。アスリートの言葉に国民が耳をそばだてる。スポーツは変わった。であれば2020年東京オリンピック・パラリンピック以降が、さらに楽しみではないか。

  • 著者
    松尾 哲矢
    編集発行
    青弓社
  • 定価
    2000円+消費税

掲載 : 2015年 7月 1日

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