2026年8月26日
笹川スポーツ財団 上席特別研究員 小倉 和夫
1.パラリンピックの原点は戦争だった
昨今では不倫をめぐる報道が日常的に見られるようになったが、第二次世界大戦以前、英国などの上流社会においては、不倫は重大な社会的タブーとみなされていた。1928年、イギリスの作家D.H.ロレンスによる小説『チャタレイ夫人の恋人』が刊行されると大きなセンセーションが巻き起こった。英国貴族社会を舞台にしたこの作品は、不倫を題材としただけでなく、当時としては極めて生々しい性描写を含んでいたため、長く発禁処分の対象ともなった。戦後、その翻訳版が日本で出版された際にも、公序良俗や表現の自由をめぐる「チャタレイ事件」として知られる社会的議論を引き起こしたことは広く知られている。
しかし、この作品を単なる恋愛小説としてではなく、「障害のある人物を主要登場人物の一人として描いた作品」という視点から読み直すと、現代の障害者スポーツ、とりわけパラリンピックの歴史と深く関わる作品として興味深い側面が浮かび上がってくる。
物語において、チャタレイ夫人が庭師との関係に至る背景には、夫クリフォード・チャタレイ卿が第一次世界大戦で負傷し、脊髄損傷による下半身麻痺となったことがある。当時、脊髄損傷をはじめとする重度身体障害者の多くは、「回復の見込みがない存在」と見なされ、社会から隔絶された生活を余儀なくされていた。今日では当然視されるリハビリテーションや社会復帰支援の考え方も、まだ十分には確立されていなかったのである。
後にパラリンピック運動の創始者とされるルートヴィヒ・グットマン博士も、こうした状況を目の当たりにした一人であった。ドイツ出身のユダヤ系神経外科医であったグットマン博士は、早くから脊髄損傷者の治療と社会復帰に強い関心を寄せていた。そうした意味において、パラリンピックの思想的な原点は、第一次世界大戦後に生まれた多数の戦傷者の存在にまで遡ることができる。
もっとも、パラリンピック運動の直接的な起点は第二次世界大戦末期に求められる。1944年、連合軍によるノルマンディー上陸作戦が進むなか、英国政府は多数の戦傷者、なかでも脊髄損傷者の発生を見込み、ロンドン近郊のストークマンデビル病院に専門病棟を設置した。そして、ナチスによる迫害を逃れて英国へ亡命していたグットマン博士が、その責任者に任命されたのである。
グットマン博士は、脊髄損傷者を単なる治療の対象ではなく、自立した市民として社会へ復帰すべき存在であると考えた。そして、身体機能の回復だけでなく、自尊心や仲間との連帯感を取り戻す手段として、積極的にスポーツ活動を取り入れた。
1948年には、ロンドン1948オリンピックの開会日に合わせて、車いす使用者によるアーチェリー大会を開催した。これが後に「ストークマンデビル大会」と呼ばれ、現在のパラリンピックへと発展していくことになる。
このように、パラリンピックの原点には戦争とリハビリテーションの歴史が横たわっている。そして、それを象徴するかのように、第1回ストークマンデビル大会に参加した選手は全員が第二次世界大戦による戦傷者であった。
こうした歴史的背景は、今日のパラスポーツにも少なからぬ影響を及ぼしている。例えば、ソチ2014パラリンピックに出場したアメリカ選手団の約4分の1は、現役または退役軍人であったとされる。米国では、軍務中に負傷した軍人や退役軍人を対象としたリハビリテーション・スポーツが発展しており、その延長線上にパラリンピック競技への参加が位置付けられている。
また、近年のパラリンピックにおいて存在感を示している国々にも、戦争や軍事的緊張と無縁ではない側面が見られる。例えば、ウクライナは長年にわたりパラリンピックのメダル獲得数で世界上位に位置し、多くの大会で総合10位以内に入っている。同様にイランも、東京2020パラリンピックでは総合13位となり、続くパリ2024パラリンピックでも総合15位となった。(ちなみに日本は東京大会で総合11位、パリ大会では総合10位であった。)こうした成果の背景には、各国の障害者スポーツ政策やリハビリテーション体制の充実に加え、戦傷者支援の歴史的経験が影響していることも指摘されている。
パラリンピックの出発点には、戦争によって障害を負った人々が尊厳を取り戻し、再び社会の一員として生きるための挑戦があった。『チャタレイ夫人の恋人』に描かれた第一次世界大戦後の傷痍軍人の姿は、そうした歴史の原風景の一つとして、現代の私たちに多くの示唆を与えているのである。
2. 各国における傷痍軍人のスポーツ活動支援
現在、戦争や紛争の影響を受けている国々では、負傷した軍人のリハビリテーションや社会復帰支援の一環としてスポーツ活動が位置付けられており、国レベルの支援のもとで各種大会やプログラムが実施されている。これらの取り組みは、身体機能の回復だけでなく、精神的健康の維持や仲間との連帯感の醸成、さらには社会参加の促進にも大きな役割を果たしている。
韓国では、軍隊や警察の任務中に負傷した人々のリハビリテーションと相互交流を目的として、毎年「全国傷痍軍警体育大会」が開催されている。同大会は大韓傷痍軍警会が主催し、国家報勲部(国家報勲省)の後援を受けて実施されている。競技種目には、リハビリテーションや競技力向上を目的としたローンボウルズ、射撃、アーチェリー、卓球などのほか、生涯スポーツとしてゴルフ、室内ローイング、シッティングバレーボールなどが含まれており、幅広い参加機会が提供されている。
カナダでは、傷病を負った現役軍人および退役軍人を対象に、スポーツや文化活動を通じた回復と社会復帰を支援する「ソルジャー・オン(Soldier On)」プログラムが運営されている。この名称には「戦士として生き続ける」という意味が込められている。同プログラムはカナダ軍の支援のもとで実施されており、スポーツ活動への参加機会の提供に加え、国際大会への出場支援なども行っている。
米国では、2010年から傷病を負った現役軍人および退役軍人を対象とする総合スポーツ大会「ウォリアー・ゲームズ(Warrior Games)」が開催されている。この大会は米国国防総省を中心に運営され、米国オリンピック・パラリンピック委員会(USOPC)も協力している。近年ではカナダやオーストラリアなども参加しており、国際色を帯びた大会へと発展している。また、競技会場として軍事施設が利用されることも多く、選手やその家族が軍の活動や施設への理解を深める機会となっている点も特徴である。
一方、英国の主導で、サセックス公爵(ヘンリー王子)の提唱によって創設された国際スポーツ大会「インヴィクタス・ゲームズ(Invictus Games)」が開催されている。
インヴィクタス・ゲームズを提唱したヘンリー王子(photo:Tim Rooke /REX Shutterstock/アフロ)
「Invictus」はラテン語で「不屈の」を意味する。この大会には英国のみならず、英連邦諸国やNATO加盟国をはじめとする多くの国々から、負傷または疾病を経験した軍人・退役軍人が参加している。多くの競技種目ではパラリンピックのようなクラス分けはなく、多様で複雑な身体的・心理的疾患や負傷を抱える人々がアダプティブ・スポーツに参加することを可能にする分類システムが採用されており、身体障害だけでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの精神的な傷を抱える参加者にも門戸が開かれている。また、インヴィクタス財団が運営する「ウィ・アー・インヴィクタス(We are Invictus)」というオンラインコミュニティーでは、現役・退役軍人を問わず世界中の負傷・疾病経験者の参加を募り、当事者同士の支援、オンラインスポーツリーグ、ボランティア活動などのプログラムを通して、社会とのつながりを維持している。競技成績のみを重視するのではなく、回復過程にある参加者の挑戦意欲や社会復帰を支援することが、この大会の大きな特徴となっている。
このように各国における傷痍軍人を対象としたスポーツは、競技力向上そのものよりも、リハビリテーション、社会復帰、仲間との連帯、そして新たな人生への再出発を支援することを重要な目的としている。その理念は、戦傷者のスポーツ活動から出発したパラリンピック運動の歴史とも深く結び付いているのである。
3.日本における傷痍軍人のスポーツ活動支援の歴史
今日の日本では、「傷痍軍人」という言葉を耳にする機会は極めて少ない。また、米国や英国のように、傷病を負った軍人のリハビリテーションの一環としてスポーツ活動を体系的に支援する制度も存在していない。しかし歴史を紐解けば、戦前から戦中にかけて、日本においても傷病兵や傷痍軍人を対象としたスポーツ活動が組織的に実施されていたことが確認できる。
1938年8月21日には、陸軍戸山学校の運動場において、臨時東京陸軍病院の傷痍軍人による野球試合が開催された。この試合では、義肢を使用する患者による「鉄脚軍」と、銃創による神経麻痺患者による「神経軍」が対戦し、多くの患者や軍医、病院関係者が観戦したという(『東京朝日新聞』1938年8月22日)。
また、1930年代半ば頃から、日本本土や満州の陸軍病院においては、傷病兵の慰安や治療の一環としてスポーツ活動が導入されていた。キャッチボール、ベビーゴルフ(パターのみのミニゴルフ)、ピンポン(卓球)、テニス、野球、篭球(バスケットボール)、バレーボールなどが実施されていたとされ、娯楽としてだけでなく身体機能の回復を目的とした活動としても位置付けられていた。
他方、「満州国の首都」であった新京(現在の長春)では、「岡田訓練隊」と呼ばれる傷病兵のための訓練組織が設置され、ラグビーをはじめとするスポーツ活動が行われていた。
また、1938年、現在の神奈川県相模原市に設置された臨時東京第三陸軍病院では、傷病兵の治療の一環として運動療法が導入されていた。体操、水泳、庭球、野球、相撲、弓道、剣術、卓球など多様な運動が実施され、春と秋には運動会も開催されていたという。
特に注目されるのが、1939年3月に陸軍戸山学校で開催された「傷兵慰問体育運動大会」である。この大会は日本体育協会(当時)の主催によって実施されたもので、傷病兵自身が参加する競技と、健常者のトップアスリートらによる競技の双方が行われた。傷病兵による競技には、自転車、銃剣術、籠球(バスケットボール)、相撲、剣道、綱引き、蹴球(サッカー)などが含まれていた。団体競技においては、病棟対抗戦のほか、神経障害を有する患者と軍医との対抗戦なども実施された。参加した傷病兵には上肢・下肢の切断者や神経障害を有する者が含まれていたことから、この大会は単なる慰問行事ではなく、身体機能の回復や社会的交流を促進するリハビリテーションの側面も有していたと考えられる。
1940年には、傷痍軍人の療養施設として傷兵院の一部門である傷痍軍人箱根療養所が設置された。同療養所においてスポーツが組織的に奨励された記録は必ずしも多くないものの、1941年には箱根山競歩大会が開催され、療養中の傷痍軍人が車いすで応援したことが伝えられている。
この療養所は戦後も存続し、1960年代に入るとスポーツ活動が活発化した。その結果、1963年の国際ストークマンデビル大会には、同療養所出身の安藤徳次選手がアーチェリー競技に出場した。さらに東京1964パラリンピックでは、日本選手団53名のうち19名が箱根療養所の関係者であり、そのうち2名は第二次世界大戦の傷痍軍人であった。特に青野繁夫選手は開会式において選手宣誓を務めるとともに、車いすフェンシングと水泳で銀メダルを獲得した。こうした事実は、日本における傷痍軍人のスポーツ活動が、結果的に日本のパラリンピック運動の発展を支える重要な基盤の一つとなったことを示している。
東京1964パラリンピック大会で宣誓をする青野繁夫選手(写真:毎日新聞社/アフロ)
なお、こうした傷痍軍人のスポーツ活動支援は、現役軍人の場合は、再び軍務に従事できる機会を得るためのリハビテーションという側面を有する一方、退役軍人の場合には、主として社会参加や社会復帰に向けた支援という意味合いを持つ。そのため、両者の間には目的や意義において若干の違いが存在するといえよう。
4.国際社会の現実と日本人の意識との格差を埋めるべきではないか
現在、正確な統計は流動的であるものの、ウクライナでは数十万人の戦傷者が生じており、その中にはリハビリテーションの一環としてスポーツ活動に取り組む人々も増えているといわれる。こうした活動は、障害者の社会参画を促進するだけでなく、戦場に赴いた兵士と銃後の一般市民との間に生じがちな意識の隔たりを縮める役割も果たしていると評価されている。また、傷病兵がスポーツに取り組む姿は、社会全体における連帯意識や相互理解を深める契機にもなっている。
翻って我が国を見ると、ウクライナの人々に対する同情や共感の念は広く共有されているものの、その現実をどこか遠い世界の出来事として受け止めている人も少なくないように思われる。戦後の平和な時代が長く続いたこともあり、国のために危険な任務に従事する人々や、その結果として負傷した人々について考える機会が限られてきたことも、その背景の一つであろう。
しかし、真の平和は黙って静かに座視していれば実現できるものではない。国際的連帯と協調も必要である。もちろん、日本が諸外国と同様の制度をそのまま導入すべきであると主張するつもりはない。歴史的背景や社会的状況が異なる以上、慎重な検討が必要であることはいうまでもない。また、傷病を負う可能性があるのは自衛隊員だけではなく、警察官や消防職員、海上保安官など、公務に従事するさまざまな人々の問題もあろう。
それでもなお、公務中に重い負傷を負った人々に対する支援、とりわけスポーツを活用したリハビリテーションや社会復帰支援のあり方については、改めて検討されるべきではないだろうか。海外では傷病兵のスポーツ活動が、身体機能の回復のみならず、生きがいや社会参加の促進に大きな役割を果たしている。日本においても、そうした経験に学びながら支援の在り方を考えることは、国際社会の現実への理解を深めることにもつながるはずである。
傷痍軍人を対象としたスポーツの歴史を振り返ると、それは単なる競技の歴史ではない。戦争や負傷という過酷な経験を経た人々が、スポーツを通じて尊厳と希望を取り戻し、再び社会とのつながりを築こうとした歴史である。その歩みは、パラリンピックの源流を理解するうえで重要であるだけでなく、平和と共生について考える上でも、多くの示唆を与えてくれるものではあるまいか。
主要参考文献および資料
○和文文献
・D.H.ロレンス,伊藤整訳(1996)『チャタレイ夫人の恋人』新潮社。
・小倉和夫(2022)「傷痍軍人のスポーツ大会とスポーツ活動の意義」『日本財団パラリンピックサポートセンター パラリンピック研究会紀要』第18巻。
・高嶋航(2015)『軍隊とスポーツの近代』青弓社。
・戦傷病者会編(1967)『日本傷痍軍人会五十年史』。
・戦時下の小田原を記録する会(2020)『戦中戦後の箱根病院―パラリンピックに出場した傷痍軍人』。
・中村裕伝刊行委員会(2013)『中村裕伝』
・日本障害者スポーツ協会(1985)『創立20年史』。
・昇亜美子(2019)「パラリンピックと傷痍軍人―米国のケース」『日本財団パラリンピックサポートセンター パラリンピック研究会紀要』第11巻。
・昇亜美子(2022)「ウクライナにおける障がい者スポーツの発展」『日本財団パラリンピックサポートセンター パラリンピック研究会紀要』第18巻。
・『傷痍軍人・リハビリテーション関係資料集成 四』(2015)六花出版。
・『傷兵慰問体育運動大会』(パンフレット)財団法人日本体育協会。
○英文文献
・Brittain, I. (2012). From Stoke Mandeville t・Sochi. Common Ground Publishing.
・Brittain, I. & Green, S. (2014). “Disability Sport Is Going Back to Its Roots: Rehabilitation of Military Personnel Receiving Sudden Traumatic Disabilities in the Twenty-First Century.” In B. Smith (Ed.), Paralympic and Disability Sport.
・Goodman, S. (1986). Spirit of Stoke Mandeville: Story of Sir Ludwig Guttmann. Collins.
・Scruton, J. (1998). Stoke Mandeville: Road t・the Paralympics. Peterhouse Press.
・Starling, B. (2017). Unconquerable: The Invictus Spirit. HarperCollins.
○ウェブ資料(最終閲覧日:2026年6月9日)
・International Paralympic Committee, https://www.paralympic.org/
・Invictus Games Foundation, "Our Story" https://invictusgamesfoundation.org
・U.S. Army, "2010 Warrior Games - How T・Get Involved" https://www.army.mil/article/32870/2010_warrior_games_how_to_get_involved
・国立病院機構箱根病院「箱根病院の歩み」 https://hakone.hosp.go.jp/about/history/index.html
・しょうけい館(戦傷病者史料館)「ミニ展示『戦傷病者とスポーツ―パラリンピックに出場した戦傷病者―』」 https://www.shokeikan.go.jp/exhibitions/kikaku/past/2021/3
-
小倉 和夫 Shinsuke Sano 国際交流基金 顧問/笹川スポーツ財団 上席特別研究員 1938年東京生まれ。東京大学法学部卒業、英国ケンブリッジ大学経済学部卒業。外務省入省、駐ベトナム大使、駐韓国大使、駐フランス大使、国際交流基金理事長として勤務。青山学院大学、一橋大学、東京大学、立命館大学、早稲田大学などで客員教授・招聘教授を歴任。国際交流基金理事長、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会評議会事務総長、日本財団パラスポーツサポートセンター理事長、同センターパラリンピック研究会代表を経て、現職。青山学院大学特別招聘教授、全国農業会議所理事。
主なパラスポーツ関連論文として、「パラリンピックの原点を探って―主に戦争とパラリンピックとの関連について―」「パラリンピックを巡るパラドックス」「1964東京パラリンピックが残したもの」「1998 長野パラリンピックが残したもの」(『日本財団パラスポーツサポートセンターパラリンピック研究会紀要』所収)、"Visions on the Legacy of the Tokyo 2020 Paralympic Games" (The Palgrave Handbook of Paralympic Studies 所収)など。その他、国際関係分野の著書多数。