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政策提言

提言6 キャリア形成支援により、アスリートが安心できるスポーツ環境を整備するべき

文部科学省「トップレベル競技者のセカンドキャリア支援に関する調査研究事業報告書」(2008)によると、引退後について具体的に考えている(公財)日本オリンピック委員会(JOC)の強化指定選手、オリンピアンは約3割であった。一方、セカンドキャリア支援に割く時間がないと考えている指導者が約5割にのぼる。こうした現状を反映してか、約8割のアスリートが国によるセカンドキャリア支援体制の整備を求めている。アスリートが競技引退後の生活に不安を感じ、それを相談できる環境の必要性を求めていること、また、それをサポートする指導者にも支援に割く時間や余裕がないという状況が浮き彫りとなった。

一方、諸外国では、トップアスリートのセカンドキャリアを、アスリートの育成・強化の一環として位置づけた上で、それを支援する取り組みがすでに行われている。イギリスでは、アスリートのライフスタイルに潜む競技生活におけるネガティブな側面と、競技生活外の教育などのポジティブな側面のバランスをうまく取るためのサポート制度「パフォーマンス・ライフスタイル(Performance Lifestyle:PLS)」と、PLSを提供するための認定資格として「UKスポーツ・アドバイザー制度」を導入し、ライフスタイルのサポート、仕事に就くためのサポート、教育に関するアドバイスなどを行っている。また、オーストラリアでは現役アスリートとコーチに対して、アスリートが競技生活を行いながら勉強や仕事などのほかの活動を行うことや、それらに目を向けることの重要性を教えるために「A.C.E(Athlete Career and Education)プログラム」を導入している。

■「ライフスキル教育」の導入

日本でもセカンドキャリアについては早急な支援体制が求められているが、なによりも、現役アスリートがキャリア形成を意識する上で欠かせないのが「ライフスキル教育」という概念である。ライフスキルについては、1993年に世界保健機関(World Health Organization:WHO)が、「日常生活で生じるさまざまな問題や要求に対して、建設的かつ効果的に対処するために必要な能力」と定義している。たとえば、具体的な要件としてWHOがあげている「批判的思考(クリティカルな思考)」は、次から次へと入ってくる情報に対して、客観的な視点によって、「是非」「善悪」「公正」などの評価を与え、取捨選択を行う能力であり、実社会でも求められる能力である。こうした対処能力は、競技力向上に専念するだけでは当然得にくいものである。WHOが定義した能力をもとに、学識経験者、アスリート、生涯教育やキャリア教育の専門家など多分野の意見を取り入れ、日本のスポーツ環境や教育環境などを鑑みたうえで、アスリートが競技の第一線から退いた後も、スムーズに実社会に溶け込めるように、日本独自のライフスキルプログラムを作成し、少年期から習熟する体制を構築することが求められている。

(公財)日本体育協会(日体協)、JOC、(公財)日本レクリエーション協会、(公財)日本中学校体育連盟、(財)全国高等学校体育連盟などの統轄団体は、行政と中央競技団体の協力のもと、スポーツ指導の現場にライフスキル教育を導入し、スポーツ少年団世代から学校運動部活動にいたる義務教育期と青年期において、すべての子どもがスポーツを通じてライフスキルを学ぶ機会を確保するべきである。

図表3-5 ライフスキル教育を推進するためのシステム

ライフスキル教育の具体的施策については、4点があげられる。

(1)ファシリテーターの養成

優れた素質をもち、競技力の開発に専念してきたアスリートの中には、自身が積み上げた能力やスキルを積極的かつ効果的に活用する術を有していない者もいる。能力資源としての活用を意識させ、社会における有能な専門的人材だと認識させるためのファシリテーターの存在が必要になる。ライフスキルを習得した指導者や教員などがその役割を担い、幼年期から定期的に接することで、キャリア形成が身近なものになってくる。

(2)フォローアップ制度

全米大学体育協会(National Collegiate Athletic Association:NCAA)では、学生アスリートは、Student Athleteと呼ばれ、規定の単位修得、授業への出席状況の要件を満たさないと競技会への参加が認められない規則がある。学生アスリートは、学生でありかつスポーツ選手であることから、本分である学業と両立できない者には、参加機会を与えないのである。これを参考にして、日本の大学においても、スポーツ推薦入学者へのフォローアップ制度の導入がなされるべきである。スポーツ推薦を受けられるほど優れたアスリートであっても、学生である以上、勉学とスポーツの両立は求められるべきであり、所属する大学はスポーツ推薦入学者の動向を注視する必要がある。たとえば、中央競技団体が全国大会への出場選手の登録要件に一定の学業評価基準を要求することで、学業とスポーツを両立する学生アスリートのロールモデルを確立することは難しいことではない。学生アスリートが社会から尊敬の対象となることは、子どもたちの目指すべきキャリアパスのひとつとなるだけでなく、大学側にとっても、学業とスポーツの両立を目指す大学としてのイメージアップにもつながる。

(3)アンバサダー能力訓練(仮称)

各競技団体において、日本代表に選出され、国際大会での活躍が期待されるトップアスリートについては、日本代表としての意識形成を行い、対外的なスポーツ交流をはじめ、日本の象徴として広報的役割を習得する「アンバサダー能力訓練(仮称)」を導入するべきである。ここでいうアンバサダー能力訓練とは、日本を代表する貴重な人材であるトップアスリートがスポーツ交流を通じて行うアンバサダー活動(国や地域、スポーツ団体などに対して、対外的な交流で国際親善に寄与する活動)を足がかりに、ネットワークを広げ、外交、教育、政治、文化などの分野においても、活躍できるリーダーとしての素養を育む訓練を指す。

(4)指導者表彰制度

現在、(財)日本サッカー協会が独自の表彰制度として代表選手を育てた指導者を表彰する「ブルーペナント」制度を創設している。その対象を他競技に適用させた上で、オリンピアンだけではなく、スポーツ界に自身の経験を還元するなど社会に貢献した人材を育てた指導者にスポットライトを当てる。これにより、育成世代の指導者に対する社会的地位の向上、育成期からの勝利至上主義に基づく指導への警鐘にもつながる。

■「アスリート年金」の創出

ほとんどのアスリートは現役引退後、新たな人生の選択として、競技生活とは無関係のキャリア形成が求められる。人生の一時期を競技に専念したとしても、それが一生涯のキャリアを考慮した際に、足かせになるのは極力避けるべきであり、逆にメリットとなるような体制の整備が不可欠である。

スポーツ立国戦略において、「引退後のトップアスリートの能力を社会全体で有効に活用できるよう、キャリア形成奨励金を一定期間支給し、大学院進学等を支援する」としているが、それに加えて、元アスリートが効率的にかつ継続的に自身の習得スキルを社会に還元できるシステムとして、活動する元アスリートの最低限度の生活を保障した「アスリート年金」の創設を一連の引退後のアスリート支援策として提案したい。

この提案にあたり、本項では、現役終了後から、次の人生を歩みだすまでの期間を「トランジション期」と定義する。トランジション期において、キャリア形成奨励金を一定期間支給するが、その支給要件を事前に提示した上で、要件を満たせなかった者については、返金を義務づけ、さらには、国の補助である以上、国民への情報開示も徹底する必要があると考える。具体的な対象プログラムとしては、アスリート自身が蓄積してきたテクニカルスキル、メンタルスキルを言語化して伝える「アスリート伝達能力訓練(仮称)」の受講、スポーツ指導者資格だけではなく、社会で能力を発揮するための検定試験や国家試験のような資格の取得、国内外の大学、大学院への進学などがあげられる。

習得した能力やスキルを地域スポーツ振興や子どもたちの啓発活動など、スポーツを通じた社会貢献活動に関わる者には、アスリート年金を支給する。受給要件としては、元トップアスリート、ライフスキル教育習得者、アンバサダー能力習得者、中央競技団体からの推薦の条件をすべて満たした者で、指導者資格を取得して地域スポーツの振興に貢献している者、アスリート伝達能力訓練の履修者でそれを社会に還元している者、中央競技団体の専門職スタッフとして勤務している者のいずれかである。なお、専門職スタッフについては、現場の声を拾い、団体の施策に反映する業務を始め、元トップアスリートとしての経験を最大限に活かせる者を対象とする。財源としては、アスリート年金のための基金を設立し、国の予算だけではなく、民間からの資金を加えて積み立て、それを運用していくことが考えられる。

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