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スポーツの力で日本を元気に! スポーツによるまちづくり

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なでしこたちを輩出したまち

なでしこたちを輩出したまち

2011年の日本スポーツ界の一番のトピックスが、なでしこジャパンのワールドカップ優勝であったことは、衆目の一致するところであろう。しかし、この代表メンバー21名の中に、宇都宮市出身者が2名いたことは意外と知られていない。すなわち、FWの安藤梢(デュイスブルク所属)とDFの鮫島彩(モンペリエ所属)である。二人は市内の女子サッカークラブ、河内SCジュベニールの出身であった。

「私の時代に比べれば、多少は(女子サッカーの)環境はよくなっていたかもしれません。でも、大幅に改善されたわけでもないですね。安藤は男子と一緒にやっていた時期もあったし、鮫島は宇都宮を出て仙台の常盤木女子学園(女子サッカーの名門として有名)に進学しました。つまり、ここにはその受け皿がないんですよ」

そう語るのは、栃木SC強化部・アカデミーセンターコーチの手塚貴子さんだ。手塚さんは市内の出身。全日本ジュニアボールリフティング大会で優勝したのがきっかけで、中学から読売(現日テレ)ベレーザに入団。15歳で女子日本代表にも選出される。まだ「なでしこ」という名称が出来る以前の代表でFWとして活躍、40試合で19ゴールを記録している。そんな彼女も、地元に女子の受け皿がないために、宇都宮を離れざるを得なかったひとりだ。中学時代は毎週末、宇都宮から上野まで2時間、そこから読売ランド前まで1時間、さらにバスで通い続けた。そして高校時代からは親元を離れてしまう。大学卒業後に教員となった一時期を除き、29歳で現役を退くまで彼女が故郷でボールを蹴ることはなかった。

「それまで地元に貢献していないことに気付いて、それでNPO法人を立ち上げて、2004年にFCブランカという女子チームをスタートさせました。最初は人数がそろわなくて、フットサルをやったりしていました(笑)。もちろん、初心者大歓迎でやっていましたよ。(目的は)中学生が入りやすいチームをつくること。そこから先がないと、県外に出てしまう。地元にいても、代表を目指せるような選択肢を作りたかったんです」

FCブランカはその後、栃木SC傘下となり、2011年からは栃木SCレディースと改称した。また手塚さん自身、U-19やU-16の女子日本代表のコーチングスタッフとしての仕事が忙しくなり(2011年のAFCアジア最優秀女子コーチにも選ばれている)、チームの指導は信頼できるスタッフに一任している。それでも、いずれはトップチームがなでしこリーグに参戦し、古巣のベレーザと対戦するのが夢だという。一方で、休眠中だったNPO法人を再稼働させて、女子サッカーの普及や生涯スポーツにも力を入れているそうだ。手塚さんは瞳を輝かせながら、今後の活動の方向性について語ってくれた。

「最近、30歳以上のスクールを立ち上げたんです。ママさんサッカーというか、もちろん高校生も参加できるんですけど、サッカーに限らずいろんなスポーツを普及させていくのが目的です。JFA主催の女子サッカーのO(オーバー)-30とか40とかの大会があって、私も出たらブーイングされたんですけど(笑)、でも私だって生涯やりたいわけですから。それにいつかは、安藤や鮫島もこっちに戻ってくるかもしれない。今はそういった場は限られているけど、地元に戻ってきて『やりたい!』と思える環境をつくっていきたいですね」

故郷への誇りと愛情を投影させる存在

「とちのー葉の 風さーわやーかに 晴れーわたる 町よーいらかーよー」

グリーンスタジアムのスタンドに、栃木サポーターによる「県民の歌」が流れる。試合前、サポーターから発せられるチャント(応援歌)は、クラブによって異なる。たいていの場合、誰もが知る流行歌やヒット曲のアレンジが多いのだが、県の歌を採用しているのは栃木SCくらいであろう。地元在住のサポーターに話を聞くと、たいてい自分たちのまちを「中途半端な田舎」と感じる一方で「でも暮らしやすくて好き」と笑顔で答える。そんな彼らにとって栃木SCは、故郷への誇りと愛情を投影させる不可欠な存在となっている。

J2リーグ第37節、大分トリニータを迎えてのホーム最終戦。この日の栃木は、54分にアウェーの大分に先制されるも、すぐさま今季序盤戦の好調ぶりを想起させるような怒とうの反撃を見せる。62分、コーナーキックから赤井秀行のヘディングシュートで同点。その6分後には、水沼宏太、リカルド・ロボ、サビアとロビングによるパスがつながり、最後はリカルド・ロボの右足から目の覚めるようなシュートが飛び出して逆転に成功する。試合は2-1で栃木が勝利し、ゴール裏では威勢よく黄色い旗が振られ続けた。

もう少し勝利の余韻に浸りたいところだが、そろそろ帰りの新幹線の時間が心配だ。お世話になった広報スタッフに撮影用ビブスを返却し、そのままタクシーに飛び乗って宇都宮駅に向かってもらった。鬼怒川を越えると、しばらく暗くて寒々しい景観が続く。昼間であれば、新田さんが言うように緑の美しい風景が楽しめるのだろうが、今日のようなナイトゲームの後だと、それも望むべくもない。やがて中心街に入り、ネオンの光と餃子屋の看板が見えてきて、ようやく気持ちがほぐれた。

わずか1泊2日の滞在。それでも栃木SCが、宇都宮市民にとってかけがえのないものであり、一方のクラブもまた「生涯スポーツの普及・促進」という形で市民に寄り添おうとしていることが理解できたのは収穫であった。宇都宮が単なる「餃子の街」から、スポーツによる「生涯スポーツ促進の成功例」としても有名になる日が、近い将来訪れることを夢想しつつ、私は新幹線のシートに身を沈めた。

徹マガ
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