2026.10.27
佐野 慎輔(笹川スポーツ財団 参与/上席特別研究員)
目次
現在の明治神宮外苑
工事が進む新秩父宮ラグビー場(国立競技場5階「空の杜」から、佐野慎輔撮影)
東京都心の新宿区と渋谷区、港区が交錯するあたり、青山通りに面して美しい樹木と芝に彩られた広い緑地がある。通称・神宮外苑、正式には明治神宮外苑というこの地は、今年10月22日、1926(大正15)年の奉献から100年を迎えた。
奉献とは、辞書をひけば「社寺、貴人などに、物をたてまつること」とある。この地の歴史については後述するが、明治天皇の崩御をうけ、祈りの場の明治神宮と鎮守の森として国費で造営された内苑とともに、明治天皇の遺徳をしのび、記憶に留める「装置」として全国からの寄付と勤労奉仕によってさまざまな施設が造られ、明治神宮に奉げられた。
いま、その外苑の中核をなす聖徳記念絵画館(絵画館)に向かって左側、国立競技場と街路を介して向き合い、明治神宮野球場(神宮球場)に隣接した土地で工事が進む。かつてここにあった神宮第二球場(元は相撲場)は解体され、ドーム状の屋根がかかる新秩父宮ラグビー場が2030年の完成をめざして着工した。次いで現・秩父宮ラグビー場が解体され、跡地では高さ60mのホテルを併設した新しい神宮球場の建設工事が始まる。東京六大学野球リーグ戦、プロ野球ヤクルトスワローズの本拠地として親しまれている現・神宮球場は解体され、跡地は防災拠点を兼ねた芝生が広がる中央広場となる。
明治神宮と日本スポーツ振興センター(JSC)、さらに三井不動産、伊藤忠商事と組んだ神宮外苑再開発計画である。ラグビー場に隣接する伊藤忠商事は本社ビルを高さ190mに建て替えるため、すでに解体工事に着手した。28.4㏊の敷地に建物6棟、延べ56万5000㎡の施設を整備するなど、総額約3490億円ともいわれる計画の全体像の完成は2038年となる予定だ。
景観論争
神宮外苑再開発で樹木伐採(2024年、写真:アフロ)
つい6、7年前、さまざまな論議を経て国立競技場が完成。新型コロナウイルス禍下での2020東京オリンピック・パラリンピック開催以降、ようやく競技場のある光景が定着した、と思っていたら、また工事フェンスに覆われ、クレーンが林立し、まだ10年あまり、外苑は落ち着かない景色が続く。
散歩やジョギングを楽しむ人たちで賑わい、絵画館を背景にしたイチョウ並木に代表される季節の移ろいとともにその色を変える樹木に癒される場としての神宮外苑。樹木の伐採、移植、さらに建設される高層ビルによって、これまでの景観が大きく変わることへの懸念が示されたことは記憶に新しい。そして、計画をめぐって樹木の伐採許可、建設許可を与えた東京都や新宿区を相手取って、行政判断の適法性を争う訴訟が複数起こされ、いまも進行中のものもある。
そうした開発に反対する人たちから、「コモンズ(Commons)」という言葉が聞かれる。「みんなのもの」という意味であり、「神宮外苑はコモンズだ」とする認識にほかならない。だからみんなの場として、いまある景観を守れ、という主張である。
確かに外苑は誰もが親しむ場となっている。その意味ではコモンズといえるのかもしれないが、では維持管理費はどこが負担しているのか。コモンズならみんなで費用を負担しあって然るべきだが、現実はそうはなっていない。外苑および内苑の維持管理費用を負担しているのは宗教法人明治神宮である。明治神宮は外苑の約66%を所有し、絵画館や神宮球場、テニスコートなども管理下に置く。戦前は公的な存在だったが、戦後は宗教法人、言い換えれば民間となった。「憲法89条」は宗教法人への公的資金の投入を禁じており、内苑や外苑の維持管理は明治神宮が自ら負わねばならない。一方で国立競技場や秩父宮ラグビー場など外苑の25%は独立行政法人JSCの所有であり、東京都は東京都体育館とイチョウ並木の土地など、港区は区道沿いのイチョウ並木18本を所有する。公的な場として、広義にはコモンズだと言えるかもしれないが、経済的な側面を無視して、外苑をそのようにみなすことは果たして妥当だろうか。
明治神宮外苑のイチョウ並木(写真:Adobe Stock)
今回の開発計画の背景には重くのしかかる維持管理費の負担がある。また今年で築100年を迎えた神宮球場、築85年の秩父宮ラグビー場の老朽化、共生社会を意識したユニバーサルデザイン導入に加え、歩車分離を含めた選手・観客の導線確保、防災拠点としての再整備なども要因となった。そうした整備には大きな資金が必要であることは言を俟たない。さまざまな未来への不安要因の解消にむけ、持続可能な開発として現出したのがこの計画であった。
一方で、計画は外苑一帯のあり方を大きく変えることになろう。景観論争の背景でもある。公的な性格をもつ憩いの場として、いまある環境をどこまで、どのように保全できるのか。明治神宮の負担によって、いまある景観が成り立っている現実を踏まえて考えていかなければならない。神宮外苑再開発計画が、単なる地域開発ではない理由でもある。
明治神宮外苑の歴史を振り返る
1937年の神宮外苑周辺 空撮 (写真:毎日新聞社/アフロ)
神宮外苑の歴史を振り返っておきたい。1912(明治45)年に明治天皇が崩御され、年号が「大正」と改まった9月13日、旧青山練兵場で明治天皇の大喪の礼が執り行われた。時の東京市長、阪谷芳郎は陵墓が京都・伏見に決まったことをふまえ、東京に明治天皇を祀る神宮の建設を思い立つ。それが明治神宮であり、さらに内苑、外苑を一対としてそれぞれ代々木御料地、旧青山練兵場に造営し、ふたつの場を表参道で結ぶ。いまの北参道である。1914(大正3)年のことだ。
神宮と鎮守の森としての内苑は国費での造営が決まり、外苑は全国からの寄付を募ることになった。翌1915年、阪谷は外苑造営に向けて推進組織「明治神宮奉賛会」を結成、自ら理事長となる。「外苑内ヘハ頌徳紀年ノ宮殿及ヒ 臣民ノ功績ヲ表彰スヘキ陳列館 其他林泉等ノ設備ヲ施シ」と覚書にある通り、外苑は紀年、顕彰の場とされた。阪谷は造営に向けて2度(1908、11年)欧米を視察、人々が集う都市公園を強く意識したという。
1917年までに624万円(現在の価値に換算すれば59億9000万円)の寄付を集めた明治神宮奉賛会は内務省外局の明治神宮造営局に設計・施工を依頼、造営局参事で東京帝国大学教授の佐野利器が作成したマスタープランをもとに造営局技師・折下吉延が実施案を創り、翌18年に造営工事が始まった。明治天皇の葬場殿址前に絵画館、向かって右側に憲法記念館(現・明治記念館)、左側には明治神宮外苑競技場(後の国立競技場)が配置され、その後、神宮球場と相撲場も加わり、スポーツコンプレックスの装いをなしていく。ちなみに秩父宮ラグビー場は戦後の1947年、女子学習院の移転後の土地に東京ラグビー場(1953年に秩父宮ラグビー場に改称)として造成された。競技場建設を提言したのは大日本体育協会会長でアジアから初の国際オリンピック委員会(IOC)委員となっていた嘉納治五郎とされるが、阪谷そして折下による見事なグランドデザインである。各施設のメインスタンドはまっすぐ絵画館、いや葬場址を向いていた。明治天皇の記憶を長く留める装置としての役割をもっていたのは言うまでもない。
戦時下の1943年10月21日、外苑競技場は出陣学徒壮行会が開催され、約2万5000人もの学生を戦地に送った。1944年には軍の施設となり、空襲も受けた。戦後、進駐した連合軍総司令部(GHQ)に摂取され、外苑競技場は「ナイル・キニック・スタジアム」と名を変え、1952年の摂取解除までGHQの運動場に。この年、明治神宮と文部省(現・文部科学省)の話し合いを経て、外苑は明治神宮に払い下げられた。
その後、1958年のアジア競技大会東京招致決定を機に外苑競技場の明治神宮からの切り離しが決定、国立競技場に建て替えられてアジア競技大会、1964年東京オリンピックのメイン会場となる。スポーツの聖地となっていく歴史的な経緯である。
明治の記憶と紡ぐ未来
明治神宮と代々木体育館と渋谷周辺への眺望(写真:Adobe)
そんな歴史的な土地が造営100年を迎えて、再び大きく変わろうとしている。この地は1926(大正15)年、明治神宮への奉献時から風致地区に指定された。1919年に制定された制度の指定第1号である。国土交通省によれば、風致地区とは都市における水や緑などの自然的な要素に富んだ景観を維持保存、環境を保全するため、土地利用計画に際し建物建設や樹木の伐採などに一定の制限が政令で定められた区域をさす。開発には相応の注意が払うことが求められる。
神宮外苑地区まちづくりの公式サイトによれば、外苑の緑を未来につなげるため、4列のイチョウ並木は伐採せずに保全、移植や植栽等によって樹木本数は1904本から2304本に増え、外苑一帯の緑の割合は約25%から約30%に増加するという。さらにやむを得ず伐採する樹木の利活用も検討されている。絵画館前は段階を経て、造営当初の庭園に戻され、自由に入れない敷地や通り抜けできない場所を再整備される。オープンスペースは現行の約21%から約44%に増加。これによって災害時の広域避難場所や一時避難、滞留スペースが増加し、防災性が高まるとしている。
絵画館を中心とした「明治の記念碑」であった神宮外苑は、阪谷のねらったとおりに人々の憩いの場となって久しい。だからこそ起きた景観論争ではあるが、時代の変化にともない、少しずつ顔を変えながら外苑は今を生きている。「明治の記憶」を貫きながら、この地は次にどのような変容をみせてくれるのだろう。
<参考文献>
・佐野慎輔(2017) 記憶の創造と断絶-明治神宮外苑と国立競技場-.スタジアムとアリーナのマネジメント.創文企画
・後藤健生(2013) 国立競技場の100年.ミネルヴァ書房
・今泉宜子(2013) 明治神宮.新潮社
・明治神宮
・JAPAN SPORT COUNCIL 日本スポーツ振興センター
・神宮外苑地区のまちづくり|都有地等をいかしたまちづくり|東京都都市整備局
・佐野慎輔(2020) 始まった国立競技場の新たな歴史Vol.1~3 笹川スポーツ財団
・産経新聞、朝日新聞、読売新聞、日経新聞、毎日新聞


