松瀬 学(笹川スポーツ財団 特別研究員)
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
松瀬 学(笹川スポーツ財団 特別研究員)
これは一体、なんだ。
大亀の甲羅のような、卓球台にも似た湾曲した専用台を挟み、手を使わず、足、胸、頭などでボールを相手コートへ返していく。リフティング、オーバーヘッド――アクロバティックなプレーが次々と繰り出される。サッカーと同じボール(5号球)が独特の軌道を描いて跳ねる。
やっても、見ても面白い。サッカーと卓球を掛け合わせたようなハンガリー生まれの新競技、それが愛知・名古屋アジア競技大会2026で初めて採用された「テックボール」である。
9月20日の名古屋市東スポーツセンター。その混合ダブルスの決勝戦に、日本の早稲(わせ)昭範(日本テックボール協会)、坂本唯那(ゆいな=TEQBALL CLUB ORTUS)組が進出した。快挙である。収容人数981人の会場は立ち見が出るほどの大盛況だった。だが、「ニッポン! ニッポン!」の声援もむなしく、日本ペアはアジア最強のタイに0-2で敗れた。完敗だった。
清々しい光景だった。マッチポイント。タイの男子選手に豪快なオーバーヘッドを決められた。試合終了。その瞬間、早稲と坂本はタイのペアに祝福の拍手を送った。これぞ、スポーツマンシップ。
早稲の述懐。
「すごいスマッシュを見たら、"おお~"って感嘆が出るわけじゃないですか。(観客は)すごいなと思って拍手したいのに、日本チームが負けているから拍手ができないかもしれません。その考えをちょっと緩和させたいというか、純粋にテックボールを楽しんでほしかったんです」
アジア競技大会、テックボール女子シングルスで銅、混合ダブルスで銀メダルを獲得した坂本唯那(撮影・高橋学)
そして、日本ペアはコートの端に並び、ファンの寄せ書きが書かれた日の丸の旗をふたりで持ち、二階のスタンドに向かって深々と頭を下げた。大声を張り上げた。
「みなさん、ありがとうございました」
スタンドからはあたたかい拍手が送られた。金メダルこそ逃したが、価値ある銀メダルといっていい。その理由は、テックボールの魅力の一端を日本の人々に示すことができたからだ。新競技普及の種はまかれたのだった。
観客席に頭を下げた時の心境を聞けば、早稲は言葉に実感をこめた。
「テックボールという競技自体がアジア競技大会に採用されて、初めてにも関わらず、テックボールを知らない方々がたくさん、応援に来ていただきました。日本のサポーターの方々の声援がありがたくて。ファンのみなさんには本当に感謝しています」
それにしても、会場はまるでディスコのようだった。アップテンポの音楽が鳴り響き、スポットライトが縦横に飛び交う。観客の歓声と手拍子が重なり、テックボールの一球一球を盛り上げていく。そこには、従来のスポーツ会場とはひと味違う、エンターテインメント空間が広がっていた。
しかも、日本人ファンの大声援が場の空気を圧倒した。日の丸の小旗がばたばた振られる。大人に混じって、子どもの元気な声援も飛んでいた。やはり日本ペアにとり、母国で開催する国際大会は経験しがたい素晴らしいものだったであろう。
応援がふたりの背を押した。早稲は言葉に実感をこめた。
「今までに見たことのない景色だったので、ほんとうに感動しました」
そして、早稲も坂本も同じ言葉を口にした。
「日本の未来につながる銀メダルだと思っています」
坂本はこの日の午前、女子シングルスの3位決定戦で勝ち、銅メダルも獲得していた。表情には充実感と悔しさがにじむ。
「自分の力を完全に出し切れて、メダルをふたつも獲らせていただきました。自分の最高のプレーをして、ここまでのレベルというのを痛感したので、これを糧にもっと努力して、テックボールの魅力を日本国内に伝えていけるよう頑張ります」
30歳の坂本は元女子プロサッカー選手で、引退後タクシー運転手として働き、2年半前にテックボールに転向したばかりの頑張り屋だった。ドイツから帰国し、テックボールをYouTubeで知った。「めっちゃ面白くて」。昨秋にはタクシー運転手を辞め、トレーニングの質量を高めるため、関西から早稲の東京の自宅に移り住んだ。ただ、タイの相手ペアはほぼ2年間、一緒に合宿生活を踏んでいる。それほど、混合ダブルスの選手にとって、「あ・うん」の呼吸は大事なのだ。
テックボールとサッカー、違うものは?
「メンタリティーです。やっぱり団体競技と個人競技の違い。テックボールは自分勝負と、技術を駆使して、どれだけ相手を追い込めるか、なのです」
坂本のモットーは「自由に、楽しんで」。夢は、「テックボールの単なる世界一ではなく、その上の圧倒的王者、世界一を獲り続ける王者です。つまり絶対王者」と笑った。今後、テックボールを普及するためのカギは?と聞けば、こう即答した。
「テックボールは独特の専用台がないとできないで、その専用台ですかね。これで、(テックボールの)注目度は上がってくると思うんで、あとはプレーで(観客を)どれだけ楽しませることができるかだと思います」
アジア競技大会、テックボール混合ダブルスで銀メダルを獲得した後、観客席に感謝を伝える早稲・坂本ペア
テックボールは、2012年にハンガリーで考案され誕生した競技といわれている。2017年に設立された国際テックボール連盟(FITEQ)によると、「サッカーボールを、卓球台の上でラリーできるようにするには、台を曲げればいい」という発想から独特の歪曲したテーブルが生まれた。公式規格では、長さが3メートル、幅1.5メートル、高さが90センチと決められている。ネットはアクリル樹脂(透明なプラスチック板のような素材)が採用されている。ちなみに、テックボール(Teqball)の「テック」は「テクノロジー(technology)」と「テクニック(technique)」の両方の意味合いが込められているそうだ。
世界で最も普及しているスポーツの一つであるサッカーをベースにしたことで競技者がイッキに増え、2014年のブラジルW杯開幕日に初めてテックボールの映像が公開された。世界のトップサッカー選手やクラブがトレーニングなどで取り入れ、SNSなどを通じて、その映像が拡散した。現在は124カ国以上に広がり、わずか誕生10数年で、アジア競技大会の舞台にたどりついた。
なぜ、アジア競技大会の新競技なのか、と疑問も湧くが、タイなどが世界の強国として躍進したことが要因として挙げられる。
早稲が説明する。「サッカーのワールドカップで日本代表選手たちも、アップやダウンでテックボールを非常に楽しみながら、リラックスして選手間のコミュニケーションツールとして使ってもらっていた。それで非常に注目されることになり、テックボールも歪曲した台でダイナミックなプレー、シュートを打ちまくる派手なプレーが見どころとして人気がアップしたのです」と。
FITEQは、世界的なサッカースター、元ブラジル代表のロナウジーニョさんをアンバサダーに起用として世界への普及活動を展開した。今大会では、サッカー元スペイン代表のカルレス・プジョルさんが、表彰式のプレゼンターとして、名古屋入りした。
早稲が、テックボールがアジア競技大会の実施競技となると聞いたのは昨年12月だったという。今年2月、実施競技入りが正式に決定。「非常に驚きました」と漏らす。日本ではまだ、テックボールはほとんど知られていないが、早稲は「アジア競技大会の正式競技となり、ほんとうにタイミングがよかったかなと思います」と口にした。
41歳の早稲は大阪府出身。Jリーグ入りをめざすサッカー少年だったが、京都産業大在学中の19歳の時、華麗なテクニックでリフティングなどを披露する「フリースタイル・フットボール」のプロ選手に転向、足裏リフティングなどのギネス世界記録を次々に更新した。2017年、知人の紹介でテックボールに出会った。その面白さとカッコよさに魅かれ、本格的に競技を始め、世界で活躍する選手に。
転機は6年前の2020年だった。請われて、低迷する日本テックボール協会の会長に就いた。「選手」と「協会会長」の二刀流だ。協会の財政基盤を立て直すべく、スポンサー集めなどに駆け回った。
早稲の述懐。
「まあ、苦しい時期がたくさんありました。自分で営業かけて、自分でスポンサーを探して、自分で企画書をつくって、自分でイベントをつくって、すべて自分でやってきました。最初の頃は本当に誰からも相手にされなくて、協賛のお願いしても、"メリットは何?"と聞かれたり、"全然意味がない"と言われたり。知らない人に"テックボールなんて流行らないよ"と言われた時はグサッときましたね」
テックボールがアジア競技大会の正式競技に決まると、大会の会場探しに始まり、運営を担当するイベント会社との調整、テックボール台の搬入に至るまで、会場の設営に忙殺された。例えば、からだのケアをしながら、協会としてのメールを返信する。練習と会長職との両立は難儀だったに違いない。
「本当に奔走しました。会場を確保したり、地元への説明会議に出たり、本当にすべてのことをやりました。やっぱり選手と協会というのは区別した状況であれば、もしかしたらメダルの色は変わっていたかもしれません。でも第一歩としてはこれで良かったと思っています」
大事なことは、アジア競技大会のレガシーをどう生かすか、だろう。どう日本でテックボールを普及していくのか。そう問えば、早稲は囲んだメディアを見まわし、真顔で言った。「正直言うと、みなさんの力が必要です」。爆笑の渦が巻き起こった。
早稲によると、現在、テックボールの国内の競技人口は「100人程度」、専用台は「100台ほど」という。専用台は一台、数十万円。
「やっぱりボールが使えない体育館って増えてきているんですよ。そういったところの理解をいただいて規制を緩和していただければと。これで、多少はテックボールを専門で練習したいという人が増えてきているようなので、その環境づくりをしていきたい」
テックボールは身体接触がなく、年齢、性別、体格にかかわらず、競技ができることが特徴のひとつである。学校体育に入れることはできまいか。そうなれば、サッカー部以外の生徒にも広がるだろう。あとは、自治体と民間をどう巻き込めるかだろう。例えば、自治体で競技会や体験イベントを開催する。地域スポーツクラブと連携する、公共体育館に専用台をおく、といったところか。
早稲のモットーは「夢を持ち続けること」という。では、夢は。「テックボールをオリンピック種目にすることです」
アジア競技大会で生まれた機運を、どうレガシーとして残していくのか。日本協会の組織拡充と競技の環境づくり、SNSを含めた地道な普及活動。その一歩一歩が、日本にテックボールの根を張らせることにつながっていく。
松瀬 学
SSF 特別研究員