• ビョルン・ダーリ クロスカントリースキーの「王者」

     史上最高のクロスカントリースキー(距離スキー)選手といえば、ビョルン・ダーリをおいて他にいない。「距離王国」ノルウェーの主軸として頂点に立ち続けた1990年代、冬季オリンピックの3大会で金メダル8個、総メダル12個を手にし、最多記録を更新した実績だけではない。スケーティング走法によって新しい時代に入った距離スキーの第一人者として長く活躍し、世界選手権やワールドカップ(W杯)でも「王者」として君臨した。

    執筆者:三木 寛史 View more
  • スピードスケート全種目制覇─エリック・ハイデン

    スピードスケート史上、オリンピックの全種目制覇は1964年インスブルック大会で女子4種目を制したリディア・スコブリコーワ(ソ連=当時)とハイデンの2人しかいない。近年は種目ごとに専門化が進んでおり、ハイデンを超える選手は将来も現れないだろうといわれている。

    執筆者:小林 伸輔 View more
  • 幸運の三冠王、キリー

    24歳でグルノーブル冬季オリンピックに臨んだフランスのアルペンスキー選手、ジャンクロード・キリーこそ、この大会のただ一人と言っていいヒーローである。当時3種目だけだったアルペンの滑降、回転、大回転を全て制した。

    執筆者:小沢 剛 View more
  • 「白銀は招くよ」アルペン3冠王、トニー・ザイラー

    「雪と氷の祭典」に燦然と輝く偉業が達成されたのは、今から60年以上も前の1956年のことだった。舞台は2026年冬季オリンピックの会場にもなるコルティナダンペッツォ。イタリアで初めて開催された冬季オリンピックで、20歳のトニー・ザイラーがアルペンスキーの男子の滑降、大回転、回転の3種目全てに圧勝し、史上初の「3冠王」となった。

    執筆者:江波 和徳 View more
  • 日本複合陣という宇宙人たち

    ノルディックスキー複合団体の表彰式で金メダルを授与された後、シャンパンファイトで喜びを爆発させる姿に古いスポーツ関係者は眉をひそめた。しかし「仲間のために」という伝統的な価値観を大切にしながら、物怖じせずに世界のトップ選手と渡り合う姿に日本の新しいスポーツ選手像を見る人は少なくなかった。ヨーロッパの新聞がまず「宇宙人」と表し、それが日本に流布して彼らは「宇宙人」「新人類」と呼ばれた。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • マセソン美季のI'mPOSSIBLE

    金メダリスト、マセソン美季がとくに深く関わったのが、国際パラリンピック委員会の公認教材『I'mPOSSIBLE(アイム・ポッシブル)』の制作だ。『I'mPOSSIBLE』は「不可能(Impossible)という単語に、アポストロフィ(')を加えた造語で、「私はできる」という意味がある。「できないこと」ではなく、「どうすればできるようになるか」を考え、行動できる子ども達を増やしたいという想いが込められている。

    執筆者:星野 恭子 View more
  • 「あと一歩」まで道を切り開いた北沢と黒岩
    ─日本のスケートに「可能性」示した2人─

    日本のスケート陣にとって、オリンピックのメダルは、近くに見えるように思えると不意に遠ざかってしまうものであった。
    そこに登場したのが黒岩彰である。専修大3年の時には1983年世界スプリントで総合優勝を飾って、期待を一身に集めるようになった。若さ、力強さ、勢い、上昇力。すべてを持ち合わせた若武者には、新たな歴史をつくるヒーローの匂いがしていた。翌84年にはサラエボが待っている。オリンピックのメダルという日本の悲願をかなえてくれるのは黒岩彰だと、多くのスケート人が確信を抱いたに違いない。だが、運命はこの若者に過酷だった。

    執筆者:佐藤 次郎 View more
  • 「努力」が偉業をもたらした橋本聖子─人々の心に響いた奮闘─

    橋本聖子という競技者の思い出となると、スピードスケートと自転車競技の双方で取材してきた者として、頭に浮かぶ言葉はただひとつだ。「努力」である。あまりに単純で、当たり前すぎるではないかと言われるだろうが、どう考えても、ほかに適当な表現はない。どの競技のどの競技者であれ、誰も真似できないだろうと思わせるほどの努力を積み重ねて、彼女は、誰も肩を並べることのできない偉業をなし遂げたのである。努力というものの持つ果てしない可能性をこれ以上なくわかりやすい形で示した点において、彼女の功績ははかり知れない。

    執筆者:佐藤 次郎 View more
  • 「世界最速」の男 鈴木恵一

    鍛え上げた肉体と精神、それを一点に集中し爆発させる。スピードスケート500mは、夏の陸上競技100mにならぶオリンピック「冬の最速」を決めるレースである。
    北沢欣浩の偉業の少し前、最も「金メダルに近い」と言われた男がいた。1968年グルノーブルの鈴木恵一である。「世界最速」と形容されて鈴木のレース結果が語られ、多くの人々は「悪くともメダル」と思っていた……。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • その日、不朽の伝説が生まれた
    ─札幌・日の丸飛行隊がなし遂げた奇跡─

    冬季オリンピック初参加から出場した8大会で得たメダルは銀1個だけ。追いつくどころか、相手の背中さえ見えないというのが実情だった。「到底追いつけない」と半ばあきらめていた関係者もいたに違いない。
    その呪縛を破ったのが札幌の快挙だった。冬季競技のシンボルともいえるジャンプ競技での表彰台独占。日の丸3本にはそれほどの衝撃があった。

    執筆者:佐藤 次郎 View more
  • 猪谷千春のつくり方─スキー一家が獲った銀メダル─

    冬季オリンピックに「日本」が登場するのは1928年の第2回サンモリッツ大会。そこから日本人選手が表彰台に立つまで28年の時が流れた。1956年の第7回コルチナ・ダンペッツォ大会アルペンスキー回転で猪谷千春が獲得した銀メダルは、欧米以外の選手が初めて手にした歴史的なメダルであった。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • フィギュアスケート・ジャンプの魅力の正体は?

    観戦者にとってのフィギュアスケートの醍醐味は、音楽に合わせて華麗に舞い、リズミカルに躍動する、美しくもテクニカルなパフォーマンスにこそある。人々はその各場面でスケーターの躍動美に惹きつけられるのだが、なかでも注目を集めているのがジャンプだ。

    執筆者:大野 益弘 View more
  • ジャンプスーツ、レーシングスーツにロマンを求めて

    レーシングスーツ、ジャンプスーツと呼ばれるウエアはアスリートの体を守るとともに、より速く、より遠くに飛ぶために欠かせない存在となっている。そうしたウエアが昨今、サイズのルール違反といった違う方向で注目を浴びるようになり、長くスポーツ用品に関わってきた身には残念に思うことも少なくない。いま一度、ウエアとアスリートの問題を考えてみたい。

    執筆者:上治 丈太郎 View more
  • 忘れられた冬の公開競技

    冬季オリンピックでは、公開競技として行われたものの、その後正式に採用された競技はあまり多くない。カーリングが1932年レークプラシッド、1988年カルガリー、1992年アルベールビルの3大会で公開競技として行われ、1998年長野大会から正式競技となった。ここでは、冬季オリンピックで披露されながら、いつしか忘れ去られていったおもな公開競技を紹介しよう。

    執筆者:大野 益弘 View more
  • フィギュアスケートの選手とコーチ

    選手とコーチの関係については競技や年齢によって異なる。チームゲームの場合は、個人のコーチではなくチームを率いる監督とその下のコーチが指導にあたる。個人競技・種目は稀にコーチを付けない選手もいるが、ほとんどの場合は所属するチームや個人のコーチがいる。なかでもフィギュアスケートは選手と指導者の関係がとりわけ深い。審判から技術力、芸術性、表現力などの評価を受ける採点競技ゆえに、第三者の視点で指導するコーチの役割が重要になってくるからだ。

    執筆者:松原 茂章 View more
  • スピードスケート、オランダの強さ

    効率よい滑りの源は、選手や指導者の鍛錬や研究もあるだろうが、究極的には、長い歴史や日常生活、文化。さらに言えば、長身で手脚が長いことも、そもそも有利だ。これらの背景はオランダ特有のものと言わざるを得ず、簡単にまねできるものではない。日本をはじめ、各国が打倒オランダを掲げて奮闘しているが、「オランダ1強」はなかなか崩れることはないだろう。

    執筆者:菊浦 佑介 View more
  • 冬季オリンピックの美しさの謎を解く

    雪と氷はその夢を叶えてくれる。スピードスケートのトップ選手は時速60km近くで滑る。スキージャンプのラージヒルでは、140mもの距離を飛ぶことができる。フィギュアスケートでは空中で3回も4回も回転し、美しく着氷する。スノーボードのハーフパイプでは宙に高く舞い上がり、一度に、縦に3回、横に4回も回転する。
     人間を超えたい、あるいは神になりたいとする「願い」、そして大空に向かって飛び、翼を広げて鳥のように舞う夢を、少しだけ、ほんの少しだけ現実のものにしてくれる、それが雪と氷のスポーツなのだ。

    執筆者:大野 益弘 View more
  • 1994年、夏との分離開催は始まった

    夏季大会と比べればまだ余裕はあるが、冬季大会は毎回肥大化。そしてスケートなど氷上競技は大都市圏、スキーは遠く離れた山岳地帯での分離開催があたりまえになった。自然、雪と氷の競技の選手たちが混じりあうこともなく、競技の枠を超えて理解し合う本来の姿から遠ざかっている。冬季大会の価値を高めた結果、招いた事態ではあろう。
    夏季大会の実施競技数が限界を迎えているなか、屋内競技の冬季大会移行を求める声もあがる。オリンピック憲章では冬季大会は「雪と氷の競技」と定める。柔軟にことにあたってきたIOCは、生き残りをかけて冬季大会のありようを改めて検討するのだろうか。いまがその時かもしれない。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 開催地が変更になった冬季オリンピック…
    ~1976年大会、デンバーからインスブルックへ~

    1976年2月の冬季オリンピック(第12回)はデンバー(アメリカ・コロラド州)が開催地に決まっていた。1972年11月7日、4年に一度のアメリカ大統領選挙と並行してコロラド州ではCCFの提案による「オリンピックに税金を使用することへの可否」を問う住民投票が実施された。結果はCCFの主張が過半数を大きく超える52万票の支持を得た。開催派を中心とした反対は35万票に留まった。デンバーは11月14日「返上」をIOCへ届け出る。

    執筆者:杉山 茂 View more
  • 第一回冬季パラリンピック大会に自費で個人参加した日本人

    21歳の時にオートバイの事故で右足大腿部から下を失った深澤さんは、38歳の時に、エンシェルツヴィークの第一回冬季パラリンピック大会に自費で個人参加をしていた。深澤さんはなぜ、個人参加だったのか。自費でも参加したいという思いはどこから来たのか。
    実は深澤さんは日本の障がい者スキー競技者として草分け的な存在だっただけでなく、選手強化や組織作りにも奮闘してきた人なのだ。

    執筆者:宮嶋 泰子 View more
  • 冬季オリンピックとアマ・プロ問題~カール・シュランツとアベリー・ブランデージIOC会長~

    ブランデージはIOCの事業・事務を自宅のあるアメリカ・シカゴで数人の秘書とともに捌いていた。
    アメリカはプロ・スポーツ王国。3大ネットワークと呼ばれる民放テレビ3社が競いあうように極上のエンターテインメントとしてプロの「活劇」をリビングルームへ送り届けた。
    テレビを通してのスポーツへの熱狂が「アマチュア」では支え切れなくなるのをブランデージは予見したのだろう。「オリンピックを商業主義で染めてはならない」の意を強める。

    執筆者:杉山 茂 View more
  • 日本で開催された2つの冬季大会

    奇妙な距離を感じた。2030年冬季オリンピック・パラリンピック招致に名乗りを上げている札幌市と市民との距離感である。心の底では札幌でオリンピックを見てみたい、でも表立って口にすることがはばかられる。そんな感情ではなかったか。新型コロナウイルス禍で開催された東京2020大会とロシアのウクライナ侵攻を招いた2022年北京冬季大会。2つの大会から人々はオリンピックという存在に疑問を持ち、この経済状況下、あまりにも巨額の費用をかけて巨大イベントを開催することへの罪悪感である。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 夏季とは異なる冬季オリンピックのメダル

    メダルは金、銀などの貴金属が使用されることが多く、表面に意匠を施した円形もしくは楕円形のもの。ルイ14世の太陽王のメダルが示すように、権力者や勝者の象徴として古くから作られてきたもので、その後、勲章に近い意味で功績があった者、勝利した者を表彰し授与されるようになった。
     現在、多くの人は「メダル」といえばオリンピックで1〜3位に授与されるオリンピックメダルを想起する。しかし、メダルの歴史は1896年に始まる近代オリンピックの歴史より古い。

    執筆者:大野 益弘 View more
  • 冬季オリンピックと政治の影

    政治とスポーツ、特に平和の祭典と称されるオリンピックとの関係はどうあるべきか。冬季大会の歴史は、ボイコットの報復などに揺れた夏季大会に劣らないほどの示唆と教訓に富んでいる。歴史を通じて見えるのは、開催国への「内政干渉」を拒否しつつ、大会の成功とオリンピック運動の存続を図ろうとする国際オリンピック委員会(IOC)の姿だ。

    執筆者:結城 和香子 View more
  • 「スケート王国」満洲と岡部平太

    冬季スポーツ、冬季オリンピックの歴史を紐解いていくと満洲スポーツ、とりわけ氷上競技の隆盛を伺い知る事になる。戦前、日本は1928年サンモリッツ、1932年レークプラシッド、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンと3つの冬季オリンピックに代表選手を送った。そのうち1932年、1936年の氷上競技に満洲という地名がのぞく。国内スケートの統一組織として大日本スケート競技連盟(現・日本スケート連盟)が発足したのは1929年、1932年大会に待望の代表を派遣した。スピード4選手中、長野県岡谷の潤間留十を除く木谷徳雄、石原省三、河村泰男の3人は満洲育ちの「満洲っこ」だった。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 未知の世界に挑んだ先駆者…冬季オリンピック初出場の苦闘

    「ともかく、私たちは根本ができていない」「日本では味わったこともない恐怖を抱いた」「どうしたら転ばずにすむかと考えるのに頭がいっぱい」「無理であろうということは既にわかり切っていた」「スキーをはじめてやっと十年あまり、まして正式な競技を知っている人さえまれな時代…」――これは、日本で初めて冬季オリンピックに出場した選手たちが、その貴重な体験を振り返って残した回想の一節だ。100年近くも昔になる1928年のこと。日本のウインタースポーツはまだ黎明期にあった。小舟で大海に乗り出そうとする冒険家のごとき思いを抱いて、先駆者たちは未知の世界へと挑んだに違いない。

    執筆者:佐藤 次郎 View more
  • モーグルに愛された二人──里谷多英と上村愛子

     コブだらけの急斜面をスピードに乗って滑り、途中に2 度のエア(ジャンプ)をこなすフリースタイルスキーのモーグル。ターン、エア、タイムの3要素の合計点で競う。新しい潮流として冬季オリンピックに正式採用されたのはフランスで開催された1992年アルベールビル大会だった。この競技に挑んだ日本のトップ女子選手二人の軌跡を振り返った。

    執筆者:江波 和徳 View more
  • 波瀾万丈の「鳥人」ニッカネンとV字ジャンプの「元祖」ボークレブ

    ノルディックスキー・ジャンプ男子で「鳥人」と呼ばれ、冬季オリンピックで金メダル4個を獲得したマッチ・ニッカネンはフィンランドの国民的英雄として今も多くのファンの記憶に刻まれている。「V字ジャンプ」が主流となる以前の1980年代に一時代を築いた。その「鳥人」の技術を上回り、スキー板の先端を大きく開く革命的な「V字時代」への到来を告げた象徴的な転換点は、カルガリー・オリンピックの翌シーズンとなる1988年12月に行われたW杯札幌大会だった。90m級でニッカネンを抑えて優勝したのはスウェーデンの伏兵、22歳のヤン・ボークレブ。V字フォームで最初にジャンプした「元祖」と呼ばれる選手である。

    執筆者:田村 崇仁 View more
  • 日本のフィギュアスケート

    日本で最も人気のあるウィンタースポーツはフィギュアスケートであることは論を俟たない だろう。海外の大会まで応援に行くコアなファン、いわゆる“おっかけ”が多いことでも知られている。そんな日本のフィギュアスケートの歴史を俯瞰 する時、やはり羽生結弦、浅田真央という2人の男女のスケーターを最初に取り上げたい。羽生結弦は言うまでもなく、人気、実力、実績ともナンバーワンの選手である。加えてその発信力のある言動も魅力の一つとなっている。

    執筆者:松原 茂章 View more
  • 平野歩夢とショーン・ホワイト─レジェンドからアユムの時代へ

    この2人の名をなくして、もはやオリンピックにおけるスノーボード史は語れない。男子ハーフパイプで歴史に残る名勝負を演じてきた2022年北京オリンピックで悲願の金メダルを獲得した平野歩夢と、2006年トリノ、2010年バンクーバー、2018年平昌と3度のオリンピックで頂点に立ったショーン・ホワイト。ホワイトは北京オリンピックで競技生活に幕を閉じ、新時代は平野へと受け継がれた。数々の伝説を残した2人の軌跡をたどる。

    執筆者:山本 駿 View more
  • 麻生武治という異能

    スポーツの草創期には“ある種の天才”が出現し、いくつもの競技にその才能を開花させることがある。日本の冬季スポーツ史に異彩を放つ麻生武治もまた、そうした異能の存在であった。1921年7月、早大山岳部でチームを組み、槍ヶ岳北鎌尾根の日本人初登頂に成功した麻生は、同時に日本を代表する陸上選手でもあり、1919年の日本陸上競技選手権では1500mに優勝、さらに記念すべき第1回箱根駅伝に出場した。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 冬季オリンピックの登場は遅れた

    冬季オリンピック競技大会が初めて開催されたのは1924年である。通称「国際冬季競技週間」、正式には「第8回オリンピアードの一部として、国際オリンピック委員会(IOC)が最高後援者となり、フランス・オリンピック委員会がフランス冬季競技連盟とフランス・アルペンクラブ共同でシャモニー・モンブラン地方で開催する冬季スポーツ大会」という極めて長く、わかりづらい名称で実施された。IOCが第1回冬季オリンピック競技大会として追認したのは翌1925年である。なぜ、こんな名前の競技大会が開催されたのか。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 【冬季オリンピックの歴史】
    選手たちが紡いだ冬物語・スケート編

    北京冬季オリンピックで初の団体銅メダルを獲得したり、羽生結弦が世界のメディアの注目を一身に集めたり。日本のフィギュアスケートはいまや世界でもトップクラスの実力を誇る。稲田悦子、高見沢初枝、橋本聖子、北沢欣浩、鈴木恵一、伊藤みどり、荒川静香など日本のスケート界の歴史を振り返る。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 【オリンピック・トリビア】冬季オリンピック・パラリンピック 雑学クイズ

    1924年に始まった冬季オリンピック。これまで日本はどんな足跡を辿り、どのような成績を残してきたにか?日本の冬季オリンピックの歴史や結果をクイズで楽しく学べます。

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  • 【冬季オリンピックの歴史】
    選手たちが紡いだ冬物語・スキー編

    日本人冬季初メダリスト猪谷千春、日の丸飛行隊が金・銀・銅と表彰台を独占した札幌オリンピック、「キング・オブ・スキー」荻原健司、長野大会で悲願の金メダルを獲得した原田、船木、岡部、斎藤など、冬季オリンピック、スキー競技の名場面、名選手を解説

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 戦前の冬季オリンピックの歩みと日本の参加史

    オリンピックを創始したクーベルタンは当初冬季競技を認めなかったが、冬季オリンピックはどのように始まったのか。また、1928年、日本が初めて参加したサンモリッツ大会など冬季オリンピックの歴史に迫る。

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 北京冬季オリンピックでは何をみようか…

    日本人冬季初メダリスト猪谷千春、日の丸飛行隊が金・銀・銅と表彰台を独占した札幌オリンピック、「キング・オブ・スキー」荻原健司、長野大会で悲願の金メダルを獲得した原田、船木、岡部、斎藤など、冬季オリンピック、スキー競技の名場面、名選手を解説

    執筆者:佐野 慎輔 View more
  • 冬季オリンピック 3つめの日の丸飛行隊

    冬季オリンピックの種目にも、敬意を込めたニックネームが付けられたことがある。「日の丸飛行隊」である。この呼称はかつて2回付けられた。
    1回目は1972(昭和47)年札幌大会で、もう1回は1998(平成10)年長野大会。ともに種目はスキージャンプだ。

    執筆者:大野 益弘 View more
  • 冬季オリンピック 冬のスポーツと美

    観戦者は、選手の演技が「ジャッジに向けた得点獲得のため」であろうとそうでなかろうと、美しければ美しい、楽しければ楽しいと評価する。現にオリンピックでフィギュアスケートの日程の最後に行われるエキシビションは、競技ではないにもかかわらず、たいへんに人気がある。そこでは、選手たちは「ジャッジに向けた演技」はせず、観客のために滑る。滑りの内容は本番とあまり違わない。あるのは「採点されない」という事実である。なのに楽しく美しい。これは芸術かもしれない。冬季オリンピックは美しい。それはスポーツが芸術であるか否かにかかわらず美しい。

    執筆者:大野 益弘 View more