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「2つの金メダル」と「United by Emotion」

【2020年東京オリンピック・パラリンピック】

2022.03.22

1.男子走り高跳びで何が起きた?

 オリンピック、パラリンピックはその長い歴史の中にさまざまな印象に残る場面を残してきた。東京2020大会でもまた、心が動く場面があった……。

 大会10日目の81日、陸上男子走り高跳び決勝をテレビ観戦していたときだ。審判が1位を争う2人の選手に話しかけると1人の選手が答え、審判がうなずくともう1人が飛び跳ねて片方の選手に抱きついた。

 何が起きたのか、一瞬わからなかった。テレビの中継が2人の同時優勝を伝えてくれてようやく疑問は氷塊した。

 走り高跳び決勝は239にバーの高さがあがり、ここまで残っていたカタールのムタズエサ・バルシム、イタリアのジャンマルコ・タンベリ、そしてベラルーシのマクシム・ネダセカウがそろって3度の試技に失敗した。この時点で237を1回でクリアしていたバルシムとタンベリが残り、3回目に成功したネダセカウの銅メダルが決まった。

 これから2人の順位を決める「ジャンプオフ」が始まる。審判員はその確認に向かい、「ジャンプオフ」をするかを聞いた。するとバルシムは、逆にこう尋ねたという。

 「Can we have two golds?」

 金メダルを2つもらえるか? 問いかけに審判員がうなずくと2人は目と目を合わせ、握手を交わして固いハグ。最高の笑顔で互いを祝福し合った。

 日本陸上競技連盟発行の『陸上競技ルールブック2021』の競技規則には、走り高跳びや棒高跳びなど跳躍競技の順位を決める項目の最後にこう書かれている。

 「当該競技者がもうこれ以上跳躍しないと決めた場合を含みジャンプオフが実施されない場合、同成績により第1位となる」

 スポーツ競技は本より優劣を決めるもの。最後まで正々堂々と戦い、その結果、勝者と敗者に分かれても競技が終われば互いを称え合う。かつてはスポーツマンシップ、いまはスポーツパーソンシップとよぶ神髄である。そうした意味ではジャンプオフを行い、決着をつけるのが筋であった。

 ルール上、1人が決着を望めばジャンプオフは実施しなければならない。走り高跳びはこれまでの大半、ジャンプオフを選択してきた。しかし東京の2人は、それを望まなかった。互いが「2つの金メダル」を納得した。

東京2020大会、走り高跳びの2人の金メダリスト、タンベリ(イタリア/左) とバルシム(カタール/右)

東京2020大会、走り高跳びの2人の金メダリスト、タンベリ(イタリア/左) とバルシム(カタール/右)

 背景がある。2016年リオデジャネイロ大会前、モンテカルロで行われた競技大会。タンベリは239のイタリア新記録を樹立、さらにバーを241にあげた。ところが踏み切りで左足をひねり、腱を切った。競技生活も危ぶまれるほどの大怪我だった。

 苦痛に顔をゆがめたタンベリのもとに真っ先に駆け寄ったのがバルシム。「number web」に掲載されたスポーツライター弓削高志氏の文章によると、バルシムはタンベリの肩をさすって手を握り、医療スタッフを手伝い、アイシングまで施したという。

 バルシムは2012年ロンドン銅、リオでは銀メダルを獲得したトップジャンパー。ライバルのタンベリが直面するアクシデントはいつ自分に起きても不思議ではなかった。そして2018年夏、バルシムもまた足を負傷。東京大会の金メダルに黄信号が灯った。タンベリの苦痛は自分の苦痛になった。だからこそ、同じように東京に挑んだ結果を共有したかったのであろう。

 のちにバルシムは自身のツイッターに書いた。「1つの金メダルよりいいものを知っているか? ふたつ(の金メダル)だ!」と。そしてタンベリも試合後に語った。「2人とも負傷を乗り越えてきたが、金メダルを共有できることは信じられない」と。表彰式ではカタール、次いでイタリアの順に国旗が掲揚され国歌が無観客のスタンドに流れた。

2.1964年、9時間の死闘

 あの日、喜び合う2人を眺めながら、私は棒高跳びの壮絶な闘いを思った。1936年ベルリン大会の5時間を超える闘いは、このシリーズに『西田修平・大江季雄 友情のメダル』として取り上げた。ここでは1964年東京大会の9時間を超えた死闘を書き留めたい。

 その年の1017日。当時、北陸の小都市の小学4年生だった私は「早く寝なさい」という母親に生返事をしながら、しかしテレビの前を動けないでいた。1本のポールがしなやかに選手たちを宙に放り上げる棒高跳びの面白さ、「グラスファイバー」という未知の言葉、米国選手のどこか悲壮感が漂う表情に魅入られた。翌日が日曜日という気楽さか、母がうるさく急かさなかった事が幸せだった。

 午後1時に始まった競技は夕方までに予選を終え、日本選手はすべて姿を消した。NHKテレビは、グラスファイバーというガラス繊維を使ったポールが高さの限界を押し上げ、東京大会前年の1963年に5mの壁を破ったと強調。実力で劣る日本選手がグラスファイバー製ポールを使いこなせていないと指摘した。

メダル争いに残ったのは3選手。米国の1人と東西分立時代の統一ドイツ選手団から2人。3人の争いは505にあがり、1回目でクリアしたのはドイツのウォルフガング・ラインハルトのみ。同僚のクラウス・レーネルツは3度の試技、すべてを失敗した。米国のフレッド・ハンセンも1回、2回と失敗。もう後がない状況に立たされた。

 テレビがハンセンの思いつめた表情をとらえる。試技までにかける時間を目いっぱい使い、ハンセンは3回目「パス」を申し出た。バーを510にあげ、逆転に望みを託す作戦だ。クリアできなければ金メダルはラインハルト。窮地に変わりはない。

 米国は1896年第1回アテネ大会以降、棒高跳びを勝ってきた。パスはハンセンと米国の名誉をかけた賭けだ。

1964年東京大会、棒高跳びの長い戦いを制したハンセン (米国)

1964年東京大会、棒高跳びの長い戦いを制したハンセン (米国)

レーネルツが落とした時点で午後8時だった時計は9時を過ぎていた。10月半ばを過ぎた東京の夜は寒い。2人は毛布にくるまり、身体を温めながら試技の時を待った。

2人とも2回続けてバーを落とした。3回目、先に跳ぶのはハンセン。意を決したように走り出し、オリンピック新記録となる高さを見事に超えた。逆に追い詰められたラインハルト。気合を込めた最後の試技はわずかに身体がバーに触れ、無情にも地面に落ちた。時計は午後10時をまわっていた。9時間を超えるまさに死闘だった。いまも忘れられない東京大会の思い出のひとこまである。

 東京2020大会では、日本人で初めてマスターズを制した松山英樹が男子ゴルフに出場。松山を含めた7人が3位タイに並び、プレーオフでたった1つの銅メダルを争った。女子も選手2人の2位を争うプレーオフとなり、日本の稲見萌寧が制した。ゴルフも走り高跳びも、あの壮絶な1964年の棒高跳びも、それぞれの形があっていいと思う。

3.トラックの格闘技だから起きた友情

 “走り高跳び友情物語”の翌2日、再びスポーツの深さを思う“教材”に出会った。陸上男子800m準決勝である。

 400mトラックを2周するレースはスタートからセパレートレーンを走り、120m地点、第2コーナーとバックストレートの境目でオープンレーンとなる。位置取りの駆け引き、さらにラグビーでいうモール状になってスピードを増していくことから接触、転倒などアクシデントが起きやすい。中長距離種目が「格闘技」と言われる所以だ。

 2012年ロンドン大会2位、ボツワナ初メダリストのニジェル・アモスは準決勝3組に出場した。レース終盤、最後のコーナーにかかったところでアクシデントは起きた。

 団子状態からスピードをあげようとした米国のアイザイア・ジューイットが自身の足をからませて転倒。真後ろを走るアモスが巻き込まれた。ふたりは集団から大きく遅れた。

 失意で座り込んだ2人。テレビをみていた私は棄権するだろうと思った。ところが2人は起き上がり、片膝をついた状態で握手を交わすと立って肩を並べ、ゆっくりと走り出した。先頭から50秒以上遅れてゴール。無観客ではあったが、先着していた選手たちや運営スタッフが笑顔と拍手で出迎えた。いい光景だと思った。同時に、見たことのある景色に気づかされた。

 前回リオ大会陸上女子5000m予選。残り2000mあまり、ニュージーランドのニッキ・ハンブリンと米国のアビー・ダゴスティーノが接触し、もつれあって倒れた。

 決勝への夢が断たれ、ハンブリンはトラックに倒れこんだ。ダゴスティーノは「最後まで走ろう」とはげました。

2016年リオ大会、走り終えて抱き合うダゴスティーノ(米国) とハンブリン(ニュージーランド)

2016年リオ大会、走り終えて抱き合うダゴスティーノ(米国) とハンブリン(ニュージーランド)

しかしダゴスティーノは足を痛めて、次第に遅れてしまう。今度はハンブリンが励ました。ダゴスティーノを待ちながら、2人は走った。競技場は大きな拍手に包まれた。

 大会関係者は2人と巻き込まれたもう1人を特例で決勝に進出させた。そして東京でも巻き込まれたアモスだけではあったが、決勝進出が容認された。

 アモスはレースを振り返り「United by Emotion」と答えた。東京2020大会開会式が掲げたモットーであり、「感動で私たちはひとつになる」という意味である。あのレースこそ、その体現ではなかったか。米国の放送権を持つNBCテレビは公式ツイッターで「究極のスポーツマンシップ」との表現で称えた。

4.選手たちが変えた世の中の空気

 国際オリンピック委員会(IOC)の公式サイト「olympic.com」は「男子走り高跳びの2つの金メダル」や「陸上800mのアモスとジューイット」をはじめ、9つの話題をとりあげて『東京2020、記憶に残る9つの名場面』として掲載した。そこには心身の不調から女子体操個人4種目の決勝のうち3種目を棄権、密かな調整の末に最後の平均台に出場して銅メダルを獲得した米国の「シモーネ・バイルズの葛藤と復活の笑顔」やメンタル面の不安を告白し直前のウィンブルドン大会を棄権、心身の状況が心配されたテニスの「大坂なおみの聖火点火」なども含まれた。

選手たちがロールモデルとなりそうな場面の特集ではあったが、東京2020大会を象徴するシーンとして歴史に留めておきたい。惜しむらくは物語にして、例えばバイルズ復活の裏に順天堂大学体操部の国境を越えた献身があったことなど広く伝えて欲しかった。

 オリンピックはどの大会でも常に、そうした物語を用意している。それは選手たちの真摯なパフォーマンスから生まれる話だ。新型コロナウイルス感染下で開催された大会は批判にまみれた。不祥事、不手際が批判を増幅した。しかし選手たちの取り組みがテレビやインターネットを通して拡散され、人々の気持ちを和らげ共感へと変えていった。「中止」「延期」の風潮から「開催してよかった」への流れの変化である。東京2020大会のひとつの側面にほかならない。

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スポーツ歴史の検証
  • 佐野 慎輔 尚美学園大学 教授/産経新聞 客員論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等も務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。