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チャレンジデー

少年の夢が実った一校一国運動

【オリンピック・パラリンピックのレガシー】

2016.10.12

長野オリンピック・ジャンプ会場の電光掲示板(1998)

長野オリンピック・ジャンプ会場の電光掲示板(1998)

少年には夢があった。
「船乗りになりたかった。世界中を旅して多くの人と交わり、いろんなことを知りたかった」。

海のない長野市に生まれ育ち、海の外への憧れは「人一倍、強かった」と少年、いや小出博治さん(長野冬季オリンピック「一校一国運動」創始者)はいう。

結局、夢はかなわなかった。長男として家業を継がなければならない宿命だった。

長じて家業を発展させ、地元財界で重きをなすと、友人、知人を誘いサークルを立ち上げた。「長野国際親善クラブ」|外国の人たちとの交流は夢の延長にほかならない。

1991年、朗報が届く。長野での98年冬季オリンピック開催が決まったとのニュースである。小出さんが、動かないわけはないだろう。ボランティアに手をあげ、すぐさま活動に加わった。

ある日、ふと目を留めた大会の基本理念にこうあった。「子どもたちを主役に…」

長野オリンピック・ノルディック複合の応援風景(1998)

長野オリンピック・ノルディック複合の応援風景(1998)

夢が蘇る。「外国を知りたい、違う文化を知りたい。それは子どもたちに共通する思いだ。ならば、その手伝いをしたい」

思いを巡らせていたとき、94年の広島アジア競技大会で実践された「一公民館一国運動」を知る。ひとつの公民館がアジア大会に参加する一つの国・地域を選び、その国・地域の文化などを学び、大会で応援する。

「これだと思った」。広島は公民館だが、子どもを主役にする長野なら学校だ。交流する相手の国・地域の文化や歴史を調べ、手紙やビデオなどをやりとりし、応援団となっていく。国際親善の基本である。

小出さんは教育委員会に話し、校長会で訴えた。「異文化体験が子どもたちを育む」。しかし、当初の反応は「何をするのかわからない」などと芳しいものではなかった。「厄介なことを持ち込むな」と端から否定する校長さえいたという。

活動資金を親善交流で集めた基金の残りでまかない、校長会の説得や大使館との交渉、学校と相手国・地域との連結など解決すべき難題は山のようにあった。「次の世代に託す思いだけが支えた」。

長野オリンピック閉会式でのアメリカ選手団(1998)

長野オリンピック閉会式でのアメリカ選手団(1998)

もう米寿を迎える小出さんだが、当時はまだ60代、子どもの頃の夢が実現を後押しした。行政の協力も得られ、3年の歳月を経て「一校一国運動」が始まる。大会およそ2年前、1996年4月のことである。

長野市内の全小・中学校、特別支援学校75校が参加した活動の実態はどうだったのだろうか。各学校では書籍を通じて学習するほか、市内に住む外国人から言葉や文化の違いを学び、大使館などを通じて文通相手を探したりもした。長野国際親善クラブが支援したが、まさに手探り。選手団が長野入りすると学校に招いて歓迎会を開き、応援メッセージを送る。交流は大会を大いに盛り上げた。

相互理解、異文化交流は「オリンピズム」「オリンピック・ムーブメント」そのものである。長野の活動は海外メディアでも報道され、やがて後の大会にも伝えられた。

4年後の2002年ソルトレークシティー冬季、06年トリノ冬季大会は「ワンスクール・ワンカントリー」との名称で文化交流などを実施した。08年北京大会では全土約350校で「同心結プログラム」として行い、12年ロンドン大会では「一校一チーム」を応援する運動となった。

14年ソチ冬季大会は市内67校が参加した。筑波大学体育専門学群学群長の真田久教授は日本を担当したソチ第15番学校を訪問し、「俳句を作り、折り紙を折り、茶道や華道を学ぶようす」を視察している。インターネットから「礼」の知識を得て「おかげでケンカが減った」という学校長の言葉に「改めて教育的な効果の大きさを思った」と話す。

長野オリンピック閉会式の電光掲示板(1998)

長野オリンピック閉会式の電光掲示板(1998)

この一校一国運動は日本で考案され、広がりをもった国際運動である。小出さんは「そこまで意識していなかった」と話すが、日本発のレガシーとして未来に語り継ぎたい。

長野市では数こそ減ったものの、今も交流活動が続けられている。例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナと交流した三本柳小学校は、地雷で手足を失った海外の子供への支援活動を継続している。活動は募金やバザーから得た収益などが財源。徳間小学校もルーマニアとの交流を深めてきた。

活動をきっかけに、その後、国際交流や国際理解を目指す職種に就いた人たちも少なくないと聞く。そして、長野国際親善クラブは役目を終えて解散したけれども、市の財政支援は依然、続いている。

小出さんには98年の長野大会前後、そして2020年東京開催決定後も、話をうかがいに行った。「ぜひ、次の東京でも実践してもらいたい」。最近の話である。

東京は、「世界ともだちプロジェクト」を実施する計画だ。一つの学校につき、5大陸から1国・地域ずつ、最大5カ国・地域の文化、言語、政治・経済などを学んでいく。

東京には私立も含め、約3000校もの小・中学校、高校、特別支援学校がある。1校あたり、5カ国・地域を学べば、のべ1万5000国・地域となり、IOC 205の加盟国・地域数への理解は一気に進む。

このプロジェクトでは、ぜひ東北大震災や熊本地震などの自然災害の怖さとともに、復興に汗を流す人たちのことも教えてもらいたい。世界には、日本と同様、災害被災に苦しむ人たちがいることも知ってもらいたい。そして、彼らと協力、強調し合う重要性を学んでもらいたい。

文化の違い、習慣・慣習の違いに目をやれば、多様性の尊重や共生の重要性を学ぶことができる。広い世界が縮まっていくことも感じられるだろう。交流を進める活動から、ボランティア活動に発展、違いのなかから互いを思う相互理解の心が生まれる。そして、創始者ピエール・ド・クーベルタンがめざした平和への貢献に結びついていく。

「世界のともだちプロジェクト」は、新たな夢を育む装置となってほしい。

スポーツ歴史の検証
  • 佐野 慎輔 産経新聞社 特別記者兼論説委員
    笹川スポーツ財団 理事/上席特別研究員

    1954年生まれ。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、取締役サンケイスポーツ代表、特別記者兼論説委員などを歴任し、2019年退社。2020年から尚美学園大学教授の傍ら、産経新聞客員論説委員、笹川スポーツ財団理事/上席特別研究員、日本スポーツフェアネス機構体制審議委員などを務める。近著に『嘉納治五郎』『中村裕』(以上、小峰書店)など。共著に『スポーツレガシーの探求』(ベ―スボールマガジン社)『これからのスポーツガバナンス』(創文企画)など。