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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

被災自治体の今 第2回 宮城県東松島市

宮城県東松島市

太平洋に面した東松島市は津波による被害が最も大きかった自治体の一つで、市内全住宅の3分の2を超える約1万1,000棟が全半壊した。

■学校体育施設の状況

学校体育施設の状況

他の被災自治体と同様に、公共施設は震災直後、避難所、遺体安置所、支援物資倉庫として使用された。第一次避難所が各学校だったことから、教育委員会ではまず学校を新学期までに開放するという方針を定め、避難者を第二次避難所に移動する計画をたてた。
市内の14の小中学校のうち8校が津波の被害を受けた。そのうち、3校は同じ場所に校舎を建てられない危険区域に指定されたため、学校の移転や統合の措置がとられた。
また早い段階から子どもたちが身体を動く場所をなくしていたため、校庭や体育館の復旧が迅速に進められた。
結果、震災から4か月後の7月からは、利用可能な体育館と校庭をまずスポーツ少年団や地域の人々の活動に開放することができた。

■社会体育施設の状況

社会体育施設の復旧状況を見ていくと、鷹来の森運動公園内の一部が震災における復興・復旧のために陸上自衛隊の拠点施設として使用され、さらに公園内の野球場はヘリポートとなったため、2011年10月まで使えなかった。現在は災害復旧が終わり、本来の目的で使われている。
市民体育館は遺体安置所、その後は支援物資の倉庫となり、1年間ほど使えなかった。このうち赤井地区体育館には1メートル40センチの高さまで津波が到達したことから床を全面改修。同じく小野地区体育館も床を張り替えたが、両地区体育館ともに現在は市民が使用できる状態となっている。武道館やテニスコートなどは災害復旧したものの、多目的運動場と野球場は市内で最も大きな仮設住宅地となり、現在でも555戸の住民が住んでいる。

海岸に近かった大曲地区体育館や奥松島運動公園は津波により甚大な被害を受け、現地での復旧は不可能のため移転復旧を行うことにした。また国より「環境未来都市」に設定されたことから、奥松島運動公園跡地にはメガソーラー施設(絆ソーラーパーク)を設置し、形を変えて跡地利用を行っている。
震災前は運動公園が4ヵ所、体育館が6ヵ所あったが、震災によって現在は使用可能な施設は運動公園1ヵ所、体育館4ヵ所に減ってしまった。

■子どものスポーツ環境の向上、アスリートたちの支援

オリンピックデー・フェスタ(2011年10月)

復興・復旧が進む一方、普段の生活から体を動かす機会が減っていった。そこで特に子どもたちが、徐々に身体を動かす機運を高めようと、各関係団体による復興支援イベントが開催されるようになった。
そうした状況下、日本オリンピック委員会(JOC)によるオリンピックデー・フェスタ(2011年10月)の第一回目を、鷹来の森運動公園で実施した。子どもから大人まで約700人が集まりオリンピアンと一緒に身体を動かし、交流を行った。

その他にも複数のJリーグ選手や、元・現役プロ野球選手、横綱白鵬関などが市を訪れ、被災者を元気づけてくれた。また同市がソフトボールの町として知られていたことから、北京オリンピックで金メダルを獲得したメンバーにソフトボール教室など様々な支援イベントを開催していただいた。こうした活動を通じて市民が少しでも笑顔を取り戻すことができたと感じている。

震災の当初は復興事業に多くの予算がかかり、スポーツに関連する予算も厳しいものがあったが、子どもたちを対象とした「幼児体育教室」や「部活動指導者派遣事業」は継続して実施することができ、スポーツ(運動)活動を通じて子どもたちの笑顔を見ることができた。

■これからの課題

さらに全国・東北規模のスポーツ大会(特にソフトボール競技)を誘致し、市内で宿泊や食事等の施設を利用していただき、少しでも経済効果につなげられるよう取り組んでいる。

同市生涯学習課スポーツ振興班の話

「課題は、行政サービスに関する市民の満足度調査で、スポーツ振興への満足度が低いこと。スポーツの力でこの満足度を震災前の状態に少しでも早く戻したい。また、これまでに全国の多くの方々からいただいた支援に感謝申し上げたい。」