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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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新国立競技場を真のレガシーとするため
~21世紀のスタジアムに求められることとは~

【オリンピック・パラリンピックのレガシー】

2020.12.04

1964年に開催された第18回オリンピック競技大会は東京という都市に、そして日本という国に数多くのレガシーを残してくれた。

日本人がそれまで馴染みのなかった多くの競技に出合ったことも最大のレガシーの一つだった。

第2次世界大戦後、多くの日本人にとって「スポーツ」と言えばプロ野球か大相撲、あるいはプロボクシングくらいのものだった。だが、オリンピックを通じて世界には実に多様で魅力的な競技が存在するのだということを日本人は知った。

たとえば、サッカー。戦後はすっかりマイナースポーツ化してしまっていたサッカーだが、東京オリンピックで日本代表が南米の強豪アルゼンチンを破ったりしたことをきっかけに少年たちの間で人気が高まり、競技人口は一気に増加した。現在、サッカーの日本代表はワールドカップでベスト16に何度も進出するほど強化され、また多くの日本人選手が本場ヨーロッパで活躍するようになっているが、その原点は東京オリンピックにあったと言ってもいい。

50年以上経っても美しさは変わらない代々木競技場

50年以上経っても美しさは変わらない代々木競技場

同時に、東京オリンピックはハード面でも数々のレガシーを残してくれた。つまり、オリンピックのために整備された、いくつもの競技施設である。

1964年大会のために新設された代々木体育館(国立代々木競技場第一体育館)や日本武道館は、2021年に開催される2度目の東京オリンピックでも競技会場として使用されることになっている。丹下健三氏が設計した代々木体育館などは、建設から半世紀以上が経過してもまったく古さを感じさせないデザイン性に優れた名建築だ。

そうした1964年大会のレガシーの一つが、2014年に惜しまれつつも解体された旧国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場)だった。1964年のオリンピックのために整備された巨大スタジアムは、アンツーカー舗装の赤いトラックと緑の芝のフィールドのコントラストの美しさで当時の人々の目を奪った。そして、旧国立競技場は東京オリンピック終了後も、まさに日本のスポーツの「聖地」と呼んでもよい存在となったのである。

オリンピックの翌1965年には大学生のスポーツの祭典ユニバーシアードのメインスタジアムとして使用され、1960年代に人気が急上昇したサッカーの国際試合では5万人を超える観客が集まり、1968年以降は毎年元日に天皇杯全日本サッカー選手権大会の決勝が開催され、正月の風物詩ともなった。

1980年代にはラグビー人気が沸騰。人気カードの早明戦や新日鐵釜石、神戸製鋼の試合などを中心に国立は何度も超満員となった。また、1991年には世界陸上競技選手権大会が開催され、男子100mではカール・ルイス(アメリカ)が9秒86という当時の世界記録で優勝を飾り、男子走り幅跳びではマイク・パウエル(アメリカ)が8m95を跳んでボブ・ビーモン(アメリカ)の持っていた世界記録を23年ぶりに更新した。

1970年代以降は低迷が続いていたサッカーも、1993年にJリーグが開幕すると再び人気が爆発。国立競技場は特定のチームの本拠地とはならなかったが、好カードはほとんどが国立で開催され、毎週のように満員の観衆でスタンドが埋まった(なぜなら、サッカーに使用可能な大きなスタジアムが他に存在しなかったからだ)。そして「国立」はワールドカップ出場を目指してアジア予選を戦う日本代表チームのホーム・スタジアムともなった。

さらに、旧国立競技場では数多くのアーティストがコンサートを行い、1996年にはルチアーノ・パヴァロッティ(イタリア)、プラシド・ドミンゴ(スペイン)、ホセ・カレーラス(スペイン)による「世界三大テノール」の公演も開催された。

2014年5月31日、SAYONARA国立競技場ファイナルイベント

2014年5月31日、SAYONARA国立競技場ファイナルイベント

旧国立競技場が日本スポーツの「聖地」となったのは、ある意味で当然のことだった。

なぜなら、前回の東京オリンピックが開催された1964年当時、日本には3万人以上を収容できるスタジアムが野球場以外には国立競技場だけしか存在しなかったからだ。特殊な形状を持つ野球場では陸上競技はもちろん、サッカーやラグビーの試合を開催することは(不可能ではないが)難しかった。従って、陸上、サッカー、ラグビー等で多数の観客が集まる試合は必然的に国立競技場で開催せざるをえなかったのだ。

また、オリンピックのメイン会場だった国立競技場で開催されることはその大会のステータスを高めるものでもあり、国立競技場での試合には「特別感」があふれ、「祝祭性」に満ちていた。

こうして、20世紀末まで旧国立競技場が日本スポーツの「聖地」であることに疑いを持つ者は誰もいなかった。

海外を見ても事情は同じだった。

世界の主要都市にはオリンピック開催に伴って建設または拡張された巨大なスタジアムが存在し、そこでは陸上競技やサッカー、ラグビーのビッグゲームが開催されていた。巨大な総合スタジアムで様々な競技が実施されるというのは世界標準だったのだ。アメリカには野球場やフットボール専用スタジアムが数多く存在したし、英国では専用のサッカー場が各都市に存在した。だが、ヨーロッパ大陸の国々ではサッカーやラグビーの試合が陸上競技場で開催されるのは普通のことだった。

しかし、20世紀末になると、スポーツ先進国ではスタジアムの在り方が変化していった。一つの巨大な総合スタジアムであらゆるイベントを開催するのではなく、各競技に特化した専用スタジアムが建設されるようになったのだ。

陸上競技、サッカー、ラグビーなどそれぞれの競技に特化した専用スタジアムなら、スタンドの形状や諸設備がそれぞれの競技の特性に合わせて設計できるので、競技の運営にも便利だし、観客も臨場感を持って試合観戦を楽しむことができる。また、近代的な専用スタジアムはスタンドのすべてが屋根に覆われるなど観客にとっての快適性も高い。またスタジアムは交通の便が良い地域に建設され、スポーツ競技に使用されるだけでなく、スタンド下はショッピング・モールや映画館等々の商業施設として活用され、スタジアムは市民が集うパブリックな空間となった。そして、スタジアム運営会社には試合のない時もテナント料として収入が保証されるようになったのだ。

そのため、1990年代以降にスポーツ先進国で開催されたオリンピックでは、メインスタジアムとして使用された巨大スタジアムは大会終了後にはダウンサイジングされたり、全面改修されたりして専用スタジアム化することが多くなった。

たとえば1996年アトランタ大会のメインスタジアムはその後野球場に改装され、メジャーリーグ(MLB)のアトランタ・ブレーブスの本拠地として使用されたし、2000年のシドニー大会の「スタジアム・オーストラリア」は可動式スタンドを取り付けて、この国で人気の高いフットボール(ラグビー、サッカー、オーストラリアン・フットボール)とクリケットのためのスタジアムとして活用されている。また、2012年のロンドン・オリンピックのメインスタジアムは、陸上競技のトラックは残したまま、スタンドや照明施設などを改装してサッカー・プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドのホームとして利用されている。

北京国家体育場・通称「鳥の巣」

北京国家体育場・通称「鳥の巣」

一方で、1988年ソウル大会で使用された蚕室(チャムシル)主競技場や2008年北京大会のメインスタジアム「鳥の巣」(北京国家体育場)などは、大会終了後もいわゆる「後利用」のための改装がなされなかったためオリンピック終了後にはほとんど活用されなかった。2022年冬季オリンピックの北京開催が決まり、その開会式で使用されることになったが、その後の利用計画も定まらず、結局2度の国家的行事に使用されただけのスタジアムになってしまうのだろう。

日本オリンピックミュージアム前のオリンピック・シンボル。背景は新国立競技場

日本オリンピックミュージアム前のオリンピック・シンボル。背景は新国立競技場

日本でも、Jリーグの成功や2002年のサッカー・ワールドカップ招致をきっかけに、20世紀末以降サッカー専用スタジアムを含めて多くのスタジアムが建設された。その結果、東京周辺に限っても7万人を収容できる陸上競技場である横浜国際総合競技場(日産スタジアム)や6万人規模でサッカー専用の埼玉スタジアム、さらに5万人収容の東京スタジアム(味の素スタジアム)が存在するようになった。これらのスタジアムはJリーグクラブの本拠地となっており、また2019年に開催されたラグビーのワールドカップ会場としても使用された実績がある。

東京近郊にはプロ野球で使用される数多くの野球場もあるし、国立競技場のある明治神宮外苑には秩父宮ラグビー場も存在している。

1964年の東京オリンピックでメインスタジアムとして使用された旧国立競技場は、当時は競合するスタジアムが他になかったので自動的に日本スポーツの「聖地」となった。だが、2020年大会のために建設された新国立競技場はそのままの形で「聖地」となれるわけではない。このスタジアムをレガシーとして活用していくためには「後利用」について様々な知恵を出し合うことが不可欠なのだ。

残念ながら新国立競技場の「後利用」計画はいまだに決まっていない。オリンピック、パラリンピック大会終了後に開閉式の屋根を取り付けてコンサートなどにも利用しやすくするとか、陸上競技トラックを撤去して球技専用に改修するといった計画もあったが、いずれも多額の費用がかかることから実現の可能性は低くなっている。

もし設計前に「後利用」計画が定められていれば、野球場への改装なども含めて様々な活用法を考えることができた。だが、新国立競技場はすでに完成している。そして、コストを考えれば大幅な改装も不可能なのだ。今後このスタジアムをどのように活用して2020年大会のレガシーとして後の世代に継承していけばいいのか……。千数百億円という巨費を投入して建設され、将来も維持・運営費として年に数十億円を必要とするこの巨大施設をいかに有効に活用していくのか。そのことについて、われわれは知恵を出し合わなければならない。

しかし、新国立競技場には他の競合するスタジアムにはない好条件もそろっている。まず、都心にあって公共交通機関によるアクセスが非常に便利な立地はこのスタジアムの最大の魅力だ。そして、スタンド最前列から陸上競技用トラックまでの距離が短く、しかも上層スタンドは34度という急傾斜となっているため、陸上競技場としてはサッカー、ラグビーの試合が非常に見やすい設計になっている点もこのスタジアムの持つ大きなポテンシャルだ。

こうした特性を生かして、この新スタジアムが2020年大会のレガシーとして長く国民に親しまれる存在となっていってほしいものである。

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