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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

次世代の架け橋となる人びと
第50回
「スポーツ立国ニッポン」を目指して 

鈴木 大地

記念すべき第50回のゲストに迎えたのは、昨年10月に発足したスポーツ庁の初代長官として、日本のスポーツ界の発展に奔走している鈴木大地氏。1988年ソウルオリンピックでは100メートル背泳ぎで金メダルを獲得するなど、世界トップスイマーとして活躍。さらに現役引退後は、史上最年少で日本水泳連盟の会長を務めるなど、日本水泳界を牽引してきた鈴木氏。その鈴木氏が目指す「スポーツ立国」の姿とは。そして、2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功とは――。

聞き手/山本浩氏  文/斉藤寿子  構成・写真/フォート・キシモト

多岐にわたるスポーツ事業 バラエティーに富んだ水泳界での経験を活かして

初代スポーツ庁長官に就任、初登庁の日
(2015年)

―― 2015年10月1日にスポーツ庁が発足し、初代長官に就任されました。もうすぐ1年が経ちますが、いかがでしょうか。

スポーツ庁長官就任の打診を受けた際、最初は「果たして本当に自分にやれるかどうか」という思いはありました。ただ、幸いにも現役引退後、大学で研究者として競技力向上についてだけでなく、「スポーツと健康」についても取り組んで来ましたし、また、昨年はユニバーシアードの団長を務めたりする中で、水泳だけでなく多くの競技団体の関係者とも関わりを持つことができました。そうした中で、スポーツを競技という面だけでなく、また自分の専門分野である水泳だけに限らず、幅広く見てきた経験を活かせるのではないかと思ったのが、お引き受けした理由でした。スポーツ庁が発足して間もなく1年になりますが、現在はさまざまな方面の方々にご協力をいただきながら、多岐にわたるスポーツにおいて、バランスよく取り組んでいくことができていると感じています。

―― 長官が従事してきた日本水泳連盟には、「競泳」だけでなく、実にさまざまな競技が加盟していて、ある意味、日本のスポーツ界の縮図みたいなものでもあると思います。それだけに、スポーツ庁で活かせることも多いのではないでしょうか。

現在、日本水泳連盟には「競泳」「飛込」「水球」「シンクロナイズドスイミング」「オープンウォータースイミング(OWS)」「日本泳法」の6競技が加盟していて、球技もあれば記録競技もあり、実にバラエティーに富んでいます。そこで得た経験は非常に大きいと思います。例えば、これまでは競泳やシンクロにばかり注力していたのですが、今は「6競技で一つの水泳」という考えが浸透してきて、強化の範囲が広がっています。私も会長時代に、いわゆるマイナー競技の普及に取り組みましたが、例えば水球はひと昔前までは、大会は観客がいなくて閑古鳥が鳴いていた状態でした。しかし、きちんとした強化体制をつくることで、リオ大会では1984年ロサンゼルス大会以来、32年ぶりの出場を果たすことができました。やはり目をかけてあげさえすれば、選手は育っていきますよね。そうした経験も、今後活かしていけるのではないかと思っています。

―― 一口に「スポーツ」と言っても、競技力の向上だけではないという考えもあります。

もちろんそうです。競技力の向上はスポーツの大事な側面ではありますが、スポーツはそれだけではありません。それこそ国民全体からすれば、競技力向上が求められるトップアスリートの割合は、ほんの一握りでしかありません。スポーツ庁は国家の組織であるわけですから、国民のための庁でなくてはなりません。そう考えれば、やはり「スポーツを通じた健康増進」など、さまざまなテーマに取り組んでいかなければいけないと考えています。

―― 実際、スポーツ庁にはさまざまな省庁からスタッフが出向していて、耕す畑も広範囲にわたっているのでは?

そうですね。スポーツは健康、教育、経済、外交、観光と、さまざまな分野に関わるものですので、それぞれのパートナーと手を取りあって取り組んでいます。

競技者である以上、結果へのこだわりは重要 メダル獲得数は指標の一つ

ソウルオリンピックで金メダルを獲得

ソウルオリンピックで金メダルを獲得
(1988年)

―― スポーツ庁の役割は多岐にわたっていますが、今年はオリンピック・パラリンピックイヤーということもありますので、まずは競技力向上についてお伺いしたいと思います。

スポーツにはさまざまな側面がありますが、なかでも競技力を向上させるというのは非常にわかりやすいと思うんですね。オリンピック、パラリンピックでのメダル獲得数はその代表例で、国のスポーツへの取り組みがどうであるか、その成果として、国民の目からも非常にわかりやすい指標になると考えています。

―― 一方で、「メダルを獲ることだけがスポーツではない」という考えもあります。

確かに、メダルを獲ることがすべてではありません。スポーツマンシップの精神を養ったり、海外の選手との国際交流もまた、重要な要素です。しかし、競技者である以上は、やはり結果にとことんこだわるべきだと、私は思います。またそういう意識が高い選手ほど、毎日のトレーニングに真面目に取り組みますから、普段の生活においても規則正しい選手が多い。子どもたちにとっても、いいお手本になっていると感じています。

リオ・オリンピック開会式で入場する日本選手団

リオ・オリンピック開会式で入場する日本選手団。
同大会で史上最多の41個のメダルを獲得
(2016年)

―― 強化体制についてはいかがでしょうか。

ひと昔前に比べると、強化指定選手に対するサポート体制は充実してきたと感じています。しかし、国のスポーツへの関わり方というのは、非常に難しく、国が過度に先導したり、あまりに深く関わりすぎてしまうと、それこそナチス・ドイツによって国威発揚に利用された1936年のベルリンオリンピックのようになってしまう危険性があります。個人的にはそこは十分に気をつけなければいけないと思っています。

―― 日本スポーツ界の課題のひとつとして、やはり世界における地位を確立するということも挙げられます。

今、オリンピック競技のIF(国際競技連盟)には17団体18人の日本人理事がいますが、会長は1人もいない状態です。やはり日本の意思を世界に発信するためには、IFでの役員を増やすことは重要で、スポーツ庁としても昨年度から「IF役員倍増計画」を打ち出し、外務省とネットワークをつくって取り組んでいます。各NF(国内競技団体)の会合にも外務省の方に参加していただき、諸外国の情報をいただいたりして進めています。

理想はスポーツの経済的自立 スポーツビジネスの発展がカギに

―― 先ほど「国のスポーツへの関わり方には十分気をつけなければならない」とおっしゃっていました。理想的な国のスポーツへの関わり方というのは、どのようなものでしょうか。

私個人の意見になってしまいますが、国が前面に出てサポートするという体制が、長く続けられるかどうかも含めて、果たして本当にいいのかどうかというのは、考えていかなければならないのかなと。本来スポーツというのは、その人が好きだからやっているわけであって、そう考えると、国に少しサポートしてもらいながら、ある程度自立してやれるような体制が理想的だと思います。

―― スポーツ界の経済的な面での自立が求められる時代になってくると。

そうですね。スポーツの成長産業化は、政府の成長戦略にも掲げられていますが、スポーツによって収益を生み出し、それをスポーツ環境の整備に充てるという好循環を作り出せたらと思っています。とはいえ、スポーツに従事する元選手や指導者、教育者というのはビジネスが得意という人はそう多くはありません。ビジネスに精通している方々と共に、スポーツビジネスを拡大していけたらと考えています。

―― 諸外国を見ても、ある程度、国のサポート体制が必要という見方が多い中、スポーツ大国であるアメリカでは、国からのサポートはほとんど行われていません。長官は米国での留学経験があって、米国のスポーツ界にも精通していますが、どう思われますか?

陸上のインカレ

日本版NCAA創設に向けての準備が始まる。
写真は陸上のインカレ
(2015年)

「合衆国」であるアメリカは、州が一つの国のようなもので、国のシステム自体が日本とは異なりますからなかなか比べることはできないのですが、それでもUSOC(アメリカオリンピック委員会)から「自分たちはアメリカ政府からは一銭ももらわずにやっているんだ」という自慢話を聞くたびに、すごいなぁと思いますよね。

―― 米国では大学スポーツが人気で、約4000校のうち約1100校が加盟しているNCAA(全米大学体育協会)は、テレビ放映権で運営しています。

実は今、日本版NCAAの創設に向けて検討を進めていますが、日本では高校野球に代表されるような高校スポーツに比べると、大学スポーツはそれほどメジャーではありません。競技レベルは高校より大学の方が高いわけですから、もっと注目されてしかるべきだと思っています。そこがクリアできれば、アメリカNCAAのようなビジネス展開も十分に可能だと考えています。

―― とはいえ、日本では「スポーツでお金を稼ぐ」ということに難色を示す人も少なくありません。それがスポーツビジネスの妨げになってきたケースもあるわけですが、その辺はいかがでしょうか。

確かに、そうした面は否定できないと思います。しかし、やはり活動を継続できる体制づくりというのは不可欠で、そこにビジネスの発想を持ち込むことは、今後は必要なことだと思います。ですから、我々スポーツ界の人間も考えを変えていかなくてはいけないと思いますね。今、さまざまな企業の方と意見交換させてもらっていますが、「ぜひ、協力しますよ」と言ってくださる方々が非常に多いんです。今後、アイデアを出し合いながら、お互いにとっていい形で連携できる方法を見つけていければと思っています。

スポーツ界を揺るがすドーピング問題 クリーンな日本が世界の標準モデルに

リオ・オリンピック開会式で入場する日本選手団

ドーピング問題に揺れたソウルオリンピック。
現在でも解決に至っていない。
(1988年)

―― 国のスポーツの関わり方という点において、ドーピングの問題も外すことはできないですね。

そうですね。世界を震撼させたロシアのドーピング問題は、その典型的な例だと思います。あんなことをやっていては、スポーツへの信頼は失われてしまう。スポーツの根幹を揺るがす大問題です。その点、日本のクリーンさは世界からも高い評価を得ています。

―― 日本のドーピング検査技術やシステムは非常にレベルが高く、スポーツに対する誠実性・信頼性は世界トップと言っても過言ではありません。その日本が果たすべき役割というのもあるのではないでしょうか。

おっしゃる通りで、実際にそういった話も出てきています。2020年東京オリンピック・パラリンピックのことを考えても、取り組んでいかなければいけない問題です。やはり選手の立場からしても、自分が出場した大会がドーピングのイメージが強いというのは残念ですよね。私が出場した1988年ソウルオリンピックは、ベン・ジョンソン(カナダ)のドーピング違反のイメージが未だに根強く残っています。2020年はそういう大会には絶対にしたくありません。明るくポジティブな大会として歴史に残るよう、今後は日本が標準モデルとなって、世界をリードしていくような役割を果たしていくことも考えていかなければいけないと思っています。

―― ロシアのドーピング問題で、非常に厳しい立場をとったWADA(世界アンチ・ドーピング機構)からも、2020年東京オリンピック・パラリンピックを控えている日本への期待は大きいと思います。

そうだと思いますね。勝敗においてだけでなく、スポーツ・インテグリティ(スポーツの高潔性・健全性)の面においても、日本は金メダルを目指していきたいと考えています。

スポーツの発展に必要な教育者・指導者の変革

―― 教育の面においても、スポーツは非常に重要な要素です。

もちろん、教育ということをないがしろにするつもりはありません。教育にスポーツを落とし込むというのは、日本ならではの良さでもありますので、これまで文部科学省が取り組んできたスポーツによる人間的成長の部分も、しっかりと継承していきたいと思っています。その上で同時に経済やビジネスも併せてやっていこうと考えています。

―― これまで教育者が手弁当で学校スポーツを育ててきたという面があって、その教育者の中には「スポーツでお金を稼ぐ」ということに否定的な方も少なくありません。

そうですね。教育界には、そういう考えが色濃く残っているなと感じます。ただ、スポーツ教育も高い質を維持するには、やはりある程度の収益は必要です。そのことを今、丁寧に説明しながら、各団体と意見交換をしているところですが、だいぶ理解が深まってきていて、いい方向に来ているなと感じています。

鈴木大地氏(右)と山本浩氏

鈴木大地氏(右)と山本浩氏

―― 指導者についても、人材不足や質の向上など問題が山積しています。これについては、いかがですか?

まず最初に取り組まなければいけないと考えているのが、指導者の資格取得についての関係整理です。現在は日本体育協会が認定している指導者資格の他、地域クラブのような社会体育系のものがあったりと、少し複雑化している傾向にありますので、関係を整理していきたいと考えています。最近では障がい者スポーツの指導者の需要も増えてきていますので、例えば社会体育系のものと障がい者スポーツのものとを併せて資格が取れるような仕組みが構築できればと考えています。また、女性の指導者が少ないというのも喫緊の課題です。これを克服するには、結婚、出産後もスポーツ指導を続けられるような体制を構築する必要があると考えています。

―― 全国にはスポーツ指導者の資格を取得した方々が沢山いますが、例えば地域によって、また個人によって、その活動に差がある部分も見受けられます。

全国には、約5万1000人のスポーツ推進委員がいらっしゃいますが、スポーツ推進委員の間には温度差があるようにも感じています。今後、地域のスポーツクラブをもっと活性化していくために、スポーツ推進委員の方々の中から、さらに活躍したいという人を応援する仕組みが必要であると考えており、例えば、日本体育協会の指導者のライセンスを取得していただき、「特別スポーツ推進委員」というような形で差別化を図っていくことも考えられると思います。そして、その方々にリーダーになっていただき、国が推進する「総合型地域スポーツクラブ」の設立・運営など、各地のスポーツコミュニティの場を盛り上げる人材として活躍していただきたいと考えています。また、このような環境づくりには、スポーツ推進委員の統括団体である公益財団法人全国スポーツ推進委員連合との連携も重要であると考えています。

万人共通の課題とされる「健康増進」に不可欠なスポーツ

ソウルオリンピックで金メダルを獲得

スポーツ庁レクレーション
“皇居ラン”に参加(2016年)

―― 近年、大きく取り上げられているのが「スポーツと健康」です。スポーツ庁としても、強いメッセージを発信していますね。

やはり健康は、万人に関わる問題であり、誰にとっても重要なテーマです。特に日本は今、「超高齢化」に伴う医療費の高騰が喫緊の課題となっています。そこでスポーツが果たす役割は大きいと考えていますし、期待の声も膨らんでいることを感じています。

―― 長官自身、大学では「スポーツと健康」について研究されています。

はい。例えば、障がいのある方が水の中に入って「初めて自由を感じた」と楽しそうに泳ぎ始めるという事例がありますが、水の力を借りることで、寝たきりの高齢者がほんの少しでも運動することができる可能性があるかもしれない。そのような研究をしてきたわけですが、残念ながら健康増進におけるスポーツの活用はまだまだ十分に広がっていないというのが現状です。

―― 健康において、スポーツが果たす役割は大きいと。

はい。特に、病気になってからではなく、病気になる前の健康状態を維持することにこそ、スポーツの役割があると考えています。そのことをもっと強く発信することで、国民全体にそのことが広く浸透し、理解して実践できる環境を作る事が出来れば、医療費の抑制につながり、それこそ社会を変えることができると思っています。そして、スポーツの価値を高めることになるはずです。

苦難の時を乗り越える力に 歴史が証明するスポーツの価値

古橋廣之進(左)と橋爪四郎

戦後の日本スポーツ界を支えた
古橋廣之進(左)と橋爪四郎

―― その「スポーツの価値」については、先進国の諸外国と比較しても、日本はまだまだ低いと感じられます。

その通りだと思います。これまでの歴史上、スポーツが果たしてきた役割の大きさからすれば、まだまだスポーツの力、価値という点において、日本では認められていないように感じられます。古い話になりますが、戦後、焼野原の状態から、日本が復活・復興することができたのは、例えば水泳界で言えば、敗戦国を理由に日本の出場が許されなかった1948年ロンドンオリンピックの同日、同時刻に開催された日本選手権で、金メダリストを上回る世界新記録を出した古橋擴之進さんや橋爪四郎さんたちの頑張りが、日本国民に勇気と感動を与えて、「もう一度、頑張ろう」という気持ちを起こさせてくれたからということもあったと思うんですね。また、2011年の東日本大震災の時には、数か月後にW杯で優勝した「なでしこジャパン」ことサッカー女子日本代表の存在が、被災地の人たちを勇気づけてくれたことは、記憶に新しいですよね。他にも目に見えないかたちで、スポーツは生きる力を与えてきてくれたと思うんです。

FIFA女子ワールドカップ決勝で“なでしこジャパン”がアメリカを破り世界一に

FIFA女子ワールドカップ決勝で“なでしこジャパン”が
アメリカを破り世界一に。日本中が歓喜した。(2011年)

―― スポーツの存在価値を高めるために必要なものとは?

これまでスポーツと言うと、「どんなレベルの大会で、いくつのメダルを取った」というイメージが強かったと思うんです。しかし、今やスポーツというのは、もっと広義に解釈すべきものであって、単に勝負の世界でメダルを取るということだけではなく、心身の健康やビジネスにおいても、非常に有能な素材だというふうに認識されるべきだと思っています。また、アスリートが現役を引退後に、社会に貢献する人材となることもまた、「やっぱりスポーツって素晴らしいね」という評価へとつながるはずです。

―― そういう意味では「セカンドキャリア」は重要ですね。

とても重要な課題として、スポーツ庁でも注力していくつもりです。スポーツ科学・医療の発展によって、ひと昔前に比べると、選手寿命がだいぶ延びました。とてもいいことだと思いますが、その反面、30代、40代という年齢で「新入社員」にならざるを得ず、セカンドキャリアで苦労しています。やはり、選手が現役引退後について悩まずに競技に専念でき、そして引退後は経験を活かして社会に貢献できるような環境づくりを早急に進めていかなければいけないと考えています。

“モノづくりニッポン”の技術で、障がい者スポーツの発展へ

―― スポーツの価値という点においても、今後は障がい者スポーツを外すことはできません。スポーツ庁でもパラリンピックを柱の一つとしています。

今は「オリンピック・パラリンピック」というふうに、セットになって考えられるようになってきています。選手たちにとっても、お互いが刺激し合うことがあると思います。障がいの有無にかかわらず、誰もがスポーツにアクセスできて、活躍できる場を提供するということが、先進国には求めらているのだと思います。

―― 国内では、まだまだ障がい者が気軽にスポーツができる場が少ないですし、そういう場に出てこれるような支援の手も不足しているように感じます。

これまでは後天的に障がいを負った人たちに対しては、病院やリハビリセンターなどで少しずつ障がいを受け入れたり乗り越えたりする中で、障がい者スポーツを紹介されて知る機会がありました。しかし今は、すぐに退院させられてしまうので、スポーツをやろうという精神状態になる前に社会に出てしまうことも多く、なかなか難しいところがあります。ですから、特別支援学校や地域の障がい者スポーツセンターとも連携を取りながら、入口の部分の充実を図っていきたいと考えています。

ロンドン・パラリンピック陸上走幅跳びに出場した佐藤真海選手

ロンドン・パラリンピック陸上 走幅跳びに出場した佐藤真海選手(2012年)

―― 障がい者スポーツの競技力向上においては、用具・道具の充実も重要です。

“モノづくり”日本の技術を駆使して、選手により良い環境を与えられるようにしていきたいと考えてます。実際、企業の方ともお話をさせていただくと、車椅子などの技術開発に大きな関心を寄せているところも多いんです。というのも、障がい者スポーツへの技術開発が、将来的には高齢者にも応用できる部分が沢山あるんですね。日本の高い科学技術をもってすれば、世界に先駆けた新しい用具・道具がどんどん開発されていくと期待していますし、スポーツ庁としても経済産業省や厚生労働省などと連携を図りながら、力を注いでいきたいと思っています。

―― 一般のスポーツは、例えば学校教育に取り入れられることで、用具・道具の普及拡大が可能ですが、障がい者スポーツにおいては拡販が難しく、どんなにいいものを作っても、爆発的に売れるということは考えにくい。その点が、企業としても投資のネックになっているのではないでしょうか。

東京都障害者スポーツセンターを視察し、車いすテニスを体験(2016年)

東京都障害者スポーツセンターを視察し、
車いすテニスを体験(2016年)

なかなか難しい問題ではありますが、例えば車椅子競技は健常者にも楽しむことができます。実際、車椅子バスケットボールは健常者にも人気で、「日本車椅子バスケットボール大学連盟」では、健常者と障がい者が一緒になってプレーし、“大学日本一”を決める選手権大会が行われています。そう考えると、競技によってはロットを上げて、単価を下げることで普及を拡大させていけるものもあると思いますので、「誰でも気軽に楽しめるスポーツ」にできるようなアイデアを出し合っていけたらと思っています。

全国で盛り上げたい2020年東京 
スポーツの深みが出る大会に

―― いろいろお話を伺っていると、スポーツ庁への期待は、今後ますます膨らみそうですね。

そうだと思いますね。2020年東京オリンピック・パラリンピックを成功させることはもちろんですが、さまざまな分野でスポーツが日本人にとって有益なものとなるように、これからも取り組んでいきたいと思っています。

リオ・オリンピック閉会式でオリンピック旗が小池東京都知事に引き継がれた

リオ・オリンピック閉会式で“オリンピック旗”
が小池東京都知事に引き継がれた(2016年)

―― 特に2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功は、日本のスポーツ界にとって重要ですね。

はい、その通りです。今、各競技や各国選手団のキャンプ地の誘致に向けて、各自治体が積極的に動いていますが、とてもいい傾向だと思います。2020年は決して東京だけのものではありません。スポーツによる地域活性化が全国に広まり、日本のオリンピック・パラリンピックという意識が高まっていって欲しいですね。

―― また2020年には、メダリストだけでなく、自己ベスト更新や、メダルには届かなかったけれども、アジア新や日本新を出した選手も称賛するような日本のスポーツ界になってほしいなと思っていますが、いかがでしょうか。

東京都障害者スポーツセンターを視察し、車いすテニスを体験(2016年)

リオ・オリンピック陸上男子4×100mリレー
で銀メダルを獲得した日本チーム (2016年)
 左から山縣、飯塚、桐生、ケンブリッジ飛鳥

それは、とても重要なことですね。その試合やレースでの「勝者」は1人しかいません。メダリストにしても、わずか3人だけです。でも、あの4年に一度しかない大舞台で、自己ベストを出す、アジア新、日本新を出すというのは、本当に難しいことなんです。私自身、そのことをよく知っているだけに、そういう選手にもぜひ大きな拍手を送ってあげたいですよね。選手にはそれぞれ、あの舞台にたどり着くまでにはさまざまな人間ドラマがあるわけで、そういうところにもっとフォーカスしたメディアが増えてくれば、国民も共感できると思うんです。2020年は、勝負の結果にこだわるのはもちろんですが、それ以外にも目を向けた、スポーツの深み、厚みがさらに抽出される大会にできるようにしたいですね。

―― 長官としての仕事も増える一方ですね。

そうですね。とても難しい問題ばかりで、一朝一夕で解決できるわけではありません。それだけに色々と大変なことも多いのですが、自分はどう評価されても構わないと思っています。目先の自分の評価よりも、10年後、20年後に「スポーツ庁は、いい舵取りをしてきたな。日本スポーツの発展に、大きな役割を果たしてきたな」というふうに言われることが本望と考えています。これからも「スポーツ立国・ニッポン」の実現に向けて、奔走していきたいと思います。

  • 水泳・鈴木大地氏の歴史
  • 世相
1924
大正13
大日本水上競技連盟創設
1927
昭和2
競技規定、クイックスタートに改正
1928
昭和3
日本水連FINAに加盟
1930
昭和5
神宮外苑プール施工
1938
昭和13
東京オリンピック返上、団体長距離競泳、 女子水上体育大会開催
1944
昭和19
全国皆泳ラジオ水泳開催
1945
昭和20
日本水泳連盟として再発足

  • 1945第二次世界大戦が終戦
1946
昭和21
早慶戦、戦後初競技会、第1回国民体育大会開催
1947
昭和22
古橋廣之進氏、日本選手権大会に出場し、400m自由形で世界新記録を樹立

  • 1947日本国憲法が施行
1949
昭和24
日本水泳連盟、国際水泳連盟に復帰
1950
昭和25
第3回日米対抗開催、全国勤労者水上開始

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951安全保障条約を締結
1953
昭和28
国民皆泳行事開始

  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピックで潜水泳法が禁止となる。バタフライが新種目となる
1957
昭和32
シンクロ選手権大会が始まる。日本水泳指導者協会再発足
1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催
代々木オリンピックプール
完成日本水泳連盟40周年記念会開催

  • 1964東海道新幹線が開業
1967
昭和42
  • 1967鈴木大地氏、千葉県に生まれる

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1973
昭和48
競泳記録が100分の1秒となる
水泳女子が日本学生選手権大会にて正式競技となる

  • 1973オイルショックが始まる
1974
昭和49
  • 1974鈴木大地氏、千葉アスレティッククラブ(CAC)で水泳を習い始める
1976
昭和51
  • 1976鈴木大地氏、選手コースに進み、全国SC大会に出場
  • 1976ロッキード事件が表面化
1977
昭和52
  • 1977鈴木大地氏、全国SC大会に出場 100m背泳ぎで2位となり、生涯初のメダルを獲得
1978
昭和53
  • 1978鈴木大地氏、第1回ジュニアオリンピックに出場
     大会直前に体調不良となり、200m個人メドレーで最下位となる
  • 1978日中平和友好条約を調印
1979
昭和54
  • 1979鈴木大地氏、関東中学校水泳競技大会に出場し、400m個人メドレーで2位となる
     秋にセントラルスイミングクラブへ移籍し、以降鈴木陽二コーチから指導を受ける
  • 1982東北、上越新幹線が開業
1983
昭和58
  • 1983鈴木大地氏、日本選手権水泳競技大会に出場し、100m、200m背泳ぎで3位となる
     全国高等学校総合体育大会に出場し、100m、200m背泳ぎで3位となる
     東京SC招待大会に出場し、50m背泳ぎで日本記録を樹立
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピックにて、シンクロ(ソロ・デュエット)種目決定
第1回全国女子水球大会開催

  • 1984鈴木大地氏、国際大会派遣選手選考会に出場
     100m背泳ぎで日本記録、200m背泳ぎで日本高校記録を樹立し、ともに優勝を果たす
     ロサンゼルスオリンピックに出場
     100m背泳ぎで日本記録、200m背泳ぎで日本高校記録を樹立
     400mメドレーリレーの第1泳者として100m背泳ぎの日本記録を更新
  • 1984香港が中国に返還される
1985
昭和60
古橋廣之進氏、7代目会長に就任
1987
昭和62
  • 1987鈴木大地氏、国際大会代表選考会に出場し、100m、200m背泳ぎで優勝
     ユニバーシアード・ザグレブ大会に出場し、100m、200m背泳ぎで日本記録を樹立し優勝
     パンパシフィック選手権大会に出場し、100m背泳ぎで2位となる
1988
昭和63
  • 1988 鈴木大地氏、ワールドカップパリ大会に出場し、200m個人メドレーで短水路日本新記録を樹立
       ワールドカップボン大会に出場し、50m背泳ぎで短水路世界新記録を樹立し優勝
       国際大会代表選考会に出場し、100m、200m背泳ぎで優勝
       ソウルオリンピックに出場し、100m背泳ぎで金メダルを獲得。日本競泳選手で16年ぶりの金メダルとなる
1989
平成1
  • 1989 鈴木大地氏、順天堂大学体育学部卒業
        10月に同大大学院体育研究科入試を受験後、アメリカ・ミシガン大学に3か月間水泳留学をする
1990
平成2
  • 1990 鈴木大地氏、ワールドカップボン大会に出場し、50m背泳ぎで短水路世界新記録を樹立し優勝
      ワールドカップイタリア大会に出場し、100m背泳ぎで優勝
1992
平成4
バルセロナ オリンピック・パラリンピック開催
岩崎恭子氏、200m平泳ぎで金メダルを獲得

  • 1992 鈴木大地氏、ワールドカップスウェーデン大会に出場し、50mバタフライで日本記録を樹立
       ワールドカップイタリア大会に出場し、50m背泳ぎにて日本記録を樹立し優勝
       バルセロナオリンピック代表選考会を前にした3月に引退を表明
1994
平成6
  • 1994 鈴木大地氏、アメリカ・コロラド大客員研究員として約1年間渡米する
  • 1995阪神・淡路大震災が発生
  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
  • 1998 鈴木大地氏、日本オリンピック委員会(JOC)の在外研修制度でアメリカ・ハーバード大学に約2年間コーチ留学をする
2000
平成12
  • 2000 鈴木大地氏、アメリカから帰国後、順天堂大学水泳部監督に就任
2001
平成13
  • 2001 鈴木大地氏、日本オリンピック委員会(JOC)アスリート委員に就任
2003
平成15
  • 2003 鈴木大地氏、世界オリンピアンズ協会理事に就任
2004
平成16
アテネ オリンピック・パラリンピック開催
北島康介氏、平泳ぎ2種目で金メダルを獲得
柴田亜衣氏、女子自由形で初の金メダルを獲得
戦後最多の金メダル3個、銀メダル3個、銅メダル4個の10個を獲得

  • 2004 鈴木大地氏、日本アンチ・ドーピング機構理事に就任
2006
平成18
  • 2006 鈴木大地氏、順天堂大学スポーツ健康科学部准教授に就任
2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催
北島康介氏、平泳ぎ2種目で金メダルを獲得し、連覇を果たす

  • 2008リーマンショックが起こる
2009
平成21
  • 1998鈴木大地氏、日本水泳連盟理事に就任
2010
平成22
  • 2010鈴木大地氏、世界反ドーピング機関アスリート委員に就任
2011
平成23
  • 2011鈴木大地氏、日本水泳連盟常務理事に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドン オリンピック・パラリンピック開催
2013
平成25
  • 2013 鈴木大地氏、順天堂大学スポーツ健康科学部教授、同大学院教授に就任
      日本オリンピアンズ協会会長に就任
      日本水泳連盟会長に就任
      日本オリンピック委員会(JOC)理事に就任
      世界オリンピアンズ協会理事に再任
2015
平成27
  • 2015 鈴木大地氏、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事に就任
      スポーツ庁長官に就任
2016
平成28
リオデジャネイロ オリンピック・パラリンピック開催