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スポーツ界と新型コロナウイルス感染症
第98回
スポーツを通して“いのち輝く”未来へ

黒岩 祐治

2011年に神奈川県知事選挙に立候補して当選し、10年目を迎えた黒岩祐治氏。テレビ局のキャスターから政治家に転身した背景には、幼少時代の“世のため人のために生きる”という思いが再燃したことにあったと言います。

現在は「いのちかがやくマグネット神奈川」の実現を目指し、さまざまな課題解決に取り組まれています。新型コロナウイルスの問題にも、全国に先駆けていち早く対応してこられました。コロナ禍における対策や東京オリンピック・パラリンピックの開催意義、今後のスポーツのあり方についてお話をうかがいました。

聞き手/佐野慎輔  文/斉藤寿子  写真/フォート・キシモト  取材日/2020年11月11日

「いのち輝く」につながる新型コロナウイルスへの対応

黒岩祐治氏(当日のインタビュー風景)

黒岩祐治氏(当日のインタビュー風景)

―― 2020年は、新型コロナウイルス感染症がパンデミックとなり、世界的に激動の1年となりました。そのなかで神奈川県知事としては、県民の命を守るために予防対策の徹底と同時に、暮らしを守るためには経済面にも目を向けなければなりません。現在も大変厳しい状況が続いています。

夏から秋にかけて小康状態となったのも束の間、11月に入って急激に感染者数が増えてきました。私たちも、強い警戒感を持って対策に取り組んでいます。春から新型コロナウイルス対策として、私たちは大変多くのことを学びました。その一つは、感染拡大を止めるためには何をしなければいけないかということです。

 

4月7日に全国を対象に「緊急事態宣言」が発令され、5月25日に解除されるまでの約2カ月間、ほぼすべての経済活動を止め、人々の往来をなくし、自粛に努めました。その結果、感染者数は見事に抑制されていきました。つまり、経済活動をストップさせれば、新型コロナウイルスの感染は抑えられるということがわかったわけです。しかし、約900万人の神奈川県民のいのちと生活を守らなければいけない県知事としては、経済活動を再び完全にストップさせるという事態はなんとしても避けたいというのが本音でした。そのためには、とにかく感染対策を徹底すること。これに尽きます。自分が「感染しない」、そして人に「感染させない」。これを徹底すれば、感染は拡大しません。「自分一人くらいいいだろう」ではなく、全員が感染予防に対して高い意識を持ち、用心することです。

神奈川県では「感染防止対策取組書」を店頭などに表示するシステムを導入しています。それぞれのお店や施設が実施している感染防止対策の取り組みの内容を "見える化"することで、事業者は対策強化をアピールすることができ、お客さんは安心して利用することができます。5月7日に緊急事態宣言が解除されるとなったことを受けて、経済活動が再開し、人の往来が再び始まるという時に、「何もしなければ再び同じ事態を招くだろう」という危機感から、どうすれば感染予防と経済活動を両立させられるかを話し合ったなかで出てきた案でした。事業者には「予防対策を徹底してください」、お客さんには「予防対策を講じているお店を利用してください」ということをお願いしようと。現在は県内の7万2000を超えたお店や施設が登録し、「感染防止対策取組書」を掲示してくれています。



―― 感染してからあわてても遅いわけですよね。まずは感染を未然に防ぐことが何より重要だと。

おっしゃる通りです。現在では新型コロナウイルスはどういう状況で感染する可能性が高いのかがわかっているわけですから、予防することは可能なんです。主な感染経路が、飛沫ですよね。たとえば、今回の対談においても、私とインタビュアーとの間には透明のアクリル板が置かれています。これ一つだけで、飛沫感染を防ぐことができます。こうしたちょっとした工夫、ちょっとした意識だけで、感染の可能性は低く抑えられるわけです。



「ダイヤモンド・プリンセス号にかかる神奈川県新型コロナウイルス対策本部」を激励(2020年2月)

「ダイヤモンド・プリンセス号にかかる神奈川県新型コロナウイルス対策本部」を激励(2020年2月)

―― 神奈川県は比較的早い段階から感染予防対策に注力してきたという印象があります。

2月に国内で最初の集団感染が起きたダイヤモンド・プリンセス号が寄港したのは、神奈川県の横浜港でした。この時点で、県内では早くも新型コロナウイルスとの闘いが始まっていたんです。ですから、早い段階から新型コロナウイルスへの意識は高く、対応について着手するのも早かったと思います。



 

―― 黒岩知事は、2011年に神奈川県知事に就任して以降、いち早く未病対策を講じるなど、「いのちの大切さ」を訴えてこられました。そのことが、今回の新型コロナウイルスの感染対策に対しても、県民の理解ある行動につながっているのではないでしょうか。

具体的に検証することはできませんので何とも言えないところではありますが、もしそうであったとしたら嬉しいなと思います。私が神奈川県知事に就任して、ちょうど10年が経ちました。この間、何よりも「いのち」という言葉を大切にしてきました。「いのち輝く神奈川県をつくろう」ということを宣言し、実行してきました。その一つが「未病」です。健康と、病気は、明確に分けられるものではありません。心身の状態は、健康と病気との間を連続的に変化していくグラデーションの中にある。ですから「この人は健康」「あの人は病人」ということではなく、誰もが常に変化していくグラデーションの中にある。それが「未病」です。ですから、病気になってから医療に頼るのではなく、まずは日頃の変化に気付き、改善していくことで病気にかからないようにするということが大切です。そのためには日常的に「食」「運動」「社会参加」を重視しようと。新型コロナウイルスに対しても同じことが言えます。ウイルスにかかってからでは遅い。かからないようにすることが重要なわけですよね。ですから、コロナ禍における現在は、「食」「運動」「社会参加」に加えて「飛沫を防ぎ・感染をさせない」ことが大事です。ウイルスというのは、どこにも、誰のそばにも必ず潜んでいます。にもかかわらず、どこにいるかわからないという怖さがある。だからこそ「自分一人くらいなら大丈夫」という考えは絶対にしてはいけない。全員が用心して、対策を徹底すること。そうすれば、感染を防ぐことは可能です。



横浜スタジアムでの「技術実証」に踏み切った理由

横浜スタジアム 技術実証視察(2020年10月)

横浜スタジアム"技術実証"視察(2020年10月)

―― 神奈川県では、新型コロナウイルス感染対策における画期的な技術実証が行われました。2020年10月30日から11月1日の3日間にわたって、神奈川県横浜市にある横浜スタジアムで開催されたプロ野球公式戦(横浜DeNA対阪神)において、しっかりと感染防止対策を講じたうえで現在大規模イベントで上限とされている「収容人数50%」を超える観客を入れました。
これは、球場内にスーパーコンピューターや高精細カメラを設置し、飛沫影響の検証やマスク着用率の把握などを行い、新技術の活用による新たな日常の構築や、今後のガイドライン等の見直しを狙いとしたものです。

 

この技術実証については、6月から検討を始めていました。当時はプロ野球もJリーグも、国内ではすべてのスポーツイベントがストップしていた状態で、6月19日にようやくプロ野球が無観客で開幕を迎えようとしていた時でした。しかし、「このままでは、来年の東京オリンピック・パラリンピックは開催できないのではないか」という声があがりまして、「コロナ禍でもできることから始めて、前に進んでいくべきではないか」と。そこで私から県庁職員に「横浜スタジアムを満員にすることはできないものだろうか。何かイメージをつかむだけでもいいから、とにかく何ができるかを検討してみてほしい」という要望を出しました。とはいえ、「さすがに年内は無理だろうから、来年の春頃に何かできたら」という気持ちでいました。ところが、県庁職員たちがみんな真剣に積極的に検討を進めてくれまして、そこで驚くほど早く横浜スタジアムでの技術実証を実現することになったのです。もちろん神奈川県だけでなく、横浜スタジアムを本拠地とする横浜DeNAの球団や、LINE、NECといったさまざまな企業にご協力をいただきまして、取りまとめました。それを政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会に提出したところ、専門家の皆さまにもご理解いただき、「これは技術実証する大きな意味があるのではないか」というお返事をいただき、実施することができました。



―― 世間からは「ワクチンもできていないのに、こんな大規模な実験は、まだ時期尚早なのではないか」という声もあった中で実施するのは、気苦労も多かったのではないでしょうか。

私たちが行ったのは「実験」ではなく、あくまでも「技術実証」です。無謀に「とりあえずやってみよう」ということで大切な人々のいのちを実験に利用したのではなく、専門家の厳しい目から見ても「これでクラスターが発生することはまずない」というお墨付きをいただいた安全な環境の下で、コロナ禍においても安心して日常生活を送ることができるようになるための技術の実証を行ったわけです。実際にクラスターが発生することはありませんでした。もちろん、さまざまなご意見があることもわかっておりましたし、批判されるだろうということは覚悟していました。ただ、横浜スタジアムは東京オリンピックでは野球とソフトボールの競技会場となっている場所です。そこで技術実証することは、開催自治体としての責任を果たすうえで非常に大きな意味があると思っていました。誰かがどこかで一歩踏み出さなければ、東京オリンピック・パラリンピックに向けて進んでいくことはできないだろうと考え、実施に至りました。



黒岩祐治氏(当日のインタビュー風景)

黒岩祐治氏(当日のインタビュー風景)

―― 「誰かが踏み出さなければ」という思いというのは、黒岩知事ご自身がニュースキャスターから政治家への転身をする際の思いでもあったのでしょうか。

私が政治家を志したのは、実は小学校の低学年の頃でした。私自身は兵庫県神戸市の出身ですが、父親は鹿児島県出身でして、幼少時代から「オマエは薩摩隼人の人間なんだぞ」と言われて育ったんです。「薩摩隼人」とはどういうことかというと、私利私欲のためではなく、世のため人のために生きる人。父にとってはそういう意味だったんですね。それをずっと聞いて育ったものですから、そういう考えが私のベースにはありました。

ですから小学生の時にはすでに政治家を志していまして、大学に入ったころまではその考えは変わりませんでした。
ところが、徐々に生々しい政治の現実が見えてきまして、大学卒業の頃にはすっかり考えは変わっていました。政治家同士の権力闘争に、自分は向いていないなと思ったんです。しかし「世のため、人のため」という考えは変わらずありましたので、メディアだったらそういうことができるんじゃないかと。何か問題が起きた時に、その事実を伝えることで、状況を変えたり問題解決の糸口になるのではないかと思ったんです。それが、私がフジテレビに入社した一番の動機でした。

実際入社後に伝えられたことはたくさんありました。なかでも大きかったのは、救急医療体制の現実です。急患が出た場合、救急車で病院に運ばれるわけですが、その救急車には消防士だけで医師が乗っていません。そのために、運ばれる途中で亡くなるケースが少なくなかったんです。もっとプレホスピタルケア(病院前処置)が適切になされていたら助かったいのちもあったのに、というのが従来の日本の現状でした。
一方、アメリカでは救急車には必ず高度な医療技術を持ち、適切な応急処置ができるエマージェンシー・メディカル・テクニシャン(EMT)が乗っていて、病院に到着する前に救急車の中でも医療行為ができる体制をしいています。EMTには三段階あり、パラメディックと呼ばれる上級救急隊は、心電図判読や薬剤投与などのトレーニングも受けています。こうした知られざる救急車の中の現実を伝えたいと、フジテレビで2年間で100回を超える救急医療キャンペーン報道を展開しました。そうしたところ、行政や国会も動き出し、「医師以外は医療行為をしてはいけない」という医師法第17条の壁を越えて、1991年に「救急救命士制度」ができました。そうした体験がありましたので、就職してからは政治家になろうとは一度も思っていませんでした。実は選挙があるたびに、さまざまな政治家から口説かれてはいたんです。しかし、「政治家にならなくても、メディアでも世のため、人のためになること、世の中を変えることができる」と思って、すべてお断りをしていました。



神奈川県知事に初当選し初登庁(2011年4月)

神奈川県知事に初当選し初登庁(2011年4月)

―― その黒岩さんが、2011年の神奈川県知事の選挙に立候補されたきっかけは何だったのでしょうか 。

知事選挙が始まる3週間前に、突然ある人から電話がかかってきまして、「神奈川県知事の選挙に出ていただけませんか?」と言われたんです。当時現職だった松沢成文前知事の三選が確実視されていたのですが、ご本人が急に東京都の知事選挙に立候補する意思を固めたと。それで私に白羽の矢が立ったわけですが、政治家になるつもりはまったくありませんでしたから、最初はずっとお断りしていました。

しかし、「ちょっと待てよ、今まで頼まれていたのは国会議員だけれど、今回は県知事。少し今までと違うか」なんてことを考えていたところに起きたのが、2011年3月11日の「東日本大震災」でした。未曽有の大災害を目の当たりにして、私の考えはガラリと変わりました。「"いのち"という言葉を大切にしてきた自分が、こうして今、約900万人の神奈川県民のいのちを預かる立場である知事になってほしいと声がかけられている。これは天命ではないだろうか」と。それで立候補する決心を固めました。



 

東京オリンピック・パラリンピック開催は将来の日本の力に

2020東京オリンピックセーリング競技江の島開催決定(2015年6月)

2020東京オリンピックセーリング競技江の島開催決定(2015年6月))

―― いのちを大切にされる知事だからこそ伺いたいのですが、東京オリンピック・パラリンピックを開催するにあたっては、どのようなことが重要だとお考えでしょうか。

まずは、何よりも「安全・安心」であることですよね。10月、横浜スタジアムで実施した技術実証は、まさにそのためのものです。球場内に設置された高精細カメラは、今回の実証ではマスクの装着率を分析することが狙いだったわけですが、危険人物を割り出し、テロなどの事件を未然に防ぐということにも活用することができます。今回の実証は、東京オリンピック・パラリンピックの開催実施に向けての第一歩というふうに考えています。

 

今回実証してみてわかったことの一つとして、高度なテクノロジーを駆使するだけでなく、それに人の行動をリンクさせることが重要だということです。たとえば、高精細カメラでマスクを装着していない人がすぐにわかるわけですが、それで終わってしまっては何もなりません。警備員がすぐにかけつけて、マスクの装着を促すなどして、マスクの装着率を高める行動があって初めて高精細カメラ設置の成果と言えるわけです。そのためには、警備員の数や配置も重要になります。

また「三密」にならないための人の流れも重要な課題となりますが、今回横浜スタジアムでの実証でうまくいったなと感じられたのは、うまく人の流れをコントロールできたという点です。ふだんでしたら試合終了時にはJR関内駅(横浜スタジアムの最寄り駅)は人ごみができてしまうのですが、球場内のバックスクリーンやアナウンスで混雑具合を示すことで、お客さんがタイミングをずらして密にならないようにして退場することができました。また試合中も、LINE Beacon(自分がいる場所と連動した情報をLINEで受け取ることができるサービス)を活用してトイレや売店などの混雑度がわかるようになっていましたので、「密をつくらない」という課題をしっかりとクリアすることができました。東京オリンピック・パラリンピックでも活かすことができると思います。11月7、8日には東京ドームでも同じような技術実証が行われましたので、それとすり合わせながら、東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、一歩一歩、進んでいくことが大事だと思います。



―― 東京オリンピック・パラリンピックを「安全・安心」に開催するために、どんな意識を持つことが必要でしょうか。

もう一度生活スタイルを見直すことが大切だと思います。これまで習慣や常識とされてきたことを変えることは簡単ではありませんが、これ以上新型コロナウイルスの感染を拡大させない、そして平和な日常生活を取り戻し、東京オリンピック・パラリンピックをはじめとしたエンターテインメントを楽しむことができるようにするためには、新しい生活スタイルを受け入れなければなりません。

たとえば、会食をするときにもマスクを付けることを当たり前にすること。感染拡大の大きな原因の一つとして、複数人での会食があることは明らかです。特に酒席では、より会話が弾み、大きな声になったりしますよね。そうすると、飛沫感染のリスクが高まってしまう。ですから、私自身が実際にやっていることをお勧めしたいのですが、自分が食べ物や飲み物を口にするときだけマスクを外して、それ以外はマスクを付けて会話をするんです。やってみると、意外と難しいことでも面倒なことでもありません。私のやり方を政府の分科会でお披露目したところ、尾身茂会長も「それはいいですね」と、その後の記者会見で紹介していただいたことがありますが、食べる時、飲む時には片方の耳からマスクの紐を外し、口に運んだらすぐにまた耳にかける。これだけで会食の場での感染リスクを抑えられるはずです。こうした細かいことを徹底的に実践していくことで、感染防止と経済活動の両立は可能だと思いますし、その延長線上に東京オリンピック・パラリンピックの開催があるのだと思います。



横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われたラグビー ワールドカップの決勝(2019年11月)

横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で行われたラグビー ワールドカップの決勝(2019年11月)

―― このコロナ禍においても、なお東京オリンピック・パラリンピックを開催する意義とは、どうお考えでしょうか。

4年に一度開催されるオリンピック・パラリンピックというのは、開催国・都市にとっては、歴史の1ページとなる一大イベント。国民の心を一つにすることのできるものだと思います。 その開催の権利を、日本は東京都が代表になって勝ち取ったわけです。2019年には日本はラグビーワールドカップを大成功させました。神奈川県も横浜市の協力を得て、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)で素晴らしい決勝戦等を行うことができました。

ワールドラグビーのサー・ビル・ボーモント会長からも「過去最高のワールドカップとして記憶されるだろう」というお言葉がありましたが、世界に向けて「日本はやっぱりすごい国だな、すばらしい国だな」ということを発信することができたと思います。

そのラグビーワールドカップに続いて、今度は東京オリンピック・パラリンピックを素晴らしい大会にすることは、日本の存在を世界にさらにアピールする最大のチャンスだと考えています。しかも世界中が苦しんでいる厳しい状況の中で、日本はしっかりと安全・安心に開催し、感動を届けてくれたとなれば、国家としての信頼が高まります。コロナ禍である今こそ、日本の力を示す時だと思いますし、それが政治的にも経済的にも、将来の日本にとって非常に大きな力になると思います。



スポーツをすることで派生するさまざまな効用

―― スポーツには「する」「観る」「支える」の3つの観点がありますが、そのなかでも「する」ということに注力することで、健康増進を図ることができると思います。スポーツを「する」ということについては、どのように考えられていますか。

東京オリンピック・パラリンピックで「観る」楽しみ、「支える」ことのやりがいを感じた後には、ぜひ「する」楽しみにつなげていってほしいなと思いますね。そもそもスポーツというのは、「する」ことで心と体が解放され、そこには何物にも代えがたい楽しさがあります。ただ、日本人は「スポーツ」というと、すぐに「競技」に結びつける傾向があると思いますし、実際に学生時代までは「競技」としてスポーツをする機会が多かったと思います。しかし、それだけでは華々しい結果を残す選手たち以外の人たちにとって、スポーツが楽しいものでなくなってしまう。

競技から離れて、趣味や娯楽として楽しんでみると、スポーツにはさまざまなプラスの効果があるということに気付くことができます。私自身も、そのことを実感してきました。学生時代までは水泳をしていたのですが、社会人になってからはなかなかスポーツには縁がありませんでした。でも、知事に就任したことをきっかけに、56歳にして趣味としてのスポーツの楽しさに気付いたんです。というのも、知事になってからは県庁のすぐ側に自宅を構えていますので、通勤時間というものがなくなりました。そこで時間に余裕ができたこともあって、「朝、ちょっと走ってみようかな」と思い立ったんです。それで朝のジョギングを始めたのですが、最初は歩いているのとほとんど変わらないくらいの速さだったのですが(笑)、それでも走ってみたら非常に気持ちが良かったんですね。

思えば水泳をやっていた時は、そこまで成績がいい選手ではなかったので、あまり楽しいと思ったことがなかったんです。ただこうして今、競技から解き放たれて誰と競うわけでもなく、ただ一人で走ってみると、水泳部時代にはなかった爽快感があったんです。そうすると、また走りたくなるんですね。毎日走っていくうちに、距離もスピードも伸びていきまして、今では毎朝約5キロの道のりを走った後に、腕立て伏せや腹筋・背筋を鍛えるトレーニングをしています。帰宅してシャワーで汗を流すと、すっきりした気持ちで職場に向かうことができるんです。そのうちに「これだけ走ることが好きになったんだから、マラソン大会にも出てみようかな」という気持ちにもなりまして、58歳で初めてハーフマラソンに出場しました。そしたら意外と走れまして、目標としていた2時間切りも達成しました。走っている最中も、皆さんからエールをいただき、それがなんとも心地良かった。

それで何度かハーフマラソンに出ていたのですが、そのうちにフルマラソンへの意欲も出てきまして。61歳の時に初めてのフルマラソン、横浜マラソンに出ました。本番に向けて先輩ランナーがメニューを考えてくれたり、実際に指導してくれたのですが、こう言われたんです。「神奈川県知事がフルマラソンに挑戦するとなれば、きっと注目されることでしょうから、せっかくなので途中で歩いたりすることなく、とにかくみんなの前で最後まで走り切る姿を見せましょう。それを目標にしてみてはいかがですか?」と。私もその気になって練習をしまして、本番前には「5時間切り」を公約にして走りました。なんとか止まったり歩くことなく最後まで走り切り、4時間51分でゴールすることができました。その時の達成感は何物にも代えがたい喜びでしたね。その喜びを味わうと、手放したくないんですよね。今もジョギングを習慣にして、走れる体をキープすることに努めていますが、つくづくスポーツをすることで自分自身が活性化されて、元気になることを実感しています。と同時に、スポーツをするとこんなことにも拡がるんだなと思ったのが、朝起きてジョギングをすると季節を感じられるんですね。季節によって太陽の昇り方も空の明るさもまったく違いますし、道端の花の様子に気付いたりして、同じコースを走っているのに一日として同じ景色はないんです。体を動かすだけでなく、気持ちの部分にもいろいろな刺激をもらえて楽しいんですね。スポーツにはそんな効用があることを今、実感しています。ですから「スポーツは健康に良いものだからやってください」ではなく、「こんな楽しみがある」ということを伝えていきたいですね。



横浜マラソン2019に参加(2019年11月)

横浜マラソン2019に参加(2019年11月)

―― 今後、神奈川県ではどのようなスポーツの取り組みを行っていこうとされているのでしょうか。

神奈川県から発信している重要なコンセプトの一つとして「未病」が挙げられます。未病を改善するために「食」「運動」「社会参加」を促し、「いのち輝くマグネット神奈川」を実現させたいと思っています。私たちは「死なない社会」「病気のない社会」をつくることは不可能です。しかし、死ぬ直前まで「いのち輝く」ことはできます。そのためには「未病を改善する」ことが重要で、スポーツは欠かせない要素の一つです。「運動」という観点だけでなく、スポーツを通して「社会参加」も可能となります。



 

また、神奈川県は一大イベントが控えています。2022年に開催される「ねんりんピック」(全国健康福祉祭)です。2019年ラグビーワールドカップ、2021年東京オリンピック・パラリンピックという世界的なスポーツのイベントによってスポーツへの機運が高まり、「スポーツっていいな、自分もやってみたいな」という気持ちが芽生えたなかで、ねんりんピックを迎えることによって、今度は自分自身の日常生活にスポーツを溶け込ませる。そんな流れをつくっていきたいと考えています。



リニューアルした神奈川県立スポーツセンターを視察(2020年11月)

リニューアルした神奈川県立スポーツセンターを視察(2020年11月)

―― 最後に、後世に残したいものを教えてください。

神奈川県だけでなく、日本が「いのち輝く」国になってほしいと願っています。そのためには、何か一つだけを重視するのではなく、さまざまなものがつながって「輝くいのち」があるということに気付いてほしいなと。「エネルギー問題」「環境問題」「食の問題」など、すべてが最終的にはいのちを輝かせることにつながります。日本が、いのちを輝かせる国づくりの世界的モデルとなってほしいなと思います。



  • 黒岩 祐治氏 略歴
  • 世相

1912
明治45

ストックホルムオリンピック開催(夏季)
日本から金栗四三氏が男子マラソン、三島弥彦氏が男子100m、200mに初参加

1916
大正5

第一次世界大戦でオリンピック中止

1920
大正9

アントワープオリンピック開催(夏季)

1924
大正13
パリオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の入賞となる6位となる
1928
昭和3
アムステルダムオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の金メダルを獲得
人見絹枝氏、女子800mで全競技を通じて日本人女子初の銀メダルを獲得
サンモリッツオリンピック開催(冬季)
1932
昭和7
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
南部忠平氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
1936
昭和11
ベルリンオリンピック開催(夏季)
田島直人氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
織田幹雄氏、南部忠平氏に続く日本人選手の同種目3連覇となる
ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック開催(冬季)

1940
昭和15
第二次世界大戦でオリンピック中止

1944
昭和19
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1947日本国憲法が施行
1948
昭和23
ロンドンオリンピック開催(夏季)
サンモリッツオリンピック開催(冬季)

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951日米安全保障条約を締結
1952
昭和27
ヘルシンキオリンピック開催(夏季)
オスロオリンピック開催(冬季)

  • 1954 黒岩祐治氏、兵庫県に生まれる
  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピック開催(夏季)
コルチナ・ダンペッツォオリンピック開催(冬季)
猪谷千春氏、スキー回転で銀メダル獲得(冬季大会で日本人初のメダリストとなる)
1959
昭和34
1964年東京オリンピック開催決定

1960
昭和35
ローマオリンピック開催(夏季)
スコーバレーオリンピック開催(冬季)

ローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催
(のちに、第1回パラリンピックとして位置づけられる)

1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
円谷幸吉氏、男子マラソンで銅メダル獲得
インスブルックオリンピック開催(冬季)

  • 1964東海道新幹線が開業
1968
昭和43
メキシコオリンピック開催(夏季)
テルアビブパラリンピック開催(夏季)
グルノーブルオリンピック開催(冬季)

1969
昭和44
日本陸上競技連盟の青木半治理事長が、日本体育協会の専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)の委員長に就任

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1972
昭和47
ミュンヘンオリンピック開催(夏季)
ハイデルベルクパラリンピック開催(夏季)
札幌オリンピック開催(冬季)

  • 1973オイルショックが始まる
1976
昭和51
モントリオールオリンピック開催(夏季)
トロントパラリンピック開催(夏季)
インスブルックオリンピック開催(冬季)
 
  • 1976ロッキード事件が表面化
1978
昭和53
8カ国陸上(アメリカ・ソ連・西ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ポーランド・日本)開催  
 
  • 1978日中平和友好条約を調印
1980
昭和55
モスクワオリンピック開催(夏季)、日本はボイコット
アーネムパラリンピック開催(夏季)
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
ヤイロパラリンピック開催(冬季) 冬季大会への日本人初参加

  • 1980 黒岩祐治氏、早稲田大学政経学部を卒業し、フジテレビジョンに入社
  • 1982東北、上越新幹線が開業
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
ニューヨーク/ストーク・マンデビルパラリンピック開催(夏季)
サラエボオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1988
昭和63
ソウルオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
鈴木大地 競泳金メダル獲得
カルガリーオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

  • 1988 黒岩祐治氏、フジテレビ「FNNスーパータイム」キャスターを務める
1992
平成4
バルセロナオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて日本女子陸上選手64年ぶりの銀メダル獲得
アルベールビルオリンピック開催(冬季)
ティーユ/アルベールビルパラリンピック開催(冬季)

  • 1992 黒岩祐治氏、フジテレビ「報道2001」キャスターを務める
1994
平成6
リレハンメルオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1995阪神・淡路大震災が発生
1996
平成8
アトランタオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて銅メダル獲得

  • 1997 黒岩祐治氏、ワシントンD.C.支局特派員を務める
  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
長野オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2000
平成12
シドニーオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
高橋尚子氏、女子マラソンにて金メダル獲得

2002
平成14
ソルトレークシティオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2004
平成16
アテネオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
野口みずき氏、女子マラソンにて金メダル獲得

2006
平成18
トリノオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2007
平成19
第1回東京マラソン開催

2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
男子4×100mリレーで日本(塚原直貴氏、末續慎吾氏、高平慎士氏、朝原宣治氏)が3位となり、男子トラック種目初のオリンピック銅メダル獲得

  • 2008リーマンショックが起こる
  • 2009 黒岩祐治氏、国際医療福祉大学大学院教授に就任
2010
平成22
バンクーバーオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2011 黒岩祐治氏、神奈川県知事に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドンオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
2020年に東京オリンピック・パラリンピック開催決定

  • 2013黒岩祐治氏、内閣官房健康・医療戦略参与に就任
2014
平成26
ソチオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2014黒岩祐治氏、内閣官房ロボット革命実現会議委員に就任
    2019ラグビーワールドカップの競技開催地誘致に成功
  • 2015黒岩祐治氏、神奈川県知事に再任
    2020東京オリンピック・パラリンピックの競技開催地誘致に成功
    未病サミット神奈川2015 in 箱根を開催
2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催(夏季)

2018
平成30
平昌オリンピック・パラリンピック開催(冬季)
2020
令和2
新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、東京オリンピック・パラリンピックの開催が2021年に延期