佐野 慎輔(笹川スポーツ財団 参与、上席特別研究員/産経新聞 客員論説委員)
サッカーのFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ2026が日本時間の6月12日、幕を開ける。史上初めてアメリカ・カナダ・メキシコ3カ国による共同開催、出場チームがこれまでの32から48に拡大され、104試合が実施される史上最大規模の大会である。
日本のファンには1968年メキシコシティオリンピックで銅メダルを決めたアステカ・スタジアムの名で知られるエスタディオ・アステカでのメキシコ対南アフリカ戦で幕を開け、決勝は7月20日アメリカのニューヨーク/ニュージャージーのメットライフ・スタジアム。世界中からの視線を浴びながら39日間にわたる熱戦が続く。森保一監督率いる日本代表がこれまでの最高ベスト16を越える「最高の景色」をみることができるか。大いに注目したい。
なぜ48に出場枠が増大されたか?
これまでの32から48へ、出場枠の拡大が決定されたのは2017年1月のFIFA評議会である。「競技レベルの低下」を懸念し、「出場に至る達成感の希薄化」が指摘されるなか、批判を封じ込み、拡大化を推進したのはジャンニ・インファンテーノ会長だった。
2015年、2018年ロシアW杯、2022年カタールW杯招致をめぐりFIFA幹部9人を含む14人が逮捕、訴追される汚職事件が発覚。事件への関与が指摘されたゼップ・ブラッター会長の停職をうけて就任したインファンティーノ会長が公約に掲げたのが「出場枠の拡大」である。「サッカーのグローバル化」をその理由にあげたが、本音をみれば、汚職事件で起きたスポンサーの相次ぐ離脱による財源の減少への対策であった。
背景にある安定財源の確保
FIFAは国際的な組織ではあるものの、世界貿易機関(WTO)や世界保健機関(WHO)などのような国際条約によって規定されている組織ではない。国際オリンピック委員会(IOC)と同様、本部のあるスイスの民法で容認された非政府組織(NGO)、非営利組織(NPO)に過ぎず、加盟国が資金を供出する対象ではなく、自ら財源を確保しなければならない。それが放送権収入やスポンサー収入、マーチャンダイズといった権利ビジネスにほかならない。
FIFAの場合、IOCにおけるオリンピックと同様、収入の大半をW杯に頼る。W杯の放送権収入を増やすためには試合数を増やし、放映権の価値を高めることが重要であり、そのためには出場枠を拡大する必要があるというわけだ。出場枠が増えることによって出場国の企業からのスポンサー収入の増大も見込まれ、試合数の増加はチケット料収入の増加にもつながる。
2026年5月のFIFA総会でインファンティーノ会長は高らかに言い放った。「2023年から26年まで4年間の収入が過去最高の130億ドル(約1兆9000億円)になる見込みだ」と。これは当初予測110億ドルを上方修正した数字であり、前回カタール大会対象の2019-22年収入約75億ドルの約2倍にあたる。このうち90億ドルが今回の北中米大会に依る収入といわれており、出場枠拡大は財政面では大成功であったと指摘できよう。全世界の放送権収入は43億ドル、スポンサー収入は28億ドルと予測され、チケット収入は30億ドルに及ぶとの見通しがある。いずれも前回大会を大幅に上回る史上最高額の大会であり、金額は2024年パリオリンピックを含む2021-24年収入が77億ドルだったIOCをはるかにしのぐ。
経済面に加え、FIFAの政治的な思惑も
FIFAは1930年13カ国の招待で始まったW杯の出場枠を16から24、24から32、そして今回の48と3度拡大している。
出場枠が24になったのは1982年スペイン大会から。1960年代に植民地から相次いで独立したアジア、アフリカでサッカー熱が高まり、FIFAにも加入、出場枠がヨーロッパや南アメリカに多く配分されていることへの不満が表明された。1974年に新興国の支援を受けて選出されたブラジル人のジョアン・アヴェランジェ会長のもとでアフリカ2・5枠、アジア2枠確保が決まり、この拡大によって試合数が増加。その結果、放送権料、スポンサー料収入が増えている。拡大が収入増をもたらす流れはここから始まるといえよう。
24から32になった背景には東西冷静構造の終結がある。1989年東西ドイツを別けていたベルリンの壁崩壊、1991年ソ連(現ロシア)崩壊に伴い、東ヨーロッパに相次いで独立国が誕生、次々とFIFAに加盟した。これらの国々はもともとサッカーが盛んであり、W杯予選に出場する国が増えた。アジア、アフリカからの枠の拡大要求も続いており、彼らの思いを満たそうとすれば、出場枠拡大はもはや必然といってよかった。
出場枠の拡大は1998年フランス大会から。その恩恵をうけたのは日本であった。悲願のW杯初出場を果たすとともに、W杯出場と韓国と共同開催した2002年W杯は日本サッカーの地位向上を促した。日本を例にとれば、サッカーの後進地域にとってW杯出場はサッカー文化発展のきっかけになると指摘しておく。
この頃からFIFAは「グローバル化」を標榜するようになっている。とりわけ1994年のアメリカ開催は新たな市場開拓という意味で大きな効果があった。アメリカにメジャーリーグサッカー(MLS)という新たな拠点を生み、アメリカという世界最大の経済市場に進出する橋頭堡(きょうとうほ)を築くことになる。
そして今回の48枠への拡大である。サッカーの未来を考えれば可能性を秘めた中東を含めたアジア、アフリカは放置しておけない。アジア枠は4.5から8に、アフリカ枠は5から9に増やした。そこに市場開拓を念頭にしたFIFAの思惑がのぞく。アフリカの未来はいうまでもないが、中東の可能性についても前回2022年カタール大会で実感した。さらに積極的にプロ選手を受け入れるなどサッカー投資を進めているサウジアラビアで2034年大会開催が予定され、その先には経済大国・中国、そして「グローバルサウス」のリーダーであるインドの開催を意識している。これらの国々はサッカーのみならず、世界のスポーツ界を変えるゲームチェンジャーとしての意味合いも持つ。
IOCも積極的な取り組みを進めているが、FIFAはW杯を武器により強かに戦略を進めており、枠拡大はその表れでもあった。またインドネシア、タイなど経済成長が著しい国々はサッカー熱も高く、彼らを取り込むことが経済的にも政治的にも大きな意味をもってこよう。そして出場国を増やすことは何よりインファンティーノ会長の支持を広げ、会長としての地位の安定にも寄与することは間違いない。
一方でFIFA加盟211カ国・地域のうち、48カ国が出場するW杯とはいったい何なのか。じつに22.7%の出場率は、裾野は広がったとしても頂上に立つ達成感の喪失、言い換えればW杯の魅力の減少を生むのではないか、それを危惧する。
アメリカ大会の光と影
FIFAワールドカップ1994 アメリカ大会 写真:フォート・キシモト(1994年7月)
今回のW杯は北中米大会として史上初めてアメリカ・カナダ・メキシコ3カ国で開催される。しかしその実態を見ると、開幕戦こそメキシコシティのエスタディオ・アステカで開催されるものの、決勝戦はニューヨーク/ニュージャージーのメットライフ・スタジアム。全104試合のうちカナダとメキシコが各13試合(カナダ2会場、メキシコ3会場)であるのに対し、アメリカで78試合が実施される。全試合数の75%を11都市で開くアメリカ大会といってもよい。
1994年以来32年ぶりにW杯がアメリカに戻ったわけだが、32年前と大きく異なっているのはサッカーをめぐる環境である。アメリカでは1970年に元ブラジル代表のペレや元ドイツ代表のベッケンバウアーらを集めて鳴り物入りで発足したニューヨーク・コスモスを“目玉”とする北アメリカサッカーリーグが創設されたものの、コスモスに人気と資金が集中し実力格差も災いして1984年に倒産。32年前はサッカー専用スタジアムもなく、アメリカンフットボールのスタジアムを借りて開催されるような状況だった。
新しい市場開拓をめざしたFIFAの“指導”をうけて1996年にMLSが創設されたが、平均入場者は1万4000人台と低迷、長く苦難の時代が続いた。しかし今やMLSは2024年の平均入場者数が2万3234人を記録、クラブ数も30に増えるなどアメリカ4大プロスポーツのアイスホッケーNHLを凌ぐまでになっている。日経新聞電子版はこうした状況の背景に、「サッカーを好むヒスパニック人口の急増」を指摘。アメリカの人口の約2割をしめるまでになったヒスパニック層がサッカー人気を支えていると分析する。
今回の北中米大会という名のアメリカ大会はアメリカにおけるサッカー熱をさらに高めて、野球のMLBを超える存在への飛躍が期待される。すでに日本と同様、若年層ではサッカー人気が野球人気を上回っており、決して非現実的な話ではない。投資機関やオイルダラーなどによる投資対象としてもMLSのクラブの存在感は増していると聞く。
果たして史上最大の大会は開催都市を潤すのか?
FIFAとWTOはこの大会の全世界における経済波及効果を801億ドル(約12兆円)と試算している。FIFAはまたこの大会がアメリカのGDPを172億ドル引き揚げ、18万5000人の雇用を創出するとの予測を発表した。
確かに史上最大規模の大会は大きな経済効果を生むだろう。開催国アメリカは新たなサッカービジネスの機会を創出し、主要産業としてのスポーツ産業の発展に大きな効果をもたらすに違いない。そしてFIFAおよび出場国がその恩恵に浴することも間違いない。
しかし、ここで立ち止まって考えると、ほかの2つの開催国カナダ、メキシコにアメリカほどの経済効果を生みだし得るだろうか。イランを除く出場国はアメリカにベースキャンプを張り、キャンプ地から試合会場に移動するのみ。多くの消費はアメリカでのことだ。観客にとってもアメリカは物価高があるとはいえ、滞在条件が整う都市の方がすべてにわたって居心地がいい。勢いアメリカに集中することが予測できる。
ではアメリカ国内の開催都市はどうか。放送権やスポンサー収入、チケット収入はすべてFIFAに収益としてもたらされ、開催都市に収入として残るのは飲食あるいは宿泊、交通費といった小さな収入でしかない。都市としての魅力を世界に発信できるとはいえ、その代償として治安や交通、会場整備など環境保全に関わる負担、そうした案件に関わる人件費等は地元負担。あまりにも大きすぎる代償とならならいか。終わってみれば地方財政に赤字をもたらし、FIFAのみが肥え太る状況が待ち構えているのではないのか。
加えて選手たちの負担は大きい。広いアメリカ国内だけでも移動等が大変なのに3カ国開催である。地勢的に見ると南北、東西、高低差があり、時差や気候の変化、移動にかかる距離や時間が重くのしかかる。選手たち、そして観客はそれに合わせた体の調整を強いられる。
こうしたことが、国際スポーツ大会というメガイベントを開催する意味なのか、改めて私たちが考えていく必要を思う。FIFAのFIFAのためだけのW杯にしないためにも…。
影を落とすトランプ大統領とイラン問題
イスラエルとアメリカの攻撃によって始まった「2026年イラン戦争」は今もなお硬直状態が続き、史上最大のW杯に影を落としている。ありていに言えば開催国アメリカによるイラン代表への差別、圧力にほかならない。
W杯出場を決めたイラン代表は長く滞在ビザの発給を待たされたあげく、開幕月となった6月になってようやく、一部スタッフを除いて監督、コーチ、選手らにビザが発給された。しかし、そのアメリカ滞在は試合当日に限られ、終了後には速やかに国外に出なければならないという条件が課せられた。
GLでグループGとなったイラン代表は日本時間16日のニュージーランド戦を皮切りに22日ベルギー、27日エジプトと3試合すべてアメリカ国内で試合が予定されている。しかしビザの関係からアメリカ国境に近いメキシコのティファナにベース基地を設け、試合の旅にアメリカに入国するという事態を強いられる。16、22日はまだ距離的に近いロサンゼルスが会場となるが、27日はカナダに近いシアトルまで約1700Kmも移動しなければならない。それも試合当日入国、試合当日出国という条件付きがついていた。開幕前々日になって突然、前日入国が許可されたが、もはや異常事態といっていい。さらに各国代表に割り当てられる入場券をイランに限って発券しないとされた。これによってイランは応援もない状態に置かれる可能性がある。
こうしたことはスポーツの国際大会ではあってはならないことであり、たとえ国交関係がなくとも特例措置として入国を許可、国内に滞在、安全を保障することが開催国に義務として課せられてきた。アメリカは一方的にこれを放棄したわけである。スポーツ大国がスポーツの世界に政治的な理由を優先、異常な事態をもたらしたといってもいい。
本来ならばFIFAがこうした事態になる前にアメリカ側と調整し、然るべき措置を講じておかなければならなかった。しかし、5月にカナダで開催されたFIFA総会に出席しようとしたイラン・イスラム共和国サッカー連盟(FFIRI)幹部が入国を拒否される事態が起き、FFIRI側は「開催国側はFIFAの規定に基づき、政治的な理由は考慮せず、必要なビザ等を発給すべきだ」と抗議したが、受け入れられなかった。トランプ大統領の意向をうけたか、「偽りの口実でテロリストをアメリカに潜り込ませるわけにはいかない」というアメリカ側の発言を忖度、FIFAは組織として行うべき役割を果たし得なかった。
FIFAのインファンティーノ会長は2025年11月、トランプ大統領に対し、新設したばかりのFIFA平和賞を授与した。すでに緊迫状態にあったイラン情勢を鑑み、トランプ大統領の態度をやわらげ、大会成功に向けた配慮を求める方策かとみていたが、どうやら単なるご機嫌取りに過ぎなかったようだ。
今回のW杯におけるイランへの対応をみれば、アメリカがスポーツ大国としての尊厳を喪失し、FIFAは国際的なスポーツ組織としての責務を放棄したとみなしてもいい。2028年にはロサンゼルスオリンピックが開かれる。任期中のトランプ大統領が開会を宣言するわけだが、このW杯で露呈した政治の影響力がどのような影を落とすか、IOCの対応も含めて大いに気がかりなのである。