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スポーツの力で日本を元気に! スポーツによるまちづくり

  • 【後半】 行政と村民一体となり村おこしを
  • 【前半】 チャレンジデーで村を元気に
行政と村民一体となり村おこしを

特産品で村おこし

須藤良美村長
渡邉:
新郷村のスポーツ振興は、村づくりの一環として取り組んでいるわけですね。
村づくりにおいてはいろいろな特産品開発にも取り組まれていますね。飲むヨーグルトや生キャラ煎餅、バジルアイスなど、流通経路と販路を開拓し、商品として評価されています。特産品開発が当たれば、雇用も生まれますし、村の活性化につながりますね。
特産品が生まれた経緯を教えていただけますか。
須藤:
飲むヨーグルトは、青森県の中では新郷村が酪農の発祥の地なので、酪農にちなんだヒット商品を考案して、村の産業に結び付けようという狙いでした。
ヨーグルトを商品開発したのは村の財団法人「新郷村ふるさと活性化公社」です。
PRのために保育所の子どもたちに「ヨーグルト姫」になってもらいました。青森県知事を訪ねて、「新郷村の特産品ですよ、どうぞ知事さん飲んでみてください」と、子どもたちも一役買って、知事もPRにご協力いただきました。大人の「ヨーグルト大使」もおります。
間木ノ平グリーンパークのイベントの様子
 
生キャラ煎餅は、もともと村の特産品の新郷黒飴と新鮮な牛乳とバターから作った生キャラメルを南部煎餅でサンドした商品で、全国的な人気を集めています。生キャラ煎餅音頭も作って、生キャラ煎餅大使の歌手に歌っていただきました。
また、民間企業が特産の長芋と村の湧水を使った「ながいも焼酎」の醸造販売に乗り出し、話題になっています。
「あらゆる農産物を利活用して村の産業に結びつけ、村民を元気にしていこう」。これが私がいつも言っている言葉です。それに応えてくれるのが職員たちですね。


渡邉:
職員や村民からのアイデアや提案を聞く仕組みがあるんですか。
須藤:
定期的に各種団体や各集落などから約50~60人が集まって、「村づくりを語る会」を開催しています。机を囲んで討論するんですが、毎回、各自が自分たちの取り組みを発表している。最初は嫌がって誰も話す人がいなかったが、今では皆んな自分たちの取り組みを自慢したくてしかたがない。そういうところからひとつずつヒット商品が出てきています。
渡邉:
「村づくりを語る会」はいつから始まったのですか。
須藤:
今年で6年目になりますね。
渡邉:
語る会が発足してから生まれた商品には何がありますか。
須藤:
生キャラ煎餅、バジルアイス、抹茶あんまん、アマランサス煎餅、自然薯、ながいも焼酎などですね。
また、08年から「きのこの里づくり」に取り組んでいます。現在、きのこの生産者は150人くらいになりました。
しいたけ栽培
 
森林に恵まれた村内には、シイタケ栽培の原木になるコナラの原生林があり、これを村で伐採して原木を供給し、各集落でシイタケを栽培しています。
当初、「きのこを作っても、どうやって販売していくのか」と言われましたが、「儲けるために作るんじゃない、新郷村は長寿の村で知られ、青森県内では男が1番、女は5番目に長生きなんだ。それを守っていくために体と頭を働かせよう、きのこを作るために山へ行き、体を動かして収穫しよう、きのこの栽培は健康長寿に最高なんだよ」と説明したんです。今では、出荷数も年々伸びていますよ。

「村づくりを語る会」

役場前の「村民誇りの大樹」
「むらづくりを語る会」
渡邉:
村長はどうして「村づくりを語る会」を始めたのですか。
須藤:
村をみんなの力で何とかしようと思いました。「村づくりを語る会」も最初はなかなか人が集まらなかったけれど、今は開催日のお知らせだけでちゃんと集まってくれますね。それだけ、みんなが元気になってきた証拠だと思いますね。
渡邉:
そうした雰囲気づくりをして、村民を盛り上げてきたのは村長のリーダーシップがあったからですね。行政と村民が一緒に村づくりを進めていく姿勢とみなさんの構想力がうまくつながっているんですね。
須藤:
新郷の村づくりは、スポーツ関係者や各種産業、または集落単位でそれぞれチームごとに取り組んでいます。各チームの取り組みに対して、一緒になって喜んであげたり、自分のことのように自慢してくれる、そういう雰囲気を作ることが行政の役割だと思います。
今はものづくり観光の方向で進んでいます。行政は口や手を出しません。「川代ものづくり学校」は地元の人たちが先生になって、地元の人たちがそばを作り、布草履を作る、煎餅をつくる。地元の人が運営し、維持管理費は村が出しています。廃校になった校舎を活用して観光客を招いて、地域の活性化につなげていますよ。
キリストの墓と「ナニャドヤラ」踊り
 
スポーツも同じだと思います。三ツ岳スポーツクラブも地域に入り込んで、村づくりに貢献しています。行政も応援していかないといけません。
キリストの墓」にちなんで、地元の女性団体が「ナニャドヤラ」という盆踊りを創作したときには、村が太鼓を買って応援しました。村づくりは、行政がこうやれ、ああやれではないんです。どうやったら地域団体が元気になれるかと、黒子になって陰ながら盛り上げていくのが行政の仕事なんですよ。
地域や団体同士がお互いに切磋琢磨して競い合って村づくりを進めてきた結果、各方面から表彰状や感謝状をいただいて、文部大臣賞もいただきました。チャレンジデーに参加した子どもたちは感激して作文を書いてくれました。こんなに子どもたちが喜ぶ姿を見ると、やってよかったと思っています。
渡邉:
子どもたちに関してですが、村では今年度から小中学校の給食費を無料化したそうですね。
須藤:
子どもたちは家族だけでなく、地域全体で守っていかなければ、地域の宝にならないんだということです。親の生活費の負担軽減と地元産の食材を使用する地産地消も兼ねています。また、養育費軽減と商店活性化のために、15歳までの260人くらいのすべての子どもに年間1万2,000円の「こども商品券」を交付しています。今年で3年目ですが、村内のお店なら何を買ってもいいんですよ。村の商店を守らないと、村民の生活にも支障がでますからね。
さらに、今検討しているのは22歳までの医療費を無料化することです。
渡邉:
そうですか。人口減少に歯止めをかけるにはやはり雇用の問題がありますね。
須藤:
新郷村はいい湧水があるので清涼飲料メーカーの工場を誘致したい。雇用の場を確保していきたいと思っています。現在はふるさと活性化公社が大きな働き場所で、30、40代が25、6人、温泉館でも十数人が働いている。特産品などで収入が上がれば、それに伴って雇用も増える。収入が上がるところには人が集まってくる。何とかそういう村を作りたいのです。大きな建物を建てれば村が元気になるわけではない。地域が元気になるために行政と村民が知恵を出し合って収入を上げ、それを再び地域に還元していきたい。10年、20年後もここで暮らす人が健康で元気でいるためには、スポーツもむらづくり施策に組み合わせて、高めていきたいと思います。
渡邉:
そうですね。課題が山積するなかで、いろいろな施策を組み合わせながら、村づくりを進めておられることがよくわかりました。いろいろな施策の一つとしてスポーツを触媒にして人と人をつなぎ、村づくり・村おこしを進めていただきたいと思います。
今日はほんとうにありがとうございました。
新郷村の村づくり
新郷村ふるさと活性化公社

●財団法人 新郷村ふるさと活性化公社

(理事長 須藤良美・新郷村長)

1933年に新郷村の農家5人で酪農組合を立ち上げ、バター製造などに着手し、青森県で初めて酪農が誕生した。その後、1956年に当時の雪印乳業の工場が操業を始め、一大酪農地帯となった。しかし、乳価の低迷で乳牛から肉用牛へと移行し、1978年には乳牛工場も撤退し、村の酪農は次第に下火になった。

1996年4月、村は酪農の再起をかけ、酪農発祥の地をPRする施設を「間木ノ平グリーンパーク」内にオープンした。自然滞在型観光レクリエーション施設として、「ふれあい牧場」や「ハーブガーデン」「体験学習館」のほか、「ミルク&ハム工房」では目玉商品の搾りたての新鮮な生乳100%を使用した「飲むヨーグルト」や「薫りたつ牛乳」「バジルアイス」、にんにくを使った「ドラキュラアイス」などがある。

「薫りたつ牛乳」は「フーデックスジャパン2013ご当地牛乳グランプリ」で金賞、「フーデックスジャパンご当地アイスグランプリ2012」で「バジルアイス」は最高金賞、「ドラキュラアイス」が金賞と優秀仰天力賞を受賞。

村では、2007年度から高齢者の生きがいづくりと地域活性化のために「きのこの里づくり」に取り組んでいる。村内の9グループ・約150人が、村が提供するほだ木でシイタケやナメコ、マイタケを原木栽培し、出荷している。公社では、乾燥シイタケのほかにも原木についたシイタケを特殊加工した「リアルしいたけストラップ」や「キリストのハッカ飴」など、村の様々な特産品を販売している。

川代ものづくり学校

●川代ものづくり学校

廃校になった川代小学校の校舎や校庭を利活用し、2012年8月に「川代ものづくり学校」として再スタートした。デザインにこだわった布草履や地元産手打ち蕎麦を作り、販売している。校庭跡には炭焼き窯が作られ、ハックルベリーを栽培している。厨房では生キャラ煎餅を製造している。

1階は、ものづくり教室(厨房・工房)、体験教室、会議室、事務室。2階は、視聴覚体験教室、学校歴史伝承庫ほか。

キリストの墓

●キリストの墓

昭和10年、茨城県磯原町(現北茨木市)にある皇祖皇大神宮の竹内家に代々伝わる“竹内古文書”から、この伝説が誕生した。竹内氏自身が新郷村を訪れた際に、このキリストの墓が発見されたと語り継がれている。キリストに関する伝記や伝聞は諸説あるが、この新郷村では「ゴルゴダの丘ではりつけの刑にあったキリストが生き永らえ、実は密かに日本に渡っていた」とされている。1936年には、考古学者の一団が新郷村に訪れて“キリストの遺書”を発見したり、考古学・地質学者の山根キク氏の著書でとりあげられたりして人々の注目を集めるようになった。現在でも、新郷村は神秘の村とされており、パワースポットとしても人気の場所である。

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