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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

スポーツの変革に挑戦してきた人びと
第91回
インクルーシブ社会の実現に向けたパラリンピック支援

笹川 陽平

国民の健康増進を図るさまざまな組織やプロジェクトを立ち上げ、大きな功績を残してきた日本財団。その会長としてインクルーシブ社会(誰もが尊重し支え合い認め合える全員参加型の社会)の実現に向けて尽力している笹川陽平さん。

「パラリンピックの成功なくして、東京大会の成功はない」と、パラリンピックサポートセンターやパラアリーナ、ボランティアサポートセンターの創設など、多大な支援を行ってきました。その笹川会長に、日本社会が抱える問題、将来展望、2020年東京パラリンピックの開催意義などについてお話しいただきました。

聞き手/佐野慎輔  文/斉藤寿子  写真/日本財団、フォート・キシモト  取材日/2020年2月19日

パラリンピック普及にSMAPが残した大きな功績

日本財団パラリンピックサポートセンター設立発表会見(左から3人目)(2015年)
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日本財団パラリンピックサポートセンター設立発表会見(左から3人目)(2015年)

―― 日本財団では2015年5月にパラリンピック支援の活動拠点「日本財団パラリンピックサポートセンター」(以下、パラサポ)を設立されました。また、2018年6月にはパラスポーツ専用体育館「パラアリーナ」をオープンさせました。さらに2017年6月には2020年東京オリンピック・パラリンピックの成功に向け、障がい者スポーツや障がい者理解に関する専門知識などを有するスポーツボランティアの育成やボランティア文化の醸成事業を行う「ボランティアサポートセンター」が設立されました。パラスポーツ、パラアスリートに対して、ここまで手厚い支援というのは、これまで日本国内ではなかった画期的なことです。こうした取り組みは、どのような経緯、理由からだったのでしょうか?

現在は大会名も大会組織委員会も「オリンピック・パラリンピック」と並べられることが当然となり、東京大会も「東京オリンピック・パラリンピック」となっています。しかし、実際パラリンピックのサポートというのは、オリンピックに比べると日本国内ではほとんどなかったのが実情です。そうした中、2012年ロンドン大会ではオリンピックに限らず、パラリンピックにも注目が集まり、大変な盛り上がりを見せました。多くの人々に感動を与えた大会として今も「史上最高のパラリンピック」と称賛されています。私自身もロンドンパラリンピックを見ていて、「これからはパラリンピックの成功なくして、オリンピックの成功はない。そういう時代になるだろう」と直感しました。

左:リオデジャネイロパラリンピック開会式(2016年)右:リオデジャネイロパラリンピック開会式で入場する日本選手団(2016年)

左:リオデジャネイロパラリンピック開会式(2016年)
右:リオデジャネイロパラリンピック開会式で入場する日本選手団(2016年)

そうしたところ、翌2013年9月に2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定しました。そこで東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長に、ロンドン大会で感じたことをお話ししたところ「笹川さんがおっしゃる通り、これからの時代はパラリンピックの成功なくしてオリンピックの成功はない。私もそう思っています。ところが、JOC(日本オリンピック委員会)はまったくパラリンピックには関心がない。これでは困るんだよなあ」と。当時は日本のパラリンピックの実情も把握できていなかったですし、何より国民の関心がまったくないような状況でした。そして調べてみると、パラリンピック競技の組織はほとんどが関係者の自宅の一室が事務局になっていて、夫婦で競技を支えているようなケースも少なくありませんでした。そのような状態で、どうやって2020年東京パラリンピックを盛り上げていくのか、大きな問題でした。

日本財団パラアリーナ(2018年)

日本財団パラアリーナ(2018年)

そこでまずは、日本財団のほうで場所を用意するので事務局を1カ所に集めましょう、ということで日本財団ビル(東京都港区)の4階にパラサポを設置したわけです。現在は29の競技団体がパラサポに事務局を置いています。これまでお互いに顔も合わせたこともなければ、話をしたこともない、競技団体同士のつながりが、パラサポという場所に1カ所に集結したことで、相互に刺激し合いながら情報を共有できるようになりました。また、スポーツ庁が資金援助をするには、金銭の出入りを明確にするなどして信頼されることが必要です。これまでのように夫婦でやっているような個人的要素が強い競技団体では、政府も支援したくてもガバナンスとしての信頼がおけなくて難しいだろうと考えて、パラの競技団体を1カ所に集め事務局としてパラサポを設置するに至りました。

開設後は、山脇康会長※(第49回スポーツ歴史の検証参照)や小澤直常務理事の指導のもと、パラサポのスタッフたちが啓蒙活動に注力してくれて、全国各地の小学校や中学校に行って、競技や選手の認知拡大にも非常に貢献してくれていますよね。最も顕著なのが、パラリンピック競技のひとつであるボッチャ(重度脳性麻痺者や四肢重度機能障がい者のために考案されたスポーツ)ではないでしょうか。これまで誰も「ボッチャ」という名称さえも知らなかったのに、今では競技が認知されただけでなく、さまざまなところで実際にボッチャが行われるようになりました。障がい者だけが行うスポーツではなく、健常者も一緒になって楽しめるスポーツとして急速な広がりを見せています。

もちろんオリンピックは伝統のあるすばらしい国際競技大会です。しかし、パラリンピックはハンディキャップを乗り越えたヒューマン・ヒストリーが、オリンピック以上に具体的な形で見えるわけです。「障がい」や「難病」を乗り越えて、絶え間ない努力をして世界の舞台に挑戦する姿というのは、将来を担う子どもたちに大きな夢や自信を持ってもらえる、そうした教育的効果も高いのではないかと思っています。2020年東京オリンピック・パラリンピックを開催するうえで、今後につなげるレガシーを考える必要がありますね。私は多様化した社会の中で、健常者も障がいがある人も共生する、インクルーシブ社会を築き上げていくことだろうと思っています。

パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)

パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)

―― 実際にパラスポーツやパラアスリートの普及・認知拡大は、この数年で大きな広がりを見せています。

パラスポーツは実際に見たり、やったりすると、面白いんですよ。非常に魅力がたくさん詰まっていますよね。ところが、以前は「どうせ障がい者がやっていることだから面白くないだろう」という先入観がほとんどの人にはあったと思います。

それはメディアも同じ。だから、2020年東京パラリンピックの放映権も民放はどこも買わず、全部、NHKにお任せにしてしまったんです。ところが、どんどんパラリンピックのほうも盛り上がりを見せてきたものだから、各局の民放があわてて取り上げるようになっていったんです。本番でも放送したくて仕方ないけれど、自分たちが断った経緯があるものだから、困っているみたいですね(笑)

パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)

パラ駅伝(2015年/駒沢オリンピック総合運動場)

―― 日本財団の普及活動の方法も、非常に巧みですばらしかったと思います。例えば、2015年にはSMAPをパラサポのスペシャルサポーターに起用(2017年から元SMAPメンバーの稲垣五郎さん、草彅剛さん、香取慎吾さんの「新しい地図」に引き継がれている)しました。

残念ながらSMAPのスペシャルサポーターとしての活動は、1度きりで終わってしまいました。それでも2015年のパラ駅伝(障がいのある人とない人がひとつのチームとなってタスキをつないで走るイベント)にSMAPが応援に駆けつけてくれた。あれがパラスポーツ普及活動のキックオフとなったことは間違いありません。

会場となった駒沢公園には1万4000人もの観客が集まってくれて、パラ駅伝を見てくれました。たしかにパラ駅伝ではなく、SMAPを見たいという気持ちで来ていたファンがほとんどだったと思います。しかし、そのSMAPファンからパラスポーツが認知拡大されていったことも事実です。もし本当に今、日本国民に広く認知されているのだとしたら、あの時のSMAPの功績は大きいですね。

パラリンピック支援はインクルーシブ社会実現の一環

「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」開会式(左は安倍首相)(2017年)

「日本財団 DIVERSITY IN THE ARTS」開会式(左は安倍首相)(2017年)

―― もともと日本財団では、障がい者の支援活動が広く行われてきました。例えば、視覚障がいや聴覚障がいのある人、車いすユーザーたちがパフォーマンスを繰り広げる「障害者芸術祭」を2006年からアジア各地で開催しています。今年は、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催に合わせて、ユネスコと共同で日本全国で「障害者芸術祭」を開催しています。スポーツに限らず、幅広く障がい者にスポットを当ててこられてきました。

日本財団の役割というのは、いわゆる社会的に弱者と言われる障がいのある方や難病を抱えている方、貧困に苦しんでいる方にも手を差し伸べる活動です。東南アジアでは極端な話では、家族や親せきから「恥だ」というふうに見られて、家から出されないようにされてしまうからです。しかし、それでは正常な人間としての生活を営むことはできません。どんどん外に出て、人と交流できるようにしていかなければいけないわけです。
そこで、日本財団ではミャンマー、ラオス、ベトナム、カンボジア、タイなど東南アジア各国で、障がい者の「カラオケ大会」のようなものを開催してきました。そうすると、障がいのある人もない人も、何千人という人たちが押し掛けてくるんです。パラリンピックの文化・芸術活動というのは、そういう経験をしている日本財団にしかできないものだろうという自負がありました。

シンガポールで開催されたアジア太平洋障害者芸術祭True Colours Festival( 2018年)

シンガポールで開催されたアジア太平洋障害者芸術祭True Colours Festival(2018年)

そこでパラリンピックに向けた啓蒙活動の一環として、2017年から「日本財団DIVERSITY IN THE ARTS」というプロジェクトを行ってきました。今年の夏には、2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催にあわせて約2カ月間、「LOVE LOVE LOVE LOVE展」を、船の科学館(東京都・お台場)で行う予定です。国内外から約40組の障がいのあるアーティストと現代美術のアーティストを迎え、さまざまな作品を紹介します。また、目隠しをして真っ暗な部屋を歩いてみたり、義手・義足をつけて動かしてみたりと体験型プログラムも用意し、実際に障がいのある人たちがどんなふうにして生活を送っているのかというのを実体験してもらいたいと思っています。この展示会を通して、特に子どもたちや若い人たちに、「どんなことがあっても努力すれば、すばらしい人生が送れるんだ」というような、人生における何かヒントを与えられたら嬉しいと思っています。

日本財団パラアスリート奨学金授与式(2019年)

日本財団パラアスリート奨学金授与式(2019年)

―― 一方で、パラアリーナを建設したり、日本体育大学にパラアスリートを養成する「日本財団パラアスリート奨学制度」を設置されたりと、トップアスリートへの支援にも注力されています。こうした多方面からさまざまな支援活動を行っているのは、ダイバーシティ(多様性)社会の構築に貢献するといった日本財団の理念が強く反映されているように感じられます。

物事には、戦略・戦術が必要で、一本道では何も成立しないんです。戦略というのは何かというと、パラリンピックでいえば、2020年東京大会が終わった後、レガシーとしてインクルーシブ社会を築くことです。そのためには多角的、多面的、立体的に物事を組み立てていかなければいけません。ですから、世界で活躍するトップアスリートを育成することも大事ですし、多くの人に理解を示してもらう必要もある。
そのために、日本財団ではバリアフリー地図アプリ「Bmaps(ビーマップ)」の開発・普及にも取り組んできました。これは直接的にはパラリンピックと関係がないかもしれませんが、パラアスリートと同じように障がいのある方たちが社会の中で動きやすいようにしたものです。例えば、車いすユーザーがレストランに行くとなると、入口に二段以上の階段があると入れない。しかし、小さな段差や一段くらいの階段であれば、自分で上がれる人もいるわけです。しかし、問題は入口だけではありません。せっかく中に入れても、トイレが車いすで入れないようではダメですよね。そのほか、駅のどこにエレベーターがあるのか、どのホテルならバリアフリーになっているかなど、多種多様な障がいのある方が自分のケースになぞらえて情報を得ることができるサービスになっています。これも2020年東京パラリンピックのレガシーのひとつとして残したいと思っています。

日本財団パラアリーナのオープニングセレモニー(左から2人目)(2018年)

日本財団パラアリーナとオープニングセレモニー(左から2人目)(2018年)

―― 直接的、間接的に幅広くパラリンピックの支援活動を行っているわけですが、2020年東京パラリンピックが終了した後の支援はどのように考えられているのでしょうか?

インクルーシブな社会をつくろうという目的の中では、パラアスリートというのは一部でしかありません。 少しスポーツからは離れますが、1984年に旧ソ連(現・ウクライナ)でチェルノブイリ原子力発電所の事故(4原子炉でのシステム電源の停止により、蒸気爆発が起き、飛散した放射性物質が広範囲の大気を汚染。多くの犠牲者を出した大事故)が発生した際、日本財団は当時のソ連政府からの要請を受け、10年間にわたって周辺地域の健康調査などに取り組みました。その時も、約束の10年で支援活動を終えました。世界各国の支援団体が「これだけ手厚く支援してきた日本財団がなぜ急に?」と非常に驚いていました。しかし、私たちは18万5000人の子どもたちの診察をし、IAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)にきちんとした報告書を提出するという任務をきっちりと完了して、予定通りに引き揚げたわけです。ほかの支援団体は単に事務所を置いて「チェルノブイリの人たちの救援活動を行っています」といううたい文句だけで、何の成果もあげずにダラダラとやっているだけのところが少なくなかった。私はそういうやり方を好みません。お約束したことはきちんとやります。しかし、永久的に我々がやることではないわけです。それはパラリンピック支援も同じこと。日本財団がここまでモデルをつくって道を示してきたわけですから、ゆくゆくは本来対応すべきスポーツ庁のほうで取り組んでいくべきことではないでしょうか。

子どもにも高齢者にも重要な運動する環境

B&G財団の事業活動(2015年)

B&G財団の事業活動(2015年)

―― 日本財団の初代会長である笹川良一氏は、1973年に次世代を担う青少年の健全育成を目的とした「B&G財団」(ブルーシー・アンド・グリーンランド財団)を創設されました。全国の市町村に480カ所の「海洋センター」(プール・ボートハウス・体育館、現在は469カ所)を開設し、青少年の自然体験の場、障がい者や児童養護施設の子どもたちを対象とした体験会、アスリートへの支援など、さまざまな活動が行われています。

もともと子どもたちの将来について強い関心を抱いていた笹川良一は、「日本社会は経済では栄えるが、教育では滅びる。その弊害は100年間、祟り続けるだろう」といつも話していました。
教育とは、知育に特化したものではなく、知育と体育と徳育のバランスがとれたものでなければ、子どもたちの健全な教育はできない。子どもたちにはもっと運動をさせなければいけないということでドイツに渡りました。
そうしたところ、当時ドイツオリンピック協会(ドイツオリンピック委員会とは別に1951年に設立された団体)の専務理事ゲルト・アーベルベック氏から、「ドイツには大きな競技場は多くは必要ありません。どの地域でもクラブ組織でスポーツ施設を運営しているんです」と。
一方、日本では何千人もの観客が収容できる立派な競技場や体育館を、各都道府県が競うようにして次々とつくっていった。ところが、結局年にわずかしか利用しない。そんな立派なものではなく、日常的に子どもたちが運動できる場をつくらないといけないということをドイツで学んできたんです。そこで特に財政が豊かとは言えない地域に、そうした施設をつくっていこうと、「海洋センター」という名前で全国につくったわけです。まあ、「海洋センター」という名称はどうかと思いますけどね(笑)山の中にもあるわけですから。それでも「ブルーシー(青い海)」の「B」と「グリーンランド(緑の大地)」の「G」とをかけあわせて「B&G財団」としたわけです。

笹川スポーツ財団設立記念レセプション(左端が笹川良一)(1991年)

笹川スポーツ財団設立記念レセプション(左から2人目が笹川良一)(1991年)

―― 「B&G財団」が取り組まれてきたことは、まさに現代の日本スポーツ界が抱える問題に対しての先がけだったと思います。今、スポーツ庁がやろうとしている「総合型地域スポーツクラブ」を、すでに半世紀近く前からやってきたわけです。

「B&G財団」は時代の変化に伴って、現在では青少年だけではなく、高齢者向けの転倒防止プログラム「元気クラブ」もあります。また、防災の拠点や貧困家庭の子どもたちの拠り所となったり、あるいは現代は子どもたちがよその高齢者の話を聞く機会は皆無に等しいですから、「異世代交流」の場を設けたりしています。

―― 会長ご自身も、1991年に笹川スポーツ財団を設立されました。まさに国民の健康増進と医療費削減を主眼とするものです。

例えば、日本財団は日本ゲートボール連合を支援していますが、ある県で調査したところ、ゲートボール愛好家の高齢者と、そうではない高齢者の医療費を比較したところ、10%の差が出たんです。本来はエビデンスとして調査報告書をあげておかなければいけなかったのですが、当時、我々はとにかく猪突猛進で前に進むことしかせずにデータとして残さなかったことは反省点です。しかし、いずれにしても、そうした調査結果を踏まえて、笹川スポーツ財団は競技者の育成ではなく、あくまでも健康増進を図るものとして設立しました。

笹川スポーツ財団「チャレンジデー」

笹川スポーツ財団「チャレンジデー」

―― 1993年からは、年齢・性別を問わず、日常的なスポーツの習慣化や住民の健康増進、地域の活性化に向けたきっかけづくりとして、行政、民間団体、住民が一体となって取り組むスポーツイベント「チャレンジデー」を開催しています。これも笹川スポーツ財団の重要な事業のひとつです。

日本は、平均寿命は世界一になったこともあると誇りにしていますが、実は平均寿命と健康寿命との間には、10年もの差があるんです。そして、この10年間で莫大な医療費がかかっています。例えば、糖尿病の透析の費用だけで合併症も含めると年間2兆円にのぼると言われています。
これを私たちの事業によってきちんと指導し、透析を受けなければならないまでの時間を可能な限り先延ばしにすることによって、2兆円を5000億円くらいにするのはそう難しいことではありません。今、日本が真剣に向き合って対処していかなければいけないのは、どのようにして社会的コストを下げていくか。そのためには、平均寿命と健康寿命との差を縮めていけば、それだけで日本の財政はガラリと変わるんです。社会保障費の約4割が医療費にかかっているなんて、世界を見渡しても日本くらいですよ。それほど異常な状態に日本があるということを認識しなければいけないんです。

腕立て伏せで鍛える

腕立て伏せで鍛える

―― 会長ご自身、1年の3分の2近く海外を飛び回っていらっしゃいますが、しっかりと健康を維持されています。やはり日々、運動を習慣とされているのでしょうか?

もともと何か専門的にスポーツをしたことはありません。私が意識的に運動をして健康を心掛けるようになったのは、50歳を超えてからです。組織の指導者として、自分自身が健康でなければ組織を管理することはできませんから。指導者としてやらなければいけない義務だと思ってやっているわけですが、それが結果的に健康維持につながっているのでしょう。

―― 具体的にどのようなことをされていらっしゃるのでしょうか?

可能な限り毎朝5時に起きて、150回のスクワットと腹筋をし、40分間ストレッチをしています。もちろん、きついですよ。ただ、管理職としての使命です。人を指導する立場であるのに、口先だけで自分が何も実行していなければ、説得力はありませんからね。

“ボートレース下関”にある“BOAT KIDS PARK Mooov(モーヴィ)下関

“ボートレース下関”にある“BOAT KIDS PARK Mooov(モーヴィ)下関” ©ボートレース下関

―― 今、公園でも自由に走り回る子どもたちの姿が見られなくなってしまいました。こうした環境をどのように感じられていますか?

私の自宅近くの公園も、子どもたちではなく、高齢者の姿ばかりが目立っていますよ。たまに休日には幼児連れの親子が砂場で遊んでいることもありますが、その砂場も野良猫や野良犬の防止にと金網が張ってあって、まるで鳥かごのようで、子どもたちが不憫です。ですから、日本財団では新たな取り組みとして、全国のボートレース場の敷地内にある駐車場の一部を芝生に替えようと。そこでは追いかけっこ、ボール蹴り、ボール投げ、なんでもOKです。

そして周りには草木を植えて四季楽しめるようにし、近くにはカフェをつくって、親御さんたちにはそこでゆっくりくつろいでもらうと。さらに場所によっては、高齢者がデイサービスで利用したり、キッズコーナーを設けた施設をつくろうと思っています。そうして週末には、世代を超えて家族で遊びに行くことができる場にしたいと考えているんです。

そこでは異世代交流ができたり、あるいは大人が自分の子どもだけでなく、他人の子どもたちにも声をかけたり、注意したりすることができるような昔ながらのコミュニティの場を復活させたいんです。そういうコミュニティの場が復活すると、「人はみんな違うし、違っていいんだ」ってことが理解できるようになるはずです。視覚や聴覚に障がいがある人もいれば、車いすユーザーもいるんだなと。そういうことが子どものころから自然にわかると、ひいてはインクルーシブ社会につながっていくわけです。

将来は全国の子どもたちと対話するのが夢

ロンドンオリンピックボクシングの金メダリスト村田諒太選手(2012年)

ロンドンオリンピックボクシングの金メダリスト村田諒太選手(2012年)

―― 今年、いよいよ2020年東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。「パラリンピックの成功なくして、東京大会の成功はない」ということでパラスポーツ、パラアスリートへの支援活動を続けられてきたわけですが、どんな大会が「成功」と言えるでしょうか?

大事なのは、そこで何を感じて何を得て、次へとつなげていくのか、そのレガシーです。「どんな障がいがあっても努力すれば、あれだけのパフォーマンスができるんだから、五体満足の自分はもっとがんばろう」と個人レベルでどれだけ思えるか。そういう感動をひとりでも多くの人が得る大会になってくれたら、それは大成功と言えると思いますよ。

2017年から始まった「HEROs Sportsmanship for the future」というプロジェクトでは、アスリートたちが子どもたちに夢や希望を与える活動を積極的に展開しています。オリンピアン、パラリンピアンにボランティアで全国の学校などをまわってもらって、実体験を話してもらったりしています。ただ成功した話ではなく、例えば辛くてやめようと思ったり、ケガをして成績が上がらなかったりして、家庭の事情で苦しい思いをしたりして、一度や二度、挫折をしたけれども、その時に家族や友人の支えがあってがんばれたから、ここまでこれたんだ、というような苦難を乗り越えた話を子どもたちにしてください、と頼んでいます。そういう話が、子どもたちや聞いている人たちには響くんです。

昨年、2012年ロンドン五輪で金メダルを獲得したボクシングの村田諒太選手(ロンドン五輪後にプロに転向。現在、WBA世界ミドル級王者)が、「HEROs更生支援プロジェクト」の一環として千葉県八街市の少年院を訪れて講演をしてくれました。
「人生において自分とのリマッチに打ち勝て」というテーマで60人ほどの少年たちに、ボクシングから逃げたことや敗けたことから得たことなど、実体験をもとに自分の弱さと向き合う重要性を語ってくれました。彼の話に感動して、法務教官まで涙ぐんでいたらしいですね。

※「HEROs Sportsmanship for the future」とはアスリートの社会貢献活動を推進するプロジェクト。次世代の人材育成サポート、スポーツの力を活用した社会貢献活動の実践、優秀な社会貢献活動をしたアスリートを表彰し次世代に続くアスリートのロールモデルを示している

笹川 陽平氏

―― 2020年東京パラリンピック開催がきっかけとなって、さまざまな人たちがスポーツを通して、交流し合える社会になっていけたらと思うのですが、いかがでしょうか?

先ほども言ったけれど、子どもたちが自由に遊べる環境が少ないんです。つくろうと思えば、都心でもつくれるんですよ。そんな広大な土地でなくていいですし、遊具なんて要らないんです。ちょっとした空き地に芝生を植えるだけで、十分に遊ぶことができるんですから。

―― 最後に、笹川会長が今後やり遂げたいことを教えてください。

そんな大それたものはないけれども、ただ子どもたちの教育については強い関心を持っています。だからこの仕事が一段落して、健康体でいられていたら、将来は全国の小学校、中学校を1000校まわって、子どもたちと対話したいと思っているんです。そして好奇心旺盛な子どもたちに勇気や将来の夢をもってもらいたい。それが私の最後の夢です。

  • 笹川陽平氏 略歴
  • 世相

1912
明治45

ストックホルムオリンピック開催(夏季)
日本から金栗四三氏が男子マラソン、三島弥彦氏が男子100m、200mに初参加

1916
大正5

第一次世界大戦でオリンピック中止

1920
大正9

アントワープオリンピック開催(夏季)

1924
大正13
パリオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の入賞となる6位となる
1928
昭和3
アムステルダムオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の金メダルを獲得
人見絹枝氏、女子800mで全競技を通じて日本人女子初の銀メダルを獲得
サンモリッツオリンピック開催(冬季)
1932
昭和7
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
南部忠平氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)

1936
昭和11
ベルリンオリンピック開催(夏季)
田島直人氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
織田幹雄氏、南部忠平氏に続く日本人選手の同種目3連覇となる
ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック開催(冬季)

  • 1939 笹川 陽平氏、東京に生まれる
1940
昭和15
第二次世界大戦でオリンピック中止

1944
昭和19
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1947日本国憲法が施行
1948
昭和23
ロンドンオリンピック開催(夏季)
サンモリッツオリンピック開催(冬季)

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951日米安全保障条約を締結
1952
昭和27
ヘルシンキオリンピック開催(夏季)
オスロオリンピック開催(冬季)

  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピック開催(夏季)
コルチナ・ダンペッツォオリンピック開催(冬季)
猪谷千春氏、スキー回転で銀メダル獲得(冬季大会で日本人初のメダリストとなる)

1959
昭和34
1964年東京オリンピック開催決定

1960
昭和35
ローマオリンピック開催(夏季)
スコーバレーオリンピック開催(冬季)

ローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催
(のちに、第1回パラリンピックとして位置づけられる)

1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
円谷幸吉氏、男子マラソンで銅メダル獲得
インスブルックオリンピック開催(冬季)

  • 1964東海道新幹線が開業
  • 1965 笹川 陽平氏、父・笹川良一氏に連れられ韓国のハンセン病療養所を訪問。
      以降、ハンセン病制圧をライフワークとして活動
1968
昭和43
メキシコオリンピック開催(夏季)
テルアビブパラリンピック開催(夏季)
グルノーブルオリンピック開催(冬季)

1969
昭和44
日本陸上競技連盟の青木半治理事長が、日本体育協会の専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)の委員長に就任

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1972
昭和47
ミュンヘンオリンピック開催(夏季)
ハイデルベルクパラリンピック開催(夏季)
札幌オリンピック開催(冬季)

  • 1973オイルショックが始まる
1976
昭和51
モントリオールオリンピック開催(夏季)
トロントパラリンピック開催(夏季)
インスブルックオリンピック開催(冬季)
 
  • 1976ロッキード事件が表面化
1978
昭和53
8カ国陸上(アメリカ・ソ連・西ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ポーランド・日本)開催  

  • 1978日中平和友好条約を調印
1980
昭和55
モスクワオリンピック開催(夏季)、日本はボイコット
アーネムパラリンピック開催(夏季)
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
ヤイロパラリンピック開催(冬季) 冬季大会への日本人初参加

  • 1981 笹川 陽平氏、東京都モーターボート競走会会長に就任
  • 1982東北、上越新幹線が開業
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
ニューヨーク/ストーク・マンデビルパラリンピック開催(夏季)
サラエボオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

  • 1984 笹川 陽平氏、日本造船振興財団(現・笹川平和財団)理事長に就任
1988
昭和63
ソウルオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
鈴木大地 競泳金メダル獲得
カルガリーオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

  • 1989 笹川 陽平氏、日本船舶振興会(現・日本財団)理事長に就任
  • 1991 笹川陽平氏、笹川スポーツ財団を設立
1992
平成4
バルセロナオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて日本女子陸上選手64年ぶりの銀メダル獲得
アルベールビルオリンピック開催(冬季)
ティーユ/アルベールビルパラリンピック開催(冬季)

1994
平成6
リレハンメルオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1994 笹川 陽平氏、全国モーターボート競走会連合会会長に就任
  • 1995阪神・淡路大震災が発生
1996
平成8
アトランタオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて銅メダル獲得

  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
長野オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1998 笹川 陽平氏、WHOヘルス・フォー・オール金賞を受賞
2000
平成12
シドニーオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
高橋尚子氏、女子マラソンにて金メダル獲得

2002
平成14
ソルトレークシティオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2004
平成16
アテネオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
野口みずき氏、女子マラソンにて金メダル獲得

  • 2005 笹川 陽平氏、日本財団会長に就任
2006
平成18
トリノオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2007
平成19
第1回東京マラソン開催

2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
男子4×100mリレーで日本(塚原直貴氏、末續慎吾氏、高平慎士氏、朝原宣治氏)が3位となり、男子トラック種目初のオリンピック銅メダル獲得

  • 2008リーマンショックが起こる
2010
平成22
バンクーバーオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドンオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
2020年に東京オリンピック・パラリンピック開催決定

  • 2013 笹川 陽平氏、ミャンマー国民和解担当 日本政府代表に就任
2014
平成26
ソチオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2014 笹川 陽平氏、国際法曹協会にて日本人で初めて法の支配賞を受賞任
  • 2015 笹川 陽平氏、国際海事機関にて国際海事賞を受賞
      笹川 陽平氏、日本財団 パラリンピックサポートセンターを設立
2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催(夏季)

  • 2017 笹川 陽平氏、日本財団ボランティアサポートセンターを設立
2018
平成30
平昌オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2018 笹川 陽平氏、日本人初のガンジー平和賞を受賞
  • 2019 笹川 陽平氏、旭日大綬章を受章
      笹川 陽平氏、文化功労者に選出される