2026年11月4日
笹川スポーツ財団 上席特別研究員 小倉 和夫
本年(2026年)10月、愛知県および名古屋市において、アジア競技大会(以下、アジア大会)に続きアジアパラ競技大会(以下、アジアパラ大会)が開催された。本大会の歴史的背景、理念、特徴、そして今日的課題を正確に理解することは、出場選手、観戦者、さらには大会運営関係者にとっても有益である。本稿では、アジアパラ大会の源流から現在に至るまでの展開を整理し、その意義と課題を検討する。
目次
1.アジアパラ大会の歴史
(1)フェスピックと日本の役割
各種国際総合スポーツ大会の成立過程をみると、その創設理念の形成と初回大会の開催地との間には密接な関係が認められる。すなわち、オリンピックはクーベルタン男爵のフランス、パラリンピックはグットマン博士のイギリス、アジア大会はネルー首相のインドにおいて第1回大会が開催され、いずれも開催国が理念形成と大会創設を主導した。これに対し、アジアパラ大会の源流は日本にある。
東京1964パラリンピックには21の国から選手団が参加したが、アジアからの参加国は日本のみにとどまった。この大会の開催に主導的な役割を果たした大分県出身の外科医である中村裕博士は、この状況を目の当たりにし、アジアにおける障害者のスポーツが著しく立ち遅れていることを強く認識した。また、パラリンピックの開催が日本国内における障害者のスポーツ普及・振興に大きな刺激を与えた経験から、同様の機会をアジア・太平洋地域にも広げる必要性を痛感した。
そこで中村博士は、オーストラリアのジョン・グラント博士、香港のハリー・ファン博士らと協議を重ね、アジア・太平洋地域の障害者のスポーツ振興を目的とする国際大会の創設を決意した。こうして誕生したのが、「極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(Far East and South Pacific Games for the Disabled:FESPIC(フェスピック)」である。第1回大会(大分・別府1975フェスピック)は1975年6月に大分市および別府市を会場として開催され、日本が大会創設の理念的・組織的中心として重要な役割を果たした。
(2)アジアパラ大会への移行
表1に示すように、フェスピックは第1回大会以降2年から5年の間隔で計9回開催され、クアラルンプール2006フェスピックを最後に終了した。
表1 フェスピックの開催年・開催地一覧
| 開催年 | 開催国 | 開催都市 | |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 1975 | 日本 | 大分・別府 |
| 第2回 | 1977 | オーストラリア | パラマッタ |
| 第3回 | 1982 | 香港 | シャテイン |
| 第4回 | 1986 | インドネシア | スラカルタ |
| 第5回 | 1989 | 日本 | 神戸 |
| 第6回 | 1994 | 中国 | 北京 |
| 第7回 | 1999 | タイ | バンコク |
| 第8回 | 2002 | 韓国 | 釜山 |
| 第9回 | 2006 | マレーシア | クアラルンプール |
出典:安岡(2025)を基に筆者作成
フェスピックの精神と組織的基盤を引き継ぐ形で、アジアパラリンピック委員会(Asian Paralympic Committee:APC)が中心となり、アジアパラ大会を新たに創設した。表2に示すように、広州2010アジアパラ以降、アジアパラ大会はアジア大会と同一開催都市で実施されることとなり、4年ごとに開催(ただし、杭州2022アジアパラは新型コロナウイルス感染症拡大のため開催を1年延期)され、アジアにおける最大のパラスポーツの総合競技大会として継続している。
表2 アジアパラ大会の開催年・開催地一覧
| 開催年 | 開催国 | 開催都市 | |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 2010 | 中国 | 広州 |
| 第2回 | 2014 | 韓国 | 仁川 |
| 第3回 | 2018 | インドネシア | ジャカルタ |
| 第4回 | 2022(*) | 中国 | 杭州 |
| 第5回 | 2026 | 日本 | 愛知・名古屋 |
*:杭州2022アジアパラは2023年に開催
出典:安岡(2025)を基に筆者作成
2.原点たるフェスピックの理念
アジアパラ大会は現在、国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee:IPC)公認の大会であり、競技規則やクラス分けなどは、原則としてIPC基準に準拠したものとなっている。しかし、この大会が、競技成績のみならず、スポーツを通じて地域内の障害者の利益や福祉を増進させることを目的としていたフェスピックを源流とする以上、今日も次のような理念が底流として生き続けていると考えてよいであろう。
(1)途上国への支援
フェスピックでは、第1回大会の開催にあたり「フェスピック大会に発展途上国の選手を参加させる会」が発足し、「フェスピック基金」が設けられ、途上国選手の参加費支援が行われていた。そこには、中村博士の言葉として伝えられる「やしの木の下でやしの実をすすりながら、どんな貧しい国でもホストカントリーになれるような大会にしたい」という理念、すなわち、経済発展の程度にかかわらず参加と開催が可能な、包摂的で普及重視の障害者のためのスポーツ大会を目指したフェスピックの理念を象徴するものであった。
従って、開発途上国への支援は、アジアパラ大会の組織委員会に課された重要な責務の一つである。そこでは、競技大会の開催だけでなく、障害者のスポーツ振興が遅れている国・地域に対する人的・技術的支援を通じてアジア全体の競技力向上と参加機会の拡大を図ることが求められている。
(2)参加重視の理念
車いす競技中心であった当時のパラリンピックとは異なり、フェスピックは、あらゆる障害者に開かれた大会にするとの理念に基づき、第1回の大分・別府1975フェスピックより、義足・義肢使用者、視覚障害者にも門戸を開いた。その精神は大会運営にも反映され、日本選手団は統一されたユニフォームを作成せず、開会式には各自が日常の服装のままで参加した。これは、「形だけ整えた祭りのような大会ではなく、参加している障害者のための大会」であるという理念を象徴的に示したものといえる。
1989フェスピック神戸大会で初の車いすマラソンレース。一斉にスタートする車いすマラソンの選手たち=神戸市で1989年(平成元年)9月17日撮影(写真:毎日新聞社/アフロ)
シャテイン1982フェスピック以降は「参加選手の30%は初参加者」とする方針を採用し、参加機会の拡大を重視した(なお、現在のアジアパラ大会にはこのような規定はない)。
釜山2002フェスピックでは、まだパラリンピックにおける知的障害者の参加が制約されていた時代であったにもかかわらず、非公式競技(オープン競技)に知的障害者が参加できる道を開くなど、参加重視の姿勢が示されていた。
(3)社会的インパクトの創出
フェスピックを契機として、アジア諸国では障害者スポーツ協会や国内パラリンピック委員会の設立が進められた。大会参加を通じて競技運営や指導に関する知識・技術が各国に持ち帰られ、日本選手団によるスポーツ講習や人的支援も行われた。その結果、障害者のスポーツ組織が整備されるとともに、競技機会の拡大や障害者の社会参加に対する認識が向上した。
神戸1989フェスピックでは、大会開催に合わせて競技施設や宿泊施設のバリアフリー化が進められるとともに、車いす利用者が利用しやすい歩道や公共交通機関の整備がなされた。市民ボランティアの参加や障害者への理解を深める啓発活動も展開され、障害者が社会の一員として主体的に生活できる都市環境づくりが進められた。また、シンポジウムや各種文化イベントも開催され、文化交流の場としての側面も有した。なお、神戸市では現在も「障害者福祉基金フェスピック事業助成」が継続して実施されており、「フェスピック」の名称は福祉事業助成の枠組みとして今日まで受け継がれている。
中国はシャテイン1982フェスピックへの初参加を契機に障害者のスポーツ振興への関心を高め、北京1994フェスピックの開催へと至った。同大会の選手村は、その後の中国におけるバリアフリー建築のモデルになったとされる。
3.アジアパラ大会の理念
(1)フェスピック理念の継承
2010年から現在に至るまで継続して開催されているアジアパラ大会は、あらゆる障害者に開かれた大会にするとのフェスピックの理念を継承し、知的障害者の参加など、パラリンピックとは異なる包摂性の維持や、途上国支援の精神が組織委員会の責務として残されている。
(2)アジア大会との一体性
アジアパラ大会は、アジア大会と同じ都市で同じ時期に行われることが定着した。元来、アジアオリンピック委員会(Olympic Council of Asia:OCA)は、アジア大会の商業権益や運営上の理由から、同一都市で国際的スポーツ大会を連続して開催する場合には一定の間隔を設けることを推奨してきたが、広州2010アジアパラ以降は、アジア大会と同一都市で短期間の間隔をおいてアジアパラ大会が開催され、両大会の一体的な運営が進められている。
4.アジアパラ大会の現状と課題
日本パラリンピック委員会が各大会後に発行している報告書を手掛かりとして、アジア大会を取り巻く現状と課題について考察する。
杭州アジアパラ 2022 開会式(写真:SportsPressJP/アフロ)
(1)参加者を取り巻く社会的環境
選手・コーチ・監督など大会関係者の視点からみたアジアパラ大会の特徴の一つとして、出場選手の障害の発生要因や障害者を取り巻く社会環境が出場国によって大きく異なること、そしてそれに伴う競技条件の格差が大きいことが指摘されている。日本ではポリオ後遺症や産業災害・交通事故による障害者は減少し、戦乱・内戦による負傷者はほとんど存在しない。他方、多くのアジア諸国ではこれらの要因による障害者が依然として多く、医療体制や支援環境の違いを背景として、競技力や競技への取り組み方にも相違がみられる。
(2)競技レベルと参加機会
競技レベルの面では、陸上競技や競泳などのようにアジアパラ大会の成績がパラリンピックの出場権獲得や代表選考に直接結びついていない競技種目がある。一部の競技ではアジアの競技レベルが十分に成熟していないことなどから、世界トップレベルの選手が参加しない例もみられる。競技人口の少なさやクラス分けの細分化により十分な競争性が確保できない場合は、オープン種目として実施され、メダル授与の対象外となることもある。これらの状況を「参加奨励」の理念に基づくものとして評価すべきか否かは、競技性と参加機会のバランスをめぐる重要な論点である。
(3)社会的評価と認知
報道面では、多くの関係者が報道量の少なさがパラスポーツの普及・啓発の阻害要因と指摘している。もっとも、この点はアジアパラ大会に固有のものではなく、多かれ少なかれパラリンピックを含めたパラスポーツ全体に共通してみられる課題であり、パラスポーツへの継続的な関心を喚起するための広報・報道のあり方が問われている。
5.アジアパラ大会の意義と展望
(1)アジアパラ大会の意義と位置づけ
現状のアジアパラ大会への参加意義をどのように捉えるべきであろうか。歴史的にみると、アジアパラ大会は多くの選手にとって、国際大会への適応を図る機会であり、パラリンピック出場資格の獲得や自己記録の更新を通じて自信を深める場として認識されてきた。近年、各国・地域における競技力の向上が進み、アジアパラ大会そのものを「勝利を目指す大会」として重視する傾向もみられるが、その位置づけは競技や国によって大きく異なる。
実際、一部の国ではアジアパラ大会での好成績を国威発揚や国際的なプレゼンス向上の一助として位置づけ、自国の競技力向上のための重要な機会とみなしている。他方、日本ではパラリンピックに比べてアジアパラ大会への社会的関心は必ずしも高いとはいえない。アジアパラ大会をパラリンピックへの通過点として捉えるのか、それともアジアにおける独自の意義を有する大会として位置づけるのかについては、今後も検討する余地があると考えられる。
(2)アジアにおける格差と包摂
ジャカルタ2018アジアパラにおける金メダル獲得数上位4ヵ国は、中国(172個)、韓国(53個)、イラン(51個)、日本(45個)であり、4ヵ国の合計321個は、全507個の金メダルの63%を占めている。これは、アジアパラ大会において、競技力や競技環境が一部の国・地域に集中している実態を示唆するものである。
他方、直近のパラリンピック4大会では、上位4ヵ国の金メダル占有率がおおむね4割前後にとどまっており、ジャカルタ2018アジアパラにおける63%という数値は、アジア内での競技力の集中度合が相対的に強いことを示している。
この事実は、フェスピック以来掲げられてきたアジアのパラスポーツ振興と参加機会の拡大という理念が一定の成果を挙げる一方で、地域内格差の是正という課題がなお残されていることを示すものである。
さらに、地域内格差は大会参加者のジェンダーバランスにも表れている。ジャカルタ2018アジアパラでは、参加43ヵ国の国内パラリンピック委員会(National Paralympic Committee:NPC)のうち女子選手の参加がなかったNPCは6、女子選手の参加率が20%未満であったNPCは8に上っており、女子選手の育成・支援体制には依然として課題が残されていることがうかがえる。
以上の考察から、アジアパラ大会は、競技スポーツとしての価値と、アジアにおけるパラスポーツの発展を支える社会的価値という二つの側面を併せ持つ大会として理解されるべきである。その意味において、フェスピック創設国である日本が果たすべき役割は大きい。アジアパラ大会の今後を考える上では、競技性の向上と、フェスピックから継承された包摂性や国際協力の理念をいかに調和させるかが重要な論点となろう。


