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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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セミナー「子供のスポーツ」

忘れられた冬の公開競技

【冬季オリンピック・パラリンピック大会】

2023.09.28

 かつてオリンピックには公開競技(Demonstration Sports)があった。のちの大会で正式競技にすることを念頭におき、テスト的に行う競技である。与えられるメダルのサイズが小さかったり、公式な獲得メダル数に含まれなかったりするなど、通常行われる正式競技とは区別されて行われていた。その公開競技の実施は1992年大会(冬季アルベールビル・夏季バルセロナ)までであり、それ以降の大会では行われていない。

 最も公開競技の数が多かったのは、1900年パリ大会だった。釣りや凧あげ、熱気球など10以上の変わった競技が行われたが、その要因はこのパリ大会が万国博覧会の付属スポーツ大会として行われ、オリンピックの体をなしていなかったことにある。したがって、これは例外として考えてよい。

 夏季オリンピックの公開競技の特徴は、以後の大会でその競技が正式競技として採用される傾向が強いことにある。1904年セントルイス大会の公開競技として行われたバスケットボールが、1936年ベルリン大会から正式競技として採用された。野球は1912年ストックホルム大会以来何度も公開競技として行われ、1992年バルセロナ大会で正式競技になった。バドミントン、女子柔道、テコンドーは1988年ソウル大会では公開競技だったが、バドミントンと女子柔道は次の1992年バルセロナ大会から、テコンドーは2000年シドニー大会から正式競技として行われるようになった。

 一方、冬季オリンピックでは、公開競技として行われたものの、その後正式に採用された競技はあまり多くない。カーリングが1932年レークプラシッド、1988年カルガリー、1992年アルベールビルの3大会で公開競技として行われ、1998年長野大会から正式競技となった。フィギュアスケートのアイスダンスは、1968年グルノーブル大会では公開競技だったが、1976年インスブルック大会から正式種目として採用された。ショートトラックは、1988年カルガリー大会では公開競技として行われ、4年後の1992年アルベールビル大会から正式競技となった。しかしそれ以外では、正式採用に至らなかった公開競技が多い。ここでは、冬季オリンピックで披露されながら、いつしか忘れ去られていったおもな公開競技を紹介しよう。

ミリタリースキーパトロール Military Ski Patrol

1924年シャモニー・モンブラン大会冬季大会のミリタリースキーパトロールで優勝したスイスチーム

1924年シャモニー・モンブラン大会冬季大会のミリタリースキーパトロールで優勝したスイスチーム

 1924年第1回シャモニー・モンブラン冬季大会から1948年第5回サンモリッツ冬季大会まで続いた公開競技。各チームは4人で構成され、シャモニー大会では30kmのコースをスキーで走った。バックパックと銃を背負った選手がコースの中間ポイントに達すると、3人が6発ずつ射撃を行う。その際、的に命中すると1回につき30秒が合計タイムから引かれる。この大会で優勝したのはスイスチームで、実際に要したタイムは4時間06秒。射撃での命中回数が8回だったため8×30秒=4分がマイナスされ、調整後のタイムは3時間566秒となった。ちなみにコースの距離は、1936年ガルミッシュパルテンキルヘン冬季大会では25kmとなるなど、大会によって異なっていた。

 ミリタリースキーパトロールは1960年スコーバレー大会から形を変え、現在行われているバイアスロンになり、正式競技に昇格した。

1932年レークプラシッド冬季大会の犬ぞりレースで優勝したカナダのゴッダード

1932年レークプラシッド冬季大会の犬ぞりレースで優勝したカナダのゴッダード

犬ぞりレース Dogsled Racing

 1932年レークプラシッド冬季大会で1回だけ行われた競技。1人の選手が乗ったそりを犬が引き、タイムを競うレース。犬は1つのそりに対して7頭。そのうち1頭が先頭を走り、先導役を務める。ほかの6頭はハーネスを装着して繋がれたそりを引っ張る。

 この大会のコースの距離は25.1マイル(約40.5km)。同じコースを11回、2日かけて(計2回)走り、合計タイムで順位が決まった。優勝したのはカナダのゴッダード選手。1日目は2時間125秒、2日目は2時間1175で走った。マラソン並みのスピードだったことがわかる。

 カザフスタンの切手に描かれたバンディ

カザフスタンの切手に描かれたバンディ

バンディ Bandy

 フィールドホッケーを氷の上で行うことからはじまった競技がバンディ。それぞれ11人のスケーターからなる2つのチームで競う球技だ。アイスホッケーとは異なり、フィールドホッケーに似た湾曲したスティックを使用し、パックではなく直径2.5インチの硬いボールを使用する。ルールや競技場のサイズはフィールドホッケーやサッカーに近く、フィールドは約100m×50mと広い。硬いボールをスティックで打ち合いながらゴールを目指すため、ゲームがスピーディーだ。バンディの発祥は英国だが、現在では北欧を中心に行われている。

 オリンピックでは公開競技として1952年オスロ冬季大会で1回のみ行われた。この大会ではフィンランド、スウェーデン、ノルウェーの3か国が参加。3チームはそれぞれ11敗だったため、得点で順位が決められ、1位スウェーデン、2位ノルウェー、3位フィンランドとなった。

1992年アルベールビル冬季大会で行われたバレエスキー

1992年アルベールビル冬季大会で行われたバレエスキー

 バレエスキー(スキーバレエ) 
Ballet Ski

 モーグルと同じフリースタイルスキーの1種目として1988年カルガリー冬季大会と1992年アルベールビル冬季大会の2大会で公開競技として行われた。緩斜面のゲレンデで音楽に合わせてバレエを踊るようにパフォーマンスを披露。ストックを使って前転や後転をしたり、フィギュアスケートのように横回転したりするなど、アクロバティックな技とポーズで点数を競った。だが、オリンピックの正式競技として採用されることはなく、その後、競技の名称をアクロに変えたものの競技人口は減っていき、現在では大会が行われることはほとんどなくなってしまった。

1992年アルベールビル冬季大会で行われたスピードスキー

1992年アルベールビル冬季大会で行われたスピードスキー

スピードスキー  Speed Skiing

 最大傾斜45度近くにもなる急斜面をスキーの直滑降で滑り、タイムを競う。計測するのは400mほどのコースを滑った後に続く100mの区間の平均速度。最高時速200km以上に達するため、選手は空気抵抗を減少させる形状のヘルメットやスーツを着用する。

 1992年アルベールビル冬季大会で公開競技として行われたが、スイスのニコラ・ボシャテー選手が大会閉幕間近のトレーニング中に、雪上車に激突するというアクシデントで死亡。この不慮の事故のために、スピードスキーはオリンピックの正式競技に採用されなかった。現在、ワールドカップでは行われている。

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スポーツ歴史の検証
  • 大野 益弘 日本オリンピック・アカデミー 理事。筑波大学 芸術系非常勤講師。ライター・編集者。株式会社ジャニス代表。
    福武書店(現ベネッセ)などを経て編集プロダクションを設立。オリンピック関連書籍・写真集の編集および監修多数。筑波大学大学院人間総合科学研究科修了(修士)。単著に「オリンピック ヒーローたちの物語」(ポプラ社)、「クーベルタン」「人見絹枝」(ともに小峰書店)、「きみに応援歌<エール>を 古関裕而物語」「ミスター・オリンピックと呼ばれた男 田畑政治」(ともに講談社)など、共著に「2020+1 東京大会を考える」(メディアパル)など。