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コロナ禍のオリンピックに想う -その1 オリンピズムなき2回目の開催

SPORT POLICY INCUBATOR(2)

2021年11月17日
井上 俊也(大妻女子大学 キャリア教育センター 教授/日仏経営学会 会長)

 201398日にアルゼンチンのブエノスアイレスから届いた「TOKYO」の声から8年、2021年の夏がこのようになるとはだれも想像しえなかったであろう。

 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、「完全な形での開催は不可能」という判断でオリンピック・パラリンピックの開催は1年延期された。新型コロナウイルスの感染の勢いが前年以上となり、各種の調査では「中止・延期」という声が圧倒的に大きい中で、オリンピックもパラリンピックもほぼ無観客で予定通り開催された。そして開催後には「開催してよかった。感動した。」という意見が多数となった。

 開催決定から開催までに至る様々な問題はさておき、コロナ禍のオリンピック開催に対するサマリーは上記の通りであろう。

 ただ、上記のコメントでかぎかっこ付きで書いた「完全な形での開催」、「中止・延期」の声、「開催してよかった。感動した。」という点に違和感があり、問題提起したい。

 それは「オリンピズム」という観点の欠如である。オリンピズムは、オリンピック憲章の中で7つの原則について詳細に解説がなされているが、スポーツを通して心身を鍛え、世界の様々な国の人と交流し、平和な社会を築くことと要約できるであろう。

 すなわち、オリンピックは世界レベルのスポーツ大会であるが、単純に世界一を決める競技会ではない。オリンピックには種目別のワールドカップや世界選手権との違いがある。オリンピズムの実現という目的をオリンピックは持っている。世界の様々な国の人と交流し、平和な社会を築くというオリンピズムについて、今回のオリンピックの開催にあたって、私たち日本人はどれだけ意識していたであろうか。

 20203月に延期を決定した時点での「完全な形」とは、競技が通常通り行われることに加え、観客を入れて実施し、スポンサーが活動を契約通り行う、という意味ではなかったであろうか。その時に選手同士が交流し、世界平和に貢献することができるかどうかまで意思決定者は勘案していたのか、疑問を感じざるを得ない。

 もし、延期決定時に選手同士の交流や世界平和という観点が考慮されていたとしても、次の疑問が続く。2021年の春から初夏にかけての日本国内で行われた各種の調査では大多数が「延期・中止」と回答したが、その中でオリンピズムの実現の可否を想定して延期や中止という回答をしていたかは疑わしい。

 他方、このような世論に対し、主催者や政府は安心・安全な大会を開催すると答えていた。新型コロナウイルスという感染症のリスクに対して安心・安全は必要であるが、選手同士、あるいは選手と開催都市住民が安心・安全に交流をすることを想定していなかったであろう。


東京2020オリンピックスケートボード競技では、難しい技に挑戦して転倒した岡本碧優選手を、他国の選手が駆け寄り賞賛した。©フォートキシモト

 東京2020オリンピックスケートボード競技では、難しい技に挑戦して転倒した岡本碧優選手を、他国の選手が駆け寄り賞賛した。©フォートキシモト

 また、開催後の「オリンピックを開催してよかった。感動した。」という意見であるが、それは「スポーツ」あるいは「東京で開催された国際スポーツ大会」に感動したのであり、オリンピズムという理想を掲げるオリンピックに感動したわけではない。

 これらを象徴するシーンが新競技のスケートボードであった。メダル有力と目されていた日本の女子選手が失敗した後に、メダルが取れなかった彼女を他の外国人選手がたたえたシーンである。このシーンをめぐって「こういう価値観は新競技ならでは」「オリンピックになかったものを気付かせてくれた」というコメントが識者や元オリンピアンの解説者の口から出た。とんでもない、オリンピズムの文脈から考えれば、これこそ「オリンピック本来の姿」なのである。

 オリンピックにしかない価値を私たちは見落としていたのである。

 今回と前回の東京オリンピックとの大きな違いの一つに参加資格の変化、すなわちプロ選手の出場がある。これによって世界のトップアスリートが一堂に会すようになった。そしてそれが商業主義につながり、その弊害も指摘されている。しかし、前回のオリンピック時には厳格に運用されていたアマチュアリズムと商業主義は相反するかもしれないが、オリンピズムと商業主義が共存できないわけではない。これだけのスポーツ大会は商業主義と無縁でいられない。プロ選手にも門戸を広げ、大きな影響力のあるアスリートがオリンピズムの実現に貢献することは非常に意義のあることである。もし、自分は世界一になることだけにしか関心がなく、他国の選手との交流や世界平和は関係ない、というアスリートがいるならば、種目別の世界一を決める世界選手権やワールドカップという舞台に専念すればよい。

 オリンピズムが欠落したオリンピック、これは「完全ではない」というレベルではない。残念だったのは、2回目の開催であるにもかかわらず、日本人がオリンピズムなきオリンピックを経験してしまったこと、そしてその弊害をすべて商業主義に起因させてしまったことである。スポーツを普及、発展させるためにも商業主義は不可避である。オリンピズムなきオリンピックが日本人のスポーツ離れにつながらないことを願うばかりである。

  • 井上 俊也 井上 俊也   Toshiya Inoue 大妻女子大学 キャリア教育センター 教授
    日仏経営学会 会長
    1984年日本電信電話公社(現・日本電信電話株式会社)入社、NTTグループ各社で主に営業・企画・国際業務に従事。2010年大妻女子大学に入職、大妻マネジメントアカデミーを企画・運営、現在に至る。専門分野はスポーツマネジメント、マーケティング、情報通信産業論。日本スポーツ産業学会運営委員等