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11.まとめ

全体として、知徳体のバランスを重んじて教育活動を進める日本と比べ、体育の存在を認めつつも(体育が教育課程にそもそも存在しない国と比べて異なるものの)、体育の重要性が、入試(詰め込み型の知育)の重要性に比して、相対的に軽んじられているというのが、現在の韓国の状況である。

では、なぜこのような実態となっている(許容されている)のか。それは、私見であるが、「体育」は「体育エリート」が専門的に行う「専門技能」(エリートスポーツ=「『専門』体育」)であるとの認識が強いためではないかと考えられる。「学校運動部」活動を持つ小学校や中学校、体育高校などのキャリアパスの整備が、そのような分業体制に輪をかけたともいえ、一般人は学業(知育)に没頭し、アスリートは運動(体育)に没頭すればよい、といういわば「分業意識」のようなものが根付いてしまっているのではないかと考えられる。キム・ヨンファ(2004)が、韓国の教育熱について分析する中で「韓国ではすべての人々が『富・名誉・権力の獲得』というたった一つの成功を志向する」と著書で指摘しているが、一般人が学業を極めソウル大学などの有名大学への進学(=「社会的成功」)を徹底的に志向するのと同様に、体育・スポーツ分野においても、「国家代表」「メダリスト」といった「社会的成功」という一元的価値観に直結する構造があって、両者(学業とスポーツ)は全く別の分野として並列している、それが現実と思われる。

教育科学技術部の担当者も、学校体育そのものが「専門体育(エリートスポーツ)」に偏った実態をある程度認めた上で、「1%のエリートを対象とした学校体育から99%の一般学生を対象にした学校体育施策への転換」に苦慮している印象を受けた。

韓国の「学校体育」の現状、特徴を俯瞰し、整理すると以下の通りである。

韓国の学校体育は、体育高校などのエリート体育のシステムを除き、全体的に、物的・人的にも、質・量とも日本と比べて充実しているとはいえない。このような中でもスポーツ強国としての地位を厳然として維持しているのは、いうまでもなく、体育高校等を中心とした、少数精鋭選抜主義のトップアスリートの養成体系が維持されているためである。

行政の体制についても、中央省庁の所管課はたびたび変遷し、人口比でも、担当する職員の人員等も少ない(日本は2課20人体制(2011年7月現在))。また、スポーツ行政と分断されている影響も見逃せない。スポーツ行政との連携システムは図られているが、学校体育行政がスポーツ行政と分離されているため、学校体育の教育行政内での発言力・プライオリティはどうしても下がりがちである。

教育課程においても、小学校や中学校などの授業時数そのものは、日本と遜色ないようにも見えるが、学校裁量の拡大や集中履修制などを受け、特に高校での空洞化は激しく、入試と関連した「体育不要論」におされ、時数通り実際に運用されていない場合も少なくない。

体力面では、いわゆる「高3プロブレム」が深刻である。高校2年をピークに、高校3年で体力が低下するのは、高3時期に運動と接する機会が少ないことを象徴的に示しているものと考えられる。

一般に韓国では、男子は18歳から30歳の間で、1年9か月~2年の兵役に従事する事が一般的であり、多くはこの間に体力鍛錬の機会等を通じて、体力を寛容することが可能であるが、女子はそのような機会に恵まれないことから、「高3プロブレム」の解決方策は容易に見つからない。

日本では、学校における体育活動において重要な部分を占める「クラブ活動」や「運動部活動」についても、韓国では、日本ほど盛んには行われていないものの、日本の運動部活動に類似した「学校スポーツクラブ」や、放課後のお稽古ごとを学校が包摂した「放課後学校」活動、自主的なサークル活動である「トンアリ活動」などが存在する。費用負担が生じるものもあれば、そうでないものもあり、これらの区分は難しい。

他方、近々施行される学校週5日制の完全施行にともない、放課後や土曜日のスポーツ活動に大きな脚光が集まりつつあるのが現状である。

このような中、政府でも、従前1%のエリートスポーツ選手養成中心であった学校体育を、99%の一般学生をメインターゲットとする方向性を志向し、前述の「学校スポーツクラブ」の育成など、様々な施策が行われている。また、韓国国会で、学校体育の振興をめざす「学校体育法」の制定が検討されている。他方、エリート選手のセカンドキャリアの観点から、特にエリートスポーツ選手の「学習権保障」に力を入れているのも、韓国的な特色といえよう。

他面、学校体育を経て、韓国国民が日常、どのような理由で運動・スポーツをするかといえば、「健康管理・維持」が主目的であり、運動を楽しむという観点からの学校体育の課題が残されていることを示唆している。

なお、時間と紙幅の関係上、韓国の徴兵制が体育の観点で韓国男性に果たしている機能(体力向上、運動機能向上など)及びそれと関連した諸機能(忍耐力や協調性等の育成・獲得など)と、韓国の学校体育が涵養する機能との分担あるいは連携の状況については、精緻な検証に至っていないことを予めお断りしたい。(特に、「忍耐力」や「強調性」などは、いわゆる日本の運動部活動を含む「学校体育」において体得することが期待される諸価値の一つであるとも言える。)今後の課題であると認識している。

以上、韓国の学校体育の現状は、日本の教育課程の特色が、まさに「知・徳・体」のバランスのある教育活動にあることを改めて再認識させてくれるものであるといえる。

ヒアリングを行った学校体育関係者たちが口々に「韓国では学校体育は等閑視されている」と寂しげに語る現状は、その教育課程の内容・量もさることながら、当該指導に携わる教員・職員のモチベーションの設定と、当該教科指導に対する保護者などのニーズやリスペクトが、教育活動実施の基盤として決定的に重要であることを示唆している。

他方、日本の学校体育にも課題がないわけではない。エリート選手育成については、両国の事情があまりに異なるため、ここでは議論は行わないが、例えば、韓国では、学校体育に限らず、ITインフラの整備・活用が進んでいる。学校体育分野においても、NEISとの連携を通じて、PAPSの結果を情報システム上で閲覧することが可能となり、その他統計データとしても積極的に利用されている。このような、データシステムの整備は、「各児童生徒の体力データ提供」という国民への行政サービス提供向上、精度の高いデータに基づく施策の立案の観点からも、必要性はますます高まっている。「教育の情報化」が叫ばれる時代、個人情報の保護に留意しつつ、より積極的なデータの利活用を図ることこそ、今後の日本の学校体育の生命力・競争力維持の基本であると思われてならない。

翻って言えば、逆に、日本は、こういった身近で親しまれる学校体育(含む運動部活動等)の存在があるからこそ、運動習慣や基礎的な運動能力・身体能力を習得・維持できているとも推察され、韓国のような「徴兵制」、あるいは「登山」のような国民スポーツがない現状では、学校体育の縮小は劇的な体力低下等を引き起こす恐れすら懸念されるのである。

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