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「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。

『アジア競技大会、その歴史をみる』後編:アジア競技大会の拡大と日本

2026.09.02

佐野 慎輔(笹川スポーツ財団 参与/上席特別研究員)

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3.OCA創設とエリアの拡大

タイの貢献と新たな問題の噴出

1966年第5回バンコク・アジア競技大会(の開会式に出席するプミポンタイ国王夫妻(当時) ※写真:フォート・キシモト

1966年第5回バンコク・アジア競技大会(の開会式に出席するプミポンタイ国王夫妻(当時) ※写真:フォート・キシモト

 1962年ジャカルタ大会以降、政治に翻弄されるアジア競技大会を支えたのはタイである。1966年第5回バンコク大会はこの国で開かれた初めての大規模イベントであり、運営には多くの不手際がみられたものの、絶対的な存在であるラーマ9世プミポン国王のもとで政治の影響は収まったかにみえた。しかし1970年第6回大会では当初開催を予定していたソウルが、1968年1月に北朝鮮特殊部隊によるソウル侵入事件、いわゆる青瓦台襲撃未遂事件の勃発で開催を返上。前回の開催地バンコクが引き受ける事態となった。国際舞台での北朝鮮による韓国への妨害工作はその後も続き、1988年ソウルオリンピック前年の大韓航空機爆破事件はよく知られる。

 バンコクは1978年第8回大会も代替開催している。このときはシンガポールで開催予定だったが1973年10月、財政難を理由に返上。代替地となったパキスタンのイスラマバードも財政事情悪化のため、1974年の決定から9カ月後に返上した。そこでまたバンコクに白羽の矢が立つのだが、AGFは財政という新たな課題に悩まされる。

 タイは「参加国による300万ドルの応分負担」を条件に代替開催を受諾。サウジアラビアの50万ドルを筆頭にクウェート25万ドル、イラクとカタールが15万ドルを拠出するなど中東の石油産油国が危機を救った。これがのちのアジアオリンピック評議会(OCA)の創設につながり、中東によるアジア競技大会支配のきっかけとなる。ちなみに日本は中国とともに20万ドルを拠出している。

中東の石油産油国の台頭とイスラエルの追放

 中東の影響力が強まるのは1974年第7回イランのテヘラン大会。初めて中東で開かれた大会では、アラブ諸国をはじめ、パキスタンさらに初参加の中国、北朝鮮がイスラエルとの対戦を拒否した。続く1978年第8回大会では警備上の問題を理由に、ついにイスラエルの参加を拒否する事態となる。IAAFは主催の大会に参加させないとする警告を発したが、勢いは止まらず、1982年第9回ニューデリー大会でも開催国インドがイスラエルの入国を拒否。ついに、第9回大会後に創設されたアジアオリンピック評議会(OCA)によってイスラエルはアジアのスポーツ界から完全に追放された。

 イスラエルはその後、ヨーロッパのスポーツ組織と結びついていく。イスラエルとアラブの歴史的な対立の前に、スポーツはなす術もなかったことを証明した。

OCAの創設とアジアのスポーツ地図の変化

 アジア競技大会を主催するAGFは常設の本部をもたず、4年に1度の大会ごとに開催国持ち回りで継続されてきた。しかし1982年第9回大会では参加国・地域数が23にまで拡大。それに伴う活動業務の増大にともない、アジアスポーツのさらなる発展充実には組織を拡充、常設本部を設ける必要があるとの意見が多数を占めるようになった。第9回大会終了後の12月5日、ニューデリーで開いた会議でアジアオリンピック評議会(OCA=Olympic Council of Asia)が創設された。

 こうした意見を強く主張したのが経済的な背景を持つ中東の石油産出国であり、なかでもクウェートが主導。OCA本部のクウェート常設と初代会長にクウェート国首長の異母弟ファハド・アル=サバーバの就任が決まった。

 豊富な資金力を背景に本部が中東に定着したことにより、アジアのスポーツ地図が大きく塗り替えられた。日本など東アジアおよびインドなど南アジア中心だったアジア競技大会は1991年のソ連崩壊も手伝って、カザフスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンといった中央アジアの国々が正式加盟するなどアジア全体を巻き込んで巨大化。2026年8月現在、加盟国・地域数は45までに広がった。1986年からは冬季競技大会が始まり、1974年テヘラン大会だけだった中東でのアジア競技大会開催は2006年ドーハ(カタール)に結実、2030年ドーハ、2034年リヤド(サウジアラビア)が続く。また中央アジアの国々はレスリングや柔道、ウエイトリフティングなどが強く、アジアの競技レベル向上につながった。これらはOCA創設効果であったことを特筆しておきたい。

クウェート王族によるOCA私物化

 しかし、一方では弊害も起きていた。その際たるものがクウェート王族(アル=サバーハ家)によるOCA支配にほかならない。 ファハドが1991年まで会長を続けた後、2代会長となったのは息子のアフマド・アル=ファハド・アル=アフマド・アッ=サバーハ(シェイク・アフマド)である。シェイク・アフマドは2023年まで会長を続け、40年以上にわたって親子支配が続いたわけである。規模が拡大した反面、OCA私物化によるガバナンスの欠如、資金力に乏しい国の排除など弊害が進み、国際スポーツ界から厳しく糾弾された。

 2021年、シェイク・アフマドはクウェート国内の権力闘争で動画偽造事件に関与したとして有罪判決をうけ、OCA会長を退任。この際、自身の弟シェイク・タラルを後任に据えようとした裏工作が発覚し、IOCから15年間の資格停止処分が科された。

 IOCからやり直し選挙を勧告されたOCAは2024年9月、元射撃のオリンピアンでIOC委員だったインドのランディール・シンを会長に選出した。体制刷新を図るねらいだったが、シンの体調不良(2026年5月死去)があり、2026年1月改めてカタールの王族シェイク・ジョアンを会長に選んだ。

 ジョアンの大きな仕事は2026年9月開幕の第20回アジア競技大会愛知・名古屋大会が最初となる。その手腕は未知数だが、同じ中東の王族である新会長選出は「クウェートからカタールへ権力が移行しただけだ」との批判を生んだ。また、カタールが2036年オリンピック招致をめざしており、OCAの影響力が政治的に利用されるのではないか、との懸念が噴出している。

4.OCAと日本

 アジア競技大会とAGF、OCAの歴史を紐解いてくると、競技をのぞけば日本の関与の薄さがみえてくる。先の大戦の影響が色濃くあった草創期はともかく、AGF変革期にアジアのスポーツ大国としての関与、例えば本部の日本招致にむけた活動があってもよかったように考える。

外交配慮と現実的な判断

 1980年当時、いや、戦後の復興期から日本のスポーツ戦略は「オリンピック至上」にあった。「世界に追いつき、追い越せ」という願望が1964年東京オリンピック、1972年札幌と1998年長野のふたつの冬季オリンピック開催に結びついたわけである。前述したとおり、日本は常に「オリンピック招致」がスポーツ政策の中核にあり、アジアという枠に拘泥されることをあえて望まなかったことが理由としてあげられよう。言い換えれば、明治から続く「脱亜入欧」意識にほかならない。加えて1980年ごろは名古屋が1988年オリンピック招致に立候補し世界に注目があり、1981年9月ソウルに競り負けた虚脱感が1982年変革期の行動に影響を与えたかもしれない。

 また、国際組織を誘致し、維持していくための財源もなかった。日本のスポーツ界は当時も今も、国からの補助金および企業等のスポンサードによって成立している。クウェートのように組織の運営、維持に豊富な資金投入するなど不可能な話だった。 そして最大の理由は、第二次世界大戦が落とした蔭ではなかったかと考える。日本が「アジアのリーダー然」としてふるまえば、周辺諸国とのさらなる軋轢を生んでしまう。一歩引くことに因ってアジアのまとまりを創るという「外交的な配慮」の現れであったことを指摘しておきたい。

 日本はOCAとの直接的な関わりよりも、個々の国々への競技力の高さや高い運営能力、医科学面での良質な情報提供などによって、アジアにおける独自の地位を確立している。ある意味、現実的な対応であった。

否定できない国際影響力の低下

 あえてOCA会長、常設本部の招致にこだわらなかったことで一定の信頼を得た一方、影響力の低下は否めない。日本が懸案とする国際スポーツ界での地歩を固めるには地域の協力が欠かせない。国際競技大会招致やIOCをはじめとする国際競技団体(IF)で役員等の要職に就くためにはブロックとしての「アジアの票」を動かすことが必須となる。OCAから距離をおいたことで日常的なロビー活動の場を失い、自ら国際競争におけるハードルをあげてしまったと言えまいか。

 また、欧米や中東が主導権を握るIFあるいはアジアの組織等で要職に日本人はめだたない。要職に人がいないことは、競技ルールの変更等に関与できないことを意味する。支援体制の整備と選手個々の努力によって世界に伍している日本スポーツ界ではあるが、変更されたルールを追従し適応していかざるを得ないのが現実である。

 近年、スポーツ庁の「スポーツ国際人材への支援」事業やJOCの「国際人材養成プログラム」など、状況打破にむけた国際スポーツ人材養成の動きが始まっているものの、まずはアジアにおけるポジショニングに目を向けるべきかもしれない。

台頭する中国と置き去りの日本

 中国はこうした面で極めて上手にふるまってきた。1974年の参加以来、OCAの権力を中東の王族が掌握している現実を理解し体制に逆らうのではなく、中東の経済力や国際政治力と中国の国力を結びつけることで双方の利益につなげてきた。一方で2023年第19回杭州大会では中東のオイルマネーにも負けない巨額の資本を投入。「国家威信」をかけた大会を成功させ、結果として、アジアのスポーツ界およびアジア競技大会は中国と中東が牛耳っていることを見せつけた。

 日本は後景に追いやられ、愛知・名古屋大会でも「簡素化」とは聞こえはいいが、予算不足になやまされてきたのが現実である。愛知・名古屋大会オフィシャルウエアはOCAスポンサーを務める中国のスポーツ用品メーカー361°であり、同社は聖火リレーのスポンサーともなった。IT部門でイニシアチブをとるのはカタールに本拠のひとつを置くスポーツ系IT企業ボーナン社である。

 また、大会のホスト放送局は中国メディアグループ・国際メディアポート(CMG-IMP)に決まった。ホスト放送局は28競技の国際映像信号の制作、国際放送センターの運営や各国・地域の権利を保有する放送局への素材提供を担うわけで、アジア競技大会報道の主役といっていい。国内放送権はTBSが獲得、名古屋のCBCとともに大会の模様を放送し、TVerでも配信するが、開催国のテレビがホスト放送局とならなかったことに、いささかの寂しさを覚える。

5.愛知・名古屋開催で何をめざすのか?

第20回アジア競技大会(2026/愛知・名古屋)TEAM JAPAN結団式/左から橋本聖子JOC会長、井上康生団長、藤波朱理選手(騎手)

第20回アジア競技大会(2026/愛知・名古屋)TEAM JAPAN結団式/左から橋本聖子JOC会長、井上康生団長、藤波朱理選手(騎手)※写真:三船貴光/フォート・キシモト

OCAの“横暴”と通用しない日本の意見

 愛知・名古屋大会の準備状況をみていると、OCAの一方的な押し付けにふりまわされているとしか言いようがない。

 「愛知・名古屋モデル」という「簡素で無駄のない合理的な大会」をめざしたはずが関連経費を含めた開催経費が3,700億円にまで膨張し、当初計画の3.5倍となる見通しとなった。物価高騰・人件費の上昇や円安影響による国際支出の増加、さらに主会場となる瑞穂公園陸上競技場の整備費用が金利上昇の影響を受けたことはある。しかし、見逃せないのはOCAの“横暴”が要因となった経費の増加である。

 そのひとつが開閉会式費用の増額。「簡素」を旨とする大会に合わせ、費用の抑制をはかってきた組織委員会に対し、OCAは過去の大会と比較し「貧弱すぎる」と批判、結局は組織委員会が折れて25億円の増額となった。

 ふたつめは前年の2025年秋、突然にOCA理事会で決定し、通告してきた2競技の追加実施である。テニスとスカッシュの要素をあわせ持つ「パデル」と、卓球とサッカーを組み合わせた「テックボール」で、中東では人気が高いという。すでに41競技の実施で準備を進めてきた組織委員会は「予算、会場準備、人的負担」を理由に難色を示したものの、主催者権限を盾にごり押しするOCAに譲らざるを得なかった。これによって会場の設営・運営費等が新たに加わった。

 異例の競技追加を決めた理事会には日本人役員はおらず、その勝手な決定とそれを受け入れざるを得なかった現実に慄然とさせられる。OCAは大規模選手村を設けず、既存のホテルにクルーズ船、コンテナハウスの活用で対処する組織委員会のあり方を批判、改善要求を幾度も突き付けたという。本来ならばオリンピックの国内統括組織JOCが日本の実情、簡素な大会の意義を訴え、時にIOCの助けも借りながらOCAの横暴と渡りあうべきであった。しかしJOCにもOCA、IOCとしっかり交渉できる人材がいないことが、こうした結果を招いたと言ってよい。

大会開催を奇禍とする

 国際人材の養成計画を着実に実行していくことは言うまでもない。しかし、その人材は「脱亜入欧」然として、ただ単に世界をめざすのではなく、アジアに根を張った活動ができる人材でなければならない。言い換えれば「スポーツ外交官のプロ」となる人材を創っていく必要がある。いたずらに欧米との連携のみを模索すれば、圧倒的な力を持つ中国・中東を刺激し、アジアと国際スポーツ界での孤立を招きかねない。

 まずは現実を奇禍とし、「簡素で無駄のない合理的な大会」を成功させて、「愛知・名古屋モデル」を掲げる「SDGs(持続可能な開発目標)の実現」とともに世界に発信していく事から始め、草の根から共感の輪を広げていきたい。

 いまスポーツの世界では「政治利用」「スポーツウォッシング」への批判が渦巻いている。アジアもAGF創設時は純粋なスポーツの発展を願ってきた。その初期の頃の理想とともに「クリーンなスポーツ環境の堅持」をサポートする立場を、日本スポーツの総意として、愛知・名古屋発信していくときである。

<参考文献>

・日本体育協会編.スポーツ八十年史.1960.日本体育協会

・伊藤公.アジア競技大会の歴史と今後の課題.2011.JOA Review 第9号

・深川長郎・中西利夫.アジア競技大会.2021.Japan Knowledge

・田原淳子・池田延行・波多野圭吾.第1回アジア競技大会(1951年)への日本の参加経緯.2016.報告書(体育研究所プロジェクト研究)

・冨田幸祐.新興国競技大会(GANEFO)における日本選手団参加問題と日本政府.2018.体育学研究63巻2号

・和所泰史.戦後日本の国際スポーツ競技大会復帰過程に関する一考察.2019.スポーツ史研究第32号

・LA84財団.The Asian Games. A short history. 2010.

・愛知・名古屋アジア大会公式ホームページ https://www.aichi-nagoya2026.org/

・日本オリンピック委員会公式ホームページ https://www.joc.or.jp/

アジア競技大会 https://www.joc.or.jp/games/asia/

大会物知り事典 https://www.joc.or.jp/games/asia/history/

愛知・名古屋アジア大会 https://www.joc.or.jp/games/asia/2026/

・アジアオリンピック評議会公式ホームページ https://oca.asia/

・国際オリンピック委員会公式ホームページ https://www.olympics.com/ioc

・ウィキペディア「アジア競技大会連盟」:https://en.wikipedia.org/wiki/Asian_Games_Federation

・ウィキペディア「アジア関係会議」 https://jmedia.wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E9%96%A2%E4%BF%82%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%80%811950%E5%B9%B45%E6%9C%88%E3%81%AB/Asian_Relations_Conference

・産経新聞、朝日新聞、読売新聞、日経新聞

・共同通信ニュースサイト https://www.kyodo.co.jp/

・共同通信47ニュース https://www.47news.jp/news

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  • 佐野 慎輔 佐野 慎輔 Shinsuke Sano 笹川スポーツ財団 参与、上席特別研究員/産経新聞 客員論説委員 早稲田大学卒、報知新聞社を経て産経新聞社入社。産経新聞シドニー支局長、外信部次長、編集局次長兼運動部長、サンケイスポーツ代表、産経新聞社取締役などを歴任。スポーツ記者を30年間以上経験し、野球とオリンピックを各15年間担当。5回のオリンピック取材の経験を持つ。立教大学、早稲田大学、尚美学園大学で、スポーツメディア論、スポーツ政策およびオリンピック史を中心に教鞭をとってきた。笹川スポーツ財団 理事を5期10年務める。日本スポーツフェアネス推進機構体制審議委員、B&G財団理事、日本モーターボート競走会評議員等。 近著に、『嘉納治五郎』『金栗四三』『中村裕』『田畑政治』(以上、小峰書店)、『日本オリンピック略史』(出版文化社)など。最近の共著に、「スポーツと地方創生」「スポーツ・エキセレンス」「スタジアムとアリーナのマネジメント」(以上、創文企画)、「オリンピック・パラリンピック残しておきたい物語」「オリンピック・パラリンピック歴史を刻んだ人々」(笹川スポーツ財団)、「日本のラグビーを支えた人々」(新紀元社)など