本文へスキップします。

スポーツ 歴史の検証

日本のラクビーを支える人びと
第74回価値あるレガシーとしてのラグビーW杯開催へ
河野 一郎
河野 一郎
ソウル、バルセロナ、アトランタと3大会連続で日本オリンピック選手団のチームドクターを務め、1996年からは日本ラグビーフットボール協会の強化推進本部長として、平尾誠二さんとともに日本ラグビー界の改革を進めてきた河野一郎さん。

現在では日本のスポーツ界における重要な政策である「GOLD PLAN」の礎を築き上げるなど、重要な役割を果たされてきました。その河野さんに、2019年ラグビーW杯開催の意義や今後の日本スポーツ界の在り方などについて話を聞きました。



聞き手/佐野 慎輔  文/斉藤 寿子  写真/河野 一郎・フォート・キシモト





「アマチュアリズム」からオープン化へ世界ラグビーの変遷



釜石にて、東京2020オリンピック・パラリンピックマスコット(右)とラグビーワールドカップ2019マスコット(左)(2018年) 釜石にて、東京2020オリンピック・パラリンピックマスコット(右)とラグビーワールドカップ2019マスコット(左)(2018年)
—– いよいよ2019年ラグビーW杯まで、ちょうどあと1年というところまで迫ってきました。ラグビーW杯2019組織委員会の事務総長代行として、準備状況をどのように見ていますか。

「順調です」と言いたいところではありますが、2020年東京オリンピック・パラリンピックと同様に、大会開幕までにはやはりさまざまな事象が出てきますので、現在はそういうものを一つ一つクリアしながら向かっているところですね。

—– 東京オリンピック・パラリンピックと比べますと、正直、ラグビーW杯の方はまだ盛り上がりに欠けているように思えるのですが、いかがでしょうか。

おっしゃる通りです。そこが私たちにとっては課題の一つでもあります。ただ、オリンピック・パラリンピックのような総合大会と、W杯のような単一競技の大会とでは少し異なる部分もあるのかなとは思います。特にラグビーはW杯の歴史がまだ浅い。今年のロシア大会が21回目だったサッカーと比べると、ラグビーは来年の日本大会が9回目と、ほんの最近のことなんですね。そういった意味では、大会自体がまだまだ発展途上にあると思います。

 
ラグビーワールドカップニュージーランド大会・日本のサポーター ラグビーワールドカップニュージーランド大会・日本のサポーター
—– その発展途上の中において、欧州、オセアニア、南アフリカといったラグビー先進国ではなく、わずか9回目にしてアジアの日本で開催するというのは、非常に大きな意義があるのではないでしょうか。

はい、本当に大きな意味を持つ大会になると思います。というのも、今やサッカーは世界において完全にプロ化していますが、ラグビーは日本も含めて、まだプロ化が成熟しているとは言えません。ラグビーは1995年にアマチュア主義が撤廃され、オープン化されました。それ以前、北半球はオープン化には乗り気ではありませんでした。一方、南半球のオーストラリア、ニュージーランドは早くにプロ化に動き出していました。そういった中で、今日までさまざまな課題をクリアしながらきたわけですが、例えば2003年にオーストラリアで開催されたラグビーW杯は、当初はニュージーランドとの共催の予定でした。ところが、ニュージーランドのスタジアムはすでにほかのスポンサーとの契約が締結されていたために、「スタジアムでは大会スポンサー以外の広告を排除する」という条件に合わず、結局オーストラリア単独の開催となりました。サッカー界では考えられないことだと思いますが、つい最近の2003年の時点でまだそういうことが起こっていたんです。もちろん、それ自体がラグビーという競技の価値を下げるわけではありませんが、いわゆる発展していくなかでの一つのプロセスに今もあるわけです。そういう中で、アジアでは初開催となる来年の日本大会は、次世代へのステップアップというふうに捉えられると思います。

河野一郎氏(インタビュー風景) 河野一郎氏(インタビュー風景)
—– 日本で言えば、サッカーは1993年にJリーグ(日本プロサッカーリーグ)が始まる中、当時のラグビーは「アマチュアリズムの優等生」という捉え方をされていました。そのラグビーがプロ化に舵を切るというのは、非常に大変なことだったのではないかと思います。

相当大変なことでした。日本ラグビー協会は、一度、日本体育協会(日体協)から脱退したことがありました。今では考えられないことですが、1956年に日体協がその年のメルボルンオリンピックへ選手団を派遣するために、競輪からの助成金を受けました。それがアマチュアリズムに反するということが理由での脱退でした。1年後には再加盟するわけですが、それは当時、いかに日本ラグビー界がアマチュアリズムを堅持していたかということの表れであったと思います。ただその後、日本ラグビー界も「アマチュアリズムが何たるか」を考えながら、改めながら歩んできたわけです。特にアマチュアリズムを強く提唱していたのは、日本代表の監督も務めた大西鐵之祐さんでした。現在もなお、大西先生の訓えというのは日本ラグビー界においてさまざまなところで残されていますが、「アマチュアリズム」という点においてだけは見直されてきた部分ではあると思います。

 
世界から認められている日本ラグビーの存在


 
国際ラグビーボード会議にて(中列左から三番目) 国際ラグビーボード会議にて(中列左から三番目)
—– ラグビーW杯は1987年に第1回大会が開催されました。日本はアジアで唯一、その第1回大会から出場しています。これは誇れる歴史です。

実は、1995年にアマチュア主義を撤廃し、オープン化が決定されたのは、日本で行われた理事会でのことでした。当時から特にアジアの中ではラグビー人脈において日本は非常に強かったんです。そういったなかで、当時日本ラグビー協会会長だった金野滋さんが早くから世界とつながりを持っておられて、その関係で1995年に日本で理事会が開催され、そこでオープン化が決定したんです。

—– そうした歴史を考えると、当時から日本ラグビーは世界においても影響力をもっていたのではないでしょうか。

はい、日本の発言力は決して小さくはなかったと思います。とはいえ、やはり限定的ではあったとは思います。ただ、理事会を伝統国以外の日本で開いたこと自体が極めて稀なことだったと思いますし、特に欧州からすれば"ファー・イースト"(極東)なわけですからね。それだけ世界も日本の存在というものの重要性を理解していたということだと思います。ただ、オープン化決定によって最もあおりを受けたのは日本でした。当時、日本代表はアマチュア選手ばかりでしたから。実際、1995年のラグビーW杯でニュージーランドに17-145という歴史的大敗を喫したこと(「ブルームフォンテーンの悪夢」)からも、すでにプロ化が推し進められていたチームとの差が露呈することになりました。

 
「東京セブンス2013」で優勝した南アフリカチーム 「東京セブンス2013」で優勝した南アフリカチーム
—– しかし、それからわずか20年足らずで、ラグビーW杯開催にまでこぎつけたというのは、非常に大きな成果ではないでしょうか。

はい、その通りです。その要因としては、世界のラグビー界としっかりと人脈が築かれていたということが挙げられます。当時から日本はアジアの中では飛び抜けて強かったですから、世界においても日本ラグビーに対する認知度というのは高かったわけです。その背景として、最も大きかったのは、1960年代に大西さん率いる日本代表がオールブラックス・ジュニア*1 相手に大金星を挙げ、その試合で4トライを挙げた坂田好弘さんが翌年にはニュージーランドのクラブチームで大活躍し、「世界のサカタ」としてその名を轟かせたこと。さらに1971年にはイングランドが来日し、日本とテストマッチをした際に負けはしたものの日本はイングランドに一度もトライを与えずにシーソーゲームをしたこと。実は現在のワールドラグビー(WR)*2 のチェアマンであるビル・ボーモントさんは1971年の時のイングランド代表のキャプテンだったのですが、この時代の日本の活躍は世界に非常に大きなインパクトを与えたはずです。

*1 オールブラックス・ジュニアとは、A代表の「オールブラックス」とは別に、若手を中心としたニュージーランド代表。

*2 ワールドラグビーとは、世界のラグビー協会の統括組織。

 
日本人として初めて国際ラグビー殿堂入りを果たした“レジェンド”坂田好弘氏
(右) 日本人として初めて国際ラグビー殿堂入りを果たした“レジェンド”坂田好弘氏(右)
—– 日本は2011年大会でも招致を試みましたが、選ばれませんでした。この時は、まだ開催するには時期尚早だったのでしょうか。

というよりも、世界的な事情だったと思います。2011年大会の開催地が決定したのは2005年だったのですが、その2年前の2003年大会で当初オーストラリアとの共同開催を予定していたニュージーランドが前述したような理由で開催できなかったというなか、いわゆる"同情票"が集まったということはあったのかなと。実は当初は南アフリカが選ばれるのではないかというのが大方の予想でした。そこで、投票前日に日本とニュージーランドで会合を開きまして、南アに対抗するためにもお互いに協力し合おうと。ところが、ふたを開けてみれば、ニュージーランドが1票差で南アに勝ってしまったというわけです。

—– 2回目の挑戦となった2019年大会で招致に成功した要因は何だったのでしょうか。

2016東京オリンピック・パラリンピック招致活動(左:河野氏、右:森元首相) 2016東京オリンピック・パラリンピック招致活動
(左:河野氏、右:森元首相)
さまざまなことがありますが、まず一つは、やはり森喜朗日本ラグビー協会名誉会長のお力添えがあります。2003年に招致に失敗した際、投票翌日に国際ラグビー評議会(IRB:2014年に「ワールドラグビー」(WR)に名称変更)の会長にアポイントを取りまして、朝一番に面会したんです。私たちは「今回は残念だったけれど、次回は必ずということでご挨拶に行くのだろう」と思っていたのですが、森会長は言葉遣いこそやわらかくはありましたが、非常に強い口調でこう言われたんです。
「自分たち(ラグビーの先進国である欧州やオセアニア)の中だけでパスを回し合ってどうするのか。ラグビーを世界に広げたいというから日本は手を挙げたのに、なぜその日本で開催しないのですか」と。最後には「こういうことをし続けるのであれば、日本がIRBを脱退しても仕方ない」と、「脱退」という言葉まで出して、強く主張されたんです。この森会長のご発言のおかげで、「あぁ、日本というのは単に"はい、はい、"と言うだけの国ではないんだな」というふうに認識されたと思います。これが次の招致につながったはずです。


 



日本開催はラグビー界の"ターニングポイント"


ラグビーワールドカップニュージーランド大会・開幕戦 ラグビーワールドカップニュージーランド大会・開幕戦
—– そうした中でついに来年日本でラグビーW杯が開催されるわけですが、これは日本に限らず、世界のラグビー界においても重要な"ターニングポイント"となるのではないでしょうか。

そうなると思います。日本がいわゆる「加盟国」と言われるフルメンバーシップになったのは1987年。それまではイングランド、ウェールズ、アイルランド、スコットランド、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、フランスの8カ国・地域に限られていましたが、1987年に日本のほか、カナダ、アルゼンチン、イタリアもフルメンバーシップとして認められました。私は、その日本がフルメンバーシップに入った最初の委員会の時からラグビーに携わり始め、これまでラグビー界がさまざまに移り変わっていく姿を見てきました。その主たる出来事が2007年のフランスで開催されたラグビーW杯でした。同大会では、フランス国内のさまざまな地域のスタジアムで広域的に試合を開催したんです。しかも興行的にも大きな成功を収めたことで、ラグビーの新たな可能性が見い出されました。このフランス大会の成功によって、「今後は内向きよりも外向きに動いていった方が将来性があるだろう」という流れになっていったんです。その流れの中での2019年の日本開催が、今度はアメリカ大陸での初開催への道が開かれようとしているのです。

 
—– 一方、日本にとっては自国開催の意義はどこにあるのでしょうか。

もちろん、日本にとっても大事なターニングポイントになることは間違いありません。2011年はニュージーランドでラグビーW杯が開催されたわけですが、実は同大会は経済面からすればなかなか難しい大会になるだろうということが予測されていました。それでも、ラグビーというスポーツが国技として非常に大事にされている国で開催すると、やはり大会としては成功するわけで、そのことが証明されました。そして2015年のイングランド大会では"レコード・ブレイキング"という言葉通り、いろいろな意味で大成功に終わりました。観客動員数は延べ247万人にのぼり、海外からは過去最高の約47万人を数えました。また経済効果も4兆円あったとされています。自ずと来年の日本大会は、そのイングランド大会の上を目指しましょうということになり、9年前の2009年に開催が決定した時とは、条件が違ってきたわけです。

 
2020年東京オリンピック・パラリンピック招致関係者と<br />(2012年ロンドンオリンピック時、前列右端) 2020年東京オリンピック・パラリンピック招致関係者と(2012年ロンドンオリンピック時、前列右端)
—– オリンピック・パラリンピックと似通っていますね。2012年ロンドンオリンピック・パラリンピックが「史上最高の大会」と謳われたことによって、2020年東京オリンピック・パラリンピックに対する世界の期待値が跳ね上がりました。同じように、ラグビーも2015年イングランド大会の成功が、2019年日本大会のハードルを高くしたというわけですね。

そういうことですね。もちろんプラスの面もたくさんあると思いますが、その分、大変なことも増えたということは言えると思います。イングランドでは自国のラグビー協会が所有している「トゥイッケナム・スタジアム」という聖地がありますが、日本はすべて自治体が所有するスタジアムになります。聖地を持たない日本にとって「ラグビーW杯」がなかなかイメージしづらいということはあると思うんですね。それはイングランドと日本との歴史と文化の違いですから仕方ないことですが、やはり日本でラグビーW杯を成功に導くことはそう簡単なことではないなと。ただ、これをクリアすれば、日本のラグビーにとって大きなステップになることは間違いありません。

 
旧国立競技場で開催されたラグビーワールドカップ2019日本PRイベント。「JAPAN2019」の人文字 旧国立競技場で開催されたラグビーワールドカップ2019日本PRイベント。「JAPAN2019」の人文字
—– 今回は全国12会場で行われますが、ほとんどが既存のサッカースタジアムを使用するなか、"ラグビーの町"岩手県釜石市では「釜石鵜住居復興スタジアム」が新設され、大阪府の「東大阪市花園ラグビー場」と、埼玉県熊谷市の「熊谷スポーツ文化公園ラグビー場」はラグビーW杯のために大改修が行われました。こうした動きは、まさにラグビーW杯開催が決定したからこそです。

そうですね。そうした中で、運営もこれまでとは異なる考え方になってきています。これまではどちらかというと、トップリーグなどではたとえ会場が満員にならなくても見ごたえのある試合をすることこそが重視されてきました。しかし、それでは興行面においての成功には至りません。ラグビーW杯では放映権料やスポンサー料は上部団体にいきますから、私たち組織委員会は入場料でほとんどすべてを賄わなければなりません。ですから、やはり今回のラグビーW杯では、いかに観客を動員することができるか、足を運んでまで試合を観たいと思ってもらえるか、ということが非常に重要となります。観客が足を運びにくい面があるとすれば、そこは改善していきましょうというふうにして、今動いているところです。

 
「GOLD PLAN」の礎となった「平尾プロジェクト」


 
「平尾プロジェクト」を立ち上げ日本のラグビー水準の向上に努めた平尾誠二氏 「平尾プロジェクト」を立ち上げ日本のラグビー水準の向上に努めた平尾誠二氏
—– 日本ラグビー界にとって転機となった一つが、史上最年少の19歳で代表入りし、3大会連続でラグビーW杯に出場するなど「ミスター・ラグビー」として日本ラグビー界に貢献した平尾誠二さんが手がけた「平尾プロジェクト」と呼ばれた改革でした。そのきっかけが当時協会の強化推進本部長となった河野さんでした。

当時の日本代表の選手選考は、どこどこの派閥からということが多かったんです。そんな日本ラグビーを変えられるのは平尾さんしかいないということで日本代表のヘッドコーチ(HC)をお願いしました。そしたら「僕が料理をするのであれば、材料から選ばせてもらわないと。それが監督を引き受ける条件です」と言うので、「よし、わかった。協会の方は私に任せてくれ」と。そこでまずは協会のセレクション・コミッティという部門をなくしました。それまではHC不在で、すべての選手選考をセレクション・コミッティで決定するというのが伝統でした。しかしそれを撤廃し、代表チームが直接選手選考をできるようにしたんです。協会からは叱られましたが(笑)、ただこのことによって、全国から広く優秀な選手を集めることができるようになりました。それまでは高校日本代表の中から優秀な選手がそのまま強豪の大学に進み、日本代表に上がっていくということが通例でした。しかし、それでも見落としている選手がいるのではないかということで、平尾さんはオーディションを行ったんです。そうすると、やはり1人や2人は、通常ルートからではないところから日本代表に上がってくる選手が出てくるんですね。

日本人として二人目のワールドラグビー殿堂入りを果たした大畑大介氏 日本人として二人目のワールドラグビー殿堂入りを果たした大畑大介氏
—– その代表例が、大畑大介さんや、「スポーツ歴史の検証」でも登場(第54回)していただいた岩渕健輔さんでしたね。

そうです。当時は新興だった東海大付仰星高校の大畑や、決して強豪校ではない青山学院大の岩渕は、セレクション・コミッティでは決して選ばれなかったはずです。そのほか、記録のためにロッカールームにビデオカメラを設置したり、各国の情報を得るためにスタッフを海外に派遣したりと、現在では当たり前に行われていることばかりですが、当時は非常に画期的なものでした。つまり「平尾プロジェクト」によって新しいタレントを発掘し、テクニカル・コミッティという部門をつくって情報分析に力を入れるようになったんです。また、マネジメントをそれぞれ独立させるということで、それまでコーチが一手に引き受けていたことを、それぞれの専門スタッフに分けました。これが、2001年に日本オリンピック委員会(JOC)が策定した国際競技力向上戦略「GOLD PLAN」の基となっているんです。

—– 「GOLD PLAN」は、どのような経緯で策定されたものなのでしょうか?

きっかけは、ニュージーランドに大敗した1995年のラグビーW杯でした。確かにラグビーでは大差がありましたが、一方オリンピック競技を考えると、ニュージーランドはそれほどたいした成績を収めてはいなかったんですね。そこで、必ず何か突破口があるはずだということで、いろいろと考えた時に、最も日本に不足しているのは競技間の交流ではないかと。もう一つは、優秀な専門スタッフを集めなければいけないと思いました。そこで勝田隆さん(現・日本スポーツ振興センターセンター理事)や、小野剛さん(現・日本サッカー協会技術員会委員)らとドイツやアメリカに研修に行って、「こうしたらいいんじゃないか」ということを学びながら話し合いを重ねて、「GOLD PLAN」の土台を作り上げました。


 




大学院への見直しで「大学スポーツ」の多様化へ


早稲田大学対帝京大学の攻防 早稲田大学 対 帝京大学の攻防
—– さて、これからの日本ラグビー界を考えますと、やはり気になるのが人気の低迷です。

日本のラグビーが最も人気が高かったのは、1990年代前後。今思えば、その当時はラグビー人気がずっと続くものと信じていたのだと思います。ところが、1993年にサッカーがプロ化してJリーグが始まりました。その頃、日本のラグビー界は「果たしてプロ化して成功するのだろうか」と半信半疑にサッカー界を見ていたと思います。しかし、Jリーグが成功し、いよいよラグビーもプロ化への道を進むことになりました。とはいえ、そう簡単にはラグビー人気が復活するわけではありません。では、どうしなければいけないか、ということが今問われているわけですが、一つはやはり日本代表の強化ですよね。それとトップリーグの発展と、大学ラグビーの再構築。これらが大事になってくるのだろうと思います。

—– ラグビーが人気だった時代、やはりスーパースターを多く輩出した大学ラグビーという存在は欠かせませんでした。しかし、現在ではその大学ラグビーも人気が高いとは決して言えません。

現在、大学ラグビーの最も課題となっているのは、現役学生がスタジアムに応援に足を運ばないことにあるのではないかと思います。これはラグビーだけの問題ではありません。例えば、六大学野球リーグ。ひと昔前でしたら、"早慶戦"は必ず満員でチケットを入手するのも一苦労でした。ところが、今では空席が目立つことも珍しくありません。また、ラグビーならではというと、日本選手権で大学チームと社会人チームが対戦し、時には大学が勝つこともあり、おおいに盛り上がりましたよね。しかし、近年ではプロ化したトップリーグのチームに大学チームが勝つことはほとんど不可能になってしまった。大会自体も2017年からはトップリーグの上位4チームによるリーグ順位決定トーナメントと統合するかたちとなり、大学チームの出場枠が撤廃されました。そうすると、やはり大学スポーツ内での改革が重要となるのかなと。

 
大学選手権で優勝した帝京大学チーム 大学選手権で優勝した帝京大学チーム
—– そういった中で、今、NCAA(全米大学体育協会)*3 の日本版をつくろうという話が持ち上がっています。河野さんは、これについてはどのようなお考えをお持ちでしょうか?

そうですね。まず、NCAAが100年ほどかけてつくりあげられたものであることを踏まえると、そう簡単に日本版がつくられるわけではなく、ある程度の時間が必要だと思います。また、アメリカのエッセンスをそのまま日本に持ち込むことは難しいですよね。そういう中で、私は大学院に目を向けてはどうかなと考えています。大学スポーツの期限を4年間ではなく、大学院までの6年間とすると、少し違った局面を見出すことができるのではないかなと。スパンを伸ばせることもありますが、大学院に進むということは学業も大切にしなければなりませんし、大学院に進むことで就職においても広がりを持つことができるはずです。さらに学業も大事にしたいと考える海外からの留学生にも門戸が開きやすくなれば、競技における交流の輪も広がります。今、日本のスポーツ界でも重視され始めた「デュアルキャリア」という考え方からしても、大学院という場を見直すことで、多様な道を開くことができるのではないかと思います。

*3 NCAAとは、アメリカの大学スポーツを統治する組織で、学生がスポーツを通じて充実した学生生活を送れるように、人格形成、学業、キャリア、資金の支援を行い、安全確保や文武両道を達成できる仕組み作りを行っている。





2019年ラグビーW杯開催による「スポーツレガシー」への期待


ラグビーワールドカップイングランド大会における日本対南アフリカ戦(2015年) ラグビーワールドカップイングランド大会における日本対南アフリカ戦(2015年)
—– 現在日本のスポーツ界では、組織幹部によるパワハラや指導者からの暴力など、さまざまな問題が浮上しています。河野さんは、日本のスポーツ界についてはどのように見ていますか?

ひとつは、やはり問題が起きた時に何かしらのペナルティがないといけないと思います。そのためには、各競技団体を得点で評価する明確な指標が必要ではないかと。そうしたルールが求められていると思いますね。

実は私は国際ラグビー連盟の技術委員だったことがあるのですが、例えば近年ラグビーでは「ハイタックル」が問題視されていました。脳震盪を起こす可能性が高く、危険なプレーだということで、厳しいルールを設けました。途中のプロセスは関係なく、結果的に相手の肩よりも手が上にかかっていれば、すべてペナルティになります。しかし、そのルールを導入した時には大反対が起こりました。「あんなのラグビーでは普通だろう。そんなに危なくないじゃないか」と。それでも、とにかく手が肩より上にかかったら即座にペナルティということを徹底的に行ったことで、今ではハイタックルが激減し、選手が脳震盪を起こすことも減ってきています。

つまり物事は、ルールを明確化し、厳正に行うことで変わってくるんです。それともう一つは、柔軟性です。ルールを明確にしても、やはりどこかで何かが起こるもの。その時にいかに柔軟に変えていくことができるかということです。

 
—– ドーピングについてはいかがでしょうか。

これまで日本では民事事件の領域でおさまっていたものが、最近では刑事事件にまで広がりつつあります。そうした現状を踏まえた方法やルールを考えてペナルティを課していく必要があると思います。もちろん、スポーツ界自体の自浄作用に期待したいところですが、その前にその自浄作用が働くためのメカニズムが必要です。そのために文部科学省やスポーツ庁が何らかの方針を出すべきかなと。特にスポーツ庁はせっかく設立されたのですから、もっと機能的に、フル稼働できるようになるとよいと思います。

 
2016東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長を務める(2009年コペンハーゲン) 2016東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長を務める(2009年コペンハーゲン)
—– スポーツに対する国のサポートについては、どのように感じられていますか。

国家プロジェクトの一つとして「スポーツ立国戦略」を策定するなど、スポーツの価値が認められ、国からのサポートも拡大傾向にあります。ただ、今ではだいぶ変わりましたが、少し前までは日本ではスポーツは国から"オンリーサポート・ノーコントロール"だったことが問題だなと感じていました。これはよく言えばスポーツ界が自立しているというようにも考えられますが、ともすると"無責任タニマチ"にもなりかねないんです。やはり支援する側は支援するだけの価値を提示し、支援を受ける側はその価値を見出す責任があるわけです。単に"お金だけちょうだい"では、良好な関係を築くことはできませんし、スポーツは発展しません。

ところが、毎年政府から発表される「骨太方針」には、これまで一度も「スポーツ」という言葉が出てきたことがありませんでした。それでは国のスポーツに対する考え方がわからないわけです。そこで国会議員の先生方にスポーツへの意見をアンケートしようとしたことがありました。もちろんこちら側と違う意見があってもいいんです。要は国会議員の先生方がどのようにスポーツを考えているかを知ることができれば、スポーツ界としても対応することができますよね。

 
女子ラグビーのトレーニング風景 女子ラグビーのトレーニング風景
—– また、医師のお立場として伺いたいのですが、2020年東京オリンピック・パラリンピックで問題視されている暑さ対策については、9月20日に開幕するラグビーW杯においても無視することはできません。どのような対策が考えられるでしょうか。

アスリートはすでにトレーニングで暑さに対応した体づくりなどを行っていることと思いますが、観客側も今からの準備が非常に重要です。人間の体の仕組みというのは意外にシンプルで、外気が体温よりも高いと、その熱が体内に入ってくるわけです。そこで大事なのが、どうやって体内に入るのをブロックするか。あるいは体内にこもった熱を冷やすかです。もちろん、冷たいものを体に当てたり、水分を補給することは重要です。もう一つは、汗をかくこと。人間の体は汗をかくことによって体温をコントロールしているんですね。ですから、うまくコントロールするためには、ふだんから汗をかく体にしておかなければいけないんです。その汗がどこからくるかというと、体内からですよね。体内にあるタンクを広げるには、筋力が影響しているんです。つまり、ふだんから運動をして汗をかくことが、熱中症の予防対策につながります。

 
50000人ものランナーが参加して毎年4月に開催されるパリマラソン 50,000人ものランナーが参加して毎年4月に開催されるパリマラソン
—– なるほど。私たち一人ひとりが、今からできることがあるというわけですね。

はい、その通りです。ですから、まだ正式には発表されていませんが(インタビュー時点:2018年9月)、来年のラグビーW杯開催にともなって、「ラグビーウォークムーヴメント」をつくろうと思っています。どこの会場にしても、最寄り駅やバス停から歩かなければいけないわけですよね。だったら、嫌々歩くのではなく、どうせなら楽しく歩きましょうと。そうすると、心身にかかる負担も軽くなりますし、また都市づくりにもいいのではないかと思っているんです。

私が参考にしたいなと思ったのは、以前見たフランスのパリで開催されたマラソン大会。ランナーが走る先々に地元のワインが用意されていたんです。現在では日本国内でもスイーツなどが用意されたマラソン大会がありますが、ラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックでも、会場までの道のりに、地元グルメやスイーツを用意していくことで"歩く楽しみ"を作ったらどうかなと。そうして楽しく歩けるような場所をつくることで、街が活気づき、人が健康になる。こうしたことを国の政策課題にするには、ラグビーW杯とオリンピック・パラリンピックは、非常にいいチャンスになると考えています。

—– 国民の健康増進につながり、ひいては医療費削減につながりますね。

はい、おっしゃる通りです。それもまた、ラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックの大きなレガシーとなる。「スポーツレガシー・プロジェクト」の一つです。

激しいぶつかり合いが魅力のウィルチェアラグビー(2016リオデジャネイロ・パラリンピック) 激しいぶつかり合いが魅力のウィルチェアラグビー
(2016リオデジャネイロ・パラリンピック)
—– 2019年ラグビーW杯の大会期間中には、パラリンピック競技のウィルチェアーラグビーの「ワールドチャレンジ」という大会が同時開催されます。

実は日本ラグビー協会の中竹竜二コーチングディレクターには、日本ウィルチェアーラグビー連盟の副理事長を兼任してもらうなど、ウィルチェアーラグビーとの交流は深まってきています。ウィルチェアーラグビー日本代表はリオデジャネイロパラリンピックでは銅メダルを獲得し、今年8月の世界選手権ではオーストラリアを破って優勝しました。同じ"ラグビー仲間"として非常に嬉しいですし、一緒にラグビーW杯やオリンピック・パラリンピックを盛り上げていきたいですね。

—– 最後に、日本スポーツ界が進むべき道について、河野さんはどのようにお考えでしょうか。

理想像を語る前に、まずは課題を一つ一つ解決していくことが先決だと思います。そうした課題をクリアしていく先に、スポーツが日本国民にとって真の文化となるのではないでしょうか。現在は、どうしてもイベント的な部分で収まってしまっているような気がします。それをいかに生活の一部にスポーツを取り入れることができるかにあるかなと。IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長が「バリュー(価値)を見出さないスポーツは単なるエンターテインメントに過ぎない」とおっしゃっていましたが、その言葉の意味を考え、実行していくことによって、日本の「スポーツ立国」としての将来が見えてくると思います。

 

ラグビー・河野 一郎氏の歴史

  • 河野 一郎氏略歴
  • 世相

1871
明治4
イングランドでラグビーフットボール協会(ラグビー・フットボール・ユニオン)が創設
初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われる
1883
明治16
初の国際大会であるホーム・ネイションズ・チャンピオンシップ(現・シックス・ネイションズ)が開催
1886
明治19
国際統括団体である国際ラグビーフットボール評議会(現・ワールドラグビー)創設
1899
明治32
慶應義塾大学の教授でケンブリッジ大学のラグビー選手でもあったクラーク氏と、
同大学の選手でもあった田中銀之助が日本で初めてラグビーの指導を開始
1900
明治33
ラグビーが夏季オリンピック・パラリンピックに採用される (1924年のパラリンピック・オリンピックで終了)
1911
明治44
同志社大学でラグビー部が創部される
1918
大正7
早稲田大学でラグビー部が創部される
1919
大正8
第1回日本フットボール大会(現・全国高等学校大会)開催
1921
大正10
京都帝国大学、東京帝国大学(現・京都大学、東京大学)でラグビー部が創部される
1924
大正13
関東ラグビー蹴球協会(現・関東ラグビーフットボール協会)創設
1926
昭和元
西部ラグビー蹴球協会(現・関西ラグビーフットボール協会)創設
日本ラグビーフットボール協会が、関東ラグビーフットボール協会と、関西ラグビーフットボール協会の統一機関として創設
1928
昭和3
高木喜寛氏、日本ラグビーフットボール協会の初代会長に就任
第1回東西対抗ラグビー、甲子園球場にて開催
1929
昭和4
近鉄花園ラグビー場が完成
全日本学生対全日本OBの試合を、秩父宮両殿下が台覧
1930
昭和5
日本代表、カナダで初の海外遠征を行う(6勝1分)
1942
昭和17
日本ラグビーフットボール協会、大日本体育大会蹴球部会に位置づけられる

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1946河野 一郎氏、東京都に生まれる
1947
昭和22
秩父宮殿下、日本ラグビーフットボール協会総裁に就任
九州ラグビー協会(現・九州ラグビーフットボール協会)創設
東京ラグビー場(現・秩父宮ラグビー場)が竣成

  • 1947日本国憲法が施行
1949
昭和24
第1回全国実業団ラグビー大会開催
1950
昭和25
第1回新生大学大会開催
「全国大学大会」の名称となる

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951安全保障条約を締結
1952
昭和27
全国実業団ラグビー大会、第5回から全国社会人ラグビー大会に改称
1953
昭和28
田辺九萬三氏、日本ラグビーフットボール協会の2代目会長に就任
東京ラグビー場を秩父宮ラグビー場に改称

  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
香山蕃氏、日本ラグビーフットボール協会の3代目会長に就任
1961
昭和36
第1回NHK杯ラグビー試合(現・日本選手権)開始
1962
昭和37
秩父宮ラグビー場、国立競技場に移譲
1963
昭和38
日本代表、戦後初の海外遠征(カナダ)

1964
昭和39
第1回日本選手権試合開催

  • 1964東海道新幹線が開業
1965
昭和40
第1回全国大学選手権大会開催
1968
昭和43
湯川正夫氏、日本ラグビーフットボール協会の4代目会長に就任

1969
昭和44
第1回アジアラグビー大会開催
日本は全勝で優勝

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1970
昭和45
横山通夫氏、日本ラグビーフットボール協会の5代目会長に就任

1971
昭和46
第1次・高校日本代表のカナダ遠征
1972
昭和47
椎名時四郎氏、日本ラグビーフットボール協会の6代目会長に就任
1973
昭和48
全国高校選抜東西対抗試合開始

  • 1973河野 一郎氏、東京医科歯科大学医学部卒業。在学中はラグビー部に所属
  • 1973オイルショックが始まる
  • 1976ロッキード事件が表面化
  • 1978日中平和友好条約を調印
1979
昭和54
阿部譲氏、日本ラグビーフットボール協会の7代目会長に就任

1982
昭和57
代表キャップ制度を発足

  • 1982東北、上越新幹線が開業
1987
昭和63
第1回ワールドカップが開催(オーストラリア・ニュージーランドの共同開催) 以後、第7回大会まで日本代表チームは連続出場を果たす

  • 1988河野 一郎氏、日本オリンピック選手団のチームドクターに就任
1990
平成2
磯田一郎氏、日本ラグビーフットボール協会の8代目会長に就任
1992
平成4
川越藤一郎氏、日本ラグビーフットボール協会の9代目会長に就任
1993
平成5
第1回ジャパンセブンズ開催
1995
平成7
金野滋氏、日本ラグビーフットボール協会の10代目会長に就任

  • 1995阪神・淡路大震災が発生
  • 1996河野 一郎氏、日本ラグビーフットボール協会の強化推進本部長に就任。若手選手の発掘に貢献する
  • 1997香港が中国に返還される
2000
平成12
IRBワールドセブンズシリーズ日本大会開催
2001
平成13
町井徹郎氏、日本ラグビーフットボール協会の11代目会長に就任

  • 2001河野 一郎氏、日本オリンピック委員会理事に就任
2002
平成14
女子ラグビーが日本ラグビーフットボール協会に加入
女子ラグビーは、第4回女子ワールドカップに初参加
2003
平成15
ジャパンラグビー トップリーグが社会人12チームで開幕

  • 2004河野 一郎氏、筑波大学大学院 人間総合科学研究科教授に就任
2005
平成17
森喜朗氏、日本ラグビーフットボール協会の12代目会長に就任
2006
平成18
ジャパンラグビートップリーグチーム数は12チームから14チームへ増加

  • 2006河野 一郎氏、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会事務総長に就任
  • 2008リーマンショックが起こる
2009
平成21
U20世界ラグビー選手権(IRBジュニアワールドチャンピオンシップ2009)開催
2019年ラグビーワールドカップが日本で開催決定
2010
平成22
2019年ラグビーワールドカップ日本開催組織委員会の設立準備を開始

  • 2010河野 一郎氏、日本アンチ・ドーピング機構会長に就任
  • 2011河野 一郎氏、日本スポーツ振興センター理事長に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2013
平成25
日本ラグビーフットボール協会が公益財団法人へ移行

  • 2013河野 一郎氏、日本ラグビーフットボール協会理事に就任
  • 2014河野 一郎氏、日本オリンピック・パラリンピック組織員会副会長に就任
2015
平成27
岡村正氏、日本ラグビーフットボール協会の13代目会長に就任

2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催
7人制ラグビーが正式種目として実施

  • 2016河野 一郎氏、ラグビーワールドカップ2019組織委員会事務総長代行に就任




ページの先頭に戻る