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書評・書籍紹介

スポーツは誰のためのものか

スポーツの語源は、disport、港(port)を離れる(dis)ことだった。つまり、気晴らし、楽しい、休むということだった。

パワハラ、暴力問題、助成金不正など全日本柔道連盟の不祥事が次々に明らかになっている。不祥事というくらいだからこれらは事件だが、スポーツをとりまく課題(問題意識)や視点がこんなにもあるのかと驚かされた。おそらく「スポーツって何?」と改めて問い直してみることを著者自身が試みているのだ。この質問に答えたり、説明したりするのは極めて難しい。著書によると日本に外来文化としての「スポーツ」が伝来したのは明治初期。この文化をどう扱ったらいいのか日本人はとまどった。1878年、札幌農学校で「少年よ大志を抱け」のクラーク博士が開いたのが日本で最初のスポーツイベントらしいが、この全校スポーツ大会は当時「遊戯会」と訳されていたらしい。はじめスポーツは遊戯、余暇の遊びとして日本に広められていった。これはなかなかではないか。つまり、スポーツとはそもそも何なのかという問いをハラに納めてから読むと、この本はいっそう興味深く読めるに違いない。とにもかくにもタイトルが「スポーツは誰のためのものか」と疑問形になっている。もちろん、私のためのものとするのが正解に違いないが、果たして自分でそう捉えているだろうか。最近『憲法は誰のもの?』という書名も本屋で見かけたが、このタイトルのつけ方も思いは同じなのだろう。

それにしても書評子は読み進むうちに、この本はいったい誰が読めばいいのだろう? ということが気になった。著者は元NHKのディレクターだった人である。スポーツ番組の企画、制作、取材、放送権交渉なども手がけ、長くスポーツ報道センター長も務めている人である。その経歴からか大学で「スポーツ・コミュニケーション」の授業を担当されたらしい。この本は、その講義ノートが元になっている。そうか、そうなのだ。大学の教室にもう一度もどって「スポーツ原論」の授業を再履修するつもりでこの本を読めばいいのではないだろうか。そうすれば柔道連盟に今起きていることや、オリンピック招致の問題、実業団のあり方や地域スポーツの育成などという、今、日本のスポーツが抱えているらしい諸問題、諸課題を我がこととして捉え直す視座が得られるだろう。スポーツも社会現象で、社会の産物なのだ。

日本にはモノと同じで、メニューとしてのスポーツはあふれている。しかし、そのスポーツ全体を俯瞰して、あるいはディテールに迫って文化論としてスポーツを語り、スポーツそのものを論じることには習熟してこなかった。だから教育とスポーツ、企業とスポーツ、地域とスポーツなどに章立てられた7章は、それぞれに考えさせられることばかりである。私たちは今、スポーツを人間資源、社会資源、経営資源として考えてみるいい機会にめぐりあった。この本はその1冊である。

  • 著者
    杉山 茂
    編集発行
    慶應義塾大学出版会
  • 定価
    1,800円+消費税

掲載 : 2013年 7月30日

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