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国際情報

Sport News United States of America

2015年07月28日

ボストン・マラソン Vol.1 市民のお祭り

前回のレッドソックスに続き、マサチューセッツ州のスポーツ事情として、今回はボストン・マラソン(Boston Marathon)について報告する。こちらも歴史が長く、1897年に第1回が開催された。2013年4月、第117回大会の最中に起きた爆弾テロ事件の後も大会は途切れることなく続き、2015年4月には第119回大会が開催された。今も続く年1回のマラソン大会としては世界で最も長い歴史をもつという。ロンドン・マラソン、東京マラソンなどと並んでWorld Marathon Majorsの一つであり、世界中のランナーからは、「あこがれの場所」「選ばれし者のマラソン」などと評される。この一大スポーツ・イベントの今の姿を、第一部では、ランナーとして、そしてボランティアとして参加した方々の声も紹介しつつ、「市民のお祭り」としての側面を報告する。続く第二部では、「数字で見る最古のマラソンの今」と題し、さまざまな関連統計も交えて報告したい。

春の風物詩

ボストンの冬は長い―。しかし、4月も中旬になると、厳しい寒さと雪の季節がようやく終わりを迎え、木々の緑と鮮やかな花の色が街に戻り出す。小鳥はさえずり、リスも跳びはねる。市民からMarathon Monday(マラソンの月曜日)とも呼ばれる4月の第三月曜日(Patriot's Day)に、まるで春の訪れを祝うかのように、ボストン・マラソンはスタートの号砲を鳴らす。

このMarathon Mondayには、多くの職場も休みになる。42.195km、計8市町にまたがる一本道のコースには、スタート地点のホプキントンからゴール地点のボストン中心市街に至るまで、沿道に多くの市民が駆けつける。観衆の数は推計50~100万人。植物や小動物だけではない、ヒトも外に飛び出して日光を浴びたい季節である。「市民のお祭りなんです」とは、ボストン在住13年で、ボランティアとして2004年から大会の運営を支えるレヴィン松子さんの言葉である。「特にマラソンは長い距離を走るので家の近くで観戦できる丁度いいスポーツ」だとも語る。筆者もボストンに来て一年目は、観衆としてこの「お祭り」に参加した。ボストン・マラソンの応援は、とにかく賑やかで楽しい。ここはアメリカ、一番よく聞こえる音は「フォーゥ!」という歓声(雄たけび?)である。カラン、カランとベルを鳴らし、「よくやった!あと少しだ!」と声をかければ、「ありがとう」と返すランナーも。そして手を伸ばせば、ランナーとのハイタッチ。エリート・ランナーは別として、とにかく観衆とランナーとのコミュニケーションが豊富である。(ちなみに「Kiss me!」と書いたボードを掲げるウェルズリーの女子大生たちとの熱いコミュニケーションも有名である。)太鼓を叩いてランナーを鼓舞するアジア人女性グループは、日本のマラソンや駅伝を彷彿させる。カジュアルな雰囲気で、皆が思い思いの関わり方を楽しむのがボストン流のようだ。

ブルックライン(38km地点)での応援風景

ランナーと市民がつくる一体感

こうしたランナーと観衆(市民)との間の一体感は、レース中に限った話ではない。ボストンにあるダナ・ファーバーがん研究所に勤める戸上勝仁さんは、渡米を機に2015年、ランナーとして初めてこの大会に参加した。参加資格タイムの制限が厳しく(後ほど紹介するように、寄付金により正式に参加資格を得る方法もある)、多くのランナーがあこがれるボストン・マラソンは、「一度は走ってみたい」大会だったという。念願の大会参加で自己記録を更新するため、大会前はしっかりトレーニングを積み、コンディションを整えて大会に臨みたいところだ。しかし、冒頭述べたように、大会前のボストンは長い冬が続いている。地元から参加する多くのランナーを悩ませるのが、冬場の練習である。雪が降り、気温が氷点下となる中で、多くのランナーがトレーニングや調整を行っている。外に出るのも億劫な日に、歩道をランナーが駆け抜けていれば、大会参加者が練習しているのだろうと地元住民の目にも映る。「Good job!」と声をかけ、手を叩き、ランナーを励ます人もいる。大会も近い週末になると、コースとなる道路の脇にブースが設置され、給水やエナジー・ジェルの提供を行う団体が出てくる。大会スポンサー企業などが行っているもので、練習中のランナーにはありがたい。

第119回大会を走る戸上さん(左)とゴール直後の様子(右)

大会関係者ではない人も含めて、多くの地元住民が当日以外も盛り上げてくれる。日本のマラソン大会にも参加してきた戸上さんは、こうした地元住民との一体感は、これまでに感じたことのないものだったと言う。今年は筆者と妻も、フルマラソンの2日前に開催される5kmの部に参加した。当日までの練習で、雪の降る中、妻が一人で走っていると、散歩していた高齢の男性が手を叩いて応援してくれたという。長距離走初心者の妻は、寒い冬で「心が折れそうだったけど、嬉しかった」と語る。街全体がランナーを歓迎する環境であることは、日常的に運動に親しむ人を増やす上でも重要だろう。ボストンではとにかくランナーをよく見かける。

なお、冬場のボストンを乗り切る上で、防水性・保温性のあるシューズや、インドア・トラック(屋内練習場)を利用することがポイントだったと戸上さんは振り返る。しかし、ストーム直後、膝上まで雪で埋まってしまい歩くのも辛いような中、外でトレーニングをしたこともあったそうだ。戸上さんがボストン市のチャールズ川沿いを走って(歩いて)いると、同じように正面から走って(歩いて)くるランナーがいたという。その時は、お互いに嬉しくなり「Have fun!(楽しもう!)」と声をかけあったそうだ。ランナー同士のコミュニケーションが活発なのも、アメリカのお国柄だろう。筆者も5kmの部で、大会中に走りながら自己紹介し合っておしゃべりを始めた女性ランナーたちを見かけた。

ボランティアとして「市民のお祭り」を支える

ボストン・マラソンには、計7,000人ものボランティアが大会運営に関わっている(2007年大会、The Boston Globe)。たとえば、ゴール前の給水ポイント担当になると、午前8~9時には集合し、午後5時頃の解散まで作業が続く。決して楽な仕事ではない。しかし、こうした多くの人の支えなしには、100年以上も続く大会の実現は不可能である。先に紹介したレヴィン松子さんに、改めて、なぜボランティアとして大会に関わっているのか、その動機を尋ねた。

ボストンに来て初めの2年ほどは、観衆として大会を楽しんだそうだ。ランナーとして自らマラソンを走るのは「とんでもない」とのことだったが、プラカードを持って、ベルを鳴らして、ランナーに声をかけてという市民のお祭りを楽しむ雰囲気が気に入り、もっと楽しむ方法を考えた。結果、ボランティアとして大会の中に入り込んでしまうことを思いついたという。ボランティアを始めて数回目からは、日本語を教えていたNortheastern大学の生徒たちとグループで参加した。今でも、年に1回の恒例行事として、ボストン近郊に残る卒業生らとボランティアを続けている。その様子は、恩師を囲む同窓会のようにも映る(写真)。やはりボランティアとして関わることも「楽しい」と語るレヴィンさんだが、市民として大会に貢献したいという思いも活動の継続を支えている。

「お祭りですから市民として参加するのは当然ですし、何よりみんなで一緒に盛り上げようとする力の一つになりたいんです。走る人がお祭りの立役者なら、彼らを支えてお祭りをより円滑に運び、より楽しめるものにする裏方は市民の役目と思います。朝早くから沿道にイスを並べて待っている老人たちや、何時間も道端に立つ多くの市民を見ていると市民全体が協力的でお祭りを楽しんでいることが伺えます。私のようにお祭りの運営に携わる人も必要ですが、沿道で旗を振り、声を張り上げて応援する観客もお祭りには欠かせないものです。お祭りはお金をもらって参加するものではありませんね。だからボランティアでするんです。一緒に楽しみたいから参加させてもらうんです。」

給水ポイントでボランティアをするレヴィン松子さん(左)と一緒に参加した大学の元教え子たちとの記念撮影(右)

「本当にボストン・マラソンは市民のお祭りです。ボストン市民の誇りである伝統のお祭りです。市民が支えなくて誰が支えますか。ですから、そのお祭りを爆破した人を許せない市民感情はよくわかります。皆が楽しむお祭りを壊すのは市民の敵です。私もボストン市民としてお祭りに参加できることを誇りに思っています。」

ボストン・マラソンが市民によって創り上げられる「ボトム・アップ型」のイベントとして世界でも独特の価値を有していることは、作家でランナーとしても有名な村上春樹氏も、ボストン・マラソン爆破事件の被害者に宛てた追悼文の中で述べている(Murakami, 2013)。

ボランティアは原則として無償で行われるものであるが、主催者であるBoston Athletic Association(B.A.A.)は、航空会社JetBlueとのスポンサー契約10年目を記念して、特に貢献度の大きい10人のベテラン・ボランティアを表彰した(Boston Athletic Association)。記念品として贈呈されたのは、JetBlueの往復航空券である。表彰されたボランティアの中には、大会のプレス・エリア(取材関係)を指揮するWalter Coffey氏も含まれている。B.A.A.会長の紹介文によると、Coffey氏は、25年以上同じ場所で大会をボランティアとして支え続けながら、一度もレースを見たことがないという。持ち場のプレス・エリアがあるホテルから一歩も外に出ることが出来なかったため、多くの大会関係者に知られることもなかった。Coffey氏の貢献は、真のボランティアリズムを体現していると紹介されている。

>続きは、次号「ボストン・マラソン Vol.2 数字で見る最古のマラソンの今」へ

参考文献

※本稿は、日本学術振興会海外特別研究員制度による研究の一環としてまとめたものである。

海外研究員
鎌田 真光

Postdoctoral Research Fellow
Brigham and Women's Hospital, Harvard Medical School

Correspondent, Sasakawa Sports Foundation

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