1. Netflix独占はスポーツ放送の分水嶺か
有料動画配信サービスの登場で、スポーツ観戦のあり方が大きく変わっている
野球の日本代表「侍ジャパン」が連覇をめざす国別対抗戦、World Baseball Classic(WBC)2026で起きた大きな変化を実感している。アメリカの動画配信大手Netflixが日本における独占配信権を取得、日本戦を含む全47試合をライブおよびオンデマンドで配信する一方、これまでWBCを放送してきた地上波のテレビで視聴することはできなくなった。昨年夏に発表されたときにも大きな衝撃が走ったが、改めてその現実に直面し、戸惑いを感じてしまう。
料金を支払ってNetflixに加入された方も少なからずいらっしゃるだろう。また引き続き地上波で視聴可能なハイライト番組で我慢しようと思った方も相当数いらっしゃるに違いない。ただこうした現象は今回のWBCに限らないという問題もある。 この2月、日本中を興奮させた2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピック。眠気と闘いながらテレビの前に座り続けた方も少なくなかったと思う。オリンピックはNHKと民間放送連盟(民放連)および民放連加盟各社で構成されるジャパン・コンソーシアム(JC=Japan Consortium)が2032年までの放送権を獲得しており、夏2回(ロサンゼルス2028大会、ブリスベン2032大会)と冬1回(フランス・アルプス2030大会)は地上波放送が担保されているものの、それ以降の放送権取得の行方はわからない。
すでにサッカーのFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップではJCによる枠組みは崩壊。2022年カタール大会はNHK、テレビ朝日とフジテレビ3社に加えて動画配信のABEMAが放送権を獲得し、6月開幕の2026年北中米大会もNHKと日本テレビ、フジテレビが国内放送権を得た一方、スポーツ動画配信のDAZNが全試合をライブ配信する。100周年記念となる2030年南米大会はさてどうなるか。われわれがテレビ=地上波で試合をみる機会を喪失する可能性は否定できない。
メガスポーツ・イベントに於いてますます存在感を高めている動画配信会社に比べて、テレビ局の影響力は薄れてきている。今回のWBCでも主催のWorld Baseball Classic Inc.(WBCI)は30億円だった放送権料を150億円規模に設定、躊躇する日本のテレビ局を早々と見切り、Netflixに権利を渡した。そのNetflixと日本向け配信映像の制作、プロモーションで連携したのは日本テレビである。
新聞離れほどではないにしろ、テレビ界はいま苦境に立つ。スポンサーからの収入によってコンテンツ開発を行い、メガスポーツ・イベントに収益を投入して視聴率をあげ、さらにスポンサーを獲得するテレビの循環システムは日本の経済情勢の悪化と放送権料の高騰によって崩れてきた。スポンサー収入では高騰するメガイベントの放送権料が賄えなくなり、放送すれば赤字を抱えるリスクと隣り合う。テレビ=地上波がメガスポーツ・イベント放送から退場していく理由である。私見ではあるが、やがてテレビ、新聞といった伝統メディアは後発のインタ―ネット企業にぶら下がる形になっていくのではないか、今回のWBCがその分水嶺ではないか、と考える。
2. ちょっとだけ、WBCについて
2023年WBC、日本優勝の瞬間 写真:スポニチ/アフロ
WBCは商業的にも成功したイベントである。もとはMLB(Major League Baseball)がMLB選手会、日本や韓国などのプロリーグを巻き込んで主導した戦略的なグローバル事業であり、MLB所属選手の多国籍化を背景に新たな市場開拓をめざして2006年に第1回大会を開催。その後は3、4年ごとに開かれている。当初は距離を置いていたMLB選手会が柔らかなnationalismに刺激をうけて協力姿勢となり、アメリカが優勝した2017年大会から、それまで日本を中心にアジアでみられていた盛り上がりがアメリカでも顕著となってきた。
前回2023年大会は日本とアメリカが決勝で対決。当時ロサンゼルス・エンゼルスに所属していた大谷翔平がアメリカ代表の4番で同僚のマイク・トラウトを空振り三振に取る劇的な幕切れもあって、最高の盛り上がりを示した。この模様は日本ではテレビ朝日が中継したが、アメリカではスポーツ専門の有料チャンネルFox Sportsが放送権を獲得して中継、盛り上げにひと役買った。WBC史上最多520万人の視聴者数を記録し、試合終盤にはなんと視聴者数は650万人に達した。広いアメリカではテレビはスポーツを楽しむ極めて重要なツールであり、スポーツの普及、浸透には欠かせない。この大会では前回大会から20%増、130万6414人の総観客動員数を記録、1億ドルとされる収益をWBCIにもたらした背景にテレビ放送があったことは言うまでもない。MLBのプロモーション戦略としてのWBCは、商業的な成功とともに強力なメディアコンテンツとなったと指摘できよう。
日本では侍ジャパンが戦った7試合すべて40%超という驚異的な視聴率を記録した。接戦となった決勝戦は平日の午前8時開始だったにもかかわらず42.4%、大谷翔平が先発した準々決勝のイタリア戦はWBC史上最高48.0%の視聴率を記録した。
当時の日本にはまだ新型コロナウイルス禍の閉塞感が残り、東京2020大会の不祥事によりスポーツへの不信感が漂っていた。そのいやな空気を、大谷をはじめとする侍ジャパンの選手たちの活躍が払拭し、それまで野球に関心のなかった層にまで野球とMLBの魅力が伝わったことを特筆しなければならない。言うまでもなく誰もが“無料”で視聴できる日本のテレビ=地上波の視聴効果であり、その後の「大谷現象」ともいうべき社会現象がうまれる要因ともなった。
3.なぜWBCは方向転換したのか、近未来はどうなるのか?
そうした地上波テレビから動画配信大手への権利者の変更は、WBCの大きな方向性の転換にほかならない。これまで日本のWBC人気、MLB人気を盛り上げ、ささえてきた大きな塊である地上波視聴者から限定的な会員制の視聴者に移行することは総視聴者数の大幅減少につながり、せっかく築いたWBCのイメージを変え、社会現象ともなったWBC人気の低下を招きかねない。抱えるリスクは決して小さくはない。
一方で2024年の通期売上高が390億ドルを数える大企業Netflixとの契約で、WBCは安定的な財政基盤を獲得し、長期的にはWBCがNetflixへの加入者を増やす契機となることによってより安定した支持層を持つことにもなる。資本力と支持層の質的転換はさらに戦略的な事業展開を可能にし、グローバルなICT(情報通信技術)企業との連携でコードカッティング世代(テレビ視聴からインターネットベースのストリーミングサービスに切り替えた層)にもアプローチする新たなコンテンツ開発が期待できる。WBCのシフトチェンジは、そうした未来を見据えた実験だと言ってよい。
また、今回のNetflixのWBCへの登場は、MLBがESPN(スポーツ専門のケーブルテレビ・ネットワーク)との間で30年間続いた契約を2025年のシーズン終了後に解消、放送権を含む新たなメディア権として見直しを図ったタイミングと合致する。Netflixは年間5000万ドルでシーズン開幕前夜の試合とオールスター戦のホームランダービー、そして2026年に復活する「Field of Dreams Game」の配信権を初めて獲得。MLBに存在を示し、2029年の契約更新時には公式戦の権利争奪戦に参戦する布石だとされる。そうした企業の論理とWBCの未来戦略とが折り合った形である。
ところでMLB公式戦の日本国内での独占放送権は、2028年までNHKが保有している。さて、それが29年の更新でどうなるのか。この第6回WBCが綱引きの号砲となるかもしれない。
メガスポーツ・イベントと動画配信会社の関係はますます深まりつつある。一方で視聴者という名のWBCファン、MLBファン、野球ファンはどこか置きざりにされたという意識がぬぐえない。あれほど日本中を興奮させたオリンピックも、故アントニオ・サマランチ会長が提唱した「みる権利の尊重」に従い、地上波放送にこだわり続けているが、国際オリンピック委員会(IOC)は刷新の時期を模索していると言われる。
アメリカでは有料テレビ視聴は自然なかたちで受け入れられているものの、日本では受信料という形式の有料放送であるNHKはともあれ、長く民放の“無料”放送に慣れてきた。メガスポーツ・イベントの放送が有料テレビ、有料サイトの独占に傾いていったとき、日本の視聴者たちはどう行動するのだろう。WBC後の反応とその分析が待たれる。イギリスのように特定競技種目に限って無料放送とするユニバーサル・アクセス権の導入を求める声がある一方、英国国営放送(BBC)だけを考慮すればよいイギリスとは事情が異なるとの指摘もある。このWBCのNetflixの独占配信はわれわれの未来にさまざまなことを指し示してくれている。
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佐野 慎輔 Shinsuke Sano 笹川スポーツ財団 参与、上席特別研究員/産経新聞 客員論説委員 早稲田大学卒、報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。立教大学、早稲田大学、尚美学園大学で、スポーツメディア論、スポーツ政策およびオリンピック史を中心に教鞭をとってきた。笹川スポーツ財団 理事を5期10年務める。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等。 近著に、『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』(以上、小峰書店)、『日本オリンピック略史』(出版文化社)など。最近の共著に、「スポーツと地方創生」「スポーツ・エキセレンス」「スタジアムとアリーナのマネジメント」(以上、創文企画)、「オリンピック・パラリンピック残しておきたい物語」「オリンピック・パラリンピック歴史を刻んだ人々」(笹川スポーツ財団)、「日本のラグビーを支えた人々」(新紀元社)など