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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

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日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。

セミナー「子供のスポーツ」

フィギュアスケートの選手とコーチ

【冬季オリンピック・パラリンピック大会】

2023.09.21

北京冬季オリンピックのロシア選手ドーピング問題

 本稿のテーマは“フィギュアスケートの選手とコーチ”だが、稿を進める前に、少し残念な話題に触れなければならない。ロシアの天才フィギュアスケーター“カミラ・ワリエワ”。あまりにも強すぎるため他の選手が絶対に勝てないと諦めることから「絶望」の異名がある選手だ。弱冠15歳で2022年北京冬季オリンピックに出場。最初の種目の混合団体で、SPFPとも圧巻の演技で首位となり、ROC*1) の金メダル獲得に貢献した。

 女子シングルの直前、ドーピングの国際検査機関ITAが、202112月の検査でワリエワに陽性反応が出たことを公表し大騒ぎになった。その後紆余曲折を経てドーピング規定で「16歳未満の選手は保護対象にある」と定められていることから、継続出場は認められたが、団体及びシングルの結果は正式な判定が出るまで暫定的なものとなり、団体の表彰式も行われなかった。ちなみに、日本はロシア、米国に続き3位となったが、いまだにメダルを受け取っていない。

2022年北京冬季大会の女子フリーでミスを連発し、うちひしがれるワリエワ

2022年北京冬季大会の女子フリーでミスを連発し、うちひしがれるワリエワ

 批判に立たされたワリエワはSPでこそ首位になったが、FPでは考えられないミスを連発し、トータルで4位に沈んだ。この結果にコーチのエテリ・トゥトベリーゼは、「なぜ戦うのをやめたの?」とワリエワを叱責したという。トゥトベリーゼは2020年度のISU(国際スケート連盟)最優秀コーチ賞を受賞しており、その実績は群を抜いている。メドベージェワ、ザギトワ、北京オリンピックでワン・ツーフィニッシュした、シェルバコワ、トゥルソワなど、優秀選手を数多く育てている。一方で、パワハラと言われるような厳しい指導は批判も浴びており、“鉄の女”とも呼ばれている。

 今回のワリエワ騒動は単にドーピング疑惑の問題ではなく、フィギュアスケートの選手とコーチの問題も浮き彫りにした。若年層から指導を受けるコーチの存在は選手にとって絶対的なものだ。ロシアでは選手の活躍次第でコーチや医師にも国から高額の報奨金が支払われるという。断ることができない子どもへのドーピング強要は絶対に許されるべきものではない。

 そんななかで、ISU20226月にオリンピックや世界選手権などの主要国際大会に出場できる年齢を現在の15歳から17歳へ段階的に引き上げることを決定した。低年齢層に対する心身の負担軽減を主な理由に挙げているが、北京オリンピックのワリエワ問題が影響を与えたとみるべきだろう。また、オリンピック等で栄冠を勝ち取りながら選手生命が短い選手も多くいる。2014年ソチオリンピックのメダリスト、ユリア・リプニツカヤ、アデリナ・ソトニコワは若年でメダルを獲得したが早期に引退に追い込まれた。2018年平昌オリンピックの女王アリーナ・ザギトワは競技から遠ざかって久しい。フィギュアスケートの問題だけではないが、スポーツの持つ負の側面から子どもたちを守ることは、世界のスポーツ界の責務である。

*1)ROC:ロシアオリンピック委員会。ロシアは組織的なドーピング問題で、主要国際大会から除外されており、違反歴や疑惑がない選手に限り個人の資格でROCとしての参加が認められている。

フィギュアスケートのコーチ

 選手とコーチの関係については競技や年齢によって異なる。チームゲームの場合は、個人のコーチではなくチームを率いる監督とその下のコーチが指導にあたる。個人競技・種目は稀にコーチを付けない選手もいるが、ほとんどの場合は所属するチームや個人のコーチがいる。なかでもフィギュアスケートは選手と指導者の関係がとりわけ深い。審判から技術力、芸術性、表現力などの評価を受ける採点競技ゆえに、第三者の視点で指導するコーチの役割が重要になってくるからだ。小学低学年から競技をはじめる選手が多いので、競技力の向上だけでなく、子どもの成長に合わせて精神面でのケアや人間性を育てるための教育的指導も行う。パターンとしては幼少期に有名コーチからその才能を見出されるケース、親が選手か指導者で自然の流れでフィギュアをはじめその親から指導を受けるケースなどがある。

 多くの選手がステップアップを図るために途中で何度かコーチを変える。また、一人のコーチが技術指導、選曲、振り付けなどを全てやっていた時代もあったようだが、現在は分業体制が敷かれている。さらに、トレーナー、ドクター、栄養士、メンタルコーチなど細分化が進んでおり、コーチを中心にチームで選手を支えている。

 一般論としての理想のスポーツ指導者像では、真っ先に自らがスポーツの意義や価値を理解していることが上げられる。なぜなら、スポーツは勝つことだけが目的ではなく、スポーツを通じて人間性を高め、より豊かな人生を送ることにあるからだ。そのためには、競技規則を熟知し、技術を高めることだけではなく、スポーツマンシップ、フェアプレーの精神の涵養(かんよう)、マナーやエチケットといった道徳的規範も指導の重要な要素となる。さらに、明確な目標を持つ、決断力を高める、自立心を養う、ポジティブシンキングなどが上げられる。それらを年齢や状況に応じて適切に指導していくことが求められる。

 コーチの特性にもよるが、一方的に指導を押し付けるのではなく、選手の意見も尊重し、双方向のコミュニケーションを図りながら、選手をサポートしていくやり方が功を奏しているようだ。最近では、選手を指導するだけでなく、練習環境の整備、競技に関する最新情報の入手、用品・用具の選定などより多面的な仕事になっている。コーチ自身もたゆまず研鑽を積まなければならない。サッカーの元フランス代表監督のロジェ・ルメールは「我々は学ぶことをやめたときに、教えることをやめなければならない」と言っている。

フィギュアスケートコーチの歩み

 日本のフィギュアスケートコーチの歴史を辿ってみよう。先ず挙げられるのが永井康三。絵画を学ぶためにヨーロッパに渡ったが、そこでフィギュアスケートと出合い、その魅力に取り付かれ、独学で技術を学び、帰国後稲田悦子などを指導すると共に、日本のフィギュアスケートの普及、発展に尽力した。その稲田悦子は、1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季オリンピックに12歳で出場、戦前戦後合わせて全日本選手権7回優勝という日本の女子フィギュアスケートの先駆者だ。現役引退後はコーチに転身し、平松(旧姓上野)純子、石田治子(歌手の石田あゆみの姉)、福原美和等を育てた。創成期のコーチとしては他に片山敏一や、前述の平松純子の母である上野衣子(きぬこ)がいる。上野衣子は審判員としても活躍、そのスキルは平松純子に受け継がれた。

 続いて紹介したいのは、羽生結弦の才能を見出したコーチとして知られる都築章一郎。仙台で小学校2年から高校1年まで羽生を指導。はじめは「オリンピックに行こうね」と声を掛けたのだが、すぐに「オリンピックで頑張ろうね」に変わったという。東日本大震災で被災しリンクを失った羽生を受け入れ、仙台のリンクが再開するまで練習をサポートした。世界選手権で3位となり、オリンピック、世界選手権で日本人初のメダリストとなった佐野稔も都築の教え子だ。

 自ら1960年スコーバレー、1964年インスブルック両オリンピックに出場した佐藤信夫は、佐野稔、松村充、村主章枝、安藤美姫、浅田真央等多くの一流選手を育てた名伯楽であり、日本男子では唯一世界フィギュアスケート殿堂入りを果たしている。妻は1964年インスブルック、1968年グルノーブルオリンピック日本代表の佐藤(旧姓大川)久美子。娘は1994年世界選手権チャンピオンの佐藤有香。共にコーチや振付師として活躍している。1972年札幌オリンピック日本代表の長久保裕は、現役引退後、本田武史、田村岳斗、荒川静香等の選手を育てた。特にジャンプの指導には定評があった。

 女子のコーチとしてはやはり山田満知子だ。「ジャンプの申し子」と言われ、トリプルアクセルを世界ではじめて成功させ、1992年アルベールビルオリンピックで銀メダルに輝いた伊藤みどりを育てた。その他の教え子には浅田真央、村上佳菜子、宇野昌磨等がおり、そのアットホームな指導は「山田ファミリー」と呼ばれている。

 濱田美栄は宮原知子、紀平梨花、本田真凜等を育て、現在は2022年世界ジュニアグランプリファイナルで優勝、将来を嘱望されている期待の新鋭、島田麻央を木下アカデミーで指導している。木下アカデミーは、国際舞台で活躍する選手を育てるために濵田美栄をGMとして2020年に設立され、優秀なコーチと練習環境を備えているチームだ。2021年に開校し中庭健介がHCを務めるMFアカデミーと共にその活動が注目されている。

 親子鷹としては、前述の佐藤信夫・久美子と有香のほか、小塚嗣彦と崇彦、鍵山正和と2022年北京オリンピックで銀メダルに輝いた優真がいる。二人三脚の師弟として有名なのは、中学2年に出会い、その後トップに昇り詰めるまで指導した長光歌子と高橋大輔だ。また、個人の指導というより、長らく日本スケート連盟(JSF)の女子フィギュアスケート委員長を務め、全国有望新人発掘合宿(通称・野辺山合宿)を創設するなど、日本のフィギュアスケートの競技力の向上を支えた城田憲子の存在を忘れてはならない。

2022年北京冬季大会の鍵山正和コーチ(右)と男子シングル銀メダリスト鍵山優真

2022年北京冬季大会の鍵山正和コーチ(右)と男子シングル銀メダリスト鍵山優真

海外の有名コーチ

 海外のコーチにも触れておこう。冒頭の章でロシアのエリテ・トゥトベリーゼを紹介したが、女子コーチとして真っ先に名前が上がるのがロシアのタチアナ・タラソワだ。ロドニナ&ザイツェフ、ヤグディン、リプニツカヤ等のオリンピック金メダリストを多く育てたことから「金メダルメーカー」と呼ばれている。日本の荒川静香、浅田真央も指導を受けた。男子では、高橋大輔も指導を受けたロシアのニコライ・モロゾフ。キム・ヨナ、羽生結弦のコーチだったカナダのブライアン・オーサー。プルシェンコのコーチとして知られるロシアのアレクセイ・ミーシン。そして現在宇野昌磨を指導しているスイスのステファン・ランビエール等が挙げられる。

おわりに

 フィギュアスケートコーチの晴れの舞台は、競技会で演技終了後に選手と一緒に採点結果の発表を待つ場である“キス・アンド・クライ”だ。ミスを犯し得点が延びなかった選手を慰めるのも役割だが、オリンピックや世界選手権等の檜舞台で教え子が高得点を出し、メダルに輝く瞬間に立ち合って選手と喜びを共にする瞬間は珠玉のものだろう。浅田真央や羽生結弦は引退後、アイスショーに新天地を見出しているが、何年か先に指導者となり、第2や第3の真央、結弦を育て、キス・アンド・クライに登場する日は訪れるのだろうか。

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スポーツ歴史の検証
  • 松原 茂章 1953年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部法律学科卒業。株式会社フォート・キシモト顧問。スポーツフォトエージェンシーのフォート・キシモトで長らく企画・営業を担当。取締役を歴任し現在顧問。オリンピック、FIFA ワールドカップなど取材多数。スポーツに関する「写真展」「出版」等に携わる。日本スポーツ芸術協会事務局長、長野オリンピック文化プログラム専門委員、長野パラリンピック広報報道専門委員などを歴任。現在、一般財団法人日本スポーツマンクラブ財団理事・事務局次長。著書に「大相撲クイズ」(ポプラ社)、共著に「JOA オリンピック小事典」(メディアパル)など。