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国際情報

Sport News Australia

2015年06月23日

2000年シドニー大会を契機として生まれた無形レガシー:
オリンピックパーク以外のスポーツレガシーの成功事例

はじめに

オリンピックやパラリンピック開催を契機として建設されたスポーツ競技施設などは有形のレガシーであり、いわゆるハードレガシーである。一方、無形のレガシー、いわゆるソフトレガシーの例としては、教育・知識・記憶・体験といったものがあげられる。有形・無形の捉え方、ハード・ソフトの捉え方は、レガシー研究者によって若干異なる部分もあるが、共通する論点として、有形(ハード)レガシーだけに着目するのではなく無形(ソフト)レガシーの重要性を認識し、有形のレガシーと同様に無形のレガシーについても早くから計画をたてることが重要であるということが指摘されている。このようなことから、今回は2000年シドニー大会の招致・開催をきっかけに生まれた無形のレガシーについて、特に現在まで続いている長期的なスポーツレガシーに着目して紹介したい。その理由は、オリンピック・パラリンピック大会がスポーツイベントであること、また、近代オリンピック復興のモチベーションがスポーツを通じた人間形成であり、それがひいては平和な社会・より良い社会づくりにつながると考えられていたからである。

前回はシドニーオリンピックパークに着目した有形・無形のレガシーを紹介したが、今回はその他のスポーツレガシーを紹介する。特に、スポーツの価値に焦点をあてたプログラムや、社会的効用という観点から一般の人(子どもから大人まで)を対象としたプログラムとして、「ピエール・ド・クーベルタン賞」「ASPIRE」「シドニーマラソン」の3つを取り上げる。

1.ピエール・ド・クーベルタン賞

ピエール・ド・クーベルタン賞は、シドニーオリンピックの招致活動を盛り上げるため、ニューサウスウェールズ(NSW)州の学校教育省が1992年に立案したプログラムである。高校生を対象にスポーツと芸術、スポーツマンシップに優れた生徒を表彰するというもので、近代オリンピック創始者のピエール・ド・クーベルタン男爵の思想に従って、スポーツの価値とスポーツ実施の向上に焦点が置かれている。クーベルタン男爵の名前を冠するにあたって、オーストラリアオリンピック委員会(AOC)を通して国際オリンピック委員会(IOC)と国際ピエール・ド・クーベルタン委員会から承認を得て、1993年から実施されている。当初はNSW州の高校だけで実施されていたが、徐々に全国展開されるようになった。ピエール・ド・クーベルタン賞の第1回授賞式は1993年6月に行われたが、その3ヵ月後に2000年シドニー大会の招致が決定するというタイミングだった。ピエール・ド・クーベルタン賞は2012年には20周年を迎え、20年間の受賞者は累計で1万2,700人以上に達した。その中には後にオリンピック選手になった生徒もいる。このように、ピエール・ド・クーベルタン賞はオリンピック教育とも連動し、長きにわたってオリンピックの理念を実践する若者を育てることに貢献しているといえるだろう。この賞は、IOCのオリンピック・ソリダリティーから資金援助を受けて開催されている。

ピエール・ド・クーベルタン賞に関する報告書

2.オリンピックの価値「ASPIRE」

オリンピック招致が決定すると、AOCはオリンピック教育プログラムの一環として、国内独自のオリンピックの価値※1を1995年に開発した。「Attitude(取り組む姿勢)」「Sportsmanship(スポーツマンシップ)」「Pride(自尊心)」「Individual responsibility(責任感)」「Respect(敬意)」「Express yourself(自己表現)」の6つの価値である。それぞれの頭文字をとって「ASPIRE」と名付けられたこのプログラムは、小学生を対象とし、小学校の先生向けに教材を作成して2000年シドニー大会に向けて全国の小学校に配布された。今では国際的にも知られるようになった「ボクシング・カンガルー」をメインキャラクターとして使い、子どもたちにオリンピックの価値を教えるとともに、オリンピック教育という視点だけではなくプログラムを通じた学習能力・運動能力の向上も念頭に置いて全国展開された。

ASPIREプログラムは2000年シドニー大会開催後も続いている。2006年には「a.s.p.i.r.e.スクールネットワーク」としてネットワーク化が進められ、小学校の先生たちにオンラインで教材や情報を提供するようになった。オンライン化はその後も進められ、オリンピック・パラリンピック選手と子どもたちがチャットをしたり、子どもたちがビデオクリップを投稿するなど、時代に合わせてプログラムの提供形態は変化してきている。選手たちはオリンピックの価値を実践するロールモデルであり、子どもたちとの交流を通してその実践的価値を伝える役目を担っている。

オーストラリアの「a.s.p.i.r.e.スクールネットワーク」の取り組みは、IOCのオリンピックの価値教育プログラム(Olympic Value Education Program:OVEP)に関するWebサイトでも紹介されている※2

3.シドニーマラソン

元々、シドニーローカルのランニングイベントとして存在していたものを、2000年シドニー大会のテストイベントとして1999年に「開催都市マラソン(Host City Marathon)」という名称で規模を拡大して開催、それがきっかけとなって、2000年シドニー大会開催後は陸上競技連盟(Athletics Australia)がイベントオーナーとなって毎年開催するようになった。前回紹介したオーストラリアン・ユース・オリンピック・フェスティバル(Australian Youth Olympic Festival:AYOF)も2001年から始まったイベントだが、AYOFが青少年エリート選手育成に焦点が置かれていたのに対し、シドニーマラソンは誰でも参加できる市民参加型の唯一のレガシーイベントであった。シドニーマラソンはシドニーオリンピックの開会式が行われた9月中旬に毎年開催されている。フルマラソンのコースは、当初はシドニーオリンピックのマラソンと同じコースだったが、交通規制の状況や国内外からの参加者数の増加などに伴うイベントマネジメントの観点からコースの見直しが何度か行われた。また、冠スポンサーの変更や大会運営をイベントマネジメント会社に委託するといった見直しも行われた。その結果、参加者数は当初の約7,500人から現在は約3万5,000人規模へと成長している。

国際的にはシドニーマラソンとして知られているが、現在の正式名称は「Blackmores Sydney Running Festival」である。フルマラソンの他、ハーフマラソン、ブリッジラン(約9km)、ファミリーファンラン(約3.5km)があり、車椅子の部もある。子どもから大人まで、エリートランナーからジョガーまで参加できるイベントである。オリンピック・パラリンピック大会の主要テーマの一つであるスポーツを通じた観光振興という観点から、ハーバーブリッジを走り抜けオペラハウスにゴールするなど観光名所を通るコース設定をしている。また、地域社会への還元という観点から、チャリティー活動をいち早く取り入れ、国内の恵まれない子どもたちへの寄付も行っている。

シドニーマラソンでハーバーブリッジを走るランナー

おわりに

2000年シドニー大会が契機となって生まれた無形のレガシーとして、国際的にも認知されている長期的なスポーツレガシーを3つ紹介した。今では成功事例としてあげられるが、それぞれが課題を抱え、見直しを行うことによって拡大・成長してきた。成功事例に着目し、その詳細を見ていくことは、2020年東京大会に向けて無形のレガシーを築いていく参考になるのではないだろうか。オリンピック・パラリンピック開催を控え、国際的に注目される中、日本発のオリンピック教育プログラムやスポーツ振興プログラムが国際的に認知されるようになればと願っている。また、2020年に向けてオリンピック・パラリンピック大会への国民の関心を高めるためには、より多くの人が参加意識をもてるようなプログラムを展開していくことも必要ではないだろうか。2020年をゴールとせず、2030年あるいはもっと先の日本の姿、こうありたいという姿を実現するための長期的なレガシーを計画していくことが重要である。

2015年4月に拠点を日本に移しました。オーストラリア在住10年の間に学び実際に体験した2000年シドニー大会のレガシーとスポーツ政策、スポーツ関連情報を引き続きお伝えしていきます。どうぞ今後ともよろしくお願いします。

※1:IOCのオリンピックの価値とは異なる独自の価値を開発した。IOCのオリンピックの価値は「Excellence(卓越性)」「Friendship(友好)」「Respect(敬意)」の3つである。

※2:IOCは2005年からオリンピック教育プログラム(OVEP)の作成に着手し、オリンピック・ムーブメントの教育的価値として「pursuit of excellence(卓越性の追求)」「joy of effort(努力することの喜び)」「fair play(フェアプレー)」「respect for others(他者への敬意)」「balance between body, will and mind(心体知の調和)」をあげ、この5つの価値に基づいた教育ツールを開発している。OVEPの一環として各国のオリンピック教育の事例を収集し、成功事例をIOCのWebサイトやドキュメントで紹介している。

参考文献

  • Athletics Australia. (2001). Annual Report 2000-2001. Melbourne: Athletics Australia.
  • Australian Olympic Committee (AOC). (2010). AOC Annual Report 2009. Sydney: Australian Olympic Committee Incorporated.
  • Australian Olympic Committee (AOC). (2011). AOC Annual Report 2010. Sydney: Australian Olympic Committee Incorporated.
  • Australian Olympic Committee (AOC). (2012). AOC Annual Report 2011. Sydney: Australian Olympic Committee Incorporated.
  • Australian Olympic Committee (AOC). (2013). AOC Annual Report 2012. Sydney: Australian Olympic Committee Incorporated.
  • Blackmores Sydney Running Festival. (2013). Kenyan Willy Koitile wins the 2013 Blackmores Sydney Marathon. Retrieved from http://www.sydneyrunningfestival.com.au/general/news/kenyan-willy-koitile-wins-2013-blackmores-sydney-marathon
  • Brownlee, H. (2002). Sharing the Spirit: The involvement of school students in the 2000 Olympic and Paralympic Games, Sydney. Sydney: Australian Olympic Committee Incorporated.
  • International Olympic Committee (IOC). a.s.p.i.r.e. School Network. Retrieved from http://www.olympic.org/australia-aspire-initiatives
  • Magnay, J. (2002, September 11). Marathon may be on its last legs. Sydney Morning Herald. Sydney.
レポート執筆者
本間 恵子

Correspondent, Sasakawa Sports Foundation

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