松瀬 学(笹川スポーツ財団 特別研究員)
- 調査・研究
© 2020 SASAKAWA SPORTS FOUNDATION
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Mission&Visionの達成に向けさまざまな研究調査活動を行います。客観的な分析・研究に基づく実現性のある政策提言につなげています。
自治体・スポーツ組織・企業・教育機関等と連携し、スポーツ推進計画の策定やスポーツ振興、地域課題の解決につながる取り組みを共同で実践しています。
「スポーツ・フォー・オール」の理念を共有する国際機関や日本国外の組織との連携、国際会議での研究成果の発表などを行います。また、諸外国のスポーツ政策の比較、研究、情報収集に積極的に取り組んでいます。
日本のスポーツ政策についての論考、部活動やこどもの運動実施率などのスポーツ界の諸問題に関するコラム、スポーツ史に残る貴重な証言など、様々な読み物コンテンツを作成し、スポーツの果たすべき役割を考察しています。
松瀬 学(笹川スポーツ財団 特別研究員)
「セパタクロー」という名前は聞いたことがあるけれど、実は、どんな競技なのかはよく分からない。そんな人も多いのではないか。ところが、ひとたび目にすれば、思わず引き込まれるのだ。ネットごしに、足でレシーブし、頭で返し、背中でブロックする、はたまた空中でオーバーヘッドキックなどアクロバティックなアタックを繰り出す。激しく、美しく、そしてメチャ面白い。―それが、愛知・名古屋アジア競技大会で地元ファンを沸かせたセパタクローである。
日本にとっては、記念すべき大会となった。4人制の「クワッド」で、男子がセパタクロー初の金メダルに輝き、女子は同種目初の銅メダルを獲得した。10月2日の準決勝。会場となった名古屋市瑞穂公園体育館は試合コート側の観客席には満員の数百人が押し掛けた。メガホンを打ち鳴らし「ニッポン、ニッポン」の大声援、ポイントが入るとどどっと沸き、拍手が巻き起こる。
アジア大会。セパタクロー男子クワッドで金メダルを獲得した日本代表(写真:ロイター/アフロ)
「日本ではほんと、マイナースポーツなので。全日本レベルの大会であっても、いつも観客は身内だけ。なのに、きょうは身内じゃない方たちにも大勢来ていただいて、さらに"ニッポン・コール"までもらって…。感動して、心がぞくぞくして。(観客席が)すごく素晴らしい光景でパワーをもらいました」
女子は準決勝でベトナムに0-2で敗れた。15点制の2セット先取方式。それでも第2セットは、10-13まで追い上げた。ポイントをとると、4人が手をつないで輪になる。肩を寄せ、つないだ手を笑顔で上下させる。セパタクローならではの楽しそうな「円陣」が、コートに一体感を生み出す。
あの円陣は?と聞けば、伊澤主将は笑って説明してくれた。「互いの表情を見ているんです。セパタクローって、お互いのコミュニケーションが無茶苦茶、大事なんです」と。
東南アジアの伝統スポーツで、「セパ」はマレー語で"蹴る"、「タクロー」はタイ語で"(籐で編んだ)ボール"を意味する。「リアル少林サッカー」というか、「サッカー&バレーボール」というか。1990年北京アジア大会から男子が正式競技となり、94年広島アジア大会で初めて日本の多くの人が目に触れた。ここ20年で知名度が上がり、競技人口も「2000人ぐらい」に増えてきた。
準決勝で敗れはしたが、クワッドでは女子初のメダルを獲得した。主将は言葉に力をこめた。「女子のセパタクローにとってすごく大きいメダルです。未来につながります」
アジア大会。セパタクロー日本女子代表の戦い(写真:アフロスポーツ)
29歳の伊澤は中学時代にソフトボール、高校時代にはサッカーに没頭していたが、日本体育大学でセパタクローを始めた。ちなみに日体大の同部の新人勧誘の殺し文句は、「あなたも日本代表になれる」である。
他の女子選手の競技歴は多彩で、高校時代までは走り高跳び、チアリーディング、バレーボールなどをやっていた選手が集まった。
サッカーにないセパタクローの面白さは?と聞けば、伊澤主将はこう、即答した。
「やっぱり、ダイナミックで、見ていてワクワクするプレーですよね。ちっちゃいボールを扱う競技なので繊細さも兼ね備えています。その難しさと迫力あるプレー。やっても、みても、メチャ楽しいんです」
伊澤主将は、東京ヴェルディセパタクローに所属する。モットーが「好きこそものの上手なれ」である。日本には東南アジアの国のようなプロ選手は、いない。仕事をやって、空いた時間でセパタクローに没頭する。
「社会人としてばりばり働いて、セパタクローをやっています。だからこそ、"楽しむ"が根本、大事にしています。まず自分たちが心から楽しもうとしています」
夢は、アジア大会のメダル獲得とセパタクローの普及だった。メダルはとった。普及の目標値は?と聞けば、ニカッと目を見開いた。
「競技人口、1万人かな。そして、全日本の大会が満員の観客で埋まることです」
男子は、3日の決勝で、インドネシアとの死闘を2-1で制し、史上初のアジア大会の頂点に立った。2日の準決勝ではインドに2-0で完勝した。
緩急をつけたアタックで活躍した市川遥太(ようた)がマッチポイントも挙げた。
コートでは歓喜の輪ができ、観客席でも「ニッポン・コール」が鳴りやまなかった。31歳の市川は黒色のヘアバンドを触りながら、「大歓声はうれしいですね」と笑った。
「アジア大会は、セパタクロー界では一番大きな大会ですから。その決勝の舞台に立てるのは一生に一度あるかどうかですから。誇りだと思っています」
最後は得意の右足オーバーヘッドキックで相手のレシーブミスを誘った。
「信頼関係があるので、(トスが自分に)くるだろうなって思っていました。時間があったので、逆方向に打とうと決めていました。自信はありましたけど、正直、"入ってよかったなあ"って。ま、一個一個が奇跡みたいなものですから」
トスを挙げた春原涼太ゲームキャプテンはこうだ。27歳の言葉に実感がこもる。
「勝ててほっとしました。家族、友人、セパタクロー関係者、そして応援してくれた方々、みんながあれだけ喜んでくれたのはとてもうれしかったですね」
勝因は相手の分析と戦略だろう。サーブをだれに打って、どう相手にアタックさせるか。どうブロックするか、それが読み通りとなった。日本の強みを聞けば、「個人のスキル、トス、レシーブ力、アタック力は少しずつついている」と話し、こう言葉を足した。
「組織的なところで、4人で連動して同じ狙いをもって動くというところが、他国と比べると優っていると思います。瞬間、瞬間、判断のスポーツなので、意思疎通を欠くと味方同士でぶつかっちゃう。そこの組織力、統率力は強みなんじゃないでしょうか」
言葉通り、準決勝の勝因はやってきたことの実践力だった。3枚ブロックの正確性ほか、サーブをだれにあててどこでブロックするのか。こまかく、こまかく、相手の特徴を分析して実行できたということだろう。
アジア大会。セパタクロー男子クワッド決勝。激闘のワンシーン(写真:ロイター/アフロ)
長く日本代表を支え続けてきた32歳の内藤利貴(としたか)キャプテンは腰痛のため、試合には出場できなかった。それでもコートサイドに立って、いつでも交代出場できるよう、からだを動かしていた。
勝利が決まると、腰痛も忘れて跳びあがり、チームメイトと肩を抱き、ハイタッチを交わした。観客席には右手を何度も振った。
「たくさんの方々に見ていただいて感激しました」と笑顔で振り返った。「点が入ったら、ワーですから。セパタクローを見て、(観客席も)盛り上がっている。セパタクローの競技性とか、アクロバティックなところとか。お客さんにもすごいと思ってもらっているのかな。うれしい反応ですね」
内藤は、昨年の世界選手権男子クワッド優勝のメンバーである。だから、アジア大会の目標も金メダルだった。「ここ(準決勝)は通過点。この喜びは継続しつつ、気を引き締めて決勝戦に向かいたい」と漏らした。
「こんなに多くの方々に、日本の。セパタクローをみていただくのは初めてのことですから。こう、決勝まで残れたのは大きな意味があることだと思います。テンション爆上がりですよ。もうやるしかない」
そういえば、2018年ジャカルタ・アジア大会もまた、決勝戦の相手はインドネシアだった。日本は予選でインドネシアに負けた後に勝ち上がったが、決勝で再び負けていた。「それを経験したメンバーもいるので、借りを返すのはここしかない」。で、今回、見事、借りを返したわけである。
男子はほとんどの選手が高校時代までサッカー部で、大学に入ってから、セパタクローに転向している。内藤もまた、高校時代まではサッカー部。日体大に入って、セパタクロー部に移った。こちらも、「日本代表になれるぞ」との殺し文句にやられた。
31歳の市川も高校時代までサッカー部でゴールキーパーをやっていたが、桐蔭横浜大学に入学し、近くの日体大のセパタクロー部のお世話になった。高校時代サッカー部だった27歳の春原は慶応大学に入学し、新入生歓迎会でセパタクロー・サークルのメンバーのダイナミックなプレーに魅力された。
慶大サークルでは春原の学年はひとり、全体で数人の小さなサークルだったそうだ。今では増えて、「20、30人」という。
「サッカーにない、セパタクローの面白さは、一瞬一瞬の判断と、それに対してからだを動かすところです。セパタクローって、球技ではあるんですけど、結構、動きを考えたら遅いので、体操とか、フィギュアスケートのように反射的にやらないといけません。瞬間、瞬間の判断と瞬発力が大事なスポーツだと思います」

セパタクローを取り巻く環境は厳しい。男子もまた、みんな仕事をしながら、練習に励んでいる。春原は地域のセパタクロークラブに入って、週末と、平日に3日、仕事の終わった後、中学校の体育館で汗を流す。
この金メダルでセパタクローを取り巻く環境が劇的に変わることはたぶん、ないだろう。「変わるところと変わらないところと」と、春原は現実を直視する。
「自分たちがもっともっと魅力的な人になれば、もっとたくさんの人に見てもらえて、お金も集まることになるのかな。優勝しても、すぐに変わるとは思わないけど、少しずつ、注目度があがっていってもらえれば、少しずつ、セパタクローの環境もよくなるでしょう。まあ、一歩一歩です」
セパタクローの選手たちは損得抜き、ただ純粋に競技が好きなのだ。願わくは、このアジア大会の金、銅メダルを契機とし、国内での知名度が上がり、競技人口とファンが増えていくことを。
松瀬 学
SSF 特別研究員