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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

セミナー「子供のスポーツ」
スポーツ界と新型コロナウイルス感染症
第100回
コロナ禍の時代だからこそ示したいオリンピック・パラリンピックの真の価値

武藤 敏郎

東京大学卒業後は、大蔵省(現財務省)に入省し、主計官、大臣官房長、主計局長、事務次官を歴任された武藤敏郎氏。その後は、日本銀行副総裁を務められるなど、財政・金融のエキスパートとしてご活躍されてきました。

その武藤氏が、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長に就任したのは、2014年。長年の経験で培ってこられたマネジメント力を発揮し、世界最高峰の大会を成功させるべく尽力されてきました。就任後に起きたさまざまな問題にも的確に対応し、現在はコロナ禍における開催に向けて奔走されています。その武藤氏にお話をうかがいました。

聞き手/佐野慎輔  文/斉藤寿子  写真/フォート・キシモト  取材日/2020年12月23日

すべてが異例だった延期発表後のさまざまな対応

安倍元首相(左)が「オリンピックオーダー」を受賞。右はIOCバッハ会長(2020年11月)

安倍元首相(左)が「オリンピックオーダー」を受賞。
右はIOCバッハ会長(2020年11月)

―― 今年の始めから続いている新型コロナウイルス感染の状況は、今もなお収束の見通しが立っていません。いくつかの変異種も発見されるなど、まだまだ予断を許さない状況が続いています。
そんななか、本来なら2020年に開催されるはずだった東京オリンピックは1年延期となりました。
3月24日に安倍晋三首相と国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が電話で話し合い、延期が決まったわけですが、どのようにうけとられたのでしょう。

 
聖火採火式会見。武藤氏(中央)、山下JOC会長(右)(2020年3月/オリンピア)

聖火採火式会見。武藤氏(中央)、山下JOC会長(右)
(2020年3月/オリンピア)

3月12日、ギリシャのオリンピアでおこなわれた東京オリンピックの聖火採火式には私も組織委員会の遠藤利明会長代行と参加しました。ちょうど新型コロナウイルスの感染状況が悪化していた時期で、13日午後にはギリシャ国内の聖火リレーが中止となってしまうんです。それでも19日には予定通り、アテネのパナシナイコスタジアムで聖火引継式が行われ、ギリシャオリンピック委員会より、われわれ組織委員会に聖火が引き継がれました。
残念ながら引継ぎ式は無観客となりましたが、その際、IOCのバッハ会長から「東京オリンピック・パラリンピックは必ず予定通りに開催できるはずだから、しっかりと頑張ってほしい」という励ましの言葉をいただきました。

 
聖火到着式。左から吉田沙保里、野村忠宏(聖火リレー公式アンバサダー)、石原さとみ(聖火リレー公式アンバサダー)、田口亜希(パラリンピック・射撃/聖火リレー公式アンバサダー)(2020年3月20日/宮城県)

聖火到着式。左から吉田沙保里、野村忠宏(聖火リレー公式アンバサダー)、石原さとみ(聖火リレー公式アンバサダー)、田口亜希(パラリンピック・射撃/聖火リレー公式アンバサダー)(2020年3月20日/宮城県)

翌20日には聖火が航空自衛隊松島基地(宮城県)に到着しまして、到着式が開催されたことは周知の通りです。ですので、私は最後まで「予定通りに聖火リレーは行います」と言い続けていました。実際は、その後コロナの感染状況がさらに悪化し、フランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパの主要国やアメリカの各州が次々とロックダウン(都市封鎖)となりました。
この頃には「延期」とか「中止」とか、いろいろ言われていましたが、方向性について最初に発信すべきは、IOCでした。ところが、バッハ会長はなかなか自分の口から言おうとしませんでした。そこで当時の首相であった安倍晋三さんが政治的判断をしてバッハ会長に電話会談で話し合いをもちかけ、「お互いが延期の方向で合意した」という形をとって24日の発表になったという経緯でした。そもそもオリンピック・パラリンピックに対して、一国の首相がああいう形で介入するというのは異例中の異例だったと思います。しいて言えば、開催都市は東京都ですから、小池百合子東京都知事が話を持ちかけたのなら話はわかりますけれども。

 

しかし今回の場合は、やはり首相である安倍さんが言うことで納得できたところがあったと思いますので、延期の決断をしたというのは安倍さんの大英断だったと思います。実際に安倍さんからの話だったからこそ、バッハ会長も二つ返事で延期を決定したのだと思います。そして、30日にはほぼ1年の延期(2021年7月23日オリンピック開会式、8月24日パラリンピック開会式)と日程も決まりました。私自身、延期の発表があった時は安堵しました。ただ当時は延期となった場合にどのような対応が必要になるのかまでは、具体的に考える余裕がありませんでした。



佐々木氏が手掛けたリオオリンピック閉会式の2020東京プレゼンテーション(2016年8月)

佐々木氏が手掛けたリオオリンピック閉会式の2020東京プレゼンテーション(2016年8月)

―― 延期によって生じたさまざまな問題解決に奔走されてこられました。

まずすぐに、IOCと組織委員会とでジョン・コーツ調整委員会委員長と森会長が率いるジョイント・ステアリング・コミッティを立ち上げるとともに、組織委員会内部でも、主に関係局長で構成される「新たな出発本部」を設置し、前例のないこのチャレンジを乗り越えるための体制をつくりました。
そして、6月には、2021年の大会開催に向けた3つの原則を取り決めました。まずコロナ禍でいかに安全・安心な環境を提供できるか、2つ目は、延期に伴う費用を最小化し、都民・国民から理解と共感を得ること。3つ目は、安全かつ持続可能な大会とするため、大会を簡素(シンプル)なものとすることです。

これに応じて、準備に向けて加速し始めました。関係者と調整の結果、7月には、同一競技日程・同一会場での実施が決まり、9月には具体的に大会の簡素化の内容についてIOC、IPC(国際パラリンピック委員会)とも合意しました。最大の課題であるコロナ対策についても12月に中間報告をとりまとめることができました。



野村萬斎氏

野村萬斎氏

―― まさに本日(2020年12月23日)、東京パラリンピックの開会式・閉会式の演出企画準備を進めてきた7人による演出企画チームが解散し、新たな体制をしくことが発表されました。これは、どのような経緯があったのでしょうか。

迫っていた7月23日の「1年前イベント」について話し合った際に1年後に行われる開会式・閉会式の先取りをするようなものをやりましょう、ということになりまして、2016年リオデジャネイロオリンピック閉会式の「東京2020 フラッグハンドオーバーセレモニー」(次の東京オリンピックへの期待を高めることを狙いとしたプレゼンテーション)を手がけた一人の佐々木宏さん(元電通の広告マンで、現在は日本代表するクリエイティブディレクター)にご相談したんです。そうしたところ、佐々木さんからもさまざまなご意見をいただきまして、それを延期後に掲げた大会開催に当たっての3原則と照らし合わせていくなかで、1年前イベントだけでなく本番の開会式・閉会式の形も少しずつ見えてきました。実際にどう進めていこうか検討する段階で、再び7人の演出企画チームが一堂に会して一から話を進めていくというのでは、全員を集めるだけでも一苦労で時間を要してしまう。皆さん多忙を極める方ばかりですから、スケジュール調整だけでも1カ月を要したりすることもあり、そもそも2020年に向けても、2年という長い時間をかけて準備を進めてきていたんです。しかし、今回に限っては時間の余裕はありません。7人のメンバーの方々も、皆さんそうした事情を知っていますから、「今までと同じようなやり方では、とても1年後には間に合わないだろう」ということは理解していただきまして、2021年に向けて迅速な決断ができる新たな体制が必要だということになりました。とはいえ、これまでの経緯を全く知らない方ばかりではとても無理ですので、もともとメンバーの一員だった佐々木さんがベストな人選だろうということで、彼に権限を一本化することにしました。また、これまで全体的な統括をしてきていただいた野村萬斎さんには、組織委員会のアドバイザーとして残っていただくことにしました。



1年前イベントでメッセージを発信する池江選手(2020年7月)

1年前イベントでメッセージを発信する池江選手(2020年7月)

―― 7月23日に国立競技場で行われた東京オリンピック1年前イベントでは、競泳の池江璃花子選手を起用した演出で非常に大きな反響がありました。これも佐々木氏が演出を担当していますので、このイベントで伝えられたメッセージを継承した開会式・閉会式になるということですね。

おっしゃる通りです。今回のチーム解散は、本当に異例中の異例のことでした。7人のメンバーが演出企画した開会式・閉会式は本当に素晴らしいもので、予定通り2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されていれば、世界の人たちにお見せできたんです。それが叶わず、本当に残念でなりません。しかし、新型コロナウイルスによるパンデミックで世界が一変してしまったわけですから、私たちもそれに対応していかなければいけません。どんなに素晴らしいものでも、今や新型コロナウイルスの対策が盛り込まれていないものをおみせするわけにはいきませんし、世界から受け入れてはもらえませんので。



徹底的な感染対策が開催実現へのカギ

菅首相

菅首相

―― 新型コロナウイルスの感染状況ですが、夏過ぎには一度収束への期待が膨らみましたが、寒さとともに再び猛威をふるい始めました。世界ではロックダウンなどの延期が相次ぎ、そして日本国内でも感染者や重傷者が激増し"第三波"が訪れています。特に東京を始め、首都圏を中心に感染者数が拡大し続けています。
こうした厳しい状況のなか、「果たして来年の夏に東京オリンピック・パラリンピックは開催できるのか」という疑問の声、「中止にすべきだ」という声が挙がっています。武藤さんの率直なご意見をお聞かせください。

 

これほどまでに世の中の見通しが立たないというのは、戦後の時代を生きてきた私たちにはなかったことだと思います。そういうなかで果たしてどうすべきかということになるわけですが、私は東京オリンピック・パラリンピックを開催できるのか、できないのかを議論するというのは少し違うような気がするんです。というのも、平和の祭典であるオリンピック・パラリンピックの価値というのは、このコロナ禍においても何ら変わらないはずです。IOCが定める「オリンピック憲章」の前文にはオリンピズムの根本原則として、こう書かれてあります。
<オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く、平和な社会の確立を奨励することにある。>
つまり、オリンピック・パラリンピックは、スポーツを通じて人々が団結し、ひいては世界平和につなげる大会なのです。それはコロナ禍の時代にも全く変わりません。だからといって「できる・できない」という問題が容易に解決できるわけではないことも事実です。しかし、私たち人類にとってオリンピック・パラリンピックを開催することに重要な意味があるのだとするのならば、「できる・できない」という最終解答を急ぐ議論ではなく、まずはとにかく「どうすれば開催できるのか」ということを議論して、その方法を模索していくべきではないかと思います。

99代内閣総理大臣に就任した菅義偉首相も、9月26日の国連(国際連合)総会の一般討論演説で東京オリンピック・パラリンピックにも触れ、「人類が疫病に打ち勝った証として、東京オリンピック・パラリンピック競技大会を開催する決意です。安心安全な大会に皆さまをお迎えするために、今後も全力で取り組んでまいります」と述べられました。また、11月21日にオンライン形式で開催されたG20サミット(主要20カ国の首脳会議)でも同様のメッセージを発信しているわけですから、われわれ組織委員会としては、開催する方向で取り組むこと以外にないと思っています。そして開催するにあたって最大の課題は、新型コロナウイルス対策に尽きます。



武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)

武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)

―― その新型コロナウイルスへの対策ですが、最も有効と考えられているワクチン接種が各国で始まっています。日本でも政府は来年2月下旬にはワクチンの接種が開始できるように準備を進めているようですが、WHO(世界保健機関)が指摘しているように現在は主に先進国に限られています。これが全世界にいきわたることが、東京オリンピック・パラリンピック開催の実現をもたらすカギとなるのではないでしょうか。

私もそう思います。ただ、イギリスや南アフリカ、ブラジルなどを発祥とする変異種が発見され、今後もさらに広がっていくとみられています。ですから現在のワクチンが、どれほど新型コロナウイルス感染の収束に向けて有効かは定かではありません。しかも、変異種は従来のウイルスよりも感染力も強いと言われている。今のところ現在のワクチンが効かないという報告はないとされていますので、有効である可能性が高いと思われますが、まだワクチン接種は始まったばかりですので不明なことが多い。副作用も含めて、これからだと思います。ワクチン接種に対する意識調査でも、約3割と意外と多くの方がワクチン接種を希望していないようですね(例:2020年12月に調査会社のクロス・マーケティングが行ったネット調査では「接種したくない」と答えた人は29%)。それだけワクチンに対しては不確定要素が多く、信頼性で言えばまだまだといったところなのでしょう。
そうした中で、アスリートへのワクチン接種の影響についても慎重に進めなければいけないと思います。もちろん、ワクチン接種が世界に行き渡ることによって、より良い方向へ進むことは間違いないでしょう。しかし、やはりワクチン接種も万能ではないということも理解して、新型コロナウイルスへの対策を進めていかなければいけない。つまり、結局一番重要なのは「感染しないこと」「感染させないこと」に尽きるのではないかと思います。

1年延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けての経緯をお話しますと、6月に開催するにあたっての3原則が取り決められ、7月には競技会場と競技日程が確定しました。大会の屋台骨でもある会場と日程が決まったことによって、開催に向けて大きな一歩を踏み出すことができたと思います。そのなかで新型コロナウイルス対策について本格的に動き出したわけですが、私は森喜朗組織委員会会長に「私たち組織委員会だけではとても手に負える問題ではないと思います。国と東京都にも協力を要請しましょう」と申し上げたところ、森会長からも賛同をいただきました。私は特に国に積極的に乗り出してほしいと思っていましたので、旧知の仲でもある杉田和博内閣官房副長官に会いまして、「国として東京オリンピック・パラリンピックにおける新型コロナウイルス対策会議を立ち上げていただきたい。あなたが座長を引き受けていただければ、私も副座長として出席します」とお願いをしました。そうしたところ、しばらくして杉田さんから「(2カ月後の)9月には会議を立ち上げましょう」というお返事をいただきました。それから実際にとんとん拍子で話が進みまして、東京都や厚生労働省、出入国在留管理庁などの関係省庁のメンバーで構成された「新型コロナウイルス感染症対策調整会議」が新設されました。9月4日に初会合が行われ、12月までに6回の会議が行われました。私もすべて出席しておりますが、こうした会議が行われなければ、これほどの短期間で迅速にことは進まなかったと思います。



―― 12月2日には中間整理がまとめられ、外国人観客の対応や観客数の上限の問題、参加選手の定期検査実施など、具体的な方針が打ち出されました。今後はどのように進められていくのでしょうか。

今後は、中間整理でまとめられた方針に、現実の状況を照らし合わせて具体化していくという作業をしていきます。例えば、海外からの観客を入れるのかどうか、あるいは観客自体を入れるのかどうかについては、世界や日本国内の感染状況を鑑みて、来春には決めたいと考えています。そのほかにいろいろと細々とした課題がありますけれども、来年1月以降、順に具体化していきたいと思っています。東京オリンピック・パラリンピックの各競技のテストイベントが3~5月あたりに予定されていますので、新型コロナウイルス対策についてもそのテストイベントがチェックする機会になろうかと思います。検討されてきた対策を実際に行うことによって、本番に向けたさまざまな知見が得られるはずですので、それを踏まえたうえでぎりぎりまでブラッシュアップし、遅くとも来年6月頃には最終的な対策を取り決めていけたらと考えているところです。



スピーディに進行中のクラスターを発生させない対策への議論

―― 東京オリンピック・パラリンピックの開催について、国民が不安に感じていることの一つとして、海外の感染状況の深刻さが挙げられるかと思います。観客はともかくとして、果たして海外からアスリートを招集できるのかということに対して情報が乏しいわけですが、IOCとは話し合いが行われているのでしょうか。

海外からのアスリートの招集についても、もちろん組織委員会とIOCとで濃密な話し合いが行われています。先述した「新型コロナウイルス感染症対策調整会議」が発足して以降、会議が行われるたびにIOCにも会議の内容を報告しております。実は、日本が対策について迅速に進めているあまり、IOCはそのスピードに目を丸くしている状態で「日本の誠実な対応はさすがだ」と高い評価をしてくれています。もちろんIOCから各競技のIF(国際競技連盟)、各国のNF(国内競技連盟)にも情報が伝わっているはずです。また、組織委員会の方からもIFとのリモート会議では調整会議で話し合われたことについてはすべて報告していますので、東京オリンピック・パラリンピックでの対策について共有することができています。結局はアスリートたちを呼び寄せることができなければ、オリンピック・パラリンピックは開催することはできないわけですから、そのためにわれわれ組織委員会も今、必死になって国や都と連携しながら対策を講じているところです。12月の中間整理では方針はまとまりましたが、まだ具体的な道筋が見えてきていないところもあるかもしれません。しかし、まだ明文化されてはいないものの、その裏にはしっかりと検討を重ねている対策案がありますので、それを間もなく具現化していくことによって、皆さんにも安心していただけるのではないかと思っています。



リモートマッチ(無観客試合)で行われたJ1の川崎対鹿島戦(2020年7月)

リモートマッチ(無観客試合)で行われたJ1の川崎対鹿島戦(2020年7月)

―― また、コロナ禍におけるスポーツの新しいスタイルとしては「無観客」ということも十分に考えられるかと思います。
スポーツが"withコロナ時代"を生き抜くうえでは、ITを駆使するなどして、無観客でもいかにしてスポーツを楽しむことができるか、東京オリンピック・パラリンピックはそのロールモデルとなるのではないでしょうか。

東京オリンピック・パラリンピックにおいて「観戦」ということを考える時、国内の観客と、海外からの観客とを分けて考えています。

 

国内では現在も観客を入れてのスポーツイベントが行われていますし、11月には横浜スタジアムと東京ドームで行われたプロ野球の試合では、8割の観客を動員しての検証が行われましたが、クラスターが発生したという報告はありません。ですので、国内の観客については、100%の動員は無理かもしれませんが、ある程度の数の観客動員は可能だと考えていますので、完全な「無観客」というスタイルは今のところ考えていません。
問題は、海外からの入国者への対応ですよね。まずは海外のアスリートへの対策をお話しますと、来日するにあたって現地を出国する72時間以内にPCR検査をしてもらい、陰性だったという証明書を持参することを義務付けます。さらには出国前の14日間の行動や健康状態を記録したものを持ってきてもらい、提出してもらいます。また機内など渡航時での感染も考えられますので、入国時にも必ずPCR検査をしてもらい、そこで陰性という結果が出たアスリートだけが入国できるようになります。空港から選手村に向かう際には公共交通機関は使わずに、専用車両で移動し、入村後は不要な外出は禁止などの行動ルールを設けます。大会期間中、競技会場と練習会場との往復の移動も専用車両を使用し、一般の方との接点がないようにします。さらに選手村においても4~5日に一度、加えて競技本番の2、3日前にはPCR検査をして、アスリート間でクラスターが発生しないようにする。このように徹底的な対策を構築することで、海外からのアスリートの派遣も可能ではないかと考えています。そしてアスリートと行動を共にする選手団のスタッフにも、アスリートと同じことを義務付けます。
一方、アスリート以外の海外からの入国者については議論が続いています。IOCやNOC(国内オリンピック委員会)などのメンバー、メディアに対してはどこまでを義務付けるかと言いますと、渡航前や空港でのPCR検査などはアスリートと同じ扱いにしますが、入国後の定期的なPCR検査や公共交通機関での移動についての制約はある程度、緩和せざるを得ないところもあるかもしれません。特にメディアに対して行動範囲を狭めるということは難しいので、アスリートと同等の扱いとはいかないかなと。また、もし海外からの観戦者を入れるとした場合、入国までは同じですが、その後、14日間の健康観察を必要とするのかどうか、ということについては日本政府がどうするかを決めることになります。

アスリート以外の外国人の大会時の入国については、今後の感染状況によって対応が分かれてくると思いますが、もし入国を許可するとなった場合、政府は専用アプリを使って健康状態や行動を記録し、競技会場に入る際にチェックできるようにしてクラスターを防ぐ対策を考えているようです。いずれにしても、日本政府はかなり真剣に取り組んでくれていることは確かです。東京オリンピック・パラリンピックにおける新型コロナウイルス対策にかかる費用は960億円と計上されていますが、このうち半分以上の560億円を国が負担すると、政府の方から言ってきてくれたんです。そして残りの400億円を東京都が負担することになりました。東京都はもちろん、政府も東京オリンピック・パラリンピックを自分たちのこととしてしっかりと考えてくれていますので、国民の皆さんにはご安心いただけたらと思います。ただ、世界の状況を見ますと、アメリカは新型コロナウイルスによる死者数が増加しており、イギリスやドイツなどのヨーロッパではロックダウンの状態が続いています。こうした状況が続けば、海外から観戦者を呼び寄せるわけにはいかないだろうということになります。ただ、欧米ではワクチン接種が12月から始まっていますので、少しずつ好転していくことを願っています。



武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)

武藤敏郎氏(当日のインタビュー風景)

―― 新型コロナウイルス感染の対策に伴う追加費用は約3000億円となりましたが、大会を簡素化し、約300億円を削減する見通しです。これは全体予算1兆3500億円の約2%ではあるものの、それでも削減するのは一筋縄ではいかなかったと思います。

おっしゃる通りで、大変な作業でした。というのも、今年の春までに予算の80%以上はすでに支払いが確定していましたから、事実上、見直しの対象は1兆3500億円のうち2500億円ほどだったんです。そのうち10%以上の300億円を削減するというのは、ふつうの事業では考えられないことです。せいぜい頑張って5%がいいところだと思います。いずれにしても、何をするにもほとんどのケースがIOCの承諾がなければ手をつけられませんので、予算を削減するのにIOCも協力してくれたことが大きかったですね。



意外だった組織委員会事務総長に求められる役割

大蔵省(現財務省)事務次官に就任(2000年6月)

大蔵省(現財務省)事務次官に就任(2000年6月)

―― 武藤さんは大学卒業後、大蔵省(現財務省)に入省され、事務次官に就任。さらには日本銀行副総裁も務められました。その武藤さんが、2014年に組織委員会の事務総長に就かれた経緯とは、どのようなものだったのでしょうか。

森会長からお誘いをいただいたのがそもそものきっかけでした。実は旧知の仲でして、以前、私は森会長の出身地である石川県の総務部長を務めていましたし、森会長が首相に就任した時には、私は事務次官でしたので、森会長とは濃密な縁がありまして、40年来の付き合いになります。皆さんご存知の通り、森会長は先陣を切ってスポーツ政策を進めてこられた方です。また、自ら日本体育協会(現日本スポーツ協会)会長や日本ラグビーフットボール協会会長を務めるなど、日本スポーツ界の発展に寄与されてきました。一方の私はといえば、スポーツに関しては素人同然でしたから、森会長にお誘いいただいた時、当初は「スポーツはゴルフくらいしかやったことがありませんし、お役に立てるか自信がありません」と躊躇していたんです。それでも森会長から「最後のお国へのご奉公を一緒にやりましょう」と言われまして。また、森会長からいろいろとお話をうかがったところ、事務総長というのはスポーツの専門的知識よりも、予算や人事、渉外といった組織をマネジメントする力が求められるということでしたので、「それなら、私がこれまでやってきたことが活きるだろう」と思いまして、お引き受けした次第です。



日本銀行副総裁として金融政策決定会合に出席(中央)。右は福井日銀総裁。(2007年2月)

日本銀行副総裁として金融政策決定会合に出席(中央)。右は福井日銀総裁。(2007年2月)

就任してすぐにお会いしたのが、2012年ロンドンオリンピック組織委員会のCEO(最高経営責任者)を務めたポール・デイトンさんでした。私はデイトンさんはスポーツの専門家だと思っていたのですが、実は20年以上アメリカの投資銀行大手ゴールドマン・サックス証券のパートナーだったそうです。ロンドンオリンピック組織委員会の場合はCEOを公募したそうなんですが、デイトンさんは「そろそろ自分も公的な仕事をしてみたい」と思って、奥さんに相談したところ「あなたに向いている仕事だから、ぜひやってみなさいよ」と勧められたらしいんです。それで応募したそうですが、最初の面接では「金融業界にいてスポーツに関わったことがないあなたには無理ですよ」と言われたそうなんです。それでも最後の10人くらいまでには残って、セバスチャン・コー組織委員会会長(現国際陸上競技連盟会長)との面接を受けたところ、会長から「私はあなたのような人を探していたんだ」と言われたそうなんです。聞けば・会長は「スポーツの知識や経験などはまったく不要で、マネジメント力がある人を探していたんだ」と。それで選ばれたということだったのです。



東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が発足し事務総長に就任。(左から2人目)(2014年1月)

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が発足し事務総長に就任。(左から2人目)(2014年1月)

デイトンさんに私は「組織委員会の事務総長の役割とは何でしょうか?」と聞きました。そしたら「"Say no"だと言うんですよ。どういうことかというと、「事務総長になれば、政治団体やスポーツ関連の組織など、ありとあらゆるところからさまざまなことを言われるだろう。それに対して"No"と言えないようでは務まらない。これが事務総長にとって一番大事な言葉なんだ」と言うわけです。私自身、財政当局にいて、予算要求に対して"No"ばかり言ってきた人間でしたから、「それならば、大丈夫かな」と思いましたね(笑)。今振り返ってみても、デイトンさんが言っていたことは本当だったなとつくづく思います。

 

―― 事務総長に就任して以降、いろいろと大変な思いをされてきたと思います。まずは新国立競技場の問題がありました。

新国立競技場については、組織委員会は作る立場ではなく、使用させてもらう立場ですので、踏み込んだ話はできません。ただ、使用させてもらう側の組織委員会の立場から私が申し上げたのは、新国立競技場の完成予定日についてでした。当初新たな計画では2020年春とされていたんです。組織委員会からすれば「とんでもない話」でした。というのは、あのような巨大な施設を使用して運営するためには、本番に向けて前もってテストイベントを開催することが非常に重要です。例えば、競技の際に、会場でどの位置にどれだけのスタッフを配置し、どのような導線を引けばスムーズに運営できるのかなど、実際の会場でテストしなければ確認できないことが山ほどあるからです。そこでJSC(日本スポーツ振興センター)に「前年に完成させてもらわなければ困ります」と申し上げまして、工期を短縮し、なんとか2019年11月の完成となりました。



 
大会新エンブレム発表。左から王貞治氏(エンブレム委員会委員)、宮田亮平氏(エンブレム委員会委員長)、野老朝雄氏(デザイナー)、武藤氏(2016年4月)

大会新エンブレム発表。左から王貞治氏(エンブレム委員会委員)、宮田亮平氏(エンブレム委員会委員長)、野老朝雄氏(デザイナー)、武藤氏
(2016年4月)

―― また、2015年に起こった東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレム盗作疑惑問題は解決するのに苦労されたのではないでしょうか。

一度は東京の頭文字「T」をあしらった佐野研二郎さんのデザインに決定しましたが、ベルギーのデザイナーから自身が手掛けた劇場のロゴに似ているという指摘があり、著作権をめぐっての騒動となりました。周知の通り、結局は佐野さんのデザインは白紙撤回となりました。今だから言えることですが、私は当初からベルギーのデザイナーは和解金目当てだと直感していました。というのも、専門家から話を聞くと、あれくらいの類似性というのはよくあって、専門家に言わせればまったくの別物で、裁判で争っても勝てるという見解だったんです。
ところが不運と言うのでしょうか、佐野さんにはエンブレム以外にも盗作疑惑が持ち上がったために、世論からも厳しい声があがるようになってしまったんですね。実際は佐野さん本人ではなく、チームのスタッフがしたことだったわけで、佐野さんは本当に不運だったと思います。エンブレム自体はとても素晴らしいものでしたから。
結局、最初にこの騒動に火をつけたベルギーのデザイナーと訴訟で争うことになったわけですが、デザイナーが訴えた先は組織委員会ではなくIOCだったんです。ありがたいことにIOCは「とことん闘いますよ」と言ってくれました。何度か公判が開かれた後に案の定、ベルギーのデザイナーが和解を持ちかけてきたんです。でも、IOCは「和解なんてとんでもない。最後まで闘いますよ」と争う姿勢を崩しませんでした。そうしたところ、勝ち目がないと思ったんでしょうね、ベルギーのデザイナーについていた弁護士が降りてしまったんです。それで、デザイナー自身が訴えを取り下げて終わりました。この結果からも、私は今でもエンブレムのデザイン自体には不正は行われなかったと考えています。しかし、もうすでに遅かったんですね。SNS上で誹謗中傷も行われていましたし、佐野さんのご家族にも影響を及ぼしていましたから。それで佐野さんの方から私に「エンブレムの制作担当を降りたい」と言ってきたんです。佐野さんは世間からのバッシングに疲れ果てていましたので、私も潮時かなと思い、承諾しました。その時、佐野さんからこんなお願いがありました。「このエンブレムの制作にあたっては一切の盗作はしていません。それだけはわかってほしい」と。そこで私は会見でこう説明をしました。

「専門家に見解を聞いたところ、佐野氏のデザインとベルギーのロゴのデザインはまったく違うものということでした。そういう専門家の説明がある以上、組織委員会としても盗作ではないというふうに理解しています。しかし、一般の国民からすればわかりにくく、納得できないだろうということも一致した見解としてあった。佐野氏からも『模倣であるという理由で取り下げることはできないが、誹謗中傷がなされ、今やオリンピックに悪影響を及ぼしてしまっているので取り下げたい』という話がありましたので、組織委員会としても尊重し、新たにエンブレムを決定するのが事態解決につながると判断しました」 その会見の様子を佐野さんも見られていたようで、後から電話がかかってきまして「ありがとうございました」と言ってくれました。今考えても佐野さんにとっては非常に不幸なことでしたし、私としてもいろいろと学んだところがありました。
何よりSNSで拡大した世論の恐ろしさを思い知りました。SNSに書かれたことが果たして事実なのかどうかを確かめることは難しいですから、そのまま鵜呑みしてしまうことが多い。誰かが真実を説明した時には「時すでに遅し」の状態で、なかなか沈静化しません。ですから炎上する前に、スピーディに火消ししなければいけなかったのですが、当時はまだSNSの怖さを知らなかったということもあって、エンブレムの選考に関してはすべて専門家の皆さんにお任せしてしまっていたんです。ところが、あれよあれよという間に大きな騒動に発展しまった。それで組織委員会としても傍観しているわけにいきませんので、こちらで引き取って対応することになったわけですが、もっと早く介入すべきでした。説明が遅れてしまったことは否めませんでしたので、新しいエンブレムの選考では審査の様子をインターネットで公開したりと、徹底的に情報をオープンにして進めました。審査の様子なんて、特に動きもなくて、見ている方としてはあまり面白い画ではなかったと思いますが、それでも「審査というのは意外と大変だということがわかった」なんていうことがSNSでつぶやかれたりして、一気に好意的な目で見ていただけるようになりました。



組織委員会にある開催実現に向けて突き進む信念

IOCバッハ会長(左)とローザンヌにて。(2019年6月)

IOCバッハ会長(左)とローザンヌにて。(2019年6月)

―― さて、年が明けますといよいよオリンピック・パラリンピックイヤーを迎えます。現在も厳しい状況が続いていますが、改めて東京オリンピック・パラリンピックの開催についてお気持ちをお聞かせください。

11月にIOCのバッハ会長が来日した際、「必ず開催できると信じている」という言葉をいただきました。バッハ会長は本気でそう思っていると思いますし、私自身も同じ気持ちです。今後、新型コロナウイルス感染の状況がどうなっていくのかは、誰にもわかりませんし、不安がないと言えば嘘になります。しかし、組織委員会というのは「開催するための組織」ですから、「開催されない場合」を考えてはいませんし、考えても何も進みません。こういう有事の時こそ、ブレないことが重要です。

 

もともと古代オリンピックの起源は、紀元前8世紀に国家間の争いと蔓延していた疫病との闘いから逃れる術として開かれた競技会でした。近代でも2016年リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックの時には、ジカ熱が問題となりました。そう考えると、これまでもオリンピック・パラリンピックは病との闘いでもあったわけです。そして屈することなく、大会を開催させてきたという歴史があります。ですから、コロナ禍という困難の中で、オリンピック・パラリンピックを開催することは大きな意味があると信じています。



―― 最後に、武藤さんが後世に残したいものをお聞かせください。

1964年にアジアで初めて開催された東京オリンピックは、戦後ニッポンの復興した姿を世界に披露するという役割がありました。また、2012年ロンドンオリンピック・パラリンピックは、日本選手団にとって前年の東日本大震災からの復興という意味合いがあったと思います。そして、今回は新型コロナウイルスに屈しない姿を世界に発信することで、コロナと戦っている世界に対しての強いメッセージになると思います。東京オリンピック・パラリンピックによって一緒に苦難を乗り越えようという人々の連帯感を生み出すはずです。そして、これこそが東京オリンピック・パラリンピックのレガシーになると思います。



当初は建築家ザハ・ハディド氏(イラク出身のイギリス人。2004年には女性で初めて建築界のノーベル賞「ブリッカー賞」を受賞するなど世界的に活躍。2016年4月に急性気管支炎の治療中に心臓発作で死去)のデザインで決定し、完成予定は2019年3月となっていた。ところが、1300億円程度とされていた総工費が、設計の段階で約3500億円にまで膨らんでしまった。政府は2520億円にまで縮小するとしたが、世論からの厳しい批判を受け、結局2015年7月に白紙撤回を表明。この時点で、メイン会場として開幕戦と決勝戦を行うことが決定していた2019年ラグビーワールドカップには間に合わないことが明らかとなった。改めてJSC(日本スポーツ振興センター)が公募し、同年12月に総工費約1490億円の建築家・隈研吾氏と大成建設、梓設計による案に決定した。2019年11月末に完成したが、東京オリンピック・パラリンピック後の利用については未だに決まっていない。



  • 武藤 敏郎氏 略歴
  • 世相

1912
明治45

ストックホルムオリンピック開催(夏季)
日本から金栗四三氏が男子マラソン、三島弥彦氏が男子100m、200mに初参加

1916
大正5

第一次世界大戦でオリンピック中止

1920
大正9

アントワープオリンピック開催(夏季)

1924
大正13
パリオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の入賞となる6位となる
1928
昭和3
アムステルダムオリンピック開催(夏季)
織田幹雄氏、男子三段跳で全競技を通じて日本人初の金メダルを獲得
人見絹枝氏、女子800mで全競技を通じて日本人女子初の銀メダルを獲得
サンモリッツオリンピック開催(冬季)
1932
昭和7
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
南部忠平氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
1936
昭和11
ベルリンオリンピック開催(夏季)
田島直人氏、男子三段跳で世界新記録を樹立し、金メダル獲得
織田幹雄氏、南部忠平氏に続く日本人選手の同種目3連覇となる
ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック開催(冬季)

1940
昭和15
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1943 武藤 敏郎氏、埼玉県に生まれる
1944
昭和19
第二次世界大戦でオリンピック中止

  • 1945第二次世界大戦が終戦
  • 1947日本国憲法が施行
1948
昭和23
ロンドンオリンピック開催(夏季)
サンモリッツオリンピック開催(冬季)

  • 1950朝鮮戦争が勃発
  • 1951日米安全保障条約を締結
1952
昭和27
ヘルシンキオリンピック開催(夏季)
オスロオリンピック開催(冬季)

  • 1955日本の高度経済成長の開始
1956
昭和31
メルボルンオリンピック開催(夏季)
コルチナ・ダンペッツォオリンピック開催(冬季)
猪谷千春氏、スキー回転で銀メダル獲得(冬季大会で日本人初のメダリストとなる)
1959
昭和34
1964年東京オリンピック開催決定

1960
昭和35
ローマオリンピック開催(夏季)
スコーバレーオリンピック開催(冬季)

ローマで第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催
(のちに、第1回パラリンピックとして位置づけられる)

1964
昭和39
東京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
円谷幸吉氏、男子マラソンで銅メダル獲得
インスブルックオリンピック開催(冬季)

  • 1964東海道新幹線が開業
  • 1966 武藤 敏郎氏、東京大学法学部を卒業し、大蔵省に入省
1968
昭和43
メキシコオリンピック開催(夏季)
テルアビブパラリンピック開催(夏季)
グルノーブルオリンピック開催(冬季)

1969
昭和44
日本陸上競技連盟の青木半治理事長が、日本体育協会の専務理事、日本オリンピック委員会(JOC)の委員長に就任

  • 1969アポロ11号が人類初の月面有人着陸
1972
昭和47
ミュンヘンオリンピック開催(夏季)
ハイデルベルクパラリンピック開催(夏季)
札幌オリンピック開催(冬季)

  • 1973オイルショックが始まる
1976
昭和51
モントリオールオリンピック開催(夏季)
トロントパラリンピック開催(夏季)
インスブルックオリンピック開催(冬季)
 
  • 1976ロッキード事件が表面化
1978
昭和53
8カ国陸上(アメリカ・ソ連・西ドイツ・イギリス・フランス・イタリア・ポーランド・日本)開催  
 
  • 1978日中平和友好条約を調印
1980
昭和55
モスクワオリンピック開催(夏季)、日本はボイコット
アーネムパラリンピック開催(夏季)
レークプラシッドオリンピック開催(冬季)
ヤイロパラリンピック開催(冬季) 冬季大会への日本人初参加

  • 1982東北、上越新幹線が開業
1984
昭和59
ロサンゼルスオリンピック開催(夏季)
ニューヨーク/ストーク・マンデビルパラリンピック開催(夏季)
サラエボオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1988
昭和63
ソウルオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
鈴木大地 競泳金メダル獲得
カルガリーオリンピック開催(冬季)
インスブルックパラリンピック開催(冬季)

1992
平成4
バルセロナオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて日本女子陸上選手64年ぶりの銀メダル獲得
アルベールビルオリンピック開催(冬季)
ティーユ/アルベールビルパラリンピック開催(冬季)

1994
平成6
リレハンメルオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 1995阪神・淡路大震災が発生
1996
平成8
アトランタオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
有森裕子氏、女子マラソンにて銅メダル獲得

  • 1997 武藤 敏郎氏、大蔵省大臣官房長に就任
  • 1997香港が中国に返還される
1998
平成10
長野オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2000
平成12
シドニーオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
高橋尚子氏、女子マラソンにて金メダル獲得

  • 2001武藤 敏郎氏、財務事務次官に就任
2002
平成14
ソルトレークシティオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2003武藤敏郎氏、日本銀行副総裁に就任
2004
平成16
アテネオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
野口みずき氏、女子マラソンにて金メダル獲得

2006
平成18
トリノオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

2007
平成19
第1回東京マラソン開催

2008
平成20
北京オリンピック・パラリンピック開催(夏季)
男子4×100mリレーで日本(塚原直貴氏、末續慎吾氏、高平慎士氏、朝原宣治氏)が3位となり、男子トラック種目初のオリンピック銅メダル獲得

  • 2008武藤敏郎氏、大和総合研究所理事長に就任
  • 2008リーマンショックが起こる
  • 2009武藤敏郎氏、開成学園学園長兼理事長に就任
2010
平成22
バンクーバーオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2010武藤敏郎氏、三井物産社外取締役に就任
  • 2011東日本大震災が発生
2012
平成24
ロンドンオリンピック・パラリンピック開催(夏季)
2020年に東京オリンピック・パラリンピック開催決定

2014
平成26
ソチオリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2014武藤敏郎氏、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長に就任
2016
平成28
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック開催(夏季)

2018
平成30
平昌オリンピック・パラリンピック開催(冬季)

  • 2018 武藤敏郎氏、大和総合研究所名誉理事に就任
2020
令和2
新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、東京オリンピック・パラリンピックの開催が2021年に延期