本文へスキップします。

国際情報

Sport News Germany

2018年9月28日

ドイツのスポーツクラブ(4)
  ―200年の歴史の延長上にある現在のスポーツクラブ―

  ドイツオリンピックスポーツ連盟(Deutscher Olympischer Sportbund=DOSB)のプレスリリース2018年第27号の巻頭の解説にスポーツ社会学者ハンス-ユルゲン・シュルケ教授(Prof. Hans-Jürgen Schulke)による「ふるさととしてのスポーツクラブ」が掲載されている。200年の伝統をもつスポーツクラブをスポーツ自身はどう位置づけているのかを伺い知れる一文である。ここに概訳で紹介する。

ふるさととしてのスポーツクラブ

  今年の2月に大連立内閣が連邦省庁の管轄範囲を発表した時、連邦内務省に関しては、驚きをもって受け止められ、皮肉を込めた解説も見られた。この省は「ふるさと省(Heimatministerium)」にもなった。いくつかの州の場合とは違って、スポーツという名称はついていない。アメリカの例をみると「国土安全保障省」は難民流入阻止のためであろうか?全く的を外れているとは言えないようだ。ホルスト・ゼーホーファー(Horst Seehofer)新内務大臣の重点は難民問題であるように受け取れる。つまり、世界で約7千万人の故郷を失った人たちのドイツへの入国を少なくするよう、秩序だてた制度を作ることに重点があるようである。

Embed from Getty Images

  DOSB会長のアルフォンス・ヘアマン(Alfons Hörmann)は、スポーツ関係者と政治家が議論する場である「議会の夕べ」でのスピーチの中心的テーマとして、「ふるさと」とスポーツが強く結びついていることを話した。その中で、組織化されたスポーツは2本の脚に立って200年来しっかりと発展してきたことを強調した。ヘアマン会長いわく、ヤーン*注1 の体操ムーブメントに端を発する地域のスポーツクラブは、市民それぞれにあったプログラム提供で誰でも参加できるスポーツの場であり、より高い成績を目指す競技スポーツ団体でもある。スポーツクラブは戦後1950年ハノーファーでドイツスポーツ連盟(Deutscher Sportbund=DSB)に再統一された。現在でもトップスポーツ改革への取り組みや無形世界文化遺産としてのクラブスポーツの認知は、DOSBが刻むメダルの両面に位置付けられている。

  ヘアマン会長はスピーチで、ディスカッションへテーマをもう一つ提供した。それは「ふるさと」と「難民」の問題である。ヘアマン会長が強調するのは、オープンで平等精神をもつクラブこそ、ふるさとを失った、またグローバル化した人間に「ふるさと」としての場所を提供できるということである。このふるさとは一生ものである(もちろん音楽、演劇、教育関係の団体、郷土クラブにも言えることであるが)。あるアンケート調査によるとドイツの9万以上あるスポーツクラブのうち約3万クラブが外国人をインテグレーションの意味で受け入れているとのことである。クラブがそうするのは、スポーツやゲームはひとつの言葉を話すからであり、クラブでは誰もが1票の発言権を持つからである。

  「理解し、理解されたいと思ったら、出会い、交流せねばならない」とアルフォンス・ヘアマンは言う。「我が国のクラブは2,740万の人たちにふるさとを、我が家を与えている。クラブで私達は共に大きくなり、共に老い、共通の目的を作っていく。クラブでこそドイツにとって非常に大切な価値が伝達されるのである。」

  数字や好意をもって取り組んだ行動は印象的である。歓迎の文化は引き継がれてきたもので、新しいわけではない。150年前からある。当時何百万の空腹な人々が東欧から、ルール地方へ流入してきた。教会やスポーツクラブを通じて安住の地を得たのである。ボルシア・ドルトムント(Borussia Dortmund)やシャルケ04(Schalke 04)といったクラブの歴史を紐解くと分かる。第1次世界大戦後に縮小されたドイツは、故郷を求める人たちを受け入れねばならなかった。25年後の第2次世界大戦によるドイツへの避難者数は700万人となった。イタリア人、スペイン人、トルコ人がそれに続き、90年代にはロシア系ドイツ人、バルカン半島の国々や中近東からの迫害を受けた人たちが流入した。自分たちでクラブを作ったり、サッカーや格闘技の大会や競技に参加したりするということでない限り、受け入れたのは常にクラブであった。

  ドイツ出身で政治や経済的理由により、特に19世紀にドイツを離れた人たちのことも忘れてはならない。多くが移住先のアメリカや南アメリカにドイツ的な体操クラブを作った。これらのクラブは今日まで存続し、生き生きと活動している。

  クラブのメンバー全員にとって、故郷としてのクラブは、よそ者を差別したり、排除したりすることはなく、むしろ互いに近づくことの始まりであり、支援の始まりであった。これが昔の体操ムーブメントの中心的考え方であった。そして、これはスポーツマンや国と国との間の平和的な競争を組織するグローバルで寛大な競技スポーツの世界への入り口でもある。先日開催されたロシアでのサッカー・ワールドカップでは、非難すべき面もあるが、上述の内容を反映するよい例となる場面も見られた。

  安全なEU内での相対立する議論は主に、多数の難民流入の数についてである。裕福な国であるドイツでは、政府の、いや国家的危機とさえ言われる(サッカードイツ代表チームのグループリーグ敗退を国家的危機とする人もいる)。政治教育連邦センターが信用できる統計を示した。現在難民認定申請は月約1万5,000件で、1979年より少なく、その後の1989年以降数年間、2012年以降の数年間よりも少ない数である。また、これはドイツの現在の人口の0,05パーセントである。「西洋の没落」*注2 の心配はない。地中海での難民の乗ったボートが沈む心配だけである。

  果てしなく複雑というわけでもない問題の解決には、クラブスポーツの日常とクラブスポーツの実用的な価値に目を向けることである。ここでのインテグレーションの可能性は、今後も隔離された地域や高いフェンスで囲むことより役立ち、人間的であろう。そう考えると、一つの省が内務、ふるさと、スポーツをまとめるのは意味があるかもしれない。

注1)フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーン(Friedrich Ludwig Jahn)
1811年「ドイツ体操」を創始。身体活動であるドイツ体操を、国民運動として組織することで、その発展と普及に努めた。

注2)1918年にオスヴァルト・シュペングラー(Oswald Spengler)により「西洋の没落」という本が出版された。

参考資料:DOSB-Presse Nr.27(2018.7.3)

レポート執筆者
高橋 範子

Correspondent, Sasakawa Sports Foundation


ページの先頭に戻る