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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

被災自治体の今 第3回 宮城県多賀城市

宮城県多賀城市

仙台市の北東に位置する多賀城市は、直接海岸線を有していないものの海は近く、震災時には津波の被害を少なからず受けた。被害のあった地域とそうでない地域の格差が大きいというのも特徴である。

■公共スポーツ施設の現状

公共スポーツ施設の現状の様子

市のメインアリーナである多賀城市総合体育館は、震災時には大規模災害避難所として利用された。天井などに応急処置を施して活用された体育館には、多いときで約600人が避難。避難所の運営は市の職員2人と、体育館の指定管理者であるNPO法人多賀城市民スポーツクラブの職員が協力して行った。体育館は震災から半年後の10月まで避難所としての役割を果たした。多賀城市民スポーツクラブは行政主導型で誕生したスポーツクラブで、平成16年にNPO法人を取得。多賀城市のスポーツ行政、体育施設の管理運営に深く関わり、宮城県で最も歴史のある総合型スポーツクラブとして知られている。

主なスポーツ施設の復旧状況は、市民プールが2012年の9月に工事が終了して10月から一般開放。総合体育館は2013年3月に修復工事が完了した。一方で、同クラブの指定管理施設である多賀城公園野球場は仮設住宅の用地となり、現在でも約600棟が建っている。市民テニスコートは駐車場に仮設住宅が建ち並び、利用者は総合体育館の駐車場に車を停めてから歩いてテニスコートに通うスタイルが定着している。

■多賀城市民スポーツクラブと市民スポーツ大会

市民スポーツ大会の開催・運営も市から託されているクラブの大きな事業の一つだ。震災以前は「多賀城総合スポーツ大会」という名称で、行政区対抗で7種目に順位の得点をつけ、総合得点を競い合っていた。対抗戦は盛り上がる一方で、競技性が強く「参加しにくい」という意見が少なからずあり、大会内容を見直そうとしていた矢先に震災に見舞われた。そこで震災後、12年に開いた大会は「市民スポーツ大会」と名称を変え、競技性を残しつつも、初心者が楽しめるように実施種目やルールを見直し、ソフトボール、ドッジボール、グラウンドゴルフ、卓球の4種目に絞った。ソフトボールは、中学生体育ルールを採用したため、中学生からその両親、おじいちゃん、おばあちゃんまで3世代で参加し楽しめるようになった。高齢者に人気のグラウンドゴルフも老若男女が参加できるように要項に工夫を凝らした。このようなスタイルにした結果、年配者から「地域の子どもたちの顔がわかるようになった」などの喜びの声が聞けるようになった。

できるだけ多くの人に気軽に参加してもらう工夫は、競技種目の変更だけではない。同クラブ事務局の後藤小百合さんは「基本は行政区対抗のスポーツ大会ですが、仮設住宅に入居し、震災前に住んでいた行政区を離れてしまっている人も多い。自分の地域に戻って仲間とまたスポーツを楽しみたいという話もあったので、もともと住んでいた行政区に戻って参加することも可能という形式をとりました」と話す。

■仮設住宅における活動

健康ストレッチ教室

またクラブではスポーツレクリエーション派遣事業にも取り組んだ。ところが文科省の被災地支援事業を使い、仮設住宅に出向いてスポーツ指導を行ったところ仮設住宅では、すでに様々な事業の提供がされていたため、当事業へのニーズがなく、6回予定されていたにもかかわらず、中止せざるを得ないという苦い経験をした。そこでこの反省を生かし、上から押し付けない形での人材派遣を模索。クラブに在籍している指導者から聞き取り調査をし、メニュー表を作成して、そのメニューから必要なものを選んでもらうというシステムを構築した。

「イメージとしてはレストランでメニューを見て、これが食べたいと思ったものを選ぶとそれが出てくるという感覚です。私たちが『市民スポーツクラブです』といって出向かれるよりは、受け入れやすい環境になったようです。現在ではこのような形で仮設住宅に入っています」(後藤さん)

高齢者を対象にした「健康ストレッチ教室」もクラブと仮設住宅を近づけるきっかけとなった。地区公民館とシルバーヘルスプラザで開いているストレッチ教室に、仮設住宅の住民も健康づくりを目的に参加している。

文科省の被災地支援事業を活用した、子ども対象の遊び場作り活動にも取り組んできた。放課後を利用してスポーツをして遊ぶという内容で、小学校の校長先生一人ひとりにお願いして実現させた。12年は60回開催し、2,097人の小学生が参加した。クラブだけでは人手が足りないので、ゲートボールで遊ぶときは、ゲートボール協会の助けを借りるなど地域の指導者を活用した。チャレンジスポーツ教室も子どもを対象とした事業の一つ。後藤さんは「私たちのクラブは学校開放の業務を受けている。学校開放を利用している各団体が指導者となって、毎週土曜日の午前中にスポーツ教室を開催しました。また、子どもたちがスポーツ少年団に入るきっかけにもなるので、各団体は力を入れて指導してくれています」と説明している。