オリンピックの歴史を浮き彫りにする逸話や論考を集めました。
この晴れ舞台で大切なのは勝利だけではありません。世界平和への願いを背負ったこの祭典は、参加者や運営者、関係者の心のありようが試される場でもあるのです。
- 調査・研究
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オリンピックの歴史を浮き彫りにする逸話や論考を集めました。
この晴れ舞台で大切なのは勝利だけではありません。世界平和への願いを背負ったこの祭典は、参加者や運営者、関係者の心のありようが試される場でもあるのです。
オリンピックの歴史を年表などで紹介しています。
オリンピック開催国・開催都市・主な出来事、金メダリスト一覧、パラリンピック個人メダル獲得トップ50など。
オリンピックの創始者クーベルタンによる「オリンピック復活」、そして「スポーツの力を取り込んだ教育改革を地球上で展開し、これによって世界平和に貢献する」という理念(オリンピズム)についてご紹介します。
執筆者:佐野 慎輔 View more日本のオリンピック初参加に尽力した講道館柔道の創始者、嘉納治五郎についてのエッセイ。
日本のスポーツが、国際的なひのき舞台に第一歩を踏み出し、1964年東京大会で柔道が公式競技となる土台を築きました。
日本が初めて獲得したオリンピックのメダルは、日本が2回目の参加を果たした1920年のアントワープ大会でテニスの熊谷一彌(全米ランク3位)、柏尾誠一郎が獲得した銀メダル。
そこから数々の競技でオリンピック大会にさまざまな足跡を残していく日本勢の活躍が始まった。
日本が初参加した1912年ストックホルムオリンピック。初めて参加した日本人、三島彌彦(陸上)と金栗四三(マラソン)についてのエッセイです。
日本スポーツ界の大きな第一歩は、国際舞台の厳しさを嫌というほど味わわされたオリンピック初参加でした。
1928年アムステルダムオリンピックで、ついに日本初の金メダルを獲得した三段跳びの織田幹雄。
小柄なハンディをカバーする独自の工夫や試行錯誤の積み重ねと、そうして生み出した技を磨みがきぬく勤勉な努力が、日本に初めての金メダルをもたらした。
オリンピックの歴史の中から、日本初女子メダリスト・人見絹枝をご紹介します。
人見絹枝は1928年アムステルダムオリンピックに、日本女子選手として初めてオリンピックに出場し、800mで銀メダルを獲得しました。
オリンピックの歴史の中から、日本のお家芸といわれる水泳競技、前畑秀子、北島康介などの選手をはじめとする「水泳ニッポン」の歴史をご紹介します。
執筆者:佐野 慎輔 View more体操ニッポンの歴史、1964年東京オリンピック金メダリストの小野喬から、3回のオリンピックで金メダル3個、銀メダル4個、合計7個のメダルを獲得した内村航平までご紹介します。
執筆者:大野 益弘 View moreオリンピックの歴史の中から、1924年パリオリンピックで銅メダルを獲得した内藤克俊から、日本レスリング協会の現会長 福田富昭まで日本のレスリングについてご紹介します。
執筆者:佐藤 次郎 View more女子レスリングで連勝し続ける超人、世界選手権で史上最多となる13連覇を達成した吉田沙保里氏、オリンピック4連覇を遂げた伊調馨、2人のオリンピック金メダリストをご紹介します。
執筆者:佐野 慎輔 View moreオリンピックで金メダルを獲得した日本の女子選手たちの活躍をたどっていこう。
長い間、男子選手に集中してきた金メダルだが、2004年アテネ大会では、ついに女子が金メダル数で男子を上回った。
日本女子金メダル優位の傾向は、2020年東京大会についても続いていく可能性が大いにある。
日本のスポーツ史は、そのまま、世界の背中を追う足どりであったように思う。
スポーツの先進地域である欧米からは遠く離れた小さな島国。文化も違うし、言葉もまったく異なる。
早く国際化をはかりたい。「世界」と対等に戦ってみたい。その願いをかなえようと力を尽くしてきたのが、すなわち日本のスポーツ界が歩んできた歴史であった。
ドーピングは禁止薬物や禁止された手法によって競技力を高め、優位に勝利を得ようとする行為である。
公正さを失われ、選手の健康を害し、スポーツの価値を犯す。
オリンピック、いやスポーツを持続可能にするためにも、WADAを中心とした連携を強化、負の遺産の撲滅を図らなければならない。
IOC委員の間では「負の遺産」を解消しなければならないという意識が共有されている。
「今が変化の時だ」。トーマス・バッハIOC会長はオリンピックのもつ理想と現実との融合を訴えた。
オリンピックにはその時々の世相が色濃く反映される。時代を映し出す鏡と言ってもいいだろう。
となれば、当然ながら社会のゆがみや未解決の重い課題なども否応なく目の前に突きつけることになる。
戦争、動乱、差別、人権問題、テロ、政治的動きの数々―オリンピックには常にそうした暗い影、苦い味が顔をのぞかせている。
思いも、伝統も、技も、精神も。さまざまな形、さまざまな姿で脈々と受け継がれていくことこそが、オリンピックをオリンピックたらしめている。
執筆者:佐藤 次郎 View moreアメリカ国歌が演奏され、星条旗が掲揚される間、金メダリストのスミスと銅メダリストのカーロスは、視線を下にして頭を垂れ、黒い手袋を着けた握り拳を高々と突き上げていた。会場は騒然とした。
オリンピックにおける政治的パフォーマンスはオリンピック憲章に抵触するとして、オリンピック村から追放。この事件は「ブラックパワー・サリュート(黒人の力を示威する敬礼)」と呼ばれるようになる。
2人のアフリカ系アメリカ選手は、この行為によって、世界中から非難され、迫害され、壮絶な人生を歩むことになるが、彼らよりももっと過酷な人生を歩むことになったのは、銀メダリストの白人選手、オーストラリアのピーター・ノーマンだった。
八村塁の活躍で注目を集めるNBA、バスケットボールの歴史を簡単に振り返り、1992年バルセロナオリンピックの8試合すべてが100点ゲームのドリームチームを紹介。
マジック・ジョンソン、ラリー・バード、マイケル・ジョーダンといったスタープレーヤーのドリームチーム結成に迫る。
聖火リレーの歴史は1936年ベルリン大会でナチスから始まり、1948年ロンドン大会から平和の象徴として生まれ変わった。発案者は、ベルリン大会組織委員会事務総長でスポーツ学者のカール・ディーム。現在では、大会に華を添える存在として、大きな意味を持つ。
執筆者:大野 益弘 View moreマラソンの由来は、紀元前450年、アテナイ(アテネ)とペルシャとの戦争で、アテナイの街からおよそ40km離れたマラトンに上陸したペルシャ軍をアテナイが撃退。勝利の報告を届けるため、1人の若い戦士が約40kmを走りぬき、「われ勝てり!」と告げた直後に疲れはてて息をひきとったという。
この故事にもとづいて考え出されたのが、マラソンという競技であった。
第二次世界大戦の影響で疲弊していた、消滅の危機にさえあったオリンピックは見事に再起。オリンピックムーブメントは復活した。その根底にはスポーツとオリンピックを愛し、可能性を信じ続けたイギリスの「ジェントル」と称された階層の人々の熱い思いがあったと思う。
古き、良きスポーツマン精神が生きていた時代である。
ちょうど100年前、1920年に開催された第7回アントワープ大会は、今日と同じような状況にあった。「人類最悪のパンデミック」と称される「スペイン風邪」の世界的な蔓延である。
それにしても、スペイン風邪がヨーロッパで猛威をふるうなか、なぜ、ベルギーのアントワープで第7回オリンピック競技大会が開催できたのだろう。
近代オリンピックの歴史には回数には数えられているが、開催されなかった3つのオリンピアードが存在する。第6回ベルリン、第12回東京と東京返上をうけたヘルシンキ、そして第13回ロンドンのオリンピアード競技大会。さらに1940年札幌、1944年ガルミッシュ=パルテンキルヘンのオリンピック冬季競技大会だ。いうまでもなく戦争が理由である。
執筆者:佐野 慎輔 View more最近、バッハ会長が新型コロナウイルスの感染蔓延と2020東京大会に対処するべく、「ソリダリティ」を口にする場面が少なくない。「連帯」と訳すのが、思いに近いか。オリンピックは政治と複雑に絡み合いながら2021年、125周年を迎えた。国連を上回る加盟206カ国・地域はほんとうに一体感をもって連帯し、今後も持続可能な存在でいられるのだろうか。
「オリンピックで重要なことは勝つことではなく、参加することである」――勝利至上を戒める警句のように、今もなお語り継がれる言葉はどのような背景で生まれ、何を意味したのか。それを知ることは「オリンピック」が抱える問題を考えていく糸口となろう。
舞台は1908年、ロンドンで開催された第4回オリンピック競技大会である。
オリンピックを楽しむために、オリンピックの歴史を通した雑学トリビアをご用意しました!クイズを解きながらオリンピックを違う視点で楽しめるはずです。
View more2020年東京オリンピックの日本人メダリスト一覧。日本は過去最多の金27、銀14、銅17の計58個メダルを獲得した。
View moreオリンピック競技大会の開催地と開催年を掲載した地図です。このページでは、世界地図で歴代の開催都市、関連コラムをビジュアルで一目でご覧いただけます。
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