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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

マルクス・レーム
義足の大ジャンプが問いかけるもの

【オリンピック・パラリンピック アスリート物語】

2020.02.26

マルクス・レームの登場は、まさしく革命的な出来事と言わねばならない。健常者による一般のスポーツと、障害者スポーツとの間の境を、この義足ジャンパーは軽々と跳び越えてしまったのだ。そして彼の跳躍は、かつてない問いを世界のスポーツ界に投げかけている。

2016年リオパラリンピックの走幅跳で金メダルを獲得したマルクス・レーム

2016年リオパラリンピックの走幅跳で金メダルを獲得したマルクス・レーム

1988年、ドイツで生まれ、少年期からスポーツに親しんだ。2003年、ウェイクボードの事故により、14歳で右脚のひざ下を失ったが、2年後には義足をつけて競技に戻り、その後は陸上競技に転進。走り幅跳びや短距離走に取り組み始めた。

そこで狙いを定めたのが走り幅跳び。義足の扱いに習熟するまでには相当の苦労があったに違いないが、競技用義足を自在に使いこなすようになると、記録は着実に向上していった。障害者陸上の世界大会では、まず6m台後半を跳び、さらに7m台へと入って、自分のクラスの世界記憶を更新。2012年のロンドンパラリンピックでは7m35を出して優勝し、翌年には7m54まで自己記録を伸ばした。

驚くべき躍進が始まるのはここからだ。2013年、7m95を出して8mジャンプを視野にとらえたレームは、2014年のドイツ陸上選手権で人々の度胆を抜いてみせる。なんと8m24をマークし、並み居る健常のトップ選手を抑えて優勝を飾ったのである。義足選手が8m越えの大ジャンプをなし遂げたというニュースはたちまち世界中を駆けめぐった。各国の陸上人は異口同音に「本当か」「信じられない…」とつぶやいたに違いない。

躍進は止まらず、さらに加速した。2015年には世界パラ陸上選手権大会で8m40を出し、2018年には8m48に到達する。この数字には驚くほかない。というのも、これはまさに健常のトップジャンパーに勝るとも劣らない記録だからだ。

2012年ロンドンオリンピックの男子走り幅跳びの優勝記録は、グレッグ・ラザフォード(英国)の8m31だった。2016年リオデジャネイロ大会では、ジェフ・ヘンダーソン(アメリカ)が8m38で金メダルを獲得している。一方、国内では2019年、城山正太郎が27年ぶりの日本記録更新となる8m40を跳んで話題になった。そこで、レームだ。彼のベスト記録は、そのいずれをも大きく上回っている。要するに、この義足ジャンパーは、世界のどの大会に出ても優勝を争うだけの力を持つに至ったのである。

日本記録保持者の城山正太郎

日本記録保持者の城山正太郎

障害者スポーツは、健常者スポーツの背中をいつもはるか遠くに見ていた。義足の陸上競技は、競技用義足の改良と、それを使いこなす選手の増加に伴って飛躍的にレベルを上げてきたが、それにしたところで、いずれ追いつけるなどとは誰も思わなかったはずだ。両脚義足のスプリンター、オスカー・ピストリウス(南アフリカ)がロンドンオリンピックに出場して大きな話題になったが、記録の面からすれば、健常のトップスプリンターとは大きくかけ離れていた。障害者スポーツにとって、健常の競技はおよそ競う対象ではなかったのである。ところが、レームはその常識をあっさり覆して、一般のトップアスリートに追いつき、追い越してしまったというわけだ。誰も想像さえしなかったことを現実のものとした快挙と言わねばならない。

快挙は論議を呼んだ。かつてない出来事であるがゆえに、激しい論議が巻き起こったのは致し方ないことかもしれない。競技用義足の反発力が著しく競技力を高めているのではないかという指摘が出てきたのだ。

どの競技であれ、用具による助力が禁じられているのは言うまでもない。競泳の記録の出る水着しかり、野球の飛ぶバットしかり、である。特別な用具を使うことによって競技力に差が出るのでは、競技の大原則である公平性を保つことはできない。そんなことがまかり通れば、選手はもちろん、ファンも黙ってはいないだろう。

では、レームの例はどうなのか。それは、いわゆる「用具によるドーピング」に該当するのだろうか。

レームには、一般のトップ選手と戦ってドイツ陸上選手権に優勝した実績もある。当然、パラリンピックだけでなく、オリンピック出場にも意欲を示してきた。だが、リオデジャネイロ大会への出場はかなわなかった。「義足が有利に働いていないことを選手側が証明しなければならない」という条件を、国際陸連が出してきたからだ。それを科学的に立証するのには膨大な手間も費用もかかる。個人、あるいはその支援者だけで簡単にできることではない。調査は一応行われたが、明確な結論は出なかった。そんなわけで、オリンピック出場はあきらめざるを得なかったのである。

この経緯については疑問を感じないわけにはいかない。まず国際陸連の対応だ。科学的な証明が必要と判断したのなら、国際陸連自身が調査を手がけるべきではなかったか。それを一選手側にゆだねたのは、競技の統括組織としていささか無責任ではないか。

さらにもっと根本的な問題がある。レームの好成績は義足がもたらしたものなのかといえば、到底そうは思えないのだ。競技用義足の性能が生む若干のプラスはあっても、義足を使わなければならないことによるマイナスの方がけた違いに大きいからである。

競技用義足は年々進化しており、「板バネ」という通称名が示すように、かなりの反発力を秘めている。だが、ハイレベルな競技に取り組めるほどに使いこなすのはきわめて難しい。なにしろ一枚の湾曲した板なのである。装着して立つだけでも、慣れない者はフラフラ動いてしまうという不安定な代物なのだ。それを着けて全力疾走することが、また力強く踏み切って空中を跳ぶということがいかに困難かは、ちょっと想像するだけでもわかるのではないか。これで8mを跳べるという能力は、おそらく何千人に一人、何万人に一人にしかないだろう。

しかも、それだけの稀有な才を持ち、義足の扱いに習熟したとしても、それはスタートに過ぎない。8mを跳ぶには、そこからレベルの高い練習を息長く積み重ねていく必要がある。そうした難しさからすれば、少々の反発力など、ごくわずかな要素でしかない。全体を考えれば、それが大きな助力にも顕著な有利さにもなっていないのは自明だろう。

レームは、健足より反発力の強い義足をつけているから強いのではない。競技用義足を使いこなすという難題を乗り越えたうえで、健足のトップジャンパーと同様の練習をこなしてきたから、これほど強くなれたのだ。脚を切断した者が競技をしようとすれば、義足を使う以外に方法はない。その過酷な条件を受け入れ、困難を乗り越えて、一般の競技者をしのぐほどの練習を続けてきたからこそ、彼は8mを跳べるのである。なのに、義足にいささかのプラスが含まれているからといって、それだけを理由にしてオリンピックから閉め出すのは不合理ではないか。

これはスポーツ界が初めて出合った出来事である。ピストリウスの例があったとはいえ、義足選手が健足選手を上回るという状況はかつてないことだ。ならば、従来の細かい規則だけを振りかざすのではなく、まったく新しい問題として取り組み、全体状況を分析し、考慮したうえで、そのケースにふさわしい判断を下すべきだろう。国際陸連をはじめとするスポーツ界はまだ、このかつてない問題に対して真正面から向き合っていないのではないか。

レームの登場は世界中の義足アスリートに強い刺激を与えた。いずれ第二、第三のレームが出てくる。そうなれば対応は待ったなしだ。国際スポーツ界は、すべての関係者たち、すなわち健常、障害双方の選手や競技団体、また多くのファンを納得させられるだけの合理的かつ説得力ある答えを用意しておかねばならない。

ところで、オリンピックとパラリンピックをめぐっては、こうした声をしばしば聞く。「この二つをひとつの大会にすべき」という論だ。だが、これは、双方がそれぞれに持っている意義や意味をわきまえていない、ちょっと焦点のずれた考え方だと思う。両者の基本的な方向性が異なっているのは、あらためて指摘するまでもない。世界の若者を集めて平和に寄与するためにつくられ、その後は最高峰の技と力を競う場となってきたオリンピック。一方、パラリンピックは障害のある人々の社会復帰促進の一環として始まり、多くの障害者がスポーツに取り組める環境を実現するための舞台として発展してきた。それぞれに深い意義があり、それぞれに違う魅力を持った二つの大会。それを、木に竹を接ぐような形でひとつにする必要などないと思う。

スタート風景

ただ、障害者スポーツの発展は思いもよらない状況をさらに生むのかもしれない。いまのところ、レームは例外中の例外だ。だが、時代が進めば「例外」が増えてくる可能性もある。障害者スポーツと、一般の健常者スポーツとの関係に、まったく新たな状況が生まれるかもしれない。

レームという競技者の出現は、来るべき変化を、そのジャンプを通して我々に示唆しているのかもしれない。

そしてもうひとつ、このこともあらためて考えるべきだろう。「障害とは何か」「健常者と障害者の違いとは何なのか」。マルクス・レームの大ジャンプは、そんな根源的な問いをも、この社会に突きつけているように思える。

2020年東京パラリンピックにレームはやって来る。リオ大会での優勝記録は、2位におよそ1mもの差をつけた8m21。東京でのパラリンピック三連覇は間違いないだろう。直前のオリンピックの優勝記録を上回る可能性も十分にある。これを見逃すわけにはいかない。東京でのマルクス・レームの跳躍は、その一本一本が、そのまま新たな歴史の扉を開くものとなるはずだ。

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スポーツ 歴史の検証
  • 佐藤 次郎 スポーツジャーナリスト

    1950年横浜生まれ。中日新聞社に入社し、同東京本社(東京新聞)の社会部、特別報道部をへて運動部勤務。夏冬6 回のオリンピック、5 回の世界陸上選手権大会を現地取材。運動部長、編集委員兼論説委員を歴任。退社後はスポーツライター、ジャーナリストとして活動。日本オリンピック・アカデミー(JOA)正会員。ミズノ・スポーツライター賞、JRA馬事文化賞を受賞。著書に「東京五輪1964」(文春新書)「砂の王 メイセイオペラ」(新潮社)「義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦」(東京書籍)「オリンピックの輝き ここにしかない物語」(東京書籍)「1964年の東京パラリンピック」(紀伊国屋書店出版部)など。