Search

【オリンピック・トリビア】2020年東京オリンピックをクイズで楽しく学ぶ!

1912年ストックホルム大会マラソンスタート直前。中央が金栗

1912年ストックホルム大会マラソンスタート直前。中央が金栗

【オリンピック・トリビア】2020年東京オリンピックをクイズで楽しく学ぶ!

2021年7月23日(金)から8月8日(日)まで開催される東京オリンピック。史上初の延期を経て開催されますが、アスリートの活躍、懸命に戦う姿は多くの方に勇気と感動を与えるでしょう。

無観客開催となり、テレビやインターネットを通して応援することとなりますが、よりオリンピックを楽しむために、これまでのオリンピックの歴史を通したトリビアをご用意しました。日々の応援の中で、クイズを解きながら、東京オリンピックを違う視点で楽しめるはずです!

開会式トリビア
Q1. 開会式で行われる恒例の"選手宣誓"。初めて開会式で行われたのは、何大会から?

① 1986年第1回アテネ大会(記念すべき第1回大会)
② 1908年第4回ロンドン大会(選手が各国の国内オリンピック委員会選出に)
③ 1912年第5回ストックホルム大会(日本が初めてオリンピックに出場)
④ 1920年第7回アントワープ大会(スペイン風邪パンデミックの中で開催)


正解:④1920年第7回アントワープ大会

初めて選手宣誓が行われたのは、1920年第7回アントワープ大会。開催国ベルギーのフェンシングのビクトル・ボワンで、宣誓はフェンシングのユニフォームを着て行った。以降、オリンピックでは開催国の選手が宣誓を行うようになった。

▼関連情報

スペイン風邪と第一次世界大戦からの復興 ~1920年第7回アントワープの光と影
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/25.html



Q2. 1928年第9回アムステルダム大会以降、開会式の入場行進において先頭国は決まっているが、どこか先頭となる?

① 開催国
② 前回開催国
③ 第1回オリンピック開催国
④ 前回大会最多金メダル獲得国


正解:③第1回オリンピック開催国

入場の先頭はギリシャである。つまり正解は第1回オリンピック開催国、オリンピック発祥のギリシャを先頭とすることが国際オリンピック委員会(IOC)の規定で定められている。開催国は最後、そのほかは開催国の言語表記順となっている。日本は、1964年第18回東京大会、冬季大会72年札幌、98年長野は英語アルファベット順であったが、2020年第32回東京大会では「五十音順」としている。日本独自の文化を発信する目的がある。

▼関連情報

クーベルタンとオリンピック復興
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/02.html



女性トリビア
日本人女性で初めてオリンピックに参加した人見絹枝(写真は、1926年第2回国際女子競技大会走り幅跳びで優勝した際の人見)

日本人女性で初めてオリンピックに参加した人見絹枝(写真は、1926年第2回国際女子競技大会走り幅跳びで優勝した際の人見)

Q3. 女性が初めてオリンピックに参加したのは第何回大会から?

① 1896年第1回アテネ大会、体操(個人)で初参加した
② 1900年第2回パリ大会、テニスとゴルフで初参加した
③ 1904年第3回セントルイス大会、陸上100mと馬術で初参加した
④ 1908年第4回ロンドン大会、水泳とフェンシングで初参加した


正解:②1900年第2回パリ大会、テニスとゴルフ競技で初参加した

女性が初めてオリンピックに参加したのは、1900年第2回パリ大会から。テニスとゴルフ競技で参加した。試合の際、女性はロングスカートをはいていた。これは、当時は女性が腕や足などを見せることは恥ずかしいとされていたためである。なお、パリ大会の女性参加率は約2%で、2020年東京大会では約半数になると言われている。

▼関連情報

人見絹枝と前畑秀子 悔しさに打ち克つ涙が、時を経て輝きを放つ
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/02.html



Q4. 女性が初めて参加できるようになった競技に関して、誤っているものはどれ?

① 初めて陸上競技に女性が参加したのは、1928年第9回アムステルダム大会である。
② 初めて女子柔道が正式種目となったのは、1964年第18回東京大会からである。
③ 初めて女子マラソンが行われたのは、1984年第23回ロサンゼルス大会からである。
④ 初めて女子レスリングが行われたのは、2004年28回アテネ大会からである。


正解:②初めて女子柔道が正式種目となったのは、1964年第18回東京大会からである。

日本のお家芸ともいえる柔道。女子柔道が正式種目となったのは意外にも遅く、1992年第25回バルセロナ大会からである。1988年第24回ソウル大会では公開競技として行われたが正式種目ではなかった。 陸上競技は第1回アテネ大会から実施されていたが、女性の参加は1928年第9回アムステルダム大会からとなる。そして、初めて日本人女性がオリンピックに参加することとなり、同時に日本人女性初のメダリストも生まれた。女子800mで人見絹枝が銀メダルに輝く。彼女は大阪毎日新聞社で働く記者でもあった。このときから、陸上競技2人目の日本女子メダリストの誕生には、1992年バルセロナ大会の女子マラソン銀の有森裕子まで、64年待つことになる。

▼関連情報

オリンピック日本初女子メダリスト・人見絹枝『大正デモクラシーの花』
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/07.html



日本 "初" "発" トリビア
Q5. 日本は1912年第5回ストックホルム大会でオリンピックに初出場することとなる。入場行進の際、プラカードには何と書いてあった?

① JAPAN
② NIPPON
③ NIHON
④ JAPON


正解:②NIPPON

東京高等師範学校校長だった嘉納治五郎にオリンピック参加の要請があったのは1909年。3年後、1912年ストックホルム大会に日本は初出場した。選手は、金栗四三と三島弥彦。入場行進、プラカードには「NIPPON」の文字。プラカードの文字表記に制限はなく、馴染みある「日本」と外国人も読める「JAPAN」で意見が分かれたが、最終的に「NIPPON」となった。ただし、実際の入場順は、「ITALY」の後、「LUXEMBOURG」の前。つまり、「JAPAN」の位置であった。以降のオリンピックのプラカードでは、「JAPAN」、「JAPON」が多い。

▼関連情報

嘉納治五郎と日本のオリンピックムーブメント
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/03.html



Q6.日本人選手が初めてオリンピックでメダルを獲得した競技は?

① マラソン
② 水泳
③ テニス
④ 柔道


正解:③テニス

第一次世界大戦による中止をはさみ、1920年、ベルギーで開催された第6回アントワープ大会。熊谷一彌がテニス・シングルスで日本初のメダル獲得となる、銀メダルに輝いた。熊谷は柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダルを獲得している。当時の日本のテニス選手は、商社や銀行の駐在員として欧米に派遣された機会を生かし国際大会に出場し腕を磨いた。熊谷は三菱合資会社銀行部に入社しニューヨーク勤務、柏尾も三井物産支店勤務で国際大会に出場していた。なお、2016年第31回リオデジャネイロ大会で錦織圭が銅メダルを獲得したが、それは96年ぶりであった。

▼関連情報

日本最初のメダルは「無念の」銀
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/04.html



Q7. 1928年アムステルダム大会で、陸上・三段跳びで織田幹雄が日本人初の金メダリストに輝くが、次の中で誤っているものはどれ?

① メダル授与式に参加しなかったため、直接金メダルを渡されなかった
② 金メダル獲得時、大阪朝日新聞社運動部の記者であった
③ 1924年パリ大会に、三段跳び・走り幅跳び・走り高跳びで出場した
④ 織田の名前をとった、国際陸上競技大会が開かれるようになった


正解:②金メダル獲得時、大阪朝日新聞社運動部の記者であった

金メダル獲得時は、早稲田大学で競技に打ち込んでいた。大学卒業後、大阪朝日新聞運動部の記者となり、運動部長まで務めることとなる。新聞記者として初めてオリンピックを取材したのは、1956年メルボルン大会であった。

①であるが、織田は優勝決定後、閉会式を待たずアムステルダムを離れた(当時、メダル授与式は閉会式後に行われた)。国際学生競技大会が始まっており、これに出場するべく開催地・パリに向かったためだ。代わりに競泳200m平泳ぎで金メダルを獲得した鶴田義行が織田のメダルも受け取ったという、とても珍しい出来事である。

織田は金メダル獲得の前回1924年パリ大会には3種目で出場し、三段跳びは6位、走り幅跳び・走り高跳びは予選敗退であった。それが糧となり金メダルにつながったのかもしれない。そんな織田の功績を称え、1967年から出身である広島で、例年4月に織田幹雄記念国際陸上競技大会が開催されるようになった。

▼関連情報

新聞記者・織田幹雄
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/supporter/04.html

初めての金メダリストに学ぶべき「純粋無垢な」思い
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic/06.html



Q8. 1936年第11回ベルリン大会で、日本人女性初の金メダルを、競泳で前畑秀子が獲得した。その前畑が決勝直前、10分前に行ったことは何か?

① 昼寝をしてリラックス
② 廊下を全力疾走
③ もらったお守りを飲み込む
④ 大量の水を一気飲み


正解:③もらったお守りを飲み込む

1932年ロサンゼルス大会、前畑は女子200m平泳ぎで銀メダルを獲得したが、1位とは10分の1秒差であった。その後、1936年ベルリン大会で日本人女性初の金メダルを獲得することになるが、国民の前畑に対する期待はとても大きく、想像を絶するプレッシャーが彼女をおそっていた。レースの直前、前畑は突如として紙のお守りを手にして洗面所へ行き、水と一緒に飲み込んだ。追い込まれた気持ちを落ち着かせるためには、神に頼むしか方法がなかったのだ。そして見事にプレッシャーに打ち克ち金メダルを手にした。

▼関連情報

人見絹枝と前畑秀子 悔しさに打ち克つ涙が、時を経て輝きを放つ
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/02.html



Q9. 2020年東京大会では、オリンピック史上最多の33競技339種目が行われるが、日本生まれの競技・種目が3つある。下記で違うものはどれ?

① 柔道
② 空手
③ 陸上・競歩
④ 自転車・ケイリン


正解:③陸上・競歩

陸上・競歩はヨーロッパ発祥であるが、それ以外は日本生まれの競技・種目である。 柔道は、「柔道の父」「日本オリンピックの父」と言われる嘉納治五郎により創設され、講道館を設立するなど、国際的にも広がった。空手は15世紀ごろに、琉球王国(現在の沖縄)で護身術として誕生したと言われている。ケイリンは日本の「競輪」がもとになっており、2000年第27回シドニー大会から正式種目となった。

▼関連情報

嘉納治五郎 種をまく国際人
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/supporter/02.html



メダル・記録トリビア 日本編

 

日本人最多個人メダルを獲得した小野喬(体操)

日本人最多個人メダルを獲得した小野喬(体操)

Q10. これまで親子、夫婦、兄弟・姉妹のメダリストはいるが、下記で誤っているものは?

① アニマル浜口・浜口京子 親子(レスリング)
② 三宅義行・三宅宏実 親子(ウエイトリフティング)
③ 伊調千春・伊調馨 姉妹(レスリング)
④ 小野喬・小野清子 夫妻(体操)


正解:①アニマル浜口・浜口京子 親子(レスリング)

アニマル浜口は長らくプロレスラーとして活躍したがオリンピックには出場していない。娘の浜口京子は女子レスリング72 kg級で、2004年アテネ大会、2008年北京大会と2大会連続で銅メダルを獲得した。

三宅義行は1968年第18回メキシコシティー大会、ウエイトリフティングで銅メダル。娘の三宅宏実もウエイトリフティングで、2012年ロンドン大会・銀メダル、2016年リオデジャネイロ大会で銅メダルを獲得した。

伊調姉妹はレスリングでメダルを獲得した。姉・千春は2004年アテネ大会、2008年北京オリンピック女子48kg級で銀メダル、妹・馨は、女子63g級で、2004年アテネ大会・2008年北京大会・2012年ロンドン大会、女子58kg級で2016年リオデジャネイロ大会と、4大会連続金メダルとなり、個人種目4連覇は女子選手では世界初となっている。

小野喬は体操・鉄棒で、1956年メルボルン大会・1960年ローマ大会、跳馬で1960年ローマ大会、団体総合で1960年ローマ大会・1964年東京大会と5個の金メダルを獲得した。銀メダル・銅メダルを4個ずつ獲得しており、一人で合計13個のメダルを獲得ており、これは日本人選手個人最多となっている。小野清子は1964年東京大会、体操・女子団体で銅メダルとなっている。なお、1960年ローマ大会と2大会連続で夫婦で出場し、1964年東京大会は2児の母として出場した。引退後は内閣府特命担当大臣を務めるなど、政治家として活躍した。笹川スポーツ財団・初代理事長。

▼関連情報

日本人最多の五輪メダル 小野喬
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/interview/001.html

次代へつなぐスポーツのバトン 小野清子
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/interview/025.html



Q11. オリンピックに出場した日本人選手の中で、最多の金メダルを獲得した選手で正しいのはどれ?

① 柔道・野村忠宏の金メダル5個
② 競泳・北島康介の金メダル6個
③ レスリング・吉田沙保里の金メダル7個
④ 体操・加藤澤男の金メダル8個


正解:④体操・加藤澤男の金メダル8個

1968年メキシコシティー大会で、団体総合、個人総合、床運動で3個、1972年ミュンヘン大会も団体総合、個人総合、平行棒と3個、1976年モントリオール大会では団体総合、平行棒と2個、3大会合計8個の金メダルを獲得した。

野村忠宏は、柔道・男子60g級で、1996年アトランタ大会、2000年シドニー大会、20004年アテネ大会と3大会連続で金メダルに輝く。北島康介は、2004年アテネ大会で、100m・200m平泳ぎで、2008年北京大会でも100m・200m平泳ぎで優勝し、合計4個の金メダルを獲得している。吉田沙保里は、レスリング女子55kg級で、2004年アテネ大会、20008年北京大会、2012年ロンドン大会で3連覇を達成した。2016年リオデジャネイロ大会(女子53kg級)では決勝で敗れ銀メダルだった。レスリング世界選手権では、13大会連続世界一となり、2012年にギネス世界記録に認定された。

▼関連情報

人生をかけて歩んできたレスリング 吉田沙保里
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/interview/059.html



Q12. 日本人選手のオリンピック出場最高年齢は、馬術の法華津寛(ほけつひろし)71歳。3回出場しているが、2012年ロンドン大会、2008年北京大会と、もう一つの大会は?

① 1964年東京大会
② 1968年メキシコシティー大会
③ 2004年アテネ大会
④ 2016年リオデジャネイロ大会


正解:①1964年東京大会

法華津寛は、1964年東京大会に23歳でオリンピックに初出場した。その後2008年北京大会に2回目の出場を果たすが、48年の年月をまたいでの出場となる。2021年で81歳となり、2020年東京大会も出場を目指していたが叶わなかった。



メダル・記録トリビア 世界編
Q13. オリンピック最年長メダリストの年齢は?

① 52歳
② 62歳
③ 72歳
④ 82歳


正解:③72歳

スウェーデンのオスカー・スバーンは、72歳で、1920年アントワープ大会の射撃・銀メダリストとなった。さらに、8年前の1912年ストックホルム大会では64歳で金メダルに輝いており、こちらも金メダル獲得の最年長記録となっている。なお、日本の金メダル獲得最年長記録は、蒲池猛夫が1984年ロサンゼルス大会、48歳で射撃・金メダルを獲得している。



Q14. 個人の金メダル最多獲得者は、水泳のマイケル・フェルプス(米国)であるが、5大会に出場して何個の金メダルを獲得した?

① 19個
② 21個
③ 23個
④ 25個


正解:③23個

マイケル・フェルプスは5大会連続でオリンピックに出場した。2000年シドニー大会ではメダルを獲得することはできなかったが、2004年アテネ大会で6個、2008年北京大会で8個、2012年ロンドン大会で4個、2016年リオデジャネイロ大会で5個、合計23個の金メダルを獲得した。ほかに銀メダル3個、銅メダル2個、合計28個のメダルを獲得しており、個人での最多メダル獲得数でもある。



驚きトリビア


赤道ギニアの選手・ムサンバニの力泳

赤道ギニアの選手・ムサンバニの力泳

Q15. 2000年シドニー大会、競泳男子自由形100mで、赤道ギニアの選手の泳ぎが観客を驚かせた。その理由は?

① 自由形を平泳ぎで泳いだ
② とても時間がかかった
③ 途中で足をついた
④ おぼれてしまった


正解:②とても時間がかかった

選手の名前はエリック・ムサンバニ。オリンピックでは、さまざまな国で競技を発展させることを目的に、オリンピックに参加できる記録を満たしていない選手でも出場させる「特別出場枠」を設けている。ムサンバニはこの枠で出場したが、8カ月練習をして大会に臨んだが、50mプールを見るのも初めてであった。まるでおぼれているように見えたが、途中で足をつくことなく、おぼれることなく、世界記録の2倍以上の時間をかけて泳ぎ切った。

▼関連情報

よく闘った『ビリの英雄』 ~ムサンバニとカルナナンダ
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/26.html



Q16. 1900年パリ大会、ボート競技でオランダ選手の一人が体重オーバーとなる緊急事態に陥ったが、急遽とった奇策により、出場、そして金メダルを獲得した。何をした?

① 近くの子どもに代わりに出場してもらった
② 周辺を走り、運動し、汗をかいて少し体重を減らし出場した
③ 競技経験のあるコーチに代わりに出場してもらった
④ ユニフォームをつけず、下着だけで出場した


正解:①近くの子どもに代わりに出場してもらった

種目は舵つきペア。3人のチーム制で行うのだが、出場できなくなった選手の役割はコックス(舵とり役)だった。どうするか思案したが、通りかかった地元の10歳くらいの男の子に声をかけ、コックス役を頼み出場した。結果は優勝。当時は選手個人の名前を登録する制度はないためにできた奇策であるが、優勝後、男の子は姿を消してしまった。今でも名前が分からない男の子が、歴代最年少金メダリストと言われている。



競技トリビア
Q17. オリンピックでは、男女別で競技を行うが、唯一男女の区別がない競技がある。それは何?

① サーフィン
② スケートボード
③ 射撃
④ 馬術


正解:④馬術

陸上競技・男子100m、女子100mなどと区別されるように、オリンピック競技は男女別で行われる。唯一、③馬術だけは男女の区別がなく順位が競われる。動物と一緒に、性別に関係なく馬と一体となり力を発揮する競技であるためだ。この馬術、第2回パリ大会から正式競技となったが、当時は軍人のみが参加していた。日本は1932年第10回ロサンゼルス大会で西竹一が金メダルを獲得するが、馬術において日本の獲得メダルはこれが唯一である。

▼関連情報

西竹一 不穏な時代に輝いた「破格の」男
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/olympic_athlete/03.html



Q18. かつてのオリンピックでは行われたが、長らく実施されていない競技もあるが、下記で一つ、今まで行われていない競技がある。なに?

① 綱引き
② 彫刻
③ モーターボート
④ ボウリング


正解:④ボウリング

ボウリングはアジア競技大会では実施されているが、オリンピックでは行われたことはない。 ①綱引きは1900年第2回パリ大会から1920年アントワープ大会まで、②彫刻は近代オリンピックの父と言われるクーベルタンの強い希望で、芸術競技として、建築・彫刻・絵画・音楽・文学の5部門で採点により順位を競った。1912年第5回ストックホルム大会から1948年第24回ロンドン大会まで続いた。③モーターボートは、1908年ロンドン大会でのみ実施された。

▼関連情報

ピエール・ド・クーベルタンオリンピックの芸術と神聖
https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/history/supporter/01.html



Q19. 第1回アテネ大会から現在までずっと続いている競技は5つある。「陸上」「水泳」「自転車」「体操」と何?

① 柔道
② 卓球
③ レスリング
④ フェンシング


正解:④フェンシング

第1回アテネ大会から現在まで行われている競技は「陸上」「水泳」「自転車」「体操」「フェンシング」の5競技となっている。レスリングは、第1回アテネ大会では実施されたものの、第2回パリ大会では実施されなかった。それまでは男子のみだったが、2004年第28回アテネ大会から女子も実施され、日本選手が活躍している。



その他トリビア
Q20. 2020年東京オリンピック出場選手で、「スポーツライフに関する調査2020」上位20人の選手の中、最上位にランクインした選手は?

① 大坂なおみ(テニス)
② 錦織圭(テニス)
③ 池江璃花子(水泳)
④ 八村塁(バスケットボール)


正解:①大坂なおみ(テニス)

全体で大坂なおみは4位となっている。全体1位は羽生結弦(フィギュアスケート)、2位・イチロー(野球)、3位・大谷翔平(野球)と続く。②錦織圭(テニス)は6位、③池江璃花子(水泳)は7位、④八村塁(バスケットボール)は15位で、大坂、池江、八村は調査以来、初めて上位20位以内にランクインした。

▼関連情報

好きなスポーツ選手 (スポーツライフ・データ2020)
https://www.ssf.or.jp/thinktank/sports_life/data/favorite_player.html



Q21. 下記のオリンピック競技で、国内の実施推計人口(スポーツライフに関する調査2018)が最も多いのはどの競技?

① バスケットボール
② 野球
③ バレーボール
④ サッカー


正解:④サッカー

年1回以上の実施推計人口は、④サッカーが約436万人と、4競技の中で最も多い。次いで野球が約384万人、バレーボールが約290万人、バスケットボールが約218万人と続く。

▼関連情報

データでみる日本のスポーツ
https://www.ssf.or.jp/thinktank/sports_life/data/index.html



Q22. オリンピック選手のひたむきな姿に多くが感動し、勇気をもらうが、選手として「引退」するときがくる。次の引退理由で最も多いのはどれ?

① 仕事を優先するため
② 年齢による体力的な問題
③ 自己の成績に満足したため
④ けが


正解:①仕事を優先するため

オリンピアンのキャリアに関する実態調査2014によると、オリンピック選手の引退理由で最も多いのは、「仕事を優先するため」(46.0%)であった。②「年齢による体力的な問題」(45.5%)、③「自己の成績に満足したため」(18.1%)、④「けが」(14.1%)と続き、ほかには「競技を楽しめなくなったため」(8.8%)、「金銭的な問題」(6.2%)もある。ただし、「仕事を優先するため」も、男性の57.1%に対し女性が18.6%と大きな差がある。

▼関連情報

オリンピアンのキャリアに関する実態調査2014
https://www.ssf.or.jp/thinktank/governance/2014_report27.html



本クイズは、大野益弘氏(日本オリンピック・アカデミー理事)監修のもと、「オリンピック・パラリンピッククイズ(全4巻)」(小峰書店)の1「歴史編」、2「競技編」、3「人物編」より編集したものです。


8月9日までにアンケートにお答えいただくと、この「オリンピック・パラリンピッククイズ(全4巻)」をプレゼントします。ぜひご応募ください。▼