Search
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会
第103回
「想像と準備」の積み重ねで守り抜かれた安全性

米村 敏朗

大学卒業後、警察庁に入庁し、警視庁副総監、警察庁警備局長、警察庁長官官房長、警視総監を歴任した米村敏朗氏。警察庁退官後、2011年には内閣危機管理監、2014年には内閣官房参与を務めました。

そして 2014年には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事に就任。2016年からは同組織委員会チーフ・セキュリティ・オフィサーを務め、セキュリティ部門の責任者として東京オリンピック・パラリンピックの開催実現に寄与されました。

そこで大会期間中、どのようにして安心・安全が守られたのかについて、米村氏にお話をうかがいました。

聞き手/佐野慎輔  文/斉藤寿子  写真/フォート・キシモト  取材日/2021年9月21日

新型インフルエンザの比ではない COVID-19 の病原性

―― 2014年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事に就任し、2016年からは同委員会のチーフ・セキュリティ・オフィサーを務められてきました。無事に東京オリンピック・パラリンピックが終わった今、振り返ってみていかがでしょうか。

大会開催まで7 年間という長期にわたる準備期間を経て本番を迎えるというのは初めての経験でした。今回ほど長くて、かつ曲折に富んだ準備を要した大会はなかったなと思いますが、 「やって良かった」というのが正直な気持ちです。



米村 敏朗氏(当日のインタビュー風景)

米村 敏朗氏(当日のインタビュー風景)

―― 新型コロナウイルス「COVID-19」という新たな問題が発生し、大会が1年延期となった時は「これは大変な事態になったな」という思いがあったのでは?

国家の危機管理というと、大規模な地震、台風などの自然災害や大事故などさまざまなことがあるのですが、新感染症もまた国家における危機管理の最大テーマの一つです。世界の歴史を振り返ってみますと、インフルエンザだけでも10~40年の周期で新型が発生しています。私が内閣危機管理監に就任した2011年の2年前にも新型インフルエンザのパンデミックという事態が起きていました。私が内閣危機管理監に就任した時にはすでに終息していたのですが、新型インフルエンザ対策特別措置法やそれに基づく行動計画の策定作業がありましたので、それなりに勉強はしていたんです。

 

ですから今回、私自身は早くから延期を想定していました。WHO(世界保健機関)がパンデミック宣言したのは2020年3月11日でしたが、個人的にはいやに遅いなと感じました。実はすでにある東京オリンピック・パラリンピックの関係者には「延期した方がいいのでは?」と進言していたんです。そしたら「延期なんかできるわけじゃないじゃないか」とお叱りを受けました。なぜ私が延期の話をしたかと言いますと、新感染症というのはいつの時代も最初は未知のものなんです。ですからその実態が判明するまでは、何をどうしたらいいのかということはなかなかつかめません。極端に言えば、どこまでも未知だったりします。日本では2021年9月30日で緊急事態宣言や蔓延防止措置がすべて解除されましたが、なぜ感染者数が減少しているかはわかっていません。ですから、なおさらまだ何もわかっていない昨年の状態で延期が決定したことは何ら不思議ではなかったですし、もっと早い段階で判断しても良かったと思います。期間が1年というのが妥当だったかはわかりませんが、私自身は「できるならば延期すべきだろう」と思っていました。

しかし実際に1年延期となると、すべての契約をやり直さなければいけないなどの事柄がたくさん発生しました。たとえば、今大会では各競技会場に赤外線センサーや監視カメラを設置し、全体を統括する中央警備指揮所と各会場の警備指揮所のモニターに現場の映像が共有される「統合映像監視システム」を採用したわけですが、その各会場に設置するはずだった監視カメラ約8000台を1年保管しなければならなくなったわけです。でも、さすが民間企業は迅速に対応するなと思いましたね。同システムをつくったパナソニックがプレパレーションセンター(準備センター)というものを用意して、そこでいったん設置を完了させた状態で保管をしたんです。そして1年後の本番となった際に、それをそのまま会場に持って行ってパパッと設置したわけです。これは、すごいなと感心しました。



2010年バンクーバー冬季オリンピック開会式

2010年バンクーバー冬季オリンピック開会式

―― 2009年と言えば、翌年の2010年にはカナダのバンクーバーでオリンピック・パラリンピックが控えていましたが、感染症の拡大で今回と似たような状況だったと思います。

私もその時のことを調べましたが、バンクーバー大会ではほとんど何も対策を講じられませんでした。当時はメキシコ・ベラクルスの町で原因不明の呼吸器感染症集団発生が起きたのを機に、わずか9週間で世界全土に感染が拡大し、2009年6月11日にWHOがパンデミック宣言を出しました。日本でも当時はとても混乱しました。はじめは発症者を隔離して国内にウイルスを入れないという方法がとられていましたが、あっという間に市中感染で広がり、感染経路が追いきれないという事態となったんです。

それで結果的には隔離ではなく、発症を抑えるという対策に切り換えざるを得ませんでした。ですから、今回の新感染症であるCOVID-19のように、1日の感染者数を発表するというようなことはしませんでした。日本国内では推定で約2000万人が感染したとされています。しかし、今回のCOVID-19との大きな違いは、病原性が非常に小さかったという点です。CDC(アメリカ疫病予防管理センター)もリスクの高さにおいては季節型インフルエンザとほとんど変わりがないとしていました。ですから危機管理としても、それほど厳しい対策をとらなくても済んだんです。ところが、COVID-19はそうはいきません。フランスの文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースがHIV感染症(ヒト免疫不全ウイルス)について「それまで小さな完結した生態系の中で密かに存在していた未知のウイルスが、ある日突然人を襲い、またたく間に人類を席巻する」と言っていますが、まさに新感染症の恐ろしさです。徐々にウイルスの実態がわかってきて、どう対応したらいいのかがわかってくると、予防のための対策が講じられるわけですが、最も大事なのは早めのに検査をして隔離の方向にもっていくことと並列してワクチチンや治療薬の開発。こうした体制が整ってくると、結局「Sudden Crisis(突発的危機)」が「Routine Risk(習慣的危険)」に変わります。ですので、Covid-19もなくなるわけではありませんが、いつ「Routine Risk」に変えられるかということです。



“オールジャパン”の結束力で実現したJV(共同企業体)システム

警察による警備風景(東京2020大会)

警察による警備風景(東京2020大会)

―― その「Routine Risk」になかなか変わらないという状況下で、東京オリンピック・パラリンピックを開催しなければなりませんでした。しかも1年延期という予想だにしなかった事態となり、そのための対策は困難を極めたのではないでしょうか。

セキュリティという観点からは、準備の体制を大きく変える必要性はありませんでした。もともと2013年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC(国際オリンピック委員会)総会で東京大会の開催が決定した当初、IOCから組織委員会や日本の国家機関に最も重要事項として切望されていたのはテロ対策でした。

 

2015、2016年にはフランス、ベルギー、ドイツとヨーロッパの各地で繁華街や観光地などのソフトターゲットに対するテロが多発していましたので、非常に恐怖心を持たれていました。テロ対策というのは起こってしまってからでは遅く、未然に防いでこそ勝ちになる。ところが起こってしまった後で、救助活動をしても、もちろんそれも大事なことですが、それは完全なる負けなんです。ですから国家の情報機関やインテリジェンスのコミュニティの中で連携をとりながらやっていくことが重要なんです。それと同時にオリンピック・パラリンピックの中にテロリストを入れないということに関しては、誰がテロリストかはわからないのでセキュリティチェックを徹底的にやらなければいけないし、加えて競技会場をいったんクリーンの状態にして、その状態をずっとキープし続ける必要がありました。そしてそこへ入ってくる人は常にクリーンでなければならない。今大会もそれは徹底して行いました。ですからセキュリティの面からすれば、新感染症が広がる前から計画してきたことをそのまま行っただけでした。ただオリンピック・パラリンピックは圧倒的な巨大イベントで、しかも東京オリンピック・パラリンピックでは拠点を集約したオリンピック・パークがありませんでした。もしオリンピック・パークがあれば、いったんその中をクリーンにさえすれば、あとは入口でセキュリティチェックを徹底的にするだけでいいわけです。ところが、競技会場や非競技会場がそれぞれ独立して各地域に散在していましたので、一つ一つ対策を講じていかなければいけませんでした。だから何より人手が必要でしたので、いかに民間から集めるかということが非常に重要なことでした。



―― そこで採用されたのが、JVでした。

自衛隊による警備風景(東京2020大会)

自衛隊による警備風景(東京2020大会)

オリンピック・パラリンピックのような巨大な国際イベントとなりますと、他国で開催される場合は基本的には軍隊が主導となることがほとんどです。しかし、日本国内では通常イベントの警備は、主催者側が自主警備というかたちで民間の警備会社とチームを形成して行います。最初から警察や自衛隊に要請するということはありません。東京オリンピック・パラリンピックでも、同様のスタイルでした。

そうしたなかでセコムとALSOK(綜合警備保障)がセキュリティサービス&プランニングにおいて「東京2020オフィシャルパートナー」スポンサーシップを締結していました。

 

通常、オリンピック・パラリンピックのスポンサーシップ契約は一業種一社を原則としていますが、セキュリティサービス&プランニングのカテゴリーに関しては、IOCが特例として2社共存という形を認めたんです。ところが、この2社だけでは全国の関連会社を集めても全く人数が不足していました。実際、東京オリンピック・パラリンピックの警備は過去最大規模とされ、1都3県での警備員数は延べ60万超。全国から派遣された約6万人の警察官、約7600人の自衛隊に加えて、全国の553社の警備会社で構成されたJVの警備員が警備にあたりましたが、準備期間を含めた1月5日から10月31日までで算出したJVの警備員数は延べ約60万人でした。つまり、2社では全く賄うことができなかったんです。そこで“オールジャパン”体制をとろうということになりました。これはセコムとALSOKにしてみれば、優先供給権を一部放棄し、収益の一部を他の民間警備会社にも分配するということを意味します。それでも2社はリードして“オール ジャパン”体制を整えてくれましたし、他の警備会社も協力を惜しまなかった。こんなことはおそらく他国では考えられないことかもしれません。

なぜこのようなことが可能だったかといえば、やはりオリンピック・パラリンピックだったからだと思います。私は日本人は世界に類をみないほどのオリンピック好きの国民だと思っていますが、警備に対しても「オリンピック・パラリンピックを成功させるために、よしみんなで協力していこうじゃないか」という気持ちのもとに“オールジャパン”体制ができたのだと思います。こういうモチベーションの高まりというのは、日本人ならではだったのではないかなと思いますね。実はオリンピックの大会期間中、次回2024年の開催都市であるパリ(フランス)大会の警備責任者が視察に来ていまして、私にいろいろと質問してきたのですが、その質問の中心がJVについてで驚きました。 「どうやってこの体制をつくったのか」「どうやればこんなふうにOne Teamとして機能するのか」と事細かに聞いてくるわけです。それで私も「もしかして、パリ大会でもJVをやろうとしているんですか?」と質問したのですが、答えは「YES」でした。正直、フランスで日本と同じようなことができるとは思えませんが、いずれにしてもJVは世界が注目したメイドインジャパンのシステムだったと思います。



会場入り口の 顔認証システム

会場入り口の顔認証システム

―― 今大会では、ICT(情報通信技術)も活用されました。

2012年ロンドン大会でICTが活用され、セキュリティのIT化が進んだわけですが、東京オリンピック・パラリンピックはその比ではありませんでした。あらゆるものがICTを活用していて、例えば新感染症のCOVID-19対策にも日々の健康状態を報告する統合型入国者健康情報等管理システム「OCHA(オチャ)」や、大会期間中定期的に義務付けられたPCR検査結果や感染者情報を管理するための東京2020感染症対策業務支援システム「ICON(Infection Control Support System)」といったネットワークシステムが開発されました。また、NECが開発した顔認証技術を活用したアクセス・コントロール・システムを史上初めて大規模に導入しました。

この顔認証技術はNECから早い段階で話がありまして、検討の結果、全面的に使用することにしました。ただし、アクレディテーション・カード(AD)を持っているアスリートやスタッフをはじめ、大会関係者、メディア、ボランティアに限って採用し、もともと観客に対しては採用しませんでした。というのも、観客にまでとなると、チケットを持っている全員に顔写真を提供してもらい、事前登録しなければならない。それは手間を考えても、個人情報の問題としても難しい。一方、ADを持っている人は、もともと写真を事前登録することになっているので、特に手間が増えるわけではありませんでしたからね。これまでは各競技会場の入場の際に、目視で本人と登録された写真とをチェックしていたわけですが、今回はADに顔の特徴点データが書き込まれた大容量のICチップを埋め込み、入場の際にはADをシステム端末にかざすだけで良かったんです。偽造防止を図るとともに、万が一ネットワークが遮断されても本人確認ができるようにするなど、万全の準備が行われました。本番では48の競技、非競技会場に303台の端末を設置し、ピーク日には一日あたり延べ17万人の入場チェックを行いましたが、結果は完璧でした。顔認証による本人確認が非常に正確かつ迅速であったことによって、チェックする方もされる方も、従来の目視確認に伴うストレスから解放されました。東京大会はネットワーク化された過去最高のオリンピック・パラリンピックだったと思います。



柔道会場(東京2020大会)

柔道会場(東京2020大会)

―― 最も頭を悩ましたのは直前まで決まらなかった観客動員の可否だったのではないでしょうか。

私自身は無観客にせざるを得ないだろうと考えていました。もちろん2020年3月に東京オリンピック・パラリンピックの1年延期が決定した当初は、私も「1年経ったらどうにかなるかなぁ」と思っていました。しかし、途中で「COVID-19はこれまで経験してきた新感染症とは全く次元の違うウイルスで、100年に一度の事態。そう簡単には収束しないだろう」と感じていました。ですから今年の頭にはすでに「無観客の可能性が高いだろう」ということを周囲には漏らしていました。

 

もともと1年延期になった時に、組織委員会にも申し上げましたし、テレビに出演した際も提言しましたが「東京大会は“アスリート・ファースト”ではなく“アスリート・オンリー”という考えでなければなりませんよ」ということでした。つまり、従来通りの形でやるのはとても無理なのだから、オリンピック・パラリンピックの最も重要なエッセンシャルである“競技”に集中すべきだと。私個人としてはすべての競技をやり終えれば、東京オリンピック・パラリンピックは成功だ、と考えていました。そのためには切れるものは思い切って切っていくべきだと思っていました。



水泳会場(東京2020大会)

水泳会場(東京2020大会)

―― そういう意味では、東京オリンピック・パラリンピックは成功した、と言えると。

オリンピック・パラリンピック開催のレガシーとは何か、ということがよく問われますが、私はオリンピック・パラリンピックという舞台でアスリートが生み出す感動がすべてだと思っています。特にこのコロナ禍の中では、その感動が必要だと。だからこそなんとかして開催し、すべての競技をやり終えたいと思っていましたので、9月5日に東京パラリンピックの閉会式が終わった時に、ほっと胸をなでおろしました。「本当にすべての競技をやり終えることができた」「これで十分東京オリンピック・パラリンピックの目的は果たすことができた」と。

日本人はよく「絶対評価」で物事を判断しようとする傾向にありますが、私は大事なのは「相対評価」だと考えています。0か100かみたいに絶対的基準のものさしでは、何もできません。「ここまでできればOK」ということで評価することが大事。その観点からすれば、東京オリンピック・パラリンピックは成功だったと言えます。



東京2020パラリンピック閉会式でパリに引き継がれたIPC旗

東京2020パラリンピック閉会式でパリに引き継がれたIPC旗

―― 1964年東京オリンピックで当時の日本警備保障、現在のセコムという日本初の民間警備保障会社が警備担当として採用され、その後、民間警備の発展へとつながりました。今回、新しく導入された警備システムについても、今後の警備体制のレガシーとなるのではないでしょうか。

まず顔認証システムは非常に有効だということが証明されましたので、近い将来、大規模イベントには活用されていくのではないかと思います。もう一つは、各競技会場に設置した8000台の監視カメラの映像がすべて本部や関係機関で共有できるようにした統合映像監視システムもまた、今後の警備には活用されていくと思います。

 

2018年平昌オリンピック・パラリンピックでは、各競技会場に設置された監視カメラの映像は、本部の一カ所のみで監視するというシステムになっていました。つまり、現場である競技会場ではまったく監視する人が置かれていなかったんです。もし不審者が見つかった場合は、本部から電話で競技会場に連絡すると。これでは手間ですし、ライブで情報が共有されないものだから口頭で伝えられただけでは、なかなか対応が難しかったと思います。これではダメだということで、東京オリンピック・パラリンピックではどこでもライブで情報共有できることを目指したわけですが、今回の統合映像監視システムは本当に素晴らしいものでした。ただ、これだけの数の監視カメラを設置するというのは、オリンピック・パラリンピックだから可能だったんです。設置するのには、それだけコストもかかりますからね。どのイベントでもというわけにはいきませんが、ベースとなるものを整備しておいて、いつでも活用できるようにしておけば、大規模なイベントではとても有効だと思います。



民間警備会社の協力(東京2020大会)

民間警備会社の協力(東京2020大会)

―― 2022年には1年延期されたワールドマスターズゲームズ2021関西、2025年には大阪万博(日本万博博覧会)、翌2026年には愛知県名古屋市でアジア競技大会と、来年以降も日本国内では大規模な国際イベントが続きます。そういうところで活用されることは十分に考えられますね。

非常に効果的だと思いますね。統合映像監視システムはもちろん、顔認証技術についても観客を含めて検討の余地があると思います。大阪万博はパークですから警備しやすいかと思いますが、問題は競技会場が9府県と広域にわたるワールドマスターズゲームズでしょうから、東京オリンピック・パラリンピックでの警備体制は非常に役立つと思います。



「完全な大作」としてIOCからも称賛されたセキュリティシステム

―― 2021年9月9日、警察庁は東京オリンピック・パラリンピックの大会期間中、テロやサイバー攻撃による被害はなかったと公表しました。また大会に関連する事件は9件で、オリンピック開会式が行われた2021年7月23日に国立競技場付近で抗議活動中の過激派「中 核派」の一人が警察官への公務執行妨害容疑で逮捕されるなど、摘発者は計12人ということでした。まさにセキュリティの面で結果を残した大会でした。

これは私個人の感覚ではありますが、コロナ禍の中、原則無観客で行われるなど大会としてはある意味「未完の大作」だったかもしれません。しかし、セキュリティに関しては「完全な大作」だったと思っています。サイバー攻撃に関しても、さまざまな兆候はありましたが、すべてブロックしています。



 中村英正組織委メイン・オペレーション・センターチーフ

中村英正組織委メイン・オペレーション・センターチーフ

―― これまで日本はサイバー攻撃に対しては世界から大きく後れを取っていました。それが東京オリンピック・パラリンピックでは4億5000万回のサイバー攻撃があったものの、すべて水際で阻止し、東京オリンピック・パラリンピックで一切の被害がなく、完全に守られたというのは少し信じがたいというのが正直なところです。いったい何が功を奏したのでしょうか。

私は内閣危機管理監を務める前から実に多くの国内外における危機管理の実務を経験してきました。国内の大型台風なんかもそうだし、海外においても警察庁にいた際、1996年にペルー起きた日本大使公邸占拠事件でも現場に駆け付け、事件解決に従事しました。

 

そういうなかで失敗もありましたし、失敗の一歩手前ということもありました。そうしたさまざまな事例を検証する中で学び、その結果、危機管理において最も大事なことだと痛感したのは「想像と準備」です。私が唯一、東京オリンピック・パラリンピックで一定の役割を果たすことができたと思っているのは、「想像と準備」ということを言い続けてきたことです。要するに後になって「想定外だったのでは?」「後手後手だった」「バラバラじゃないか」というのは、すべて「想像と準備」の欠如もしくは不足が原因です。そして「想像と準備」で重要なことは、頭の中の想像だけで終わるのではなく具体的に“見える議論”をして、具体的な準備に結びつけること。実は、これが新感染症対策においても最も重要なことでした。それを言い続けたところ、財務省出身の中村英正メイン・オペレーション・センターチーフ (東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会スポーツ局長およびゲームズ・デリバリー・オフィサーを兼務)も「想像と準備」を口にするようになり、ほかのFA(ファクショナルエリア:大会運営に必要な52の担当分野)の人たちも言い始めました。オリンピック・パラリンピックというのは巨大な事業で何が起こるかわからない中、実際にことが起こってから対応しても遅いわけです。だからこそ「想像と準備」が大事で、実際に開幕前に事細かに準備をして、サイバー攻撃についても訓練を何度も行いました。サイバー攻撃の被害をゼロに抑えられたのは、「想像と準備」の範囲内で終わったということだと思います。



―― 2012年ロンドン大会では、大会期間中に延べ2億件を上回るサイバー攻撃があったとされています。2016年リオデジャネイロ大会では、支障はきたしませんでしたが、一部のウェブサイトからの情報が搾取されるなどの事態が発生しています。東京オリンピック・パラリンピックが本来開催されるはずだった2020年には、イギリスの外務省からロシアの軍参謀本部情報総局(GRU)が大会の妨害を狙っていたという発表もありました。

本大会HPのページビューは過去の大会よりも相当増えました。また、サイバー攻撃については実際にいろいろと受けました。その内容については極秘事項になっていますので言えませんが、いずれにしてもIOCは開幕前はサイバー攻撃については非常に心配していまして「日本の今の体制では危ない」と言われ続けていたんです。システムについてはIOCからも 「あれを入れたらどうだろうか」「これも入れたらどうだ?」というような話がたくさん来ました。しかしサイバー攻撃に対する新しいシステムを導入した際には必ずさまざまな支障が出てきます。それを検証を繰り返すことにによって早めにどこに穴があるかを見つけて、そこを修復しながらやっていかなければいけません。ですから新しくシステムを導入するよりも、ようやくここまで検証を重ねてきた日本のシステムを実働化させて、そこで問題の有無をチェックすることの方が先決でした。IOCとも結構な議論があって、完全に無視をするわけにはいきませんでしたから悩ましいものがありました。いずれにしてもセキュリティ全体について申し上げれば、IOCのセキュリティ担当者からは押しつけがましいことはほとんどありませんでした。おそらく日本のセキュリティ体制の精巧さに驚いたのだと思います。実際、東京オリンピックが閉幕した後に、そのIOC担当者が私のところへやってきまして「パーフェクトだ、素晴らしい」と言って、満面の笑みを浮かべながらメダルをくれました。そのメダルには「Excellence in Security」と刻まれていたんです。



東京2020オリンピック閉会式

東京2020オリンピック閉会式

―― 実際にはどのようなサイバーセキュリティ体制がしかれたのでしょうか。

導入したシステムでどこまで耐えられるかというところで最も大変だったのは、テクノロジー局でした。私自身もサイバー攻撃については専門家ではないけれど、フランツ・カフカ(チェコ出身のユダヤ人で20世紀の西欧文学を代表する小説家)が「悪は善のことを知っている。しかし善は悪のことを知らない」と言っていますが、サイバー攻撃についてもまさにそうで、攻撃をする側の方がこちらよりも一枚も二枚も上手の可能性がある。それでも検証を重ねたことによって、さまざまな攻撃をブロックすることができました。実は2018年平昌大会が非常に危険な状況にあったんです。正直、よく最後までもったなと思いますよ。平昌大会ではその都度対応して、なんとか大会を最後までやり終えた感じでしたが、東京大会では事前に準備を行い、攻撃をブロックできたということが大きかったですね。一番恐れていたのは、ハクティビスト(社会的・政治的な目的でサイバー攻撃を行うハッキング活動家)でしたが、今回も攻撃を受けたとは思いますが、それもブロックできる範囲内でおさまったということは良かったなと思います。



新感染症に“打ち負けなかった”大会としての成功

 東京マラソン スタート風景

(左)2008東京マラソン 石原慎太郎都知事(右から二人目)
(右)2007東京マラソン スタート風景

―― 話は変わりますが、米村さんご自身は、どんなスポーツをされてきたのでしょうか。

私は中学校、高校と陸上部に所属していて、中距離の選手でした。高校では正課が柔道でしたし、趣味でテニスもしたりしていました。だから、もともとスポーツは好きなんです。

 

警察庁の面々もとてもスポーツに関心が強い人たちが多かったですね。そうそう警視庁時代の思い出と言えば、東京マラソンです。石原慎太郎東京都知事(当時)が東京マラソンをやろうと言い始めた際、警視庁は反対していたんです。私自身は「やったらいいじゃないか」と思っていました。例えばニューヨークマラソンがありますが、あれはマラソン大会でもありますが、大きく言えばフェスティバルなんです。そういう意味では東京フェスティバルをしたらいいのにと。結局、東京マラソンも定着して、今では随一の人気を誇るマラソン大会になりましたよね。私は人間にとって、スポーツは必要不可欠なものだと思います。私自身、今もちょっとした運動やジョギングをしたりしています。自宅近くにある24時間営業のスポーツジムに行ったり、皇居の周回コースを走ったりすることもあります。体を動かさないと気分が悪くなってしまうんですよ。それにスポーツマンシップというのは、フェアな精神が重要です。さらにチームスポーツでは、チームワークを考えたりしますから、スポーツを通じて人間にとって大事なことを得られます。まさにJVに必要だったのはチームワークで、“One Team”の精神がなければ、とても無理でした。



セバスチャン・コー氏。右はIOCバッハ会長(東京2020大会)

セバスチャン・コー氏。右はIOCバッハ会長(東京2020大会)

―― 改めて、米村さんにとって東京オリンピック・パラリンピックは、どんな大会だったでしょうか。

これは私が直接聞いたわけではないのですが、IPC(国際パラリンピック委員会)の人が「パラリンピックは不可能を可能にする大会だ」と言っていたそうなんです。実際に私もパラリンピックを見ていて、本当にそうだなと思いました。それからIAAF(世界陸上競技連盟)会長のセバスチャン・コー氏が「お世辞ではなく、コロナ禍での大会は日本ではなくてはできなかった。この献身的な仕事は誇れるものだ。日本の運営に驚き、感謝している。世界のスポーツ界から尊敬されるべきものだ」と言っていますが、これはお世辞ではなく実感がこもっている言葉だと思います。


私もはっきり言って「日本だからできた」と思っています。やはり日本人の生真面目さが非常に大きかったと思いますね。例えばボランティアの方々にしても、「ボランティアだから」ということではなく、真に相手のことを思って真心を持って対応してくれました。



米村 敏朗氏(当日のインタビュー風景)

米村 敏朗氏(当日のインタビュー風景)

―― 開幕前は、「新型コロナウイルスに打ち勝った証としての開催」が叫ばれていましたが、結局、無観客として歪な大会になりました。その点に関してはいかがでしょうか。

新感染症のCOVID-19が収束しない中で行われた東京オリンピック・パラリンピックが、果たして人類がウイルスに打ち勝った証として完全な形で行われたと言えるかはわかりません。ただ、間違いなく“打ち負けなかった”とは言えるのではないでしょうか。東京オリンピック・パラリンピックは“打ち負けなかった証”としては完全な形だったと思います。それこそ、人類にとっては勝つことよりも負けないことの方がとても意義のあることのような気がします。人生にはさまざまなことが起こります。そうしたなか、その現実に負けないためにいかに努力することが重要で、どれだけ大きな力を生み出すのか、ということは、パラリンピックを見てつくづく感じました。



―― とはいえ、まだ開催そのものに否定的な国民もいます。この人たちにはどのように説明すればいいでしょうか。

もともとスポーツやオリンピック・パラリンピックに関心がない人はいますから、そういう人たちは仕方ありません。また、例えば公平、平等を問われれば、確かにオリンピック憲章と照らし合わせても世界中のアスリートが公平、平等に参加し、競技ができたかと言えば、さまざまな問題があったと思います。国・地域によってはCOVID-19のパンデミックの中で、なかなか練習が積めなかったアスリートもいたことでしょう。またアスリートにとって最大の触媒であるはずの観客が原則ゼロだったわけですから、完全なオリンピック・パラリンピックだったとは言えません。“未完の大作”だったのだと思います。ただそうであっても、“打ち負けなかった”ということは、オリンピック・パラリンピックの全競技を、一つも欠かすことなくやり遂げたことで証明されたのではないかと思います。実際IOCからも世界のメディアからも称賛されていますし、東京オリンピック・パラリンピックを開催したことを日本人は誇りにしていいと、私は思います。



“打ち負けない”姿に感動の連続だったパラリンピック

警察学校体育祭での米村氏(2008年9月)

警察学校体育祭での米村氏(2008年9月)

―― 巨大化し続けているオリンピック・パラリンピックですが、警備面の責任者でもあった方として、今後はどうあるべきだとお思いでしょうか。

特にオリンピックの方は、このまま継続して開催していくのは正直難しいと思いました。東京大会で言えば、17日間、開会式前のサッカー、女子ソフトボールの予選を加えれば19日間、42会場で33競技339種目を実施したわけです。経費やセキュリティの面からして、これだけ巨大なイベントを実施できる国や都市は世界でも限られています。私は無理して総合大会にしなくてもいいのではないかと思います。同じ世界のトップアスリートが集結する世界最高峰のスポーツ大会を開催するにしても、単体競技であれば、たとえコロナ禍でもそう難しいことはないと思います。あるいは総合大会をするにしても一つの都市とするのではなく、さまざまな都市にまたがって行い、施設も既存のものを使用すればいいのだと思います。それこそ陸続きのヨーロッパなら国をまたいでの開催も可能だと思います。



―― 2014年12月のIOC総会で「オリンピック・アジェンダ2020」が採択され、オリンピック・ムーブメント改革の方針による40の提言が決議されました。また、2021年3月のIOC総会では、「オリンピック・アジェンダ2020+5」が採択され、2025年までのオリンピック・ムーブメントの新たなロードマップができました。「連帯」「デジタル化」「持続可能な開発」 「信頼性」「経済的・財政的なレジリエンス(回復力)」の5つを柱として、オリンピックのあり方を再構築していくための指針が示されたわけですが、提言の一つには「開催都市以外での競技開催」も含まれています。その分、警備も難しくなりますが、実際、2024年パリオリンピックでは、サーフィンの会場が南太平洋のタヒチとされています。

とてもいい傾向だと思います。タヒチはもともとフランス領だったということもあるのだと思いますが、私はもっと明確に広範囲に各競技の開催地を移譲させてもいいと思います。一つの都市開催とするのではなく、この競技はフランス、この競技はアメリカというふうにして、世界中に分散させてもいいのではないかなと。これまでのこだわりを取っ払って、もっと視野を広げ、それこそ「想像と準備」を大事にして“目に見える”議論をすれば、オリンピック・パラリンピックを存続させる方法はいくらでもあると思います。



東京2020オリンピック新競技 スケートボード

東京2020オリンピック新競技 スケートボード

―― コロナ禍での東京オリンピック・パラリンピック開催を実現させたことは、若い世代にはどのような影響があったと思われますか?

例えば、オリンピックで初めて正式採用されたアーバンスポーツ(スケートボードやスポーツクライミングなどの都市型スポーツ)は、大きな影響を及ぼしましたよね。これからさらに人気が出てくるのではないでしょうか。ただ、一番大きかったなと思うのは、パラリンピックですね。1964年の時も東京パラリンピックは行われていましたが、一般的に見る、知る機会がほとんどなく、開催されていること自体知らなかった人も少なくなかったと思います。ところが、今回は会場には行けませんでしたが、大勢の人がテレビやインターネットで見る機会がありました。そして大きな感動をもらいましたよね。スポーツの力を感じた若い人たちも多かったのではないでしょうか。



東京2020パラリンピック ボッチャの杉村英孝選手

東京2020パラリンピック ボッチャの杉村英孝選手

―― ハード面では、日本はだいぶバリアフリー化が進んできたと思いますが、どちらかというと問題は“心のバリアフリー化”だと思います。これについては、いかがでしょうか。

私は30年ほど前、旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の首都ベオグラードに勤務し、生活していました。ご存知のように旧ユーゴスラビアは民族対立の激化と内戦により、2003年に完全に崩壊。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6カ国に分離されました。
現在はセルビアの首都となったベオグラードに、内戦後に訪れた時は驚きました。街のあちこちに内戦の傷跡は残っているものの、「これが、あのベオグラードなのか」と目を疑うほどの人々の明るさと活気に満ち溢れていたのです。社会主義の時代には、Uniformity(画一性)と、社会主義という正義に反するもののExclusion(排除)が信条だったのが、現在はDiversity(多様性)とInclusion(包摂)に変わっていました。結局、社会の発展や人類の幸せというのは、すべて「Diversity&Inclusion」の中から生まれるものなんですね。その「Diversity&Inclusion」が詰め込まれているのが、まさにパラリンピックだと思います。



―― 今回、特にオリンピックの方で問題となったのが、SNSでのアスリートへの誹謗中傷です。

本当にひどかったですよね。ダメなものはダメだと、国も何かしらの策を講じるべきだと思います。直接1対1ではとても言えないことを、匿名によって感情を吐き出してしまっているわけです。被害者にしてみれば看過できるものではありません。「表現の自由」をはき違えているなんてものではなくて、犯罪と言ってもおかしくない。厳罰化することも必要ですし、運営会社が野放しにせずに強制的に削除するようにしていくべきだと思います。



東京2020パラリンピック競泳50m・100m背泳で
銀メダルを獲得した山田美幸選手

東京2020パラリンピック競泳50m・100m背泳で銀メダルを獲得した山田美幸選手

―― 最後に後世に伝えたいことをお聞かせください。

さまざまな困難が降りかかる人生において「打ち負けない」ことの重要性です。パラリンピックのアスリートたちを見ていると本当にそう思います。例えば、東京パラリンピックで史上最年少14歳で銀メダルを獲得した水泳の山田美幸さんの泳ぐ姿や言葉には感動しました。
山田さんのお父さんは2年前にお亡くなりになっているそうですが、そのお父さんが「お父さんは河童だったんだよ」と言っていたということで、彼女がメダルをとった時「私も河童になったよ」と天国のお父さんに語りかけました。その記事を見て、涙が出ました。

それからパラアーチェリーに出場した岡崎愛子さんは、2005年4月25日に起きたJR福知山線脱線事故で頚髄を損傷し、首から下に麻痺が残ったわけですが、当時私は大阪府警の本部長をしていました。現場から戻ってきた隊員から話を聞くと、現場は惨憺たるものだったそうです。その現場に彼女がいたのかと。そしてこうして東京パラリンピックに出場するまでにどれだけの努力をしてきたのだろうと思うと、感動せずにはいられませんでした。

 
ウエイトリフティングの三宅宏実選手(東京2020オリンピック)

5大会連続出場を達成したウエイトリフティングの三宅宏実選手(東京2020オリンピック)

オリンピックの方も、私は金メダルを取ることだけが全てではないと思っています。例えば、5大会連続出場だった重量挙げの三宅宏実さんは、ジャークで3回ともに失敗をして記録なしに終わりましたが、ここまでどれだけ努力してきたのかを考えたら、やはり感動しましたし、それこそが一番の価値だと思います。

スポーツは、勝つだけが最高の価値だということではないということを、若い世代の方々にも知ってもらいたいと思いますし、東京オリンピック・パラリンピックはその価値を知ってもらえた機会になったのではないかと。それもまた東京オリンピック・パラリンピックを開催したからこそ生まれたレガシーなのではないでしょうか。



  • 米村 敏朗氏 略歴
  • 世相

1912
明治45

ストックホルムオリンピック開催(夏季)
日本から金栗四三氏が男子マラソン、三島弥彦氏が男子100m、200mに初参加

1916
大正5

第一次世界大戦でオリンピック中止

1920
大正9

アントワープオリンピック開催(夏季)

1924
大正13
パリオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の入賞となる6位となる
1928
昭和3
アムステルダムオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の金メダルを獲得
人見絹枝氏、女子800mで全競技を通じて日本人女子初の銀メダルを獲得
サンモリッツオリンピック開催(冬季)
1932
昭和7
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
南部忠平氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
1936
昭和11
ベルリンオリンピック開催(夏季)
田島直人氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
織田幹雄氏、南部忠平氏に続く日本人選手の同種目3連覇となる
ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック開催(冬季)

1940
昭和15
第二次世界大戦でオリンピック中止

1944
昭和19
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1947日本国憲法が施行
1948
昭和23
ロンドンオリンピック開催(夏季)
サンモリッツオリンピック開催(冬季)

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951 米村 敏朗氏、兵庫県に生まれる
  • 1951日米安全保障条約を締結
1952
昭和27
ヘルシンキオリンピック開催(夏季)
オスロオリンピック開催(冬季)

  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピック開催(夏季)
コルチナ・ダンペッツォオリンピック開催(冬季)
猪谷千春氏、スキー回転で銀メダル獲得(冬季大会で日本人初のメダリストとなる)
1959
昭和34
1964年東京オリンピック開催決定

1960
昭和35
ローマオリンピック開催(夏季)
スコーバレーオリンピック開催(冬季)

ローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催
(のちに、第1回パラリンピックとして位置づけられる)

1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
円谷幸吉氏、男子マラソンで銅メダル獲得
インスブルックオリンピック開催(冬季)

  • 1964東海道新幹線が開業
1968
昭和43
メキシコオリンピック開催(夏季)
テルアビブパラリンピック開催(夏季)
グルノーブルオリンピック開催(冬季)

1969
昭和44
日本陸上競技連盟の青木半治理事長が、日本体育協会の専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)の委員長に就任

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1972
昭和47
ミュンヘンオリンピック開催(夏季)
ハイデルベルクパラリンピック開催(夏季)
札幌オリンピック開催(冬季)

  • 1973オイルショックが始まる
  • 1974 米村 敏朗氏、京都大学法学部を卒業し、警察庁に入庁
1976
昭和51
モントリオールオリンピック開催(夏季)
トロントパラリンピック開催(夏季)
インスブルックオリンピック開催(冬季)
 
  • 1976ロッキード事件が表面化
1978
昭和53
8カ国陸上(アメリカ・ソ連・西ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ポーランド・日本)開催  
 
  • 1978日中平和友好条約を調印
1980
昭和55
モスクワオリンピック開催(夏季)、日本はボイコット
アーネムパラリンピック開催(夏季)
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
ヤイロパラリンピック開催(冬季) 冬季大会への日本人初参加

  • 1982東北、上越新幹線が開業
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
ニューヨーク/ストーク・マンデビルパラリンピック開催(夏季)
サラエボオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1988
昭和63
ソウルオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
鈴木大地 競泳金メダル獲得
カルガリーオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1992
平成4
バルセロナオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて日本女子陸上選手64年ぶりの銀メダル獲得
アルベールビルオリンピック開催(冬季)
ティーユ/アルベールビルパラリンピック開催(冬季)

1994
平成6
リレハンメルオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1995阪神・淡路大震災が発生
1996
平成8
アトランタオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて銅メダル獲得

  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
長野オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1998米村 敏朗氏、小渕恵三内閣総理大臣秘書官に就任
2000
平成12
シドニーオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
高橋尚子氏、女子マラソンにて金メダル獲得

2002
平成14
ソルトレークシティオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2004
平成16
アテネオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
野口みずき氏、女子マラソンにて金メダル獲得

  • 2004米村 敏朗氏、大阪府警察本部長に就任
  • 2005米村 敏朗氏、警視庁副総監に就任
2006
平成18
トリノオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2006米村 敏朗氏、警察庁警備局長に就任
2007
平成19
第1回東京マラソン開催

  • 2007米村 敏朗氏、警察庁長官官房長に就任
2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
男子4×100mリレーで日本(塚原直貴氏、末續慎吾氏、高平慎士氏、朝原宣治氏)が3位となり、男子トラック種目初のオリンピック銅メダル獲得

  • 2008米村 敏朗氏、警視庁警視総監に就任
  • 2008リーマンショックが起こる
2010
平成22
バンクーバーオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2011米村 敏朗氏、内閣危機管理監に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドンオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
2020年に東京オリンピック・パラリンピック開催決定

2014
平成26
ソチオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2014米村 敏朗氏、内閣官房参与に就任
    米村 敏朗氏、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事に就任
2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催(夏季)

  • 2016米村 敏朗氏、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会チーフ・セキュリティ・オフィサーに就任
2018
平成30
平昌オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2020
令和2
新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、東京オリンピック・パラリンピックの開催が2021年に延期
2021
令和3
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)