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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

第1回 「百聞は一見に如かず」 ~大会運営全般からの気づき~

第1回 「百聞は一見に如かず」 ~大会運営全般からの気づき~

サテライト会場のひとつ、陸上競技用オリンピックスタジアム外の広場に展示された、パラリンピックのシンボル「アギトス」。
記念撮影のホットスポットで、順番待ちの長蛇の列ができていた。

史上初めて南米で開催された2016年リオデジャネイロパラリンピックは12日間の全日程を終え、9月18日に閉幕した。開幕前には、治安や運営、施設・会場整備、現地市民の関心度などが不安視され、開催すら危ぶまれた。だが、ふたを開けてみれば、課題は多々見られたものの、テロはもちろん大きなトラブルもなく大会は運営された。

予想とはうらはらに会場は連日、多くの観客でにぎわい、陽気で情愛に満ちた“ラテンのノリ”の大声援は選手の活躍を後押しした。22競技528種目が行われ、世界新記録が200以上、パラリンピック新記録も400を超えて樹立されるなど競技レベル的にも向上が見られた。全体的な印象として、「リオ大会は成功した」といえるのではないだろうか。

国際パラリンピック委員会(IPC)のフィリップ・クレイヴン会長も閉会式で、リオ市民やブラジル国民に対して、「皆さんは一日一日、スポーツのカーニバルをつくりあげていった。私は“最後の金メダル”を皆さんに贈りたい」と謝意を表した。まさに今大会は、「民衆の大会」だったと思う。過去に類のないユニークな大会を、競技取材を通し、観て聞いて触れた体感とともに振り返ってみたい。

大会規模と治安体制

選手村

選手村:美しい中庭を囲むように、高層の住居棟が配置されている。この他、レストランやジムなどの施設も併設されていた。

大会はIPCが主催し、運営はオリンピックと同じ、「Rio 2016大会組織委員会」が担った。大会には、159カ国・地域から4,300人以上が参加した。大会前は史上最多の170カ国以上と見込まれていたが、国ぐるみのドーピング違反により全面排除となったロシアのほか、大会組織委員会の資金難のため渡航費が工面できず、出場を断念した国もあったことなどが、前回ロンドン大会(164カ国)を下回ったと思われる。

ただし、オリンピックと同じく、難民選手団(IPA)も結成され、シリアとイランの男子2選手が出場したほか、6カ国(アルバ、コンゴ、マラウィ、ソマリア、サントメ・プリンシペ、トーゴ)が大会初出場を果たしており、パラリピック・ムーブメントのすそ野の広がりも感じさせた。

事前情報からはかなり懸念された治安だったが、実際には大会期間中、メイン会場のオリンピック公園周辺でも、サテライト会場でも置き引きやスリの被害等は耳にしたものの、大きな事故や事件の類はなかった。正確な人数は不明だが、警察官や軍人が多数配備されており、その姿が目立ったことも大きかったと思う。安心感があった。

オリンピック公園外周は高い鉄柵で囲われていたし、サテライト会場も周辺道路を広範囲に通行止めし、鉄柵などで囲って入場制限を行っていた。各会場の入り口では観客用、メディア用とも、X線による荷物検査やIDチェックが行われ、安全確保への努力が感じられた。

資金難の功罪 ~環境配慮型~

鉄骨むき出しのままの仮設スタンド

鉄骨むき出しのままの仮設スタンド。意外と耐久性あり。
他にトイレやバス乗降用スロープなども仮設で賄っている部分が多かった。

会場内のスタジアムは、鉄パイプの骨組みがむき出しのままの仮設スタンドが多用されていたが、最上階に立っても大きな揺れを感じず、耐久性への不安はなかった。他にも美観性はないが、機能性さえ備わっていれば十分といった趣の施設が多かったが、経費削減のヒントにはなると感じた。輸送用バス乗降用のスロープも私が目にしたもののほとんどは仮設だった。アプローチの長さや高さなど使い勝手の面で疑問を感じるものもあったが、選手を含め、大きな不満は聞かれなかった。マンパワーで補っていた部分もあったと思う。

選手村の設備についても、オリンピック期間中にさまざまなトラブル対応が済んでいたためか、選手からは概ね「快適」という感想が聞かれた。ただし、村内のメイン歩道上には一部坂道があり、重度障害の車いす選手などからは、「毎日、大変」という声もあった。選手村は大会後、一般向けの分譲マンションとなるようで、車いすでの利用を想定した設計ではなかったためと思われるが、新設する施設については、あらかじめ、「様々な人の利用」を想定したユニバーサルデザインの採用が望ましいと思った。

開会式翌日のオリンピック公園内の様子。
会場によっては入り口まで巨大なスロープがつづいていた。

運営資金削減のため、サテライト会場の一部が閉鎖されたことに伴い車いすフェンシングが別会場に変更されたほか、メディア向けのサービスは過去の大会に比べると、かなり削減されていた。例えば、メインプレスセンター(MPC)の機能は必要最小限で、また会場ごとのワーキングルームは一部閉鎖され、MPCと会場間などを結ぶ移動用バスの本数もかなり少なかった。

また、もともと「環境配慮型エコ大会」を標ぼうしており、「紙による配布資料」がかなり少なかった。過去の大会では「メディアガイド」と呼ばれる大会情報を一つにまとめた冊子が配布されたが、代わりにメディア専用のアプリ「大会ガイド」や「メディアバスガイド」などが開発、提供されていた。選手名鑑やトーナメント表から、リアルタイムでの試合結果などがこのアプリから確認できた。このアプリで確認しながら取材を進め、どうしても必要な情報だけ自分で印刷するというわけだ。つまり、スマホのような携帯通信機器とWIFI環境が必須であり、最初は不便に感じたが、慣れてくると意外に簡単、快適だった。無駄を省き、合理的な運営という意味では今後、これが主流になるのかもしれないと感じた。

最近は、パラリンピックへの関心を高めるために、オリンピックよりも先にすべきという意見も耳にするが、施設や設備の準備徹底、検証機会などを考えると、パラリンピアンにより充実した環境を提供しやすいという意味で、オリンピック後にパラリンピックを開催するという現行の流れのほうが現時点では実用的で有意義だと、リオ大会を見て改めて思った。

  • 星野 恭子氏
    星野 恭子(ほしの きょうこ)

    新潟県生まれ。大学卒業後、一般企業勤務を経て、1994年から米国留学。大学でジャーナリズム学、大学院でマス・コミュニケーション学を修めたのち、2000年からシリコンバレーのウェブサイト運営会社で編集業に就く。01年末に帰国後、フリーランスのライターとして活動開始。
    03年スポーツボランティアを初体験し、視覚障害者の伴走ボランティアと出会ったことを機に、「障害者のスポーツ」の取材・執筆をはじめる。パラリンピックは08年北京大会から10年バンクーバー冬季、12年ロンドン、14年ソチ冬季、16年リオデジャネイロを現地で取材。著書に『いっしょに走ろっ!~夢につながるはじめの一歩』『伴走者たち~障害のあるランナーをささえる』(ともに大日本図書)など。
    公式サイト:hoshinokyoko.com

    星野氏の2014年ソチパラリンピック 現地レポートはこちら